五十二話 intermedio 2 インペリアルアンダーグラウンド

 ぽつん、ぴちゃんと水滴が地面を叩く音が響いている。

 ここは人工湖の湖底に近い深さにある隠された空間。アンダーグラウンド。


 広大な地下空間は皇都全域への抜け道もあって、もちろんそのルートを知っている者は限られている。内一つは帝城の地下に繋がっており、マテリア皇家ですらも把握していないその秘密通路が開かれることは滅多にない。


 だが、今日に限ってはその重い扉が開かれ何者かが連れて来られるところだった。

 頭から布を被らされたその人物は、顔がハチに刺されたかのように腫れており殴られた形跡もある。両腕は鉄輪で拘束されていた。


「うっ⋯⋯」


「ボサッとするな、さっさと歩け」


 仮面で顔を隠した男が足を止めた彼を後ろからどついた。布で顔を覆われた彼は足を引き摺り前へと進む。巡礼者のような出で立ちの集団は、独房が並ぶ区画で足を止める。


 その内の一つの鍵を開けると彼を牢へと押し込んだ。頭からかけられた布が落ち、鮮やかなブロンドのウルフヘアが露わになる。


「貴様ら⋯⋯。私をグラスバレー家の連換術師と知った上での狼藉か!?」


「戯けたことを。それにグラスバレー家など没落貴族ではないか?」


 仮面を被った男は「フン⋯⋯」と鼻を鳴らすと、独房から離れていく。

 ふーふー⋯⋯と荒い息を吐いているペリドは、仮面の集団が去っていくのを眺めることしか出来なかった。


 



 その後、どれくらいの時間が過ぎただろうか。気づけば石の床で死んだように眠っていたペリドは空腹を感じて目が覚める。堅い床で眠っていたせいか、強張った節々が痛む。ゴツゴツとした壁に背を預けて座り込んだ。


「何故、この私がこんな目に⋯⋯」


 二日前、兄ミシェルの反対を押し切って水路の土壌の調査を強行したペリドは、泥の中に含まれるエーテルに異常があることに気がついた。


 エーテルは四大属性の影響を受けやすいという性質を兼ね備えている。

 火の元素が充満している空気中のエーテルは、火属性に染まり熱が溜まりやすくなるといった具合にだ。動物、植物の体内を巡るエーテルもそれは例外ではない。生物の場合は特に遺伝が関係しており、子は親のエーテル属性と同じ属性を持って生まれてくることが近年の研究の末に判明している。


 だが、ここ最近特に異常が多く報告されている水路の土壌は、有り得ないエーテルで構成されていた。


(これは⋯⋯火と水のエーテルが活性化して反発し合っているのか?)


 貸しボートに乗り連換術で水路の底に溜まる泥を掬ったペリドは、土に含まれるエーテルが異質なものに変化していることに気づく。通常、土に含まれるエーテルの属性は粘り気のある土属性と湿り気のある水属性のエーテルの二つ。


 水路の底に沈殿している泥はほのかな熱を帯びていることから火属性に近い性質を持っており、それは本来あり得ないことであった。


 加えて夏でも涼しい皇都の気温も例年と比べると平均気温より3度は高い。気象学的に問題が無いとすれば、自ずと他の原因は大気に含まれるエーテルの属性比率に行き着く。


 自然現象ならまだしも大河の清流を水路に引き込んでいる皇都において、その異常は看過出来るものでは無いのは確かだった。


「土壌を調べてやはり正解ではないか。——こうしてはおれん。兄者に知らせなくては」


「おやおや⋯⋯。唯の馬鹿かと思っていたら、意外と頭回りますね? ククッ」


 ペリドがオールでボートを動かそうとすると、背後から聞いたことのある声がする。

 嫌な予感を感じて後ろを振り返ると、山高帽を被り燕尾服を着込んで渦巻き模様のメガネを掛けた小柄な男が水面に立っていた。


「き、貴様は⋯⋯」


「ククッ。まさかまたお会いすることになるとは思いませんでしたよ? グラスバレー家の連換術師殿」


「——誰であったか?」


「⋯⋯⋯⋯」


 当のペリドはどこかで見覚えはあるものの、いまいち思い出せない小柄な男に首を傾げている。非日常的な光景であるにも関わらず弛緩した空気が夏の生温い風とともに流れていく。


「ククッ、フフッ⋯⋯ビィージ、ビィージネスネスネスネスッ!」


「む?? あー!? 貴様は黄金の連換術師!?」


 その特徴的な笑い声で記憶野が刺激されたのか、目の前の男を唐突に思い出すペリド。

 それと同時に一年前、マグノリア貴族街で起きた神隠し事件の忘れたい記憶が鮮やかに蘇る。

 水銀の連換術師にいいように弄ばれ、あわや空に煌く星と成りかけた苦い思いと共に。


「⋯⋯ここであったが運の尽きよ、犯罪者。今度こそひっ捕らえてくれるっ!!」


「ほほう? 大きく出ましたね? 貴方ごときに当方を捕らえられるとでも?」


「問答無用! 元素鍵層じょうそう!」


 ペリドの指輪に嵌められた琥珀色の連換玉が土の元素を取り込んでいく。

 水面が俄かに波打ち、ボートが揺れる。怒りで我を忘れているペリドは足とボートがくっついているかのように微動だにしない。


「元素変性!」


 水底が泡立ち水面が盛り上がるように膨らむと、泥が人の形を取ったような怪物が姿を現す。

 触媒となった土に術者の生命エーテルを連結させ、意のままに動かす魂無き巨人⋯⋯俗にゴーレムと呼ばれるものである。


 その全長はおよそ20プラム(1プラムは1m換算)ほど。見上げるほど大きい巨人が水路から出現したことに、周囲からどよめきの声が上がる。


「これはこれは⋯⋯。見てくれは悪いですが、錬金術の秘奥でもあるゴーレムの再現ですか。少し侮り過ぎておりましたかね? ククッ」


「グラスバレー家の連換術を舐めるな! さぁゆけぇ! ゴーレム! 一年前とは違うことを今こそ示すのだぁぁぁ」


 ペリドの号令に応じたかのように泥の巨人は腕を振りかぶると、黄金の連換術師に向かって振り下ろす。対する小柄な男はステッキをくるりと回し、避けるのでも無く、受け止めるのでも無く、不気味に口角を吊り上げるのみ。


 派手な水しぶきと共に巨大な腕に押しつぶされる黄金の連換術師。

 やったか!? と勝利を確信したペリドは信じられない光景を目撃した。


「なっ!? 貴様⋯⋯その身体は」


「ククッ。貴方ごときにこれを使わされるとは思いませんでしたがね?」

 驚くペリドの目の前には、身体を黄金に光らせた燕尾服の男が不気味に佇んでいる。

 己の体内を巡る生命エーテルを、限りなく自身の元素属性に近づける連換術の禁忌の一つ『元素同化』と呼ばれるもの。目の前の小柄な男は自らの身体すらも黄金と化していた。


「身体を黄金にだと⋯⋯そんなこと出来るわけ」


「目の前にいるではありませんか? やはり唯の馬鹿でしたか。しかし。さっきのゴーレムの再現は流石に見過ごすことは出来ませんねぇ、ククク」


 ステッキを前に突き出した黄金の連換術師は指をパチンと鳴らす。

 すると、ペリドの身体は一瞬で黄金の輪のような物が巻き付けられて拘束された。


「な、何をする!?」


「貴方には此度の計画における『心臓』となっていただきます。ククッ、これはいい素体になりそうだ」


 更にパチンと指を鳴らすと、二人の男の身体が黄金の粒子となって何処かに消える。

 真昼の白昼夢のような出来事は不思議なことに誰も騒ぎ立てることは無く、人々は普段通りの日常へと戻るのだった。




 これまでの経緯を振り返ったペリドは体力を温存させながら脱出する手段を思案する。

 このままここで座して待てば、あの薄気味悪い男に利用されるだけなのは目に見えている。

 しかし、頼みの綱の連換玉はグラスバレー家の長子の証である指輪と共に取り上げられた。

 八方塞がりの中、耳を澄ますと向こうから誰かが歩いてくる音が聞こえた。


 牢屋の入り口からそっと様子を伺う。独房を横切ったのは、協会本部でも見た好敵手の愛弟子の姿だった。協会本部で見た動きやすそうな服装では無く、聖女が着ていたとされる純白のローブに似た服に袖を通していることもあって、その印象は随分と変わって見えた。


「聖女様。いかがされたか?」


「——なんでもありません」


 やや不機嫌そうに答えた彼女は、従者と思しき仮面を被った者達に先導されて独房から遠ざかる。彼女の去り際に目と目が合ったような気がしたペリドは、一体何が起こっているのか? と取り止めのない考えを巡らせることしか出来なかった。

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