四十二話 イデア派

 再び小聖堂に戻った俺たちの目の前には、人だかりが出来ていた。

 周辺には教会の聖職者と思しき者達が紐で綴じられた小冊子を配っている。何事か確認しようと前に出ようとすると、アクエスに「待って」と止められる。


「なんだよ?」


「あれがマダムが言ってた『イデア派』の演説。——周りをよく見てみて」


 言われた通り泉の前に陣取っている『イデア派』の様子を伺う。興味本位で演説に聞き入っている観光客に小冊子を配るというか押し付け、笑顔ではあるのだが有無を云わさぬようにして、小聖堂に誘導しているようだ。確かにかなり強引な手法で賛同者を増やしているらしい。


 俺としてはサッと泉の水を汲んで去ればいいだけだと思うのだが、確かに一度捕まったらかなり時間を取られそうである。


「それでどうするんだい?」


「アルは出来るだけここから離れててくれ。それでいいな? 先輩?」


「後輩にしては良判断。精霊教会の信徒は聖地を一時でも奪われたことを今だに根に持っている人達も多いし、王子様は姿を見せない方がいいと思う」


「——申し訳無いね。力になれなくて」


 アルがすまなさそうに顔を俯かせる。ここでいう聖地奪還とは五百年前に『聖地グリグエル』がラスルカン教徒達によって奪われた歴史的事実のことだ。


 史実が伝えるところによれば、精霊教会は聖地を奪還する為に数回に渡り『聖十字騎士軍』を送ったようだ。ラスルカン教徒達の抵抗は当然激しく、奪還までにはかなりの歳月を費やしたとのみ伝えられている。この時、聖地に保管されていた聖女の聖遺物が紛失したとされており今日こんにちに至るまで見つかってはいない。


 よって敬虔な精霊教会の信徒ほどラサスム、ひいてはラスルカン教ヘ憎悪を抱いているものは決して少なくは無い。ましてや最近は過激派教徒によって帝国人ヘの被害も出ているので、決して心象は良くない状況だ。こればかりは、歴史と宗教が絡んだ解決が難しい根深い問題。


 それこそ双方が歩み寄る姿勢を見せなければ、ずっと平行線のままだろう。

 誰が悪いとかそういう問題じゃない。ただ、何かのせいにしなければ、何かに縋らなければ成り立たない宗教が抱える根幹的問題と言えるかもしれない。


 アルが小聖堂を出て姿が見えなくなったことを確認してから、俺とアクエスは小聖堂の広場へと足を踏み入れる。勿論、連換術師とバレないよう最新の注意を払ってだ。


 さり気なく人混みの中に紛れ、泉の水が採取出来ないか様子を伺う。

 水汲み場は演説会場にされたようで、即席の壇上の背後には数人の聖職者が演説の準備を行なっていた。人混みの中からあそこまで目立たないように向かうのはやはり無理があるようだ。


(どうする? アクエス?)


(ん⋯⋯、潔く諦めようか。ここでイデア派を刺激しても仕方が無いし)


 そうするしか無いかもな。エーテル濃度がおかしい地点は他にもあるという話だし——。

 撤退を決めた俺とアクエスが人の群れから抜け出して、小聖堂から抜け出ようとした時だった。


「何かお困りごとでも?」


 俺たちの前に立ち塞がったのは、聖職者の黒いローブを着て緩いウェーブがかかったふわふわの髪型をしている女性だった。服装からしてイデア派の賛同者だろうか?


 不意を突かれたような声の掛け方にどう返答すればいいのか、頭が一瞬真っ白になった。

 何通りかの返答を思いつくが不信感を与えずこの場を去るには、言葉が足りていない気がする。


「実はこの小聖堂の霊験あらかたな湧き水を汲みに来たのだけど、今はそれどころじゃ無いみたいで」


 そんな俺の様子を見るに見かねたのか、アクエスが代わりに女性に答えた。直球すぎる受け答えだとは思うが確かに嘘は言ってない。⋯⋯困っていたのも確かだしな。


 女性は「あらまぁ、それは失礼を」とわざとらしく反応を示すと、俺たちについて来るように促す。ここで断るのも逆に不自然だろう。俺とアクエスは目配せをし合うと女性の後を追った。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 案内されたのは小聖堂の裏側だった。正面とは違い、穏やかな時間が流れているかのような小庭園の中央に澄んだ泉が見える。湧き水が湧いている箇所はどうやら二つあったようだ。


「普段は教会関係者しか入れないのですが、見たところ貴方達は観光しに来られたようですからね。旅の良い思い出になるかと」


 微笑む女性が何を考えているかは分からないが、こういうことを出来る地位に就いている人だということは察せられる。ここは有り難く湧き水を汲ませてもらうとするか?


 何故か一向に動こうとしないアクエスを置いて俺はこんこんと水が湧く泉に近づく。

 専用の容器を取り出そうとして、ふと背後から甘ったるい香水の匂いがした。


「な、何か用か?」


「いえいえ、何も。ただ変わった容器を持ち歩いてらっしゃるのね? と思いまして」


 耳にかかる女性の甘い吐息に思わずこそばゆくなる。それにしても近い⋯⋯な。

 それにこう正面で無くとも見つめ続けられるとやりづらいことこの上無い。

 やっぱり、女難の相でもあるんだろうか俺には。

 なるべく気にしないように手短に済まそうと屈んだ時、耳朶に女性の顔が密着するほどの近距離で思いもかけないことを告げられた。


「ただ気になりまして。何故、こんなところに『マグノリアの英雄』がいるのかと」


「え?」


 慌てて距離を取る。この女⋯⋯何者だ? いくら噂が広まっているからと言って、俺が『英雄』だと特定出来る証拠は何も無いはずなのに。呆けている俺の目の前で女の顔がぐにゃりと曲がる。いや、これは幻⋯⋯か?


 状況が理解出来ていない俺の前で女が腕を横に振るった。何も無い空間に光る何かが見え隠れする。


「ぼーっとしない!!」


 いつの間にか棍を両手で構えたアクエスが俺の前に立っていた。高速で飛来する見えない何かを両手で旋回した棍で弾き飛ばしているようだ。見えない何かが鎖が鳴らすジャラッとした音を響かせながら、女の手元に握られた剣の柄らしきものに戻っていくのが風の流れで察知出来た。


 これは見えない暗器の類か? 


「おや、今ので首を落とせたと思いましたのに」


「⋯⋯あんた誰?」


 明らかに怒気を孕んだ口調でアクエスが女を睨みつける。女の顔は先ほどまでの優しい面影は見る影も無く、右目を蛇に噛まれる寸前のようにも見える刺青を顔に入れていた。聖職者の黒いローブは、スリットが際どい紫の身体のラインが浮き出るコートにいつの間にか変わっている。


 この何処かで見たような服装は——。


「あの『白咎人』を退けたって聞いてたものだからどんな奴かと思えば、こんなガキだったなんてね? ガッカリよ」


「——好き勝手に言いやがって」


 籠手入れから可動式籠手を取り出し左腕に装着しながら女から更に距離を取る。

 こんなところで根元原理主義派アルケーに属している奴と鉢合わせするとは。

 やっぱり、この小聖堂の水は何か危険な成分でも入ってるのか?


 それに『白咎人』? もしかしてあの聖葬人のことか?


「御託はいい。——何が目的?」


「噂の『マグノリアの英雄』と『水の精霊の巫女』をどうしても味見したくてね。わざわざ、情報を協会に流しておびき寄せたってわけ。——————可愛いお弟子さんの行方、知りたいのでしょう? 英雄君?」


「はっ、上等だよ——。てめぇが吐いてくれれば探す手間も省けるってもんだ」


 見えない暗器を構えて舌舐めずりする女。獲物が何かは今だに分からないが相当腕が立つことだけは間違い無いようだ。

 

 丁度いい。これまでの鬱憤を晴らすついでに、思い知らせてやろうじゃないか。大切な弟子を奪われた師匠の怒りって奴を。

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