四十一話 アイマスクの手がかり
アクエスの案内で訪れた店は年季の入った古い建物だった。赤茶色の煉瓦の壁に嵌った窓から店内を覗くと、博物館でしかお目にかかれないような古いアンティークの品が所狭しと並べられている。白い陶磁器の馬を模した彫刻品や、蝶を剥製にしたようなガラス細工の小物が、色取りどりの模造花に飾り付けられている様はまるで人工の花畑のようだ。
この店の常連でもあるらしいアクエスに続いて店のドアを潜る。カランコロンと来店を告げるドアベルが小さな店内に反響した。アルと二人で物珍しそうに店内を見て回る。歌劇で使用される舞台衣装や、舞台映えする特殊な化粧品なども扱っているお店のようだ。
「おや、これは」
小道具用の茶器が並べられている棚の前でアルが珍しいおもちゃを見つけたように、それを手に取った。ティーポットが二つ積まれたような不思議な構造のポットのようだ。
「これはティーポットなのか?」
「正確にはチャイポットだね。下段のポットでお湯を沸かして、上段のポットでチャイを作るのさ」
アルが解説するにはラサスム独自のチャイの作り方のようだ。なんでも下のポットのお湯が保温するようになっており、長い時間熱々のチャイが楽しめるのだとか。皇都に来る途中の汽車の中でもチャイを頂いたが、このポットで淹れられたものも飲んでみたい。あの時は、シエラが美味しさの余り何杯かお代わりしていたっけか。あれから幾日も経ってないと云うのに、えらく昔のことのように感じる。
「——シエラさんを無事に助け出せたら、皇都にある本格的なチャイのお店に案内するさ。素人が淹れたものじゃなくて、本場の味が楽しめるお店をね」
「ははっ⋯⋯。じゃあ、お言葉に甘えて」
その為にもこの店であのアイマスクの持ち主の手掛かりをなんとかして見つけないと。
さっきから静かなアクエスは何をしているのかと店内を見回すと、カウンター越しに店主と思しき恰幅のいい女性と何事か話している最中だった。
「よ。元気でやってる、マダム?」
「あん? 誰かと思えば協会のA級連換術師様じゃないか。今日はまたなんの用だい?」
親しげに話している女性はタマネギのような不安定な髪形と、どぎつい香水の匂いが特徴的な熟女だ。何重にも垂れた顎で首筋は見えず、喪服のような黒い服はその脂肪で今にもはち切れそうである。カウンターの後ろはいやに広く、頑丈そうな作りのソファの上に幾重にもクッションが敷かれていた。——そのまま座ると体重でソファが潰れそうだ。
この恰幅のいい女性がこの小洒落たお店の店長らしい。
「おやおや? 両手に男二人とはあんたもそういうお年頃かね。——どっちが本命なんだい?」
「いんや、この二人は仕事の協力者。それ以上でも以下でも無い。それよりマダム、これに見覚えある?」
俺とアルを興味深そうにしげしげと眺めるマダムの話をあっさり聞き流したアクエスは、ポケットから何か包んだハンカチを取り出す。若干薄暗い店内でもキラリと光る銀の欠片。
連れ去られたシエラを追って行った先で戦った、
アクエスから欠片を渡されたマダムはカウンターの引き出しからルーペを取り出す。
弛んだ顎を震わせながら前のめりになると、それまでの弛緩した様子では無く目利きをするかの如く観察を始めた。
「ふーん。こいつはオズワルド商会製の歌劇用アイマスクの破片じゃないか。それもこのきめ細かい研磨跡を見る限り特注品だね」
欠片に残された僅かな特徴からアイマスクの製造元まで看破したその技量にただただ驚いた。
このマダムは一体——。
「失礼、マダム。そのアイマスクはこのお店の商品なのかい?」
「いや、あたしの店じゃ取り扱っていないね。ただ、南地区のオペラ歌劇場では新作公演を控えていてね。使用する小道具で似たような形状のアイマスクなら卸したばかりさ。今回の演目は皇都じゃ誰もが知っている『ローレライの悲恋』だ。華やかな宮廷舞踏会のシーンも見どころの一つでね。かなり儲けさせて貰ったよ」
なんとも景気の良い話を聞かされたが、結局この店ではアイマスクを誰が購入したかは分からないようだ。オズワルド商会か⋯⋯、後でソシエに聞いてみたほうが良いかもしれない。
中々掴めない手掛かりにやきもきする。ただ、アイマスクが何処で作られたものか分かっただけ収穫だろう。
「ところでお兄さん達はアクエスの知り合いなのかい?」
「いや、俺も連換術師だよ。所属はマグノリア支部だけどな」
「ほーマグノリアから来たのかい。東街区の酒場の店主は元気かい? あいつめ全然連絡よこさないものだから、二ヶ月前にあんなことがあったってのに」
「マダムは酒場のガタイのいい店長の知り合いなのか?」
「弟さ。あんななりして女みたいに振る舞うものだから、実家から勘当されていてね。独り立ちするまであたしが面倒みたんだよ」
ほーといつの間にか口にくわえたパイプから煙を吹かしながら、マダムは意外な事実を教えてくれた。
まさか、ルーゼが働いている酒場の店長にそんな壮絶な過去があったとは驚きだ。言われてみれば、マダムの雰囲気は酒場の店主と同じような気もするし。
「あの酒場のメニューは美味しかったねー。特に魚介を使った料理が絶品で」
横ではアルがうんうんと一人頷いている。こいつはこいつでどのくらいの期間、マグノリアに滞在していたのやら。弟の店の料理を褒められて嬉しいマダムは「分かってるねぇ。異国のお兄さん!」と上機嫌そうに笑っている。
「時にそちらのお兄さん。あんたは何処から来たんだね?」
「⋯⋯ラサスムからさ。親が大商人なもんで勉強がてら帝国一周旅行中でね。お近づきになれて光栄さ、マダム」
「ほう、ラサスムから。最近は少しばかり騒がしいと聞いてるがね」
「同胞の中にも色々な考えを持ってる人達がいてね。帝国に迷惑をかけているのは本当に済まないと思っている」
最近のラスルカン教過激派の行き過ぎた行動について、アルはマダムに頭を下げる。
マダムは表情を変えずアルが頭を下げる姿を黙って見つめると、「顔を上げな」と優しく声をかけた。
「まぁ簡単に割り切れる問題でも無いだろうさ。特に宗教なんてものが幅を利かせてるこの帝国じゃ、それ以外にも問題は山積みだからね。異国からの火種ですら、燃え盛る炎に変えちまうのが今の帝国の実情だよ。あんたが気にすることじゃない」
マダムのアルの正体を見透かしたかのような言葉に、アル自身も驚いていた。
普通なら迷惑をかけた国のものとして誹られて当然な扱いを、今までも受けて来たであろう異国の第二王子は黙って再び頭を下げる。帝国とラサスムの関係をこれからも維持する為には、こういった理解ある人達の協力も必要不可欠なのだろう。そして俺たち帝国人もラサスムの人達も、互いに理解を深めていく努力を続けていくことが重要なのかも知れない。
あの宗教紛争を経て結ばれた和平条約を無駄にしない為にも。
有意義な時間を過ごすことが出来た俺たちは、重そうな身体でやっとこさ歩いてきたマダムに店の入り口前で見送られる。別れ際に気になる情報を聞かされた。
「協会の仕事中だって言ってたね。——近くの小聖堂に用があるなら『イデア派』に気を付けな。噂じゃかなり強引な手法で派閥の人間を増やす為に、しょっちゅう演説を行っているらしい。協会の人間とバレないようにね」
「ん。分かった注意しとく。じゃ、また」
くるりと背を向けたアクエスの肩をむんずと捕まえたマダムがアクエスに何事か耳打ちする。
何を聞いたかは分からないがアクエスは、妙に神妙そうな顔をしていた。
彼女達にしか分からない、何かのやりとりだろうか?
マダムの小道具店を後にした俺たちは再び、小聖堂に引き返すのだった。
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