四十三話 不可視の攻防
湿り気のある風が冷汗を拭うように通りすぎる。剣らしき柄を握った蛇の刺青を入れた女との距離は歩数に換算して三十歩以上。奴はあの距離から「首を落とし損ねた」と発言した。
しん⋯⋯と静まりかえった小聖堂の裏庭園には、視界を阻害するような木や置物は見当たらず、身を隠すことは諦めるしかない。頼りになるのは風を介した感覚だけだ。
「ククッ⋯⋯そう構えずとも直ぐに首を落としてやる」
刺青の女は獲物をいたぶるような目付きで俺とアクエスを挑発する。白昼堂々の襲撃を仕掛けてくる辺り、暗殺者の類いなのだろうか。俺が無意識に一歩後ろに下がると同時に、女が握っている剣の柄が振るわれた。
陽光に一瞬だけ反射して何かが飛来してくる。ジャラッ⋯⋯と鎖が擦れ合うような不快な音を鳴らし、空気を裂いて接近するそれを勘を頼りに左手の可動式籠手で弾く。感触で語るなら金属の類い、それもかなり薄い刃物のようだ。鞭のようにしなるそれは伸縮自在のようで、女が握る柄にジャキン! と音を鳴らしながら戻っていく。武器の仕組みはなんとなく理解は出来た。
だけど、何故見えない?
「あん? そんなもので防がれるとは。それに⋯⋯」
刺青の女が俺の左手の可動式籠手を凝視している。そして、人差し指で額を小突くようにトントンと三回ほど同じ動作を行うと、フッと鼻で笑った。
「その可動式籠手、ヴェンテッラが嵌めているのとそっくりだな。確か情報だと、東方体術がベースの独特な戦闘スタイルだと聞いているが」
女が俺に向ける粘つくような視線は、獲物を前にした蛇が視線だけで威圧しているかのようだ。俺の手の内まで知ってるとは、いつの間にか俺は
「——ヴェンテッラ。
アクエスが両手に握った根の先端を女に向ける。普段は何を考えているか分からない彼女から、何故か焦りを感じるのは気のせいだろうか。第七親衛隊の宿舎で、戦利品であるアイマスクの欠片を渡された時は、特に感情の昂りは見られなかったが。それに俺と同じ可動式籠手を嵌めている女性だという話だったな——。付け加えると俺以上に卓越した東方体術の使い手⋯⋯。
「ここで死ぬお前らには関係の無い話だよ。既にこの小聖堂はアタシの領域。——逃れられると思うなよ?」
刺青の女は話はおしまいと言わんばかりに、柄を縦に振るった。庭園を縦に裂くその一撃を俺とアクエスはそれぞれ右と左にサイドステップで躱す。正体すら掴ませない不可視の暗器。
振るわれる瞬間の微細な空気振動と風切り音で察知して、なんとか躱せてはいるもののこのままでは近づくことすらままならない。エーテルを錬成した風の剣を作り出そうにも、この小庭園の残エーテル量じゃ十分な強度を保つのは難しい。そもそも———風を連換する暇が無い。
つかず離れず一定の距離から襲いかかる不可視の暗器を振るう女は舞踊の心得があるようだ。
柔軟な肉体から繰り出される、舞のような足捌きで重心を乱さず、ありとあらゆる体勢から暗器を飛ばしてくる。何度目かの攻撃を捌き切った後に、刺青の女は暗器を引き戻す反動を利用して、こちらに詰め寄ってきた。
「逃げてばかり。つまんねぇな英雄」
いつの間にか懐に飛び込んで来た女が側頭蹴りを放ってくる。左腕で受け止めるが痺れるような重い一撃に、思わず後ろに下がらざるを得なかった。中距離からの攻撃に特化してるかと思いきや、近距離での体術もこの威力⋯⋯。二ヶ月前に聖葬人と直接対峙した記憶が脳裏をよぎる。
この尋常では無い身体能力の高さは、まさかこいつも?
後ろに飛び下がった俺に女は無造作に柄を横に薙ぐ。見えない無数の刃が容赦無く俺の首に食いつこうとしてくるが⋯⋯防ぎきれない——————。
迫り来る死を覚悟したその刹那。なぜか吐く息が白かった。
「元素結合!!」
目の前に作り出された薄い薄氷混じりの冷気が不可視の刃にまとわりつき、その速度を鈍らせる。霜で覆われた刃がようやく目視出来た。蛇腹のような折り畳み式の伸びる剣、『連結剣』がその正体。僅かに猶予が伸びた時の中、左腕の連換玉を急速励起。
「元素解放!!」
飛来する刃を弾き飛ばす強風を連換。凍える空気ごと押し流した。
水と風の連換術の即席連携を見せられた刺青の女は、幾分納まりの悪くなった連結剣を数回奮って霜を落とす。ヒヤリ——とした。アクエスがこの場にいてくれなければ、俺の首は胴体と別れていたかもしれない。
「無事? グラナ」
「ああ、今のところはな——」
不可視である理由は分からないが暗器の正体は掴めた。ただ同じ手はもう通用しないだろう。
加えてこの汗も吹き出す外気温だ。空気中のエーテル属性は季節によって偏りが生じる。
今の季節は夏。精霊教会の教義に則った解釈なら『
ただ、この状況もおかしいと言わざるを得ない。地下遺構に仕掛けられた例の白い連換玉の影響なのだろうか。火属性以外のエーテルが少なすぎる。皇都に着いてからずっと感じていた違和感の正体は、どうやら空気中のエーテル属性の極端な偏りが原因だったようだ。
何故、水の都の皇都でこんなにも火属性のエーテルが充満しているんだ?
「流石は帝国が誇る大道芸の使い手。中々一思いには殺せねぇか」
「くっ⋯⋯」
体勢を立て直した刺青の女が再び連結剣を構える。この状況でお荷物なのは俺だろう。
連換術が使えなければ俺の体術の威力、キレは目に見えて落ちる。聖葬人と互角以上にやり合えたのは、地下礼拝堂に充満した特殊な聖女のエーテルのお陰だということを今更になって思い知らされた。かくなる上は⋯⋯。
「なぁ先輩、いい提案があるんだが」
「奇遇だね、後輩。私も同じこと考えてた」
俺はなけなしの風属性のエーテルをかき集めるように連換玉に収束させる。
横ではアクエスが棍の持ち手、龍の顎の彫刻に嵌められた連換玉に水属性のエーテルを収束させていた。
「何を企んでいるのか知らねぇが、お前らの首、ここに置いていきな」
不可視の連結剣が俺たち目掛けて振るわれる。蛇腹の刃が届くその瞬間。
「元素結合!」
アクエスの水の連換術が発動した。地面から湧き上がる間欠泉が水圧で蛇腹の刃を阻む。
流石に刃で水は斬れない。水圧で刃が使い物にならない前に戻そうと腕を引く刺青の女には目もくれず、俺とアクエスは間欠泉に飛び込んだ。
「このガキ共、何を⋯⋯? まさか——」
気付いたところで遅い。水圧で勢いよく吹き上げられた俺達は続けて連換した上昇気流で小庭園を脱出する。ここで情報を得られないのは、手痛い損失だけど命には変えられない。
俺は血が滲むほど唇を噛みしめながら、水路の一つに水飛沫を上げて勢いよく飛び込んだ。
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