二十二話 祭りの後、束の間の穏やかな時間

 マグノリアの街を覆う異変が終息していく様子を灼炎は黙って眺めていた。

 街を覆っていた変質した聖女のエーテルを、七色に彩られた清涼な風が瞬く間に元に戻していく。

 聖女の伝承の始まりとなったこの丘で、聖女の子孫と風の御使みつかいが奇跡を起こす。戯曲の終幕を飾るのに、これ以上ない出来すぎた演出。

 元より今回、上から指示された実験内容はこの地に『火の精霊イフレム』の印を刻むこと。実験事態は成功し、更に今まで聖遺物を所持しているだけの利用価値に過ぎなかった聖女の子孫は、限定的ではあるが聖女が振るった奇跡の一つ『聖浄化』の力を覚醒させた。

 

 そして、もう一つ無視出来ない要因はもちろん⋯⋯。


「風の御使みつかい、か」


 五年前、異端狩りの対象となった村での数少ない生存者。風の御使いと呼ばれた少年は生きており、更に連換術を習得し風呼びの力をかってよりも使いこなしている。

 

 恐るべきことに、主はこうなることすらも見通していた。


「目標の回収完了いたしました」


 灼炎の背後にヴェンテッラと呼ばれる女性が再び姿を表す。その手には白い連換玉が握られており、時折バチバチと静電気が発生したような音を鳴らしている。


「顔色が悪いな、ヴェンテッラ。墓を暴くのは嫌だったか?」


「いえ、そうではありませんが。あれは聖人の成れの果てなのですか?」


 アイマスクを付けたヴェンテッラの表情は窺い知れないが、微かに動揺しているようにも見える。灼炎は何も答えず、白い連換玉に手を伸ばした瞬間。

 雷が爆ぜるような音と共に、白い連換玉から紫電の稲妻が灼炎目掛けて放たれる。


「フッ」


 だが、灼炎は避けようともせず稲妻を見て鼻で笑う。直後、溶岩のようなエーテルが彼の身体を瞬時に覆い稲妻をものともせず無力化する。


「星を形成する磁場の力といえど、俺の焔は貫けまい。残念だったな?」


 灼炎は白い連換玉を挑発するかのように語りかける。

 まるで、かって見知った仲の者に接するように。


「お怪我はありませんか? 灼炎様」


「問題ない。戻るぞ、しゅに報告せねばならぬことが多いからな」


 灼炎と自身を包むように疾風をヴェンテッラが連換する。

 身さえ切り刻むような風の中、灼炎は視線だけマグノリアの街に向けた。


 さて、連換術師。貴様が求める真実とは、果たして貴様を救うものなのかな?


 疾風が消え去る。

 そこには、最初から人などいなかったかのように草木が風に揺れている。

 ただ、街とは反対方向に去りゆく気配を吹き荒ぶ風だけが知っていた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 目覚めるとそこは消毒液臭い医務室のベッドの上だった。

 うん? あれ? 俺、聖女が啓示を受けた丘で寝転んでて——。

 いつ、騎士団詰所まで戻って来たんだ? 前後の記憶がはっきりしない。

 西日が差す窓辺を見ると、詰所から見える東街区の通りはたくさんの人で賑わっている。生誕祭の何日目かは分からないが、取り敢えずまだお祭り期間中らしい。窓の外をぼんやり眺めていると医務室のドアが開き、いつもの騎士団長服を来たクラネスが姿を見せた。


「やっと、起きたか。身体の方は大丈夫か?」


「——クラネス。ああ、脇腹が痛いことを除けば特には」


 ん? やっと?


「覚えてないか? 街の異変が収まった後、ソシエさんからお前達の捜索依頼が出されてな。聖女の丘で眠っているお前とシエラさんを保護したんだ。あばらの骨折なら既に医者に診てもらっている。一ヶ月は絶対安静だそうだ」


「そうか、ありがとう。そういえば、あれからどれぐらい経ったんだ?」


「丸三日だ。命に別状は無いとはいえ流石に心配した——よ」


 クラネスがふいと顔を背ける。なんだ? その態度?

 こいつが、俺のことを心配するなんて珍しいこともあるもんだな?


「とにかく、様々な人達がお前のことを気にかけてた。後で、礼を言っておけ。特に彼女にはな」


「へ?」


 そういえば、さっきから気になってたんだが隣の膨らみは、いったい?

 恐る恐る、毛布を捲るとそこには——。


「——ん」


「⋯⋯⋯⋯」


 ガウン姿のシエラが俺に寄り添うように寝息を立てていた。


「は? いやいや、ちょっと待て!?  おい、どういうことだ? クラネス!?」


「一応、止めたぞ。だが師匠の世話をするのは私の役目ですと、譲らなくてな。全く、可愛い弟子を持つと苦労するな? 新米師匠?」


 クラネスが普段以上にじとっした呆れた目つきでこっちを睨んでいる。

 不可抗力だろ、流石に。こんなところ、ルーゼやソシエに見られたら——。想像するのも、恐ろしい⋯⋯。

 そんな俺を眺めていたクラネスは一つ溜息をつくと、表情を元に戻す。


「シエラさんから聞いた。お前、彼女の連換術の師匠になったんだってな?」


「ああ。確かに約束はしたけど?」


「二人で納得しているなら、それでもいい。だがな、彼女は教会のシスター見習いだ。連換術を認めない教会に属している彼女に連換術を教えること、それが何を意味するのかは分かっているな?」


「⋯⋯それは」


 クラネスに言われるまでもない。そんなことは俺が一番よく分かっている。

 

 この選択で最悪、シエラが教会から破門されるかもしれないこと。

 

 帝国に置いて、精霊教会に属するものはその信仰を失わない限り衣食住は保証されている。無論膨大な数の信徒からの寄付も大きいが、教会上層部の枢機卿達が国政にまで進出している影響もかなり大きい。

 

 そして、連換術師や連換術協会に対する帝国内の風当たりが強いのもそれらの事情が大元の原因でもある。

 

 精霊教会が帝国の歴史上、国教と認められたことはないがその流れだっていつ変わるか分からない。

 

 政治的問題と宗教的問題、下手すればこの二つのうねりにシエラを巻き込む可能性すらある。なにせ彼女は正真正銘の聖女の子孫なのだから。

 

 だけど、それでも彼女が連換術師になる道を選ぶというのであれば——。


「それでも、弟子を見守り導くのが師匠の務めだ。エリル師匠が俺にそうしてくれたように、な」


「それが、お前の答えか。吹っ切れたようだな? グラナ」


 クラネスが表情を崩し、笑みを浮かべる。そういや、クラネスの笑顔を見るなんて随分久しぶりだ。最近、ずっと難しい顔してたからな。


「ん⋯⋯、うーん? グラナ!! じゃなくて、師匠!!目が⋯⋯覚めたんですね!!」


 俺とクラネスの声が大きすぎたのか、横で眠っていたシエラが目を覚ました。

 その透き通る翡翠色の瞳で俺を見つめる目は涙で潤んでいた。


「本当⋯⋯良かった。目を覚さなかったらどうすればいいかと⋯⋯」


「心配かけたな。シエ⋯⋯ラ」


「どうしたのです? 師匠?」


 なんだろうな、この複雑な気持ち。こんなに可愛い弟子に師匠と呼ばれるむず痒さと、今更になって気恥ずかしさが同時に。


「精進するんだな? 師匠?」


 これ以上、付き合いきれないとクラネスは医務室から退出する。

 って、おい! 頼むから、置いてくな!?

 俺が今更になって羞恥心を感じる余り、悶絶していると部屋の外でクラネスと会話する二人のかしましい声が聞こえて来た。なんだろう、嫌な予感しかしない。


「グラナ!!起きたのね!!」


「まったく、寝坊助にもほどがありますわよ? あら?」


 医務室の扉を開けて、入ってきたルーゼとソシエは俺とシエラを見てたっぷり十秒ほど硬直する。


「グ〜ラ〜ナ〜?? これは、どういうことかしら??」

「ええ、納得いく説明をお願いしようかしら??」


 まったく笑ってない笑みを浮かべる幼馴染みと淑女が、両手の拳をポキポキと鳴らしていた。


「まっ、待て!? 話せば分かっ⋯⋯のわっぁぁぁぁぁぁ!?」


 このとき、俺の絶対安静期間は一週間ほど伸びたのであった。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 医務室からの騒がしい音を聞き流しながらクラネスはふうと溜息をついた。

 

 生誕祭は今日で最終日だが、市街騎士団は異変の後始末で街中に駆り出されている。

 

 やるべきことは山ほどある。司祭の従者から聞き出した街中に細工された黒い玉の回収。エーテル変質により機能不全となった市街各所の街灯と電信機の復旧の応援要請など、祭り前以上の忙しさだった。


「お嬢、ここにいやしたか」


「あ、団長。お疲れ様です」


「イサクとロレンツか。どうだ? ビスガンド公爵からの返答は?」


「さっきの汽車で届いたようでさぁ。こちらを」


 イサクが一通の手紙をクラネスに手渡す。ビスガンド家の蜜蝋が押された封筒を素早く開封すると、クラネスは手紙に目を通した。


「流石は皇女殿下の政務代理を務めている方だな。現地にいる私達以上にマグノリアの状況を把握している」


 公爵からの手紙の内容を要約すると、まずは首謀者である司祭の皇都への護送早期実施。


 エーテル変質により機能不全に陥っている連換玉を動力とする市街重要設備の早期復旧の為、皇都連換術協会本部に技術者派遣の要請を既に取り付けていること。


 ついで、事件後の住民達の健康調査などだ。

 

 また、半年前に閉鎖した連換術協会マグノリア支部を再建するため、同じく本部より元支部の協会員が近く戻ってくるなど、今回の一件は政務に食い込んでる枢機卿のお歴々も横槍を挟むことは出来なかったようだ。

 

 クラネスがシエラの正体を看破したときに睨んだ通り、教会内部では過激派をはじめとする不穏分子への粛正の嵐が巻き起こってることが読み取れた。


「支部の皆が戻ってくるんですね? こんな日が来るなんて思いませんでした」


「そうだな⋯⋯。耐え忍んだかいは⋯⋯あったか」


 五年に及んだ聖堂の司祭の横暴より、ようやく解放されたことをクラネス達は改めて実感する。ちなみに教会から正式な後任が来るまでの間、市街の聖堂および各所の教会の監督は、公爵と親交のあるシスター・マーサが担当することになることが手紙には記載されていた。マーサ自身も司祭によってシエラが脱走したことについて責任を問われ、軟禁されていたらしい。


 そして、彼女の証言によればシエラとルーゼが入れ替わっていたことを司祭に告げ口したのは、顔に蛇の刺青を入れている聖堂に詰めていたシスターとのことだ。


 司祭が捕縛されたとはいえ、依然このシスターの行方は分かっていない。


 どうにも、スッキリしない終わり方であり、司祭が黒幕で片付けられる事件で無いことだけが、此度の収穫だろうか。


 医務室の方から響いてくる悲鳴を聞き流し、クラネスは公爵からの手紙に目を通した。


「なっ!?」


「お嬢? どうされたので?」


「いや⋯⋯、なんでもない」


 イサクが訝しむがクラネスは手紙を仕舞い平静を装う。

 足早に執務室に駆け込むと再び手紙を取り出し目を通した。


『今回マグノリアで起きたエーテル変質事件について、市街騎士団長リノ・クラネス、連換術師グラナ・ヴィエンデの二名を事件解決の立役者として、勲章の授与を行う。ついては二ヶ月後、獅子の月に両名の皇都帝城への参上を要請する次第である。詳細については、追って伝えるため留意されたし』


 勲章の授与? 私とグラナが? ビスガンド公爵⋯⋯彼は信頼に足る人物なのか?

 そして手紙の最後にはこう書き添えられていた。


『我が姪を守り通してくれたこと、とても手紙では感謝の気持ちを伝えきれない。勝手を承知で申し訳ないが、もうしばらくシエラをマグノリア市街騎士団で預かっていただけないだろうか? 皇都も今は安全とは言えない状況だ。驚異が去った今、マグノリアの街のほうがいくらかは安全だろう。そして、二ヶ月後できればシエラと一緒に皇都へ来て欲しい。よろしくお願い申し上げる』


 さて、この内容グラナに伝えるべきか否か。

 クラネスはしばし逡巡した後、執務室を後にした。

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