エピローグ 新米師弟のそれから

「はい! こちらが注文頂いていたお品物になります!」


 俺が店主を務めるキーリ雑貨店。カウンターでは水玉模様のエプロンを着けて、生誕祭の頃よりは短くなった髪をポニーテールにし赤いリボンで結んだシエラが、ハキハキと元気良く接客している最中だった。


「いつも、済まないねぇ。はい、これお代金。それと、これはシエラちゃんのお小遣い。遠慮しないで受け取っておくれ」


「い、いいのですか?? 私が受け取って??」


 シエラが店の中で商品の陳列を直していた俺に助けを求めるように、翡翠の双眸を向けてくる。普通はお断りするんだけど、このベス婆さんはキーリの爺さんが店主を務めてた頃からの常連さんだし、店の経営が苦しい時も御贔屓にしてくれてたありがたいお客様だ。


「ああ、受け取って大丈夫だぞシエラ。ベス婆さん、いつも済まないな」


「なーに。歳を取ったら買い物くらいしか楽しみが無いからね。また、お願いねぇ」


 杖を突いてヨボヨボと歩く婆さんが転ばないよう店の外まで、シエラと一緒にお見送りする。

 店まで戻ってくると、中央街区の大時計塔が午後六時の鐘を鳴らした。


「それじゃ店仕舞いして、戸締りして、聖女の丘に向かおうか」


「分かりました、師匠!! 私、着替えてきますね!!」


 流行る気持ちを抑えられないシエラはそのまま、店の奥にある自分の部屋に戻って行った。

 やれやれ、しょうがない弟子だ。まぁ、今日だけは無理も無いか。

 今日は年に一度の『火迎えの祭り』の日。生誕祭と同じように普段は立ち入り禁止の聖女の丘が一般解放される日だ。生誕祭ほどでは無いけど、街中それなりに盛り上がる催しものだ。


 今は暦の上では本格的な夏に入る前の巨蟹の月。大陸東部では雨季の季節らしいが、温暖な気候が特徴的なこのマグノリアはこの時期から既に少し暑い。ただ聖女の丘は何故かいつも気持ちの良い風が吹いているので、夕涼みするには持って来いの場所。


 精霊教会の教義では季節とは四柱の精霊が運んでくるものであり、夏を運んでくるのは『火の精霊イフレム』とされている。夏の到来を歓迎しながら、澄み切った夜空の星を眺めるのが地元民の祭りの楽しみ方だ。


「お待たせしました、師匠」


「ああ。じゃ、行こうか」


 シエラの服装はソシエが経営する服飾店からタダで貰った夏の装い一式。

 銀髪に映える白いワンピースの上に身体を冷さぬよう薄緑色のカーディガンを羽織り、黄色い花のような意匠のブレスレットを腕に嵌め、足元は涼しげなブルーのリボンが付いたサンダルだ。その容姿と相まって貴族の令嬢にも見える。⋯⋯公爵閣下の姪なのだから、事実そうなのだろうけど。


「⋯⋯どうですか? ソシエさんに選んで貰ったのですけど⋯⋯」


「良く似合ってるよ。何処かのお嬢様かと思ったくらいだ」


 二人してたわいも無い話をしながら、のんびりと北街区へと向かう人々の流れに乗って通りを歩いていく。


 一ヶ月しっかり静養したから、あばらの骨折も大分良くなった。俺が店に立てない間、ソシエと二人で雑貨屋の切り盛りを申し出たシエラには本当に感謝してる。


 感謝の気持ちを込めて、しっかり労ってやらなくちゃ。——エリル師匠が俺にそうしてくれたように。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「遅いわよ? 二人共?」

 

「むしろ、お前が早すぎると思うのは俺だけか? ルーゼ?」


 聖女の丘の一際見晴らしの良い地点を確保してくれていた、ルーゼから開口一番文句を言われる。どうも生誕祭の時の身代わりのことを今だに忘れていないようで、会うたびに文句を言われるのは勘弁してほしいが。危険な目に遭ったのは確かだしということで、今日の食事代から特等席の場所代まで全部俺持ちだ。


 連換術協会の支援金が毎月振り込まれるとはいえ、俺の懐事情は実に逼迫しているが、今だけの辛抱かな⋯⋯。


「あら? お早いですのね? 三人共」


「あ、ソシエさん! こんばんは!」


 俺が地面に厚い敷き布を敷いて準備していると、遅れてソシエがやってきた。あれ? クラネスと一緒に来るって言ってたけど、姿が見えないな?


「クラネス様ですが、お仕事が残ってるそうで今日は欠席なされるそうですわ」


「そっか⋯⋯。ここ最近、市街騎士団も忙しそうだしな」

 

「師匠もよく騎士団のお仕事をお手伝いされてますしね」


 シエラがうんうんと相槌を打っている。生誕祭の後始末で、市街騎士団員は今も毎日町中を駆け回っている。変質した聖女のエーテルが街中を覆った影響か、連換玉を動力とする街灯、電信機が軒並み使えなくなったらしいので、指揮系統に支障をきたしているとか。


 もう少ししたら、皇都の連換術協会本部が派遣する技術者集団が来るらしいが、それまでは大変なのだろう。色々と。


「よし、準備出来たぞ」


「こっちもお料理の準備とジュースをコップに注ぎ終わりました」


「アルコールが入っていないシャンパンなら持ってきたわよ。店長が気前よく譲ってくれたの」


「お、でかしたルーゼ。それじゃあ皆、準備は良いか? 夏の訪れのお祝いと、『火の精霊イフレム』が気持ち良く過ごせるように——」


 『乾杯!!』


 各々手にとったコップをカツンとぶつけて夏の訪れを祝う。精霊教会は確かに嫌いだ。でも、それと精霊への感謝の気持ちは別。今日ぐらいはしがらみも忘れて楽しく過ごしたい。

 

 

 何故だか知らないけど、こんなにのんびりできるのも、今だからこそのようなそんな予感がしたからだった。




 一通り飲んで食べて満足した俺は気分転換も兼ねて、街を見渡せるあの奇跡の風を起こした場所へと足を運んだ。気持ちの良い夜風が丘を優しく撫でるように吹いており、お酒を飲んだわけでも無いのに火照った身体が冷やされていく。


 「師匠もここに来てたのですね」


 後ろから近づいてくる足音は一月前に師弟の契りを交わした、可愛い愛弟子の姿だった。

 俺の横にちょこんと座った彼女と一緒に明るい星空を見上げる。眩い輝きに彩られた銀河は今日も言葉では言い表せないほど綺麗——だった。


 「こうしてると、あの時のことを思い出すな」


 「そうですね⋯⋯」


 何故か浮かない顔をしているシエラの表情が気になるが、彼女にも色々と思うことがあるのだろう。師弟の契りを結んだからといって、それで急に何が変わる訳でも無い。


 シエラの雑貨屋での寝泊まりだけは、ルーゼが許さず、彼女の下宿に居候させてもらってるが。


 「——まだ、気にしているのか? 聖浄化の力を使えなくなったこと?」


 「気にしてないと言えば嘘になりますけど、本当はちょっとほっとしたんです。これで、聖女の子孫なんて肩書きと無縁でいられると思ったら⋯⋯」


「——迷惑な噂だよな。『英雄』に『聖女の再来』とかさ」


 シエラの叔父、ビスガンド侯爵閣下の情報規制によりマグノリアで起きたことは『極所的なエーテル災害』、一般的には『エーテル変質事件』と呼称され、事件の詳細については現在調査中という体裁のはずだ。


 だが、何者かによる情報漏洩により俺とシエラが吹かせた七色の風が帝国全土で噂になってるらしい。結果、噂が一人歩きして俺とシエラはこう呼ばれている。


 すなわち⋯⋯『マグノリアを救った英雄と聖女』と。


 今のところ、俺たちを特定するような情報は流れて無いとは思うけど、それも時間の問題だろう。


「まっ、大衆の関心なんてすぐに移るさ。気にしたってしょうがないよ」


「師匠は⋯⋯英雄と呼ばれてどうです?」


「俺は⋯⋯英雄なんて柄じゃ無いし、なりたいとも思わない。今はエリル師匠の行方を探すことと、初めて取った弟子の面倒を見るので精一杯だからな。シエラはどうなんだ?」


「私も同じです⋯⋯。聖女なんて呼ばれるのは正直迷惑です——」


 俺は疲れたように俯くシエラの頭にポンと優しく手を乗せる。そりゃそうだ、英雄も聖女も本人が望んでそうなりたいと思ってなるのではなく、後世の人々が勝手に偉業を称えて祀り上げるだけの存在。そんなもの、今言われたって迷惑でしかない。だから——。


「だから——俺たちはそのままでいよう。英雄でも聖女でも無く、連換術の道を志す師匠と弟子のままで」


「——ええ。そうですね、師匠」


 再び夜空を見上げる。北に浮かぶ一際眩しい星の明るい輝きが聖女の丘にいる俺達を、いつまでも優しく照らしていた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 それから一月後、俺とシエラはマグノリアの北街区の先にある、マグノリアステーション乗降場プラットホームで皇都エルシュガルド行きの汽車の発車を待っていた。


「汽車に乗るなんて、久しぶりだな⋯⋯」


「そうなんですか?」


 シエラが同じく出発前の汽車を眺めながら聞き返す。蒸気機関が実用化されて結構経つが、マグノリアに鉄道が開通したのはつい三年ほど前だ。

 

 歴史ある聖女生誕の地の景観を守るためとか、最もらしい理由で教会が反対したとか。おかげで帝国五大都市の中ではしばらく物流が混乱したらしい。

 

 俺は傍らに立つ、シエラを横目で見た。

 

 腰まで届きそうだった銀髪は肩口で切りそろえられて短くなっており、後ろで縛ってポニ—テ—ルにしている。服装も動き易い黒い半ズボンに、上着も夏の盛りを意識して涼しげなピンクのブラウスを着ていた。真新しいブーツはお気に入りのようで毎日磨いているのか、皮がツヤツヤしている。


「クラネスさん達は後から来るんですよね?」


「ああ、なんか準備があると言ってたな。ソシエとルーゼは昨日一足先に出立したし。お、そろそろ出るみたいだな」


 前方を見ると汽車の煙突から、ポーという音が響いてきた。

 同じく待機していた他の乗客達が荷物やトランクを持ってそれぞれ乗車していく。


「シエラ?」


 トランクを片手で担いでシエラに声をかける。

 聖女が精霊から啓示を受けた丘が乗降場プラットホームからよく見えた。

 二ヶ月前、奇跡のような風を二人で解き放ったあの光景がふと蘇った。


「ん——。よし!」


 何か気合いを入れたように呟いたシエラはとててと走って来ると、きょとんとしてる俺の横に並ぶ。そして肩からかけた白兎の模様が付いた可愛いらしいバッグを持ち直した。


「行きましょう! 師匠!」


「ああ。行こう!」


 青い空に汽車の白煙が靡き、どこまでも伸びて行く。

 こうして、俺とシエラは皇都へと旅立った。





 一章 生誕祭 fin

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