二十話 二人一緒に

 聖女の壁画に思い切り聖葬人を叩きつけ、衝撃でどろっとした血を吐く聖葬人から素早く離れる。奴の胸に埋め込まれている黒い玉にヒビが入っていた。今まで気づかなかったがどうやら連換玉だったようだ。壊れかけた連換玉が四方からエーテルを吸い上げて暴走している。


「その胸の黒い玉⋯⋯連換玉か?」


「おや、今頃気づいたのさね? ⋯⋯こうでもしないと身体を維持できないんでね?」


 ここに来る途中、死者の骸に埋め込まれていたものも連換玉だったということだろうか。生体に埋め込まれた連換玉。人体に干渉する連換術は連換術協会と帝国が禁忌と定めて研究も禁止されてるはず。

 壁画にめりこんだまま、聖葬人は浅い呼吸を繰り返している。

 そして、壊れかけた胸の黒い連換玉から何かが吐き出されているのを、昂ったままの感覚が察知した。


「体内のエーテル濃度を保つ為に、少しでも濃度の薄くなったエ—テルを、その連換玉で何かの力に連換し排出していたのか?」


「——————」


 聖葬人は何も答えない。ただ口元に弱々しい笑みを浮かべる。

 そして、めりこんだ身体を強引に引き剥がすと床にバランスを崩しながら着地した。


「ここまでやられるとは思わなかったよ? 今日のところは、ここでお暇しとこうさね?」


「あ? 何言って——」


 痛む左脇腹を右手で抑えつつ、緩んだ気を引き締める。そのボロボロの身体でどうにか、逃げるつもりらしい。奴を逃さぬよう左腕だけで身構えた、その瞬間。


 地下空間に充満していた聖女のエーテルが不気味な鳴動を始めた。


「なんだ? この感覚⋯⋯?」


 今まで清らかなエーテルであったそれが、次々と異質なエーテルに変質してゆく。


「おや、時間切れかい。次は、こうはいかないよ? 連換術師の坊や?」


 次の瞬間、満身創痍の身体にどこにそんな余力を残していたのか高く跳躍した聖葬人は、天井近くにある吹き抜けから細い横穴へと姿を消した。満身創痍なのはこちらも同じだ。何が起きているか分からないが、ひとまずここを離れたほうが良さそうだった。


「シエラ! おい、しっかりしろ! 目を覚ませ!」


 必死に身体を揺すって眠ったままのシエラに呼びかけるが、目を覚ます気配が無い。なんで起きないんだよ。エーテル汚染はなんとかなったはずなのに——。


「頼む、目を覚ましてくれ⋯⋯。もう、目の前で誰かがいなくなるのは嫌なんだ——」


 眠ったままのシエラの頬に、涙の滴が頬から伝わり落ちる。自分でも分からない感情の雨。ただ、止めどなく溢れる滴は嘘偽りない本心。

 

 いつからだろう。涙を流すことを格好悪いと思うようになったのは。


「——意外と、泣き虫なんですね。グラナは」


 涙で前がよく見えない俺の瞳を、彼女の翡翠色の瞳が真っ直ぐ見つめていた。


「無事で良かったです」


「⋯⋯お互いに、な」


 心の底から安堵する。助けることが出来て本当に良かった、と。ほっとしたのも束の間、周囲の聖女のエ—テルが再び激しく鳴動を始める。

 

 ⋯⋯一刻も速く脱出したほうが良さそうだ。


「立てるか?」


 シエラの手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。気絶から目覚めた直後で身体は怠そうだが、歩く分には問題なさそうだ。


「大丈夫です。グラナのほうこそ大丈夫ですか? さっきから左脇腹を抑えてますけど」


「ああ。あばらが何本か折れた程度だ。心配しなくても——」


「私より重症じゃないですか!? 肩を貸します、掴まってください」


「お、おう⋯⋯」


 シエラの有無を言わさぬ迫力に、思わずたじろいだ。その隙に左脇に潜りこんだシエラが俺の身体の左半分を支えるように、並んで立つ。

 女の子に肩を支えられる日が来ようとは、我ながら情けない。


「それで、来た道を戻るのですか?」


「いや。あの地下通路は迷路みたいに入りくんでたからな。何処かに地上に繋がる隠し通路でもあれば⋯⋯」


 ん? 隠し通路? そういえばこの広間には、エリル師匠が連換したような風に導かれるように辿り着いた。あの風が吹いてきた方角は確か祭壇の裏手の方からだ。聖葬人と闘った時のまま、感覚は今も研ぎ澄まされている。

 なら、地下へと続く階段を探し当てた時のようにエーテルの流れを辿れば。


「——グラナ?」


「こっちだ。祭壇の裏手から微かにだが、地上に向かうエーテルの流れを感じる」


 シエラに肩を貸してもらいながら、二人で歩調を合わせながら歩いていく。

 両側の壁に聖女の巡礼の旅路を描いた壁画が飾られているが、暗くてよくは見えない。

 

 子供向けに作られた聖女の伝承を綴った絵本に、描かれている挿絵の元になったものだろうか。

 右側の一枚目、聖女が丘で風の精霊ウイレムから啓示を受け、マグノリアから東方へと巡礼に旅立つ場面。そこから、二枚目以降は旅の途中で聖女が遭遇した様々な伝承の場面が壁画に描かれている。三枚目からは聖女の傍らに、彼女と共に旅をした聖人の姿も描かれている。

 四枚目、左側に移り五枚目、六枚目と辿り、七枚目。聖女が手に持つ七色石から七色の光が解き放たれ、マグノリアを襲った『災厄』を表現した漆黒の闇に七人の聖人達が立ち向かっている。聖葬人を叩きつけたのもこの壁画だ。ちょうど闇の部分が衝撃で深く抉れている。

 世に広く語られている聖女の伝承はこれで終わりのはずだ。


 しかし、その七枚目の壁画の先。


「八枚目の壁画?」


 広間の隅に飾られているのもあり、暗がりで壁画の全容はよく分からない。

 明かりさえあれば⋯⋯。広間に灯されていた燭台は殆ど消えかけており、暗闇は一層濃くなりつつある。


「気になりますけど、今は脱出を急ぎましょう」


「分かってる、急ごう」


 俺たちが八枚目の壁画の前から去ろうとすると、七色石のロザリオが突然真眩い光を放った。


「なんだ? いきなり⋯⋯」


「——この壁画に反応しているの?」


 光で照らされ八枚目の壁画が、暗闇のベールから剥がされるようにその姿を現した。


「どういうことだ? これは?」


 七色石の力を解放し力尽きた聖女。その亡骸を守るように五人の聖人が、闇で塗りつぶされた一人の聖人と相対している。


「聖人同士で戦っている⋯⋯場面でしょうか?」


 その手に紫色の紫電を宿した聖人と、漆黒の闇に呑まれ黒煙を上げる赤銅色の剣を手にした聖人が、向かい合っているようにも見える絵が彫られていた。

 

 しばらく見入っていると、闇に呑まれた聖人の下に文字が刻まれていることに気付く。


「古い綴りだな。トライ⋯⋯シオンと読むのか?」

「それで合ってます。——古い言葉で『道を違える』という意味ですね」


 道を違える。同じ道を歩んでいた者達がそれぞれの道を歩むため、別れていくことを表す言葉。

 だが、この壁画に刻まれた意味はどちらかというと『裏切り』⋯⋯そんな想像が頭をよぎる。

 七人の聖人の中に裏切り者がいた。それが事実であるのなら、何故このような壁画がこんな場所にあるのか? 考えても分からないことだらけだ。


「——そろそろ、行くか」

「そう⋯⋯ですね」


 それきり、シエラは黙ってしまった。察するに彼女も知らなかったことなのだろう。再び歩調を合わせて歩き、祭壇の裏手の石壁の前に立った。

 エーテルの流れはここから地上に向かっている。よく目を凝らすと不自然に出っ張っている箇所がある。

 右手でその出っ張りをそっと押す。振動とともに目の前の石壁が上にずれて、上に上がる緩やかな階段が現れた。

 一段、一段、慎重に二人で階段を登ってゆく。螺旋状に作られた階段は相当な高さがあるようで、中々終わりが見えない。


「脇腹、傷みますか?」


「肩を支えてもらっているから、大分楽になったよ。しかし、どこまで続くんだ? この階段」


 数えていたわけでもないが、相当数の石段を登ったはずだ。

 それから、しばらく黙々と階段を登る。

 両足が悲鳴を上げ始めた頃、ようやく階段の終わりが見えた。

 空洞のような洞穴と繋がっていたようで、前方から今度こそ本物の風を感じる。

 洞穴から外に出ると、そこは聖女が啓示を受けた丘の頂上だった。

 普段は教会の聖地として立ち入ることは許されていないが、生誕祭の期間だけは一般解放されている。

 生誕祭の最終日に打ち上げられる花火がよく見える場所でもある。

 だが、ようやくの思いでここまでたどり着いた俺たちの視界に映ったのは、夜のとばりに覆われた静かな街の景色ではなく——。


「街が⋯⋯赤くなってる??」


「あれは……『火の精霊イフレム』の印でしょうか?」


 シエラが暗い夜空を見上げて目を見開いていた。

 もう少し街の全体がよく見える、丘の端まで移動する。

 マグノリアは教会が弾圧されていた時代、聖地グリグエルを追われた教皇と信徒達が移り住んでいた地でもあると、クラネスから聞いたことがある。

 その時代に建造された城塞のような壁が、街の中心である大時計塔から見て東西南北に分かれた街区を囲うように正方形の形で配置されていた。

 ちなみに貴族街と、この丘は北街区の壁の外に位置している。

 その街区を覆う壁の中が、街から発される燃えるような赤い光で満ちていた。


「どうなってるんだよ。これは⋯⋯」


「地下で感じた、変質したエーテルが街中に満ちてるみたいです——」


 つまり、聖女のエ—テルか? 夜空に刻まれた精霊の印を形成する赤い線といい、嫌な予感しか感じない。


「ん? あの赤い線、街の中心の上空からずーっと一本で繋がっているみたいだな」


 感覚でエ—テルの流れを追うと、上空の一点から一筆書きの絵のように印が形成されているのが感じ取れた。冷静に観察してるけど、これ結構まずい状況なのでは⋯⋯。

 だが、俺の呟きにシエラが驚いたように反応する。


「あの複雑なエーテルの流れが分かるのですか?」


「え? まぁ、なんとなく、だけど⋯⋯」


 そういえば、聖葬人と地下で闘ってからずーっと感覚が研ぎ澄まされたままだ。

 普段なら集中した時にしか感じられない、大気中の元素やエ—テルの細かい流れが意識しなくても感じ取れる。若干、煩わしい程に。

 そして、この鋭敏な感覚がこの不可思議な現象を起こしている元凶を捕らえた。


「星の光かと思ったが違うな。あれは地下で見た連換玉か」


 街の上空に浮かんで鈍い光を発している連換玉。あれを止めればこの現象も収まるかもしれない。

 しかし、一つ問題がある。連換玉は対応したエ—テル属性を持つ者しか使うことが出来ない、連換術の原則。

 赤い光が意味する通りなら、おそらくあれは火の属性の連換玉だ。

 俺の属性は風。干渉することすら出来ない。⋯⋯打つ手無し、か。


「ははっ、こんなのどうしろっていうんだ」


 悔しさに片膝をつく。こうしてる間にも、街に充満している聖女のエーテルの変質は止まらない。遠くからでも分かるほど熱を帯び、大気すら侵食している。

 ⋯⋯内部は相当な高温に違いない。

 シエラの身代わりを引き受けてくれたルーゼの不安そうな表情が、教会の裏手で分かれたソシエの案ずるような表情が、こんな状況でも必死に抗っているクラネスの姿がふと浮かんだ。


「諦めるのですか?」


 シエラは確かめるように俯いた俺の顔を覗き込んだ。

 詰所の医務室でシエラの話を聞いてた時を思い出す。彼女はあそこで勇気を振り絞って、誰にも信じてもらえなかった話を一生懸命に言葉を紡ぎ、そして七色石の奇跡を目の当たりにさせた。


 俺には無理だ。この状況をなんとかするなんて——。


「いいえ、グラナ。それは違います」


 俺の思考を読み取ったかのように、シエラが声を響かせた。

 そして、すくっと立ち上がると今にも燃え上がりそうなマグノリアの街から目を離さず、前を向く。


「あなたが信じてくれたから、私は全て話すことが出来た。だから、今度は私がグラナを助ける番です」


 その言葉に俺は俯いた顔を上げた。星の光のような銀髪を夜風に靡かせたシエラは、俺の方を振り向く。


「マグノリアの街を覆っているエ—テルは、聖女様のエーテルが変質したものなんですよね?」


「ああ、そうだ。でも、一言も話してないのになんで?」


「あのとき、汚染されたエーテルで侵された身体を、風の連換術で祓い清めることが出来たのは偶然ではありません。聖女様が戦乱の時代に、エーテル汚染による流行病で苦しむ民達から敬われた本当の理由は——」


 そこで言葉を区切ると、シエラは七色石のロザリオを両手で握りしめる。すると、今まで見たことがない溢れんばかりの七色の輝きが彼女の身体から溢れ出す。


「汚れきってしまった、変質してしまったエーテルを元に戻す、『聖浄化』。身分に限らず人々に尽くされた聖女様が振るわれた奇跡の力です」


「シエラ!? お前、まさか——」


 街中を覆う変質したエ—テルを一人でどうにかする気なのか?

 

 マグノリアを災厄から守った聖女のように。


「こんな大量のエーテルを一人でどうにかするなんて無茶だ!!」


「一人じゃもちろん出来ません!! 私は聖女様の子孫であって聖女様ではありませんから!! だからあなたの力が必要なんです!! 精霊から祝福を受けたあなたの風が!!」


 その、精一杯張り上げられた彼女らしからぬ声に、あのとき走馬灯の中で思い出したエリル師匠の声が鮮明に蘇る。


『⋯⋯だから自信を持ちなさい、グラナ。お前が風を呼べるのは風の精霊に祝福された証なのだから』


 幼い頃から疑問だった。何故、俺は風を呼べるのだろうと。望めばどんな風でも吹かせることが出来た。暑い日には涼しい風を、無風で風車が回らないときは、勢いのある風を。俺が師匠と出会ったのも、風を吹かせて遊んでいたときだった。


 風呼びの忌み子。


 村中から爪弾きにされてた俺に、連換術を教えたのは力を制御するためとエリル師匠は言った。風は人を傷つけることも容易く出来てしまうから。

 連換術を修めた今となっては、自ら風を呼ぶようなことは控えてきた。

 その頃からかも知れない、エーテルを知覚する感覚が異常に鋭くなったのは。


「聖女様のエ—テル、『七色属性のエーテル』は全ての属性の連換玉に干渉出来ます。四大属性とは創生の力に連なるものですから。私は連換術師ではないから、連換玉をどうすればいいのか分かりません。だから、お願いです。——力を貸してくださいグラナ!」


 その一言に俺は吹っ切れた。がっくりと地面についていた膝を持ち上げ立ち上がる。痛む脇腹を右手で抑えシエラの横に並び立った。


「ありがとう、シエラ。おかげで目が覚めた」


「起きるのが、遅すぎます。これ以上、変質が進んだら『聖浄化』でもたぶんどうにもなりません。左手を⋯⋯」


 シエラに言われるままに、二人で七色石のロザリオを握る。

 

 俺のもう一つの故郷、様々な思い出が詰まったこの街を守る為、俺とシエラは夜空に浮かぶ『火の精霊イフレム』の印を正面から見据えるのだった。

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