十九話 ニグレド

「ルーゼ!! こっち!!」


「ちょっと待って!? オリヴィア!?」


 日が沈んだ中央街区から東街区へと繋がる裏路地では、呼吸一つ乱していないオリヴィアと走りすぎて呼吸が荒くなっているルーゼが後方から迫る大量の足音から逃げるように駆けていた。


 いつまで待っても帰ってこないシスター・マーサの身を案じた二人が、言いつけを破りこっそり教会を抜け出そうとした時、既に教会の周囲は聖十字騎士達により囲まれていた。


「どうなってるのよ、この状況は⋯⋯?」


「あのシスターが司祭から問い詰められたか、そうでなければ身代わりに感づかれたのかもね。とにかく、今は詰所まで逃げよう。大丈夫、団長なら何とかしてくれるって」


 辛くも包囲を突破した二人は土地勘に任せて迷路のような路地をひたすら駆ける。

 もう少しで東街区の大通りだ、このまま逃げ切れるか? と二人が必死に路地の出口までたどり着こうとした矢先。焦げ付くような視線が前方から向けられた。


「貴方はさっきの⋯⋯?」


「ふーん?? 密告したのはあんたかな??」


「さて、なんのことか。悪いがこれから重要な儀式を執り行うのでな。せっかく整えた街中のエーテルを乱されるわけにもいかない。お前達には悪いがここは通さぬ」


 先ほどとは打ってかわり、灰をまぶしたようなトレンチコートを纏った聖十字騎士? が背から赤銅色の長剣を抜いた。フランベルジュにも似た十字を象った重剣のようであり、柄には火を吹き出す黒犬のような意匠が刻印されている。フードを目深に被っているのもあって、その表情は伺い知れない。

 

 鞘から剣を抜いたオリヴィアは正眼に両手で構える。二人の間に見えない剣気がぶつかり合い、何も見えないはずなのに息苦しさをルーゼは感じていた。


 静釈が周囲を支配する中、先に動いたのはオリヴィアだった。若獅子のような茶髪を靡かせ、狂える獅子の如き咆哮と共に両腕で剣を振りかぶり疾走する。


 対する男は自然体。剣を構えるでもなく、獅子が近づくのを待つのみ。


 オリヴィアの剣が男に届くその刹那。斬られたはずの男は陽炎のように消え、火の粉が剣風で舞い散った。


「な⋯⋯!?」


「噂に聞く若獅子の剣もこの程度⋯⋯か。興醒めだ」


 背後から聞こえた声に振り向いたオリヴィアの首筋に柄だけが恐るべき速さで持って当てられる。首を折ることも無く、ただ意識を刈り取ることを目的とした一撃は、狙い通りオリヴィアを昏倒させる。


「オリヴィア!?」


「⋯⋯眠れ、落とし子よ」


 駆け出そうとしたルーゼの首筋にいつ肉薄したかも分からない男の手刀が、ストンと落ちる。

 二人が沈黙したことを確認した灼炎は、チッ⋯⋯と苛立ちを隠そうともせず舌打ちした。


「儀式の前に余計な手間をかけさせてくれる。まぁ⋯⋯いい。これで準備は整った」


 後は聖十字騎士共と司祭に任せればいい。灼炎は燃えるような瞳を聖女の丘の方角に向ける。路地に倒れる二人を聖十字騎士達が発見した時には、既に男の姿はそこには無かった。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「オリヴィア!! ル—ゼ!! 無事か!?」


 詰所の入り口からクラネスの凛とした声が響き渡る。

 市街騎士団長クラネスを囲むようにイサクを初めとする南街区巡回隊が前に、東街区巡回隊が左右に展開するが、前方の騎士団員達を押し除けるように前に出たクラネスは、射殺すような視線でグレゴリオの顔を凝視する。


「どういうつもりだ、グレゴリオ? このような狼藉、許されるとでも思っているのか!?」


「グレゴリオ司祭、様だ。様をつけろ、無礼者。投獄された貴様の養父ミデスの愚か者といい、礼儀がなっとらんなぁ? 市街騎士団は?」


 クラネスの剣幕にも動じず、あろうことか更に彼女の神経を逆撫でするようなことを平気でのたまうグレゴリオにイサクが前に出る。その細い目が見開かれ、左目から鷹のような眼光を覗かせた。


「お前が冤罪被せて、この街からミデスの旦那を追放したんだろうが? この落とし前、どうつけてくれる?」


「口を慎め。そんな証拠がどこにある?」


 グレゴリオはこれ以上話すことは無いと、パチンと指を鳴らす。

 そこへ、縛られたルーゼとオリヴィアが聖十字騎士達の手で運ばれて来た。傍らの聖十字騎士から剣を受け取ると、ルーゼを無理やり立たせてその首筋に刃を添える。


「さて、詰所内に例のシスター見習いは居なかったようだが? 何処に匿っているのかね? 騎士団長殿? それにしても、身代わりとは馬鹿なことを考えたものだ」


「ひっ、やだ⋯⋯、離して!?」


 この⋯⋯外道が。しかし、迂闊には動けん。どうする??

 クラネスがギリっと歯噛みする。

 だが、その膠着状況を動かしたのは後方で待機していたロレンツの驚愕した声だった。


「なん⋯⋯ですか? あの赤い空は?」


 ロレンツの視線の先、上空に視線を向けたクラネスはそれを見て、目を見開く。

 異様に暗い夜空を覆うように赤い線が幾重にも重なり何かの形を作っていく。

 人のような姿に雄牛のような猛々しい角が描かれたその姿は、精霊教会のレリーフにも飾られている精霊の一柱「火の精霊イフレム」であった。


「おお、なんと神々しい。これでマグノリアは本当の聖地となる⋯⋯」


 グレゴリオが恍惚な表情を浮かべて、天を仰ぐ。

 本当の聖地? 一体何を言っている?

 司祭の注意が逸れている、この好機。眼前の聖十字騎士共々制圧すべきかクラネスが思案していると、それは突如起きた。


 なんだ? 身体から力が抜けていく??


 地面が赤く輝き出し、身体の活力が奪われる。

 それだけでなく、普段から人一倍健康に気を使い風邪など滅多に引かない身体に、風邪の初期症状のような倦怠感が襲ってきた。

 周りを見回すと同じように苦しみ喘いでいる、ル—ゼ、オリヴィア、イサク、ロレンツ、市街騎士団員、そして聖十字騎士達がいる。


「馬鹿なぁぁぁ!!? 話が違うぞ!?  白色化が起こってもこの『黒色玉ニグレド』さえ持っていれば何も心配することは無い、と。あの方がおっしゃったのにぃぃぃぃ??」


 その中で最も影響を受けていたのはグレゴリオだった。元々不摂生で血色の悪い顔色が更に黒く変色し、その身体から焦げ臭い匂いが立ち昇り始める。


 一体、何が起こっている? クラネスは必死に身体を動かそうとするが徐々に熱を帯びて来た身体はびくともせず、霞んだ視界は静かに閉じられた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「ジュデールを打ち破ったか。あの女が庇った少年が、風の御使みつかいだったとはな」


 聖女の丘の切り立った崖の上。赤い光で覆われたマグノリアの街から、聖女の丘の教会の方向に灼炎は視線を向ける。先ほどまで激しくぶつかり合っていた、禍々しいエーテルと清涼な風のようなエーテルの気配が急速に小さくなる。微かに残る清涼なエーテルの残り香が、闘いの勝者がどちらかを物語っていた。


「⋯⋯黒色化から白色化への移行は成功したようです。灼炎様」


 灼炎の背後に疾風が渦を巻き、気づくと片膝を着いた人物がその場に現れた。

 

 漆黒のコートを着ていても分かる程の艶かしい体つきに、大きな胸の膨らみから女性のようだ。その顔には『風の精霊ウイレム』の紋様が刻まれた銀製のアイマスクを付けており、表情は窺いしれない。腰ほどまで伸びた髪は途中までは目も覚めるような緑色で、動き易いように紐で一本に結えられている。毛先の先端のみが赤紫色をしていた。


「報告、ご苦労。ヴェンテッラ。既に聖女のエーテルの励起も確認済みだ。一つ仕事を頼みたい」


 灼炎は背後を振り向かず、手短に内容を伝える。


 貧民街の一角。廃屋となった教会の地下に聖人の墓所がある。墓所を暴き、第三空想元素を回収せよ。


「⋯⋯御意」


 ヴェンテッラの右手には漆黒の可動式籠手が装着されていた。短い返答の後、籠手に嵌められた連換玉が励起する。再び疾風が渦を巻き、風が通り過ぎると女性の姿は既に消えていた。

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