十七話 風の連換術の特性
感覚の無くなった右手を庇いながら聖葬人の攻撃をひたすら左手で捌く。
己の身を武器とする体術を用いた戦いは、相手の動きを如何に先読みするかにかかっている。相手の視線、直前の動作、体捌きにいたるまで、ありとあらゆる攻撃の予兆を見逃すだけで命取りになる。
師匠に身体で叩き込まれた修行の成果が、何度も致命傷にいたる一打を辛うじて防いでいた。
聖葬人の動きは攻防を重ねるごとに加速していく。暗部の名の通り的確に人体の急所を執拗に狙ってくる攻撃は読みやすいが躱しにくい。
聖葬人の視線が僅かに下に下がり、踏み込みが一段と鋭くなる。
先刻も見せた両足払い、殆ど反射で後ろに飛び下がる。
「なっ?」
俺の読みは外れ聖葬人は更にもう一歩踏みこみ、逃がさないと言わんばかりに笑みを浮かべ飛びかかって来た。
放たれたのは肺を狙った肘鉄。左腕で防ぐのは不可能と判断し、連換玉を急速励起。
「元素解放!」
前方に向けて強風を放出。左手の籠手で奴の肘をなんとか止める。
広間の燭台から火がいくつか消えて、闇が濃くなった。
衝撃を逃すように後ろ受け身を取り、すぐに立ち上がる。
度重なる攻防で広間の様子は随分と様変わりしている。
長い木の椅子は殆ど原型を留めておらず、燭台も半数以上が吹き飛び広間はかなり暗くなっていた。
広間が完全に暗闇に閉ざされるまでに決着がつけれるかどうか。
気を抜いたその瞬間、耳元で囁くような奴の声が聞こえた。
「よそ見とは余裕さね?」
直後、肺の空気が全て吐き出されるような感覚と背中に走る激痛を感じる間もなく吹き飛ばされ、向こう側の壁まで無様に転がった。
「ゲホッ、ゴホッ、ハァハァ⋯⋯」
背中を蹴られただけでこの衝撃。つくづく人間離れしてやがる⋯⋯。
胃液を吐き出すと共に口の中に鉄の味がした。
さっきの衝撃であばらが何本か折れたらしい。
激痛に耐えながら、壁に寄りかかりなんとか立ち上がる。
が、これまでの攻防で奴が纏っている赤黒いエ—テルによる汚染の影響は身体の各所に現れていた。
身体が重い⋯⋯。四肢に力が入りきらない⋯⋯。右手どころか、腕の半ばまで赤黒く変色した右腕はだらんとぶら下がりもはや重石でしか無い。
「くくくくくくっ。左腕一本でよくここまで凌いだよ? でも、そろそろ限界じゃあないのかい?」
あれだけの動きで翻弄してきたにも関わらず聖葬人の呼吸は少しも乱れていない。
ただでさえ空気の循環が悪い地下空間で、肺を圧迫され呼吸するだけでも苦しい。目も霞んできた⋯⋯。
「呆気ない幕切れか。久しぶりに熱くなれたのに、つまらないもんだねぇ」
聖葬人はコートの袖をまくり両手をこちらに向ける。
奴が纏う赤黒いエ—テルが両腕に収束され、溢れるような力が放たれようとしていた。
「まぁ、楽しませてくれた礼だ。せめて苦しまないように送ってあげるさね」
「⋯⋯余計なお世話だ」
冥府へと誘うエ—テルの奔流が俺を飲み込もうとした、その刹那。
「だ、だめぇぇぇぇ!!」
飛び込んで来たのは銀髪の小柄な体躯。全力で両手を広げて俺を守ろうとする彼女の身体の周囲を、薄い虹色の膜が結界のように覆っていた。
またか? また俺は誰かに助けられて、誰も助けられないのか?
自分の力の無さに歯噛みする。
俺を庇ったシエラは赤黒いエ—テルの奔流に飲み込まれ壁に向かって吹き飛ばされた。
「シエラぁぁぁぁぁぁ!!」
痛む体に鞭を打ち壁に激突する前に彼女を受け止める。
受け止めた衝撃で再び激痛が走るが、構わず俺は必死に呼び掛けた。
「馬鹿野郎⋯⋯。——無茶しやがって」
「ごめんなさい⋯⋯、足を引っ張ってばかりで。でも、戦いでは何も出来ない私は⋯⋯盾になるくらいしか出来ませんから⋯⋯」
荒い呼吸を繰り返すシエラは薄らと笑みを溢す。ジュデールが浮かべる不気味なそれでは無く、優しい陽だまりのような微笑みを。
余程の高濃度のエーテルだったのだろう。彼女の健康的で瑞々しい肌は見るも無残に赤黒く変色している。俺は連換玉を励起して、少しでも汚染されたエーテルを浄化しようと試みるが、それは不可能なことを思い出す。人体のエーテル濃度は人によって異なる。浄化で生きている人のエーテル濃度を変えるのは、命に関わる行為。例え、その身体のエーテルが汚染されていてもだ。
例外は、生まれつき体内エーテル濃度が濃い者。常人とは違いある程度なら濃度の変化に肉体が順応出来る。シエラは普通の人間だ⋯⋯。どうすればいい!? どうすればシエラを助けられる!?
「素晴らしい献身だねぇ。流石は聖女の子孫さね?」
聖葬人は笑っている。血の気の無い顔色で空虚に寒々しく。
「最後にいいものが見れたよ? 二人一緒に送ってあげるさね」
そして、今度こそ避けられようの無い死出への瞬間が訪れる⋯⋯。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
これは⋯⋯俺の過去の記憶?
目の前に幼い俺と師匠がいた。地面にはルーゼと一緒に世話していた老犬が力なく横たわっている。
足が弱っていた老犬を可愛そうという理由で村の教会に連れ帰って、渋るケビン爺さんを二人で必死に説得した。
自分達で最後まで面倒を見ること、という条件付きで飼ってもいいことになったんだったな。
この老犬が亡くなる少し前、犬小屋にいないことに気づいて村中探し回ったが見つからず、遠出していた師匠が力尽きた老犬を抱いて教会に戻って来たときにはル—ゼと二人でわんわん泣いた。
ひとしきり泣いた後、教会の裏手に墓を掘り埋葬しようとしたところだった。
「いいか? グラナ。生物に宿っていたエーテルは死後、放っておくとどうなる?」
「澱んで濃度が濃くなるんだろ。そんなことより師匠、早く埋めてあげようよ?」
幼い俺は師匠にせがむようにその顔を見上げるが、師匠は上着から連換玉を嵌めた籠手を取り出すと右手に装着する。そして、呆れたように溜息をついた。
「まったく、私が留守の間に出していた課題。その答えだと手をつけていないな?」
幼い俺は、ギクッと痛いところを突かれて視線を泳がせる。
「だって、○○○がいなくなるからルーゼと二人で必死に探して⋯⋯」
そんな俺の困りきった様子をじっと見つめていた師匠は、ふっと厳しい表情を崩すとポンと俺の頭に手を置いた。
「その行動に免じて、今回はお咎め無しだ。見ていなさい」
「え? ⋯⋯うん」
老犬の側に屈み込んだ師匠は右手の籠手に嵌めた連換玉を静かに励起する。
すると、老犬の身体から赤い煙が立ち昇り連換玉に吸い込まれていった。
これは、初めて浄化について教わった記憶? でも、なんで今?
「汚染されたエーテルが宿った死者は土に帰れない。だから私達、連換術師がその骸に残ったエーテルを浄化しないといけない。何故だか分かるか?」
幼い俺には難しい質問だった。何せ両親が何故亡くなったかもよく分かっていない年頃だったし。流行病で亡くなったと理解出来たのは大分後の話だ。
俺はどう答えればいいのか、考えあぐねている。
すると師匠が屈んで目線を合わせ、俺の顔を真剣な眼差しで見つめていた。
「エーテルを世界に循環させるためだ。汚染されたエーテルはそれだけで生物に害を成すからな。だが、それだけじゃ無い。浄化されたエ—テルは大気に戻り、また新たな命に宿る」
師匠が清められた老犬をそっと地面に掘った穴に横たえる。
そして、立ち上がると沈みゆく夕日を見ながら俺に背を向けて、連換玉から柔らかで心地よい風を辺りに解放した。
「風はな、恵みを運ぶだけじゃない。ずっと昔から災いを祓う神聖なものとして敬われてきた。だから自信を持ちなさい、グラナ。お前が風を呼べるのは——————」
なんだ? 師匠は何を伝えようとしているんだ?
時が止まっているのかと錯覚するほど思考が加速する。
あの惨劇の日、荒れ狂う炎と熱で猛り狂うエ—テルの中、ただ風に守られていただけで焼け死ぬこともなく生き残ることが出来たのは何故だ?
思い出せ、師匠が俺を包むように解放したあの風を。
師匠の連換する風と、俺が連換する風の違い。
そのとき、この広間に辿りつく前に吹いた懐かしい風で、一瞬だが地下墓所の淀んだ空気が清められたように感じたのを思い出す。
もしかして、風の連換術の本来の使い方は⋯⋯。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
ふっと気づくと奴の赤黒いエーテルの奔流が目の前に迫っていた。
悩んでいる暇はない、俺は無意識の内に左手に嵌めた連換玉を励起する。
「⋯⋯元素⋯⋯収束」
地下空間に僅かに残る汚染されていないエーテルをかき集めるように連換玉に取り込む。駄目だこれじゃ全然足りない。とにかく今必要なのは大量のエーテルなのに。
死の瀬戸際、普段以上に感覚が冴え渡り両壁に置かれた石の棺、その内部に汚染されたエーテルが貯蔵されていることに今更になって気づく。⋯⋯その中心に七色に輝くエーテルがそのまま残っていることも。知覚領域を最大限までに広げて連換玉とその七色のエ—テル全てを繋ぐようにイメージする。
「元素⋯⋯解放⋯⋯!」
俺達を赤黒いエ—テルから守るように強風を展開する。
赤黒いエーテルの奔流と荒れ狂う風が拮抗するかのようにせめぎ合う。
だが、僅かばかり聖葬人が発するエ—テルの勢いの方が強い。棺に残っている七色のエーテルはもうすぐ無くなる。どうすれば?
「ふふふふふっ。足掻くねぇ? 連換術師の坊や? いや、風の
奔流の向こう側で高らかに嘲笑する聖葬人の表情は分からない。だけど俺には何故かその笑い声が泣いているようにも聞こえた。
それよりも、聖女の伝承にある一説『身分に限らず人々に尽くした』この局面でなぜか頭から離れない。
ここに来るまでの間、様々な場所で聖女の伝承の意味を考える機会があった。
例えば、聖女がテロルの花の匂いを好んでいたのは、死者の埋葬に花を原料とする香油を使っていたから。聖女が精霊から啓示を受けた丘に教会が建てられたのは、聖女と精霊教会の結びつきを誇示するため、とか。
なら『身分に限らず人々に尽くした』を読み換えると見えてくる真実は?
「⋯⋯そういうことか」
棺に残っていた淀んだエーテル全てと連換玉を繋げる。
聖女の伝承が、読み換えた真実が正しいのであれば⋯⋯。
「くぅぅぅぅぅぅっっっっっ」
身体が蝕まれる痛みを必死に耐えて淀んだ聖女のエーテルを連換玉にありったけ取り込んだ。
気づけば右腕どころか四肢の殆どが赤黒く染まっている。辛うじて動く左腕以外、既に感覚は無い。俺たちを包んでいた強風も勢いが弱まっている。直に奴のエーテルの奔流に食い破られる。
にも関わらず。
心は不自然な程落ち着いていた。まるで大気と一体になったかのような不思議な感覚。走馬灯でエリル師匠が思い出させてくれた、『風の連換術』の本来の使い方。聖女の伝承の本当の真実。
汚染されて動くはずの無い右腕でシエラをしっかり抱き抱える。もう、二度と俺の前で誰一人失わせやしない!
「元素解放!!」
俺が力の限り叫んだのと、赤黒いエーテルが強風を打ち破ったのは同時。
奔流の向こうに奴の変わらぬ怪しい笑みが見える。
左腕の連換玉からは何も起きない。
エーテルの奔流が俺とシエラを飲み込もうとしている。
駄目⋯⋯なのか?
俺が諦めかけ目を閉じた、その時。
意識の無い筈のシエラの右手が俺の籠手にそっと重ねられた。
「これは⋯⋯?」
目を開けると俺とシエラの身体を包むように七色のはっきりと見える風が、汚染されたエーテルで蝕まれた身体を優しく癒していった。
それだけじゃない。七色の風は赤黒いエ—テルすらも巻き込んで、まるで最初からそうであったかのように清らかなエーテルに変えていく。
「なんだい。その風⋯⋯は?」
決して勢いは無い
そして、何故かは分からないが突然苦しそうな息遣いをしだす。
「ああああああっ!? 焼ける、喉がっっっっ」
奴が苦悶にのたうつ姿とは反対に、俺の身体は徐々に自由を取り戻していく。
右腕で抱え込んでいたシエラの肌にも、血色が段々と戻って来ている。
シエラをそっと床に寝かせる。闘いの余波に巻き込まないように。
痛む脇腹を右手で抑え、俺は清らかな風を身に纏う。
「好き勝手、やらかした報いだ。聖葬人⋯⋯」
左手の連換玉に広間中に充満した聖女のエーテルを収束。
足だけじゃない、四肢全体から後方へ噴き出すようにエーテルの流れをイメージ。
「元素解放!」
俺が叫んだと同時に音が飛び、視界がブレた。
「馬鹿なっ、見えな⋯⋯!?」
一瞬、見えたのはこれまで以上に苦悶と驚愕に
左腕を大きく振りかぶり奴の心臓目掛けて、音速を超えた速さで打ち貫く。
轟音と共に聖葬人の身体ごと、聖女の壁画に叩きつけた。
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