十六話 火の精霊の印

 騎士団詰所から総勢二十人程の団員と共に聖女の丘の教会に急行したクラネス達は、教会の前で扉を打ち壊す準備の真っ最中だった。

 年代物の破城槌が扉の上の屋根にロ—プで固定され、持ち上げられる。屈強な男達で編成された南街区巡回隊が破城槌を左右から均等に支えるように手に持ち、扉を打ち壊すまでの工程の確認をしていた。


「どうだ? 内部の様子は?」


「そうですね⋯⋯。グラナ君の報告通り、教会内部から異常に高いエーテル濃度の反応があるようです」


 ロレンツは手に持っていた羅針盤のようなエーテル濃度測定器の値を確認しながら、作業を続けている。

 

 連換術協会の仕事の一つである、環境保護活動では連換術師と協会の研究員が共同でエーテル浄化作業に当たることになっている。

 

 しかし、決して数が多いとは言えない連換術師達とは同行出来ない場合が多く、先に研究員が現場のエ—テル濃度を事前に測定し、各地の支部に報告するのは珍しいことではない。研究員が報告後は各地の支部の手隙の連換術師達が現地に赴いて、汚染エ—テルを順次浄化していく仕組みだ。

 

 しかし、半年前のマグノリア支部撤退により、現在この街にいる連換術師はグラナ一人だけ。街中のエーテル濃度は以前よりも上昇しているのがロレンツの見解であった。

 

 篝火とカンテラの明かりを頼りにロレンツが数値を帳面に記録する。これらの記録は後で連換術協会本部に送る資料となる。


「濃度は濃いですが、長時間近くに留まったり触れたりしなければ汚染の心配はありません。団長」


「わかった。イサク! そちらも準備は出来てるな?」


 破城槌を持つ男達の中から、「準備完了でさぁ。お嬢!」と頼もしい声が返って来る。クラネスは苦虫を噛み潰したような表情を一瞬取るが、気を取り直し団員達に号令を掛ける。


「これより教会内部の調査の為、扉を破壊する! 破城槌用意!」


 その一声に南街区巡回隊の男達は鬨の声をあげると、破城槌を後ろに引いて勢いよく前に突き出した。

 

 重量の乗った衝撃は教会の扉を直撃し、メキメキと木がひしゃげる音が辺りに響く。何回か引いてはぶつけるを繰り返すと、突如先端の鉄の衝角部分が扉を閂ごと押し倒した。大きな音を立てて扉は教会の中に倒れていき、暗い内部を月光が照らす。カンテラを掲げた団員が中を覗き込んで息を飲む。

 狭い教会内部に棺桶が無造作に置いてあり、中には聖職者の衣装を着た死者が横たわっていた。


「⋯⋯匂いが酷いな。どうやら死後かなり経過している遺体のようだが」


 内部に足を踏み入れたクラネスは鼻を手で押さえながら、棺桶に収まっている遺体を観察する。しかし、見ただけでは別段異常は見当たらない。

 

 だが、棺桶が置かれているにしては場所も不自然だし、何より死者を放置する理由が分からない。一つ思い当たるとすれば意図的に死者の肉体を腐敗させているということだろうか。

 

 それにしてもと、クラネスはこれまでの司祭の言動を思い返す。

 あれだけ市街騎士団の活動に難癖を付け、理不尽極まる理由でマグノリア支部を撤退させた用心が深すぎる者が取る行動にしてはお粗末が過ぎる。

 

 香油を使った手口の誤魔化しといい、逆らえない何者かに命じられて渋々行ったというのが、理由としてはしっくり来る。

 

 聖女が精霊から啓示を受けた言わば聖地とも言えるこの地で、人道に背くこの所行。おそらく、司祭と通じているのは過激派などという有象無象の類いではない。図らずも自身が推測したあの言葉が頭をよぎる。

 

 ことが公になれば教会に対する信用、権威はおそらく地に堕ちる。だが、もしこの状況を内部の不穏分子の一掃に利用しようと企てているものがいるとすれば⋯⋯。


「気休めですが、簡易エーテル浄化玉をあるだけ棺桶に入れておきます。本部からの応援が来るまで拡散が防げればいいのですが⋯⋯」


「わかった。どちらにせよエーテル汚染が進んでいる遺体を処理するのは現状では無理だ。だが、これで証拠は握れたな」


 ロレンツが棺桶内に簡易エーテル浄化玉を均等に設置している最中だった。棺桶に安置されている死者の衣服の胸の箇所、切り込みが入っていることに気づく。遺体に触れないように慎重に革手袋を付けた手で聖職者の衣装をめくりあげる。


「これは⋯⋯」


「どうした? なんだこれは?」

 

 衣装がめくり上げられた遺体を覗き込んだクラネスは、その異様な光景に思わず口を手で押さえた。ちょうど心臓の部分が綺麗にくり抜かれ、中に例の黒い玉が埋め込まれている。それは、まるで心臓の代わりでもあるかのように胎動しているような不気味な光を発していた。


「死者の骸になんということを⋯⋯」


「用途が分かりませんが、この黒い玉は本部で詳しく調べたほうが良さそうですね⋯⋯」


 教会内部の調査を終えたクラネス達は、入り口に木の板を打ち付けて教会を封鎖する。この所行の報いは必ず払わせてやる、とクラネスが聖堂の方角に視線を向けると階段を走り登ってくる足音が聞こえてきた。


「クラネス団長様はこちらですか!?」


「ソシエさん? どうしたのです? そんなに慌てて?」


 余程急いで来たのか息も切れ切れで、その綺麗なブロンドの髪は結えられた髪がほどけて乱れている。ソシエの呼吸が整うまで待つことしばし。ようやく話せる状態になった彼女の表情は焦燥に満ちていた。


「ルーゼさんが⋯⋯、司祭が率いる聖十字騎士団に捕縛されたと連絡が。彼女を連れて東街区の詰所を占拠したそうですわ」


「な⋯⋯」


 ソシエから伝えられたルーゼの危機にクラネスは絶句する。何故だ? シスター・マーサの話では司祭はシエラと顔を合わせたことも無いはずだ。何故、身代わりがバレた??


「どうするんですかい、団長?」


「⋯⋯どうもこうも無い。詰所に戻るぞ。聖女の丘の教会の所有者はグレゴリオ司祭だ。奴にはこの状況を説明する義務がある。決して逃しはしない」


 クラネスは撤収を急がせる。元々いつバレてもおかしく無い作戦だ。十分な時間さえあれば、ルーゼが危険な目に遭うことも無かったはず。ソシエの話によれば、聖葬人の居場所を突き止めたグラナとシエラは、教会の裏手で見つかった地下へ続く隠し階段を降りて行ったきり戻ってきていないようだ。


 恐らく聖葬人を見つけた彼らは戦っている最中だろう。もとより、今この街で聖葬人に対抗出来るのはグラナしかいない。


「そっちは任せたぞ。グラナ——」


 届くはずの無いクラネスの呟きは夜風に吹かれて消えていった。

 

 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「このものの父は太陽であり、母は月である⋯⋯か。古代の連換術師とは随分と詩人だったらしい」


 月明かりが差す、聖女が精霊から啓示を受けた丘。木々や草花が高台を通り過ぎる夜風によって揺れて靡いている。マグノリアの街を見下ろすように立つ灼炎は、燃えるような瞳で眼下の街をさしたる感慨もなく見つめている。丘の上から眺める街は昼間の喧騒は何処に行ったのかと思うほど静かだ。明日に控えた生誕祭を迎える為に、街そのものが英気を養う為に眠っているようにも見て取れた。

 

 街のシンボルでもある大時計塔を中心に、東西南北を十字のように光る線のようなものが遠目から見てもはっきりと分かる。現在、マグノリアを含む帝国五大都市では市街各所に連換玉を動力とする街灯の設置が進められていた。

 

 精霊教会がいくら冒涜とみなそうとも、連換術の研究、発展による技術の恩恵は確実に人々の生活に変化をもたらしている。

 

 その変化は精霊教会とて決して無縁なものではない。保守派の中ではその恩恵に預かろうと、連換術を冒涜とする教義の見直しの提案を唱える者すらも出てきている。

 

 騎士達の戦いが剣による命を掛けた決闘から、銃機の発明によりその戦いの定義が根本から変わっていったように、教会もまた時代の変遷による変化を迫られつつある。頑なに教義を信仰する過激派が危機感を抱くのも、無理の無い話だった。


「⋯⋯街の上空に聖女のエーテルが層を成したか。⋯⋯頃合いだな」


 灼炎は呟きと共に、暗い夜空を見上げる。街を覆うように、七色のオ—ロラのような薄い膜が広がっていく。それは、七色石のロザリオから発生したあの虹色の膜が巨大化したようだった。灼炎の手にはあの黒い玉がいつのまにか握られている。そして、片手でそれを天に向かって掲げた。


「⋯⋯地より天上を貫く準備は完了した。⋯⋯これより『炉』の形成を開始する」


 灼炎の身体から、煮えたぎる溶岩のようなエーテルが発生する。周囲の草木がその異質なエーテルにより次々と変色し、燃え尽きた炭のように溶けて崩れていく。天に掲げられた黒い玉に溶岩のようなエーテルが余さず取り込まれた。

 

 そして、唐突にそれは始まった。黒い玉がゆっくりと宙に浮き街の中心に向かって移動していく。その動きと呼応するかのように、市街の各所から次々と赤い線が現れ、司祭の従者達によって細工された黒い玉が置かれた地点と地点が、赤い線で次々と結ばれていく。

 

 街中に張り巡らされた赤い線は、街の上空に浮かぶ黒い連換玉に向かって伸びて行き立体的な形を取る。

 

 火の精霊イフレムの印が、マグノリアの街を包むように浮かびがっていた。

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