十五話 闇の向こうに

 隠し階段から地下に降りた俺とシエラは、松明の明かりが照らす地下通路を慎重に進んでいた。通路は入り組んで迷路のようになっているが、連換術を使えば正解のルートを辿るのは容易い。


 別れ道があったら、風と一緒にエーテルを送り込んでその流れが淀みなく進んでいるか、途中の行き止まりで流れが途絶えているか知覚するだけ。


 師匠曰く、俺はエーテルとの感応力が常人より高いから出来ることらしい。半年前までマグノリア支部にいた、同僚というかライバルを自称する土の連換術師は「そんなもの知覚出来るの貴様だけだ!」とか言ってたな。


「確かに、そんなことが出来るのはいくら連換術師の数が多く無いとはいえ、グラナだけでしょうね」


 俺の横を歩くシエラが何故か呆れたように相槌を打った。その言い方だと少しは連換術について覚えがあるようにも聞こえる。


「何だ? 教会の見習いシスターなのに、連換術に詳しい素振りだな?」


「⋯⋯ええ。七色石のロザリオのおかげか分かりませんが、普通の人よりエーテルが敏感に知覚できますから。教会に縁のある家の生まれでなければ、連換術師になってたかもしれませんよ?」


 真面目に答えるシエラの翡翠の瞳は嘘をついてるようにも見えず、本気でそう思っていそうだ。

 

 何故かシエラと同じように銀髪で少し子供ぽい、けれど連換術の才能に溢れる後輩から「先輩!!」と親しげに呼ばれている光景が浮かんだ。もしかしたら、そんな未来がどこかにあったのかもしれない。


 意外と話が弾むシエラと会話を続けていると、いつの間にか広間のような場所にたどり着いた。地下とは思えない高い天井のある広間には、幾つもの石の棺が置かれている。⋯⋯濃縮されたエーテルの気配も。


 どうやら、遺体が清められることもなく埋葬された墓所らしい。薄暗い地下墓所は何も知らぬ生者を、死者の仲間に加えようと手招きしているような錯覚すら覚える。


 かび臭い匂いと、棺から香る腐敗臭を嗅がないように袖で鼻を押さえて石の棺の間を進む。歩きながら数えて五十個目の棺を通り過ぎる。その先にあったものは信じ難い光景だった。


「なんだよ、これ⋯⋯」


「死者の骸がこんなに沢山放置されてるなんて⋯⋯」


 石の棺が暴かれ、エーテル汚染により土に帰ることすらも出来ない死者の身体に、にわとりの卵のような大きさの黒くて丸い玉のような物が埋め込まれていた。辺りには硫黄のような匂いと腐敗臭が入り混じり、袖で抑えている鼻にも容赦ない刺激臭が突き刺さる。


 これは長い時間、嗅いでられるようなものではない。俺とシエラは急いでその場から駆け出し、少しでも匂いの元から遠ざかる。


「グラナ、骸に埋め込まれていた黒い玉は⋯⋯」


「司祭の従者が細工していたものと一緒だったな⋯⋯」


 まさか、聖女の丘の地下にこんなに広い地下空間があったなんて流石に想定外だ。振り返り、匂いが漂ってこないことを確認し感覚を研ぎ澄ませていると、あの黒い玉のような物が死者の身体に溜まった汚染されたエ—テルを、何か別なものに変えている⋯⋯ような気がした。それは地下墓地の出入り口から恐る恐る中を覗き込んでいるシエラも同じようだ。


 「この濃縮されたエーテル⋯⋯。あの時、聖葬人が私に向けて放ったものと同じものでしょうか?」


 「そうみたいだ。俺もあの男と一戦交えた時に、奴が両腕から赤黒いエーテルを放出するところを目撃してる。この大量の骸は聖葬人と何か関係があるかもな」


 走り過ぎるときにちらっと見えたが、ボロボロに擦り切れた聖職者の衣装を纏っている遺体も、ここにはたくさん安置されている。死後も宿り残っている聖職者の祈りや敬虔な精神を、汚染されたエーテルと一緒にこの黒い玉で赤黒いエーテルに作り替えてるのか?


 シエラと二人で頭を悩ませていると、地下空間で吹くはずの無い一陣の風が背後から音を立てて通り過ぎていった。連換玉は起動していない。だが、この風、何故か無性に懐かしい、なぜだろう?


「⋯⋯この先のようです。聖葬人の居場所」


 シエラが翳したロザリオの先端から一際力強い七色の光が前方に伸びている。どうやらここから先は一本道で迷う心配も無さそうだ。


「俺も何となくだが禍々しいエーテルの気配を奥の方から感じた。それに⋯⋯」


「それに?」


「いや、何でも無い。急ぐぞ」


 風が残したエーテルの残り香を辿ってひたすら前へ。やがて、地下通路の最奥に辿りついた。


 そこは長い木の椅子がいくつも並び、五百以上はある燭台全てに火が灯されている。壁には聖女が辿ったとされる『東方巡礼図』を描いた大きな壁画が飾られている。


 中央には年季の入った木の祭壇が置かれており、その向こうはどうやら行き止まりのようだ。広間のところどころに赤黒いシミのようなものが付着しているのが、この場で何が行われたのかを伝えようとしているようだった。


「随分と薄暗い寝ぐらだな? 聖葬人?」


 俺は眼前に立っている、鼠色のフ—ドを被り奇怪な紋様が刺繍されたトレンチコ—トを着た奴に挑発するように声をかける。気配で察知していたのだろう。そいつは振り向くと、異様に青白い顔に不釣り合いな血色の良い唇の口角を上げ笑みを浮かべた。


「おや? 案外早い到着だったさねぇ? ⋯⋯おやおや、親切にお嬢さんまで返しに来てくれたのかい?」


「残念ですが違います。——貴方を捕らえに来ました、聖葬人」


 予想とは違ったのだろうシエラの反応に、聖葬人の笑みがぎこちないそれに変わる。俺はシエラを守るように前に出た。正直な話、シエラをここに連れてくるべきでは無かったかも知れない。目の前の男の技量は俺より遥か上であり、得体の知れないエーテルを操る力も持っている。


 相対するだけでも分かる異常なエーテルの気配。⋯⋯奴の体内エーテル濃度、異常過ぎるほど濃い。


「へぇ? 捕まえるねぇ。⋯⋯逃げるだけしか出来ないお嬢さんが、随分と大きく出たものさね? 保護者としてはどうなんだい? 連換術師の坊や?」


「誰が保護者で、誰が坊やだ!?」


 全く緊張感の無い奴の態度、この状況は奴にとって愉快で堪らないらしい。怒りよりも生理的嫌悪感が勝り、一歩後ろに無意識に下がる。


 これが、教会の暗部か⋯⋯。こんな身勝手な奴らに俺達の故郷は⋯⋯。はち切れそうな怒りを必死に抑える。こいつにはまだ聞くことがある。


「五年前、ミルツァ村を襲った教会の異端狩り。お前は関与してるのか?」


「五年前? ⋯⋯ああ、そういうことかい」


 聖葬人は何か思い当たることがあるのか、いつのまにか取り出した護身用のナイフをくるくると手で弄びながら怪しく笑う。


「教会が血眼になって探していた、風の御使みつかい。⋯⋯まさか坊やのことだったとはね?」


 今、なんて言いやがった?こいつ。俺が⋯⋯風の御使みつかい?まさか⋯⋯俺のせいで村が異端狩りにあった、ということなのか?


 脳裏に蘇る、あの劫火の記憶。村の教会が火に包まれ、あわや焼け死ぬところだった俺を助けてくれた師匠。そして、燃えるような瞳を持つ聖葬人に立ち向かっていった師匠の最後の姿。気絶から目が覚め、全てが燃え尽きた村の中を一人彷徨ったあの光景。心に深く刻まれた決して癒えることのない火傷の跡。


 それら全てが⋯⋯俺があの村にいたから起きた?


「くくくっ。良い顔だねぇ? 連換術師の坊や? さっきまでの威勢はどこにいったのかねぇ?」


 聖葬人は愉快で堪らないといった雰囲気を隠そうともせず、その笑みを一層深くする。口角を上げ過ぎて口が裂けるのではないかと思わせるほど。

 村が襲われたのが俺のせいだと? 認めない。絶対にそんなこと認めるものか。


「いい加減にしやがれ。この気色悪い野郎が!」


「グラナ!? 駄目です!! 挑発に乗っては!?」


「下がってろ。——シエラ」


「グラナ⋯⋯」


 僅かに保った理性でなんとかシエラを下がらせると、激昂と共に俺は聖葬人に殴りかかる。だが、怒りにまかせた攻撃などお見通しだったのか、大きく後ろに飛び下がられ左手の拳は虚しく空を切る。


「単調な攻撃だねぇ? 挑発に乗って怒るようじゃ、お嬢さんから心配されてもしかたがないねぇ?」


 こいつ⋯⋯絶対にぶっ飛ばす!


 俺は無意識の内に連換玉を励起させる。

 エーテルの流れを足に集中、足の周りをエーテルで吹き上げるように強くイメ—ジした。


「元素解放!」


 風の元素を足の裏から勢いよく解放する。身体が浮くようなことは無いが、重力による制限を一時的に緩和。分かりやすく言うなら身体を若干軽くした。


 足から吹き上げる風を後ろに向けて三歩で最高速に到達。一瞬で目の前に移動するかのような勢いで聖葬人に追いつき、今度こそ渾身の一撃を右拳で顔面に叩き込んだ。


 速さの乗った重い一撃は聖葬人を白いフ—ドごと吹っ飛ばし、奴のブ—ツから火花が飛び散るほどの勢いで後ろに後退させる。


「⋯⋯へぇ? 速さだけは大したもんだねぇ?」


 プッと聖葬人が血液混じりの痰を吐く。フ—ドが外れつまびらかになった顔は血の気が無い青白い肌で、燭台の炎に照らされているにも関わらずおぞましい風貌だった。


「その肌色⋯⋯」


先天性白皮症アルビノさね。おかげで昔から病弱でねぇ?」


 聖葬人が一歩ずつこちらに近づいてくる。俺は油断なく身構え、相手の出方を伺う。

 闘いの余波でテーブルから落ちかけていた燭台が、音を立てて床に落ちる。


 それを合図に聖葬人は風で速さを底上げした先刻までの俺と同等、それ以上の速度で肉薄する。


 繰り出して来たのは、こちらの両足を刈るような足払い。

 左足から放たれたそれを、俺はすんでのところで後ろに下がり躱す。

 空ぶった聖葬人の左足はその勢いのまま裏回る。

 その隙を逃さず一歩前に踏み込み、奴の胴体に風で脚力を強化した左回し蹴りを繰り出す。

 左脚が胴体に届く直前。聖葬人は裏回った左脚を更に回転させ、こちらの左脚に当てて威力を相殺。衝撃でお互い後方に弾かれた。

 再びの睨み合いと、攻防の読み合い。

 相変わらず口元に笑みを浮かべる奴の表情から、攻撃の予兆を測ることは不可能に近い。

 脚に集中していたエ—テルの流れを身体全体を包むように戻す。

 少しでも奴の体内エ—テルによる汚染を防ぐ為、身体の各所に風を纏わせた。


「直接やり合えばどうなるか⋯⋯どうやら分かってるようさね?」


 清葬人の身体から赤黒いエーテルが湧き上がる。

 死者と同等、もしくはそれ以上に濃い汚染されたエ—テル。

 長期戦はすなわち死を意味する。なら。

 滑るような体捌きで接近し、鳩尾を狙って左手で真っすぐに打ち込む。

 が、回り込むように右に回避され逆に背後を取られた。


「⋯⋯くっ」


 俺の首を狙って放たれた奴の手刀を咄嗟に右腕で受け止める。

 骨が軋むような嫌な音。振り払うように左腕を後方にぶん回し、半回転して距離を取る。


「うふふふふっ。いいのかい? 後ろに下がって?」

「あ? 何言って⋯⋯。なっ⋯⋯」


 先ほどの勢いに任せた攻撃で祭壇の裏手にいつのまにか回ってしまっていた。壁を背にした位置に移動していたことにようやく気づく。これ以上後ろには下がれない。チッと舌打ちして身構えるが、聖葬人の姿が見当たらない。


 いったい、どこへ⋯⋯?


 直後、上から得体の知れないエーテルの気配を感じ慌てて横に回避する。

 さっきまでいた場所に力の残滓らしきものが見えたが、これまさか⋯⋯?


「エーテル⋯⋯。いや、あの黒い玉で変化させた何かか?」


「ご名答」


 俺の答えに聖葬人が天井より降りて正解を告げる。天井までの高さは決して低くなく、人が跳躍して届くような高さでは決して無い。にも関わらず、あの高さの天井に張り付いてたとか、もはや人間の身体能力じゃない。


「お嬢さんから聞いてるだろう? 我らの目的は、このマグノリアにある空想元素を回収すること。回収には聖女の子孫と聖遺物が必要なことも?」


「⋯⋯それとあの黒い玉に何の関係がある?」


 俺の問いかけに聖葬人は、やはり笑みを浮かべ煙に巻くように続けた。


「聖女の伝承にもあるだろうさね? マグノリアを襲った災厄、それを沈める為に聖女は己の命と引き換えに七色石の力を解放したとね? では問題、七色石の力の解放と共に七つの空想元素は七人の聖人に宿った。その力の解放と一緒に、聖女がその身に宿していた生命エ—テルはどうなったと思うかい? 連換術師の坊や?」


 聖女のエーテルだって!? まさか⋯⋯。あの墓所に安置されてた死者は⋯⋯。


 聖女の肉体に宿っていたエーテルを回収し貯蔵し保管する為に、清められることもなく棺に埋葬されたというのか?


「つまりさぁ。聖女の子孫なんぞに頼らんでも、空想元素を回収することなんていくらでも可能なのさ? 聖女がその身に宿していたエーテルとこいつがあればねぇ?」


「何を言ってるんですか!? そんなこと出来るわけ⋯⋯なんですか? 胸に埋め込まれた黒い玉は?」


 戦いの余波に巻き込まれないように壁際に退避していたシエラが声を荒げるが、聖葬人が曝け出した半裸の胸に埋め込まれた黒い玉を見て言葉を失ったようだ。


 それに聖女のエーテルをその身に取り込むということは、生まれ持ったエーテル属性の書き換えと同義。そんなこと出来るわけが⋯⋯。まさか。


「お前⋯⋯その馬鹿みたいに濃度が濃い赤黒い生命エーテルは、汚染された聖女のエーテルなのか?」


「今頃、気づいたのかさね? この身体はとある実験の献体でねぇ。生まれつきの体質でこの身体は生きながらに死んでるようなもの。だから、常に体内のエーテル濃度を一定以上濃くしないといけない難儀な身体でねぇ? だからこそ『聖人再現計画』の人柱に抜擢されたのだけどね?」


「狂気の実験です⋯⋯。何と罰当たりな⋯⋯」


「空想元素の回収の為、自らの身体を器にしたってことかよ⋯⋯」


 改めて常識の通じない厄介な相手と認識したその時、俺は右手に違和感を感じた。


 ⋯⋯手が動かない?


 さっきまで健康的な肌色をしていた右手は、赤黒い色に変色しつつあり指の先はいくら力を入れてもピクリとも動かない。


 ⋯⋯使えるのは籠手を嵌めた左手だけ、まいったな⋯⋯これは。


 俺の焦りを見透かされのか、聖葬人は先ほどまでの軽薄な雰囲気ではなく冷酷な暗部の粛正人として目の前に立ちはだかる。ただ口元の笑みだけは忘れず。


「グラナ? ⋯⋯その手!?」


「迂闊だった。⋯⋯どうやら右手がエーテル汚染されたらしいな」


 心配そうにこちらに駆け寄って来そうなシエラに、決して動かないように目配せする。実力差もある上に、片腕が使えない縛りありか。さすがに⋯⋯まずいかもしれない。


 聖葬人はそんな俺たちの様子を満足そうに眺めると、恭しくお辞儀する。

 

 まるで芝居小屋で観客に一礼する道化のように。


「死出への手向けとして教えてやろうかね。我は根元原理主義派アルケーに属する聖葬人ジュデール。しゅの命により、このマグノリアを教会に対する異端と定め断罪を実行する」


 妖しく笑うジュデールの口角から、尖った犬歯が見え隠れしていた。

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