十四話 地下礼拝堂

 マグノリアの街の地下深く、蜘蛛の巣のように複雑に入り組む地下通路の奥、その終点となる地下広間に鼠色のトレンチコートを纏いフードを目深に被った聖葬人が立っていた。


 周囲にはいくつもの燭台に火が灯されており、光届かぬ暗闇を儚く照らしている。薄暗がりでは分かりづらいが、聖女の東方への巡礼の旅路が壁画として飾られていた。燭台を載せる木のテ—ブル前には長椅子が置いてあり、かっては礼拝堂として使われていた名残が今も残っている。


 中央には祭壇が置かれていたが、年季の入った木製のそれは数多の血痕が付着していた。

 今でこそ帝国全土に信徒を多く抱える精霊教会ではあるが、今日に至るまでは何度か歴史上消滅の危機に見舞われている。


 この地下礼拝堂は、教会が弾圧されていた時代に作られた物であり、信徒達が安全に祈りを捧げる為、そして弾圧により命を落とした同胞を弔う為の場所だった。現在それを知る者は教会の中でも一部の者達のみである。


「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯。そろそろ時間かねぇ」


 聖葬人は息苦しさを緩和するためか弱々しい仕草でフードを脱ぐ。眉間から頰の下まで伸びた傷跡がつまびらかになり、異様に白い顔と淡紅色の眼球が燭台の炎に照らされる。荒い呼吸を繰り返しながら両手を左右に伸ばす。すると地下空間に漂うエーテルが鳴動を始めた。


 礼拝堂の両壁にはいくつもの石の棺が置かれており、中には清められることもなく埋葬された遺体も数多く残っている。濃縮されたエ—テルが宿ったままの死者は、大地に還ることもなくこの世に残り続け、生ある者に害を為す。精霊と聖女に救いを求めた熱心な信徒の殆どは肉体のエーテルが汚染され、この礼拝堂で息絶えたという。


 地下空間のエーテルの震えが収まる。その直後、石の棺から濃密に汚染されたエーテルが聖葬人の元に集まり始めた。間欠泉のように、棺から湧き出す赤黒いエーテルが次々とその肉体に取り込まれてゆく。


「これはこれは、熟成したワインよりも美味だねぇ」


 高濃度のエーテルを食らうようにその身に取り込んだ聖葬人は、まるでワインを舌で転がすようにその味を楽しむ。その様子はさながら、人から外れた者の晩餐であった。


「相変わらず趣味の悪い、食事だ」


 そのとき暗闇から男の声が響いた。


「おや、灼炎の。こんなところで何してるんだい?」


 聖葬人から灼炎と呼ばれた男は、その名を由来するかのような紅曜石を思わせる赤い瞳を虚空に向ける。風が吹けば消えてしまう陽炎かげろうのように、その存在は希薄だった。


「司祭の実験が市街騎士団に勘付かれた。ここが連中に知られるのも時間の問題だろう。 お前のくだらない遊びがこの事態を招いた。どう責任取るつもりだ? ジュデール?」


「おやおや、そいつは困ったねぇ? でも、あのお嬢さんは返してもらったんじゃ無いかい?」


「間抜けな司祭は聖女の子孫が戻って来たと安堵しているようだが、あれはただの⋯⋯身代わりだ」


 灼炎は何故か言葉を濁すと、彼らしくもなく嘆息した。彼らにとってもここまで思い通りにならない任務も初めてのことなのかもしれない。


 そんな彼の様子を不思議に思いつつも特に気に留めることもなく、ジュデールはコートの袖を捲る。その腕は病的なまでに白く、波打つ血管が何本も透けて見えるほど。先天性白皮症アルビノ、それが彼が生まれ持った特異体質だった。

 

 太陽の光を長時間浴びれず、病弱な肉体は生きながらにして常に死と隣り合わせ。故に彼がその肉体に宿すエーテルは常に濃い濃度であり、生き続ける為には体内エーテルの濃度を維持する必要があった。


「こうなった以上、こちらの実験の開始を早める必要があるか⋯⋯」


しゅの許可は得ているのだろう? なら、いいじゃないかさね? 聖遺物とお嬢さんを確保したって協力してくれる訳無いだろうさね」


 灼炎はジュデ—ルの軽薄な同意にチッと舌打ちすると、背を向ける。そして、顔だけジュデールの方へ振り向いた。


「実験の見届けは俺が行う。お前は早急に聖遺物とあの娘を確保しろ」


 そのとき地下空間で吹くはずのない風が燭台の炎を揺らした。エーテルを介した自然風ではないその現象は、連換術によって発生したものだった。


 風が止むと灼炎の姿は既に無く、彼がいた空間には奇妙なことに火の粉が舞っていた。その様子を興味もなく眺めていたジュデールは袖を伸ばし、フードを被り直すと口元で怪しい笑みを浮かべる。


「おや、この風から滲み出るエーテルはあのときの連換術師かい。いい勘だよ坊や、そういうの嫌いじゃないさねぇ」


 目的の獲物が近づいてくる気配を感じたジュデールは、薄暗闇の中で怪しく笑っていた。

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