十三話 黒い玉

 東街区の市街騎士団詰所では市街の各所からの要請に応えつつ、表向きは普段と変わりない様子で一日が終わろうとしている。そろそろ、市街各地の巡回を終えた団員達が詰所に戻ってくる頃合いだ。


 聖堂の司祭の企みを突き止めるため、司祭の従者の不審な動きを見張るように、街の各所にある団員の待機所に電信で指示を送ってはあるが、彼らの帰投と報告を待つしかないのがクラネスには歯がゆかった。


 窓際の執務机には、山となった書類の束が積まれている。市街各所で起きた事件の報告書、生誕祭を控えて急増する観光客の対応に関する資料、南街区の検問所で検査され、港湾都市セイルから運ばれてきた貨物の報告書などである。最近の目も回るような忙しさに書類に目を通し半を押す暇もなく、そのままとなっていた。


 そういえば養父もこの時期はよく書類を溜め込んでいたなと、クラネスは執務机の椅子に座ったまま目を閉じる。書類仕事が苦手だった前騎士団長は、済まなさなそうな顔でよく彼女に手伝いを頼んでいた。過ぎし日の懐かしい思い出、どんなに忙しくても毎日が充実していた。だが、ある日を境にその幸せな日常は唐突に崩れ去ることになる。『濡れ衣』というありもしない罪によって。


「団長、根を詰めすぎですよ。少しは休まないと」


「⋯⋯平気だよロレンツ。何かしていないと気が紛れなくてね」


 クラネスがしばし過去を振り返っていると、眼鏡をかけた気の弱そうな青年が心配するように声をかける。彼は半年前に閉鎖された連換術協会マグノリア支部で、連換術の研究員を務めていた男性だ。支部が閉鎖された後は市街騎士団に身を寄せており、皇都の協会本部との仲介役も担っている。


 クラネスは気丈な振る舞いは見せてはいるものの、やはり疲労の色は隠し切れていない。ただ今日に関して言えば体力的疲労より、精神的疲労のほうが優っている。朝の聖堂からの呼び出しから始まった一連の出来事は、それだけクラネスに精神的負担を強いていた。深呼吸でもしてこわばった筋肉を伸ばそうとした時、執務室のドアがノックされ野太い男の声がドア越しから響く。


「南街区巡回隊長イサク、ただいま帰投いたしやした」


 入れ、とクラネスが声をかけるとドアを開けてイサクが執務室に入って来る。禿頭の偉丈夫でその目は細く、鼻の下に口髭を生やした男だった。がっちりとして筋肉質な体系の彼が着る騎士団の制服姿はやや窮屈そうだった。


「戻ったか、状況は?」


「はっ、指示がありました細工された形跡ですが、南街区では発見できませんでした。ですが、どうも最近身体の不調を訴える住民が多いようですな」


 ふむ、とクラネスはいぶかしむ。ちょうど季節の変わり目の時期でもあるし、体調を崩す者がいても別段おかしくはない。


「それは、いつ頃からだ?」


「ここ最近のようですな。症状としては急に身体が怠くなり発熱するものと、重症の場合だとそのまま起き上がれず寝たきりの者もいるようです」


 ただの風邪に似ているが、起き上がれないとはどういうことだろうか? そういえばと、ロレンツからも似たような報告があったことをクラネスは思い出す。


「ロレンツ、確かつい最近もお前から似たような報告を受けていたな?」


「はい、団長。貧民街の住人の間でも似たような症状で苦しんでいる人達がいるようです。他の街区までは広まっていないようなのですが」


 ここに来て謎の病らしきものが蔓延する兆候⋯⋯か。何をきっかけにここまで事態が進行しているのかは分からないが、よくない兆候なのは確かだ。クラネスが思索に耽っていると「おっと、忘れるところだった」とイサクが機械で印字されている紙を差し出した。


「電信機に文書が届いてやした、それもグラナの坊主から」


「グラナから? ——見せてくれ」


『聖女ノ丘ノ教会二死体ガ複数放置サレテイル可能性アリ。エーテル汚染ノ危険性ガアルタメ直チ二市街騎士団ノ出動ヲ要請スル。ナオ教会ノ扉ハ内側カラ閂ガカケラレテイルタメ、破壊スルタメノ破城槌ガ必要。グラナ・ヴィエンデ ヨリ報告ス』


 その内容を三回くらい読み返したクラネスは、ふふふっと乾いた笑いを漏らす。


「聖女の丘の教会に複数の死体だと? やってくれたなグラナ」


「教会に死体?本当ですかいお嬢?」


 クラネスの普段とは違う様子を見て、イサクが遠慮がちに尋ねる。昔の呼び名で我に返ったクラネスは少々頰を赤らめていた。


「⋯⋯お嬢はやめてくれ、イサク。その口癖、まだ抜けてないのか?」


「これは申し訳ない。気を抜くとつい」


 彼は元々名のある傭兵団の頭であった。数年前、傭兵稼業から身を引いた彼は、以前より懇意にしていた前騎士団長立っての頼みで騎士団に入団した異色の経歴を持つ男でもある。前騎士団長からの信頼も厚く、入団してしばらくした後、副騎士団長に就任。なお、前騎士団長とは義兄弟の盃を交わしている人物でもある。


「そ、それよりも団長。教会に死体とは何があったんですか?」


 ロレンツが困惑した表情で説明を求める。事態の解決の為にはある程度情報を共有しておくのも重要だろう。クラネスはすっと目を細め口を開いた。


「これから説明する。最初に断っておくが、全て事実しか話さないからな?」


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 今日、一日で起きた出来事をかいつまんで説明された二人はしばらく言葉が出てこなかった。


「⋯⋯確認しますが、お嬢。本当に起きたことなのですな?」


「聖堂の司祭が従者を使って暗躍ですか⋯⋯」


 彼らの反応は至極当然のものであり、あの奇跡無しではクラネス自身も信じることは、とてもではないが出来なかったであろう。クラネスはグラナから送られてきた報告書を手に取り二人に見せる。


「その証拠がこれだ。確認はせねばならんが、聖堂の司祭を捕縛するには十分な理由だろう?」


 イサクとロレンツは、示し合わせたかのように顔を見合わせると力強く頷いた。


「前騎士団長の無念、ようやく晴らせる機会が来たということですな?」


「半年前にマグノリア支部を閉鎖に追い込んだ司祭の暴挙、忘れたことなどありません。こういうときの為の支部だったのに」


 ロレンツが語気を強め、その両手を悔しそうに握りしめた。『大地に住まう者は皆等しく精霊の庇護を受けている』という教義を根幹に抱く精霊教会は、連換術自体を精霊に対する冒涜と見なしている。最近はこの教義の拡大解釈と教会の権威を振りかざすような信徒達の暴動も多く、各地の支部は警戒を強めていた。


「そういえば、団長。東街区を巡回中に妙な物を発見したんですが」


「妙な物?」


 これです、とロレンツがエーテル遮断容器を取り出す。中には鶏の卵のような大きさの黒い球体が入っていた。表面は鈍く黒光りしており、何の用途に使う物か見ただけでは見当がつかない。クラネスが箱を開けようとすると、「駄目です! 開けては!」とロレンツが慌てて静止する。


「なんだ? 開けないと何なのかわからな⋯⋯」


 箱の蓋が半分開いた。すると突如、黒い球体から煙のようなものが出始め室内の空気が白くなる。

 

 「団長!! 直ぐに蓋を閉めてくだせぇ! こいつは硫黄の匂い⋯⋯。爆発するやもしれねぇ!」


 クラネスが急いで箱の蓋を閉める中、イサクは執務室の窓を開けて換気を行う。球体から出ていた煙はしばらく箱の中が真っ白になるほど排出されていたが、しばらくすると煙は出なくなった。ロレンツが肩にかけていたバッグから小さい玉をいくつか取り出し机の上に置く。玉は薄っすらと発光し、不思議なことに室内の空気が徐々に綺麗になっていった。


「収まったか⋯⋯爆発もしなさそうだな」


「肝を冷やしやしたよ⋯⋯。おい、ロレンツ!? なんでぇ? この妙ちくりんな玉は?」


「説明が遅れて申し訳ないです。⋯⋯この黒い玉は大気中のエ—テルに触れると、人体に悪影響が出るエ—テルが排出されるみたいです。貧民街スラムの近くにこいつが仕掛けられていて、付近の住民に倦怠感や発熱、嘔吐などの症状が見られました」


 一部症状が違うものの、先ほどイサクが報告した南街区の住民の体調不良も同じような内容だ。聖堂の司祭が従者に街中に細工させた物がこれだとすれば、早く回収しないと被害が際限なく拡大する恐れがある。生誕祭を明日に控えて多くの観光客達もマグノリアに滞在している。もし、街中に仕掛けられたこの黒い玉が一斉に稼働するような事態になれば、街は文字通り大混乱に陥るだろう。


「——あまり時間も無さそうだな。イサク、ロレンツ、お疲れのところ申し訳ないが貴族街の教会に急行するぞ。一刻も早く証拠を抑えねばならん」


 クラネスは椅子から立ち上がると壁に掛けていた細剣を鞘に納め腰のベルトに吊り下げる。二人を連れて、執務室を後にした。グラナからの報告によれば聖女の丘の教会内部に放置されている遺体は、相当腐敗が進んでおり、その汚染エーテルが漏れれば近隣住民の命の危険性もあるようだ。街の治安を守護する市街騎士団の団長としても、見過ごせない事態であることは確かだった。


「イサク、同行出来る団員は何人くらいだ?」


「はっ、東街区、南街区の巡回隊と合わせて二十人ほどになりやす」


 詰所の敷地内では緊急出動の準備が騎士団員の手により急いで行われていた。グラナから指定のあった破城槌を初めとする装備が、次々と輸送用の馬車に載せられていく。ただし馬車で運べるのは林道の手前までの為、教会までは徒歩で運ぶ必要がある。


「しかし、グラナ君の報告内容は改めて読み直すと不可解ですね。エ—テル汚染された死体が教会に放置されているなんて」


「⋯⋯ロレンツが見つけたあの黒い玉と何か関係があるかもしれないな」


 確証はないがクラネスには何か考えがあるようだった。聖堂の司祭はシエラを生誕祭当日までに連れもどせと滅茶苦茶な要求をしてきた。空想元素の回収に七色石のロザリオが必要であるならば、生誕祭当日に奴らが何か企んでいるのは間違いない。


 であれば司祭と聖葬人は裏でおそらく繋がっている。協力関係なのか、お互い利用しているだけなのかは知りようもないが。


「⋯⋯まさか、そういうこと、なのか?」


 聖葬人の目的はこの街のどこかにある空想元素の回収。もし、その期限が生誕祭当日までだったとしたら? それまでにシエラと七色石のロザリオを手中に収めることが出来ないのであれば、奴らが回収を諦める? いや、おそらく代替手段を用意しているはずだ。その代替手段で使われるのが、黒い玉と放置された遺体、正確には人体に有害な汚染エーテルなのかもしれない。

 

 それに仮にも教会の暗部という本来なら人知れず闇で暗躍する者達が、どういうわけか痕跡を残し過ぎている。であるならば、奴らが明日行おうとしていることは……。


「お嬢、何か気付いたので?」


「だから、お嬢は止めろ⋯⋯。とにかく準備を急がせてくれ。——悪い予感がする」


 普段は明るい星空も異様に暗く、マグノリアの街に暗雲が立ち込めつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る