十二話 エーテル汚染

 レンブラント邸を三人で出立した俺達は聖女の丘の麓にある教会を目指していた。話し込んでいた時間が思いのほか長かったのか、歩いているうちに夕暮れ時を迎えた。北に向かう大通りを通る道すがら、市街と同じように生誕祭の準備をしている人達の姿を見てシエラが驚いている。そりゃそうだろう、ここにいるのは殆どが爵位を持つ上流階級。お祭りなどといった庶民の催しの準備をする、貴族を見る機会なんて今まで無かったに違いない。


「貴族の方々もお祭りの準備をされるんですね?」


「マグノリアの生誕祭は街の皆で聖女の生誕をお祝いするお祭りだ。聖地グリグエルじゃ違ったのか?」


「⋯⋯ええ、どちらかというと厳かな祭事でした」


 意外な話だ。精霊教会の聖地での生誕祭の扱いがそんなものだったなんて。俺がどう答えるべきか迷っていると、前を歩いていたソシエがくるりと振り向いた。


「聖女の伝承にこのような一節がありますわ。聖女は貧しいもの富めるものを問わず真摯に人々に尽くしたと。聖女が天に召された後も、その崇高な精神はマグノリアの街に息づき芽吹きました。この貴族街も生誕祭の期間中は一般開放されますのよ」


「流石は聖女様が生誕された街ですね。⋯⋯私も出来ればマグノリアに生まれ育ちたかったです」


「嬉しいこと言ってくれるじゃないか? なぁ、ソシエ」


「ええ! この一件が無事解決されたら、是非当家に滞在してくださいな。マグノリアを隅々までご案内いたしますわ」


「あはは⋯⋯。お気持ちだけ、ありがたく頂きますね」


 ソシエの提案をシエラはやんわりと断る。魅力的な提案だろうけど、まずはシエラの身の安全を確保してからだ。その為には何としても聖葬人をとっ捕まえて、司祭の企みも暴かないと。


 三人で大通りを北に向かって歩いていく。広大な土地に建てられた貴族の屋敷をいくつも通り過ぎると、やがて石畳で舗装された道が途切れその先は林道となっていた。

 木々が生い茂る林道をしばらく歩くと、前方に百段はあるであろう緩やかな石の階段が見えてくる。しばらく無言で階段を登ると、尖塔が特徴的な二階建ての教会が目の前に姿を現した。

 階段を登りきり後ろを振り返る。先ほどまで歩いていた林道は夕日を浴びて黄金色を纏い、夜の訪れを拒んでいるようにも見えた。


「良い眺めでしょう? わたくしのお気に入りの場所ですのよ」


 遅れて階段を登ってきたソシエが俺の隣に立つ。彼女のブロンドの髪が風でなびいていた。



「わぁー⋯⋯。森が夕日を浴びて黄金色に輝いてます!」


「本当だ。俺も初めて見たな、綺麗な景色だ」


 眼下に広がる新緑と夕日の美しい景色を眺めて素直にそう思った。おっといつまでも景色を眺めているわけにも行かない。


 後ろを振り返ると両開きの濃い茶色で色付けされた扉の上に、教会のシンボルである四柱の精霊をかたどったレリ—フが飾られているのが見てとれた。教会は丘の中腹に建てられていることもあり、街の各所に建っている教会と比べるとこじんまりとしている。


「ここが貴族街の教会か。意外と小さいな? 故郷にあった教会と同じくらいだ」


「聖女がこの丘で精霊から啓示を受けたことがきっかけで、建てられたとお爺様から聞いたことがありますわ。教会と聖女の結びつきを確固たるものにするために、この地に作られたとも解釈できますけどね」


 なるほど、そういう考え方も有りだな。外観から見る限り、出入り口は目の前にある両開きの扉だけだ。俺は教会の扉に近づき取っ手を掴むと思い切り引くが、内側からかんぬきがかけられているのかびくともしなかった。


「完全に閉じられてるな。ここの鍵はだれが管理してるんだ?」


「神父様と、聖堂の司祭ですわ。ただ内側から閂がかけられてますから、扉を壊さない限り入ることは出来ないと思いますけど……」


「貴族街から離れてはいますけど、お祈りで訪れる人達だっていたはずです。一方的に封鎖されるなんてあり得ないです⋯⋯」


 教会の見習いシスターであるシエラがそう断言するくらいだから、確かに異常なことなのだろう。ここ数日は神父の姿は見ていないということだから、現在この教会の鍵を持ってるのは聖堂の司祭だけ。——ますます怪しい。それと、この扉の周囲。つい最近まで嫌というほど嗅いだ匂いがする。


「なぁ、ソシエ。この匂い神父を訪ねてきた時も漂っていたか?」


「匂いですか? ⋯⋯いえ、でもこの匂いどこかで嗅いだことがあるような?」


 この街に住んでいるなら誰もが一度は嗅いだことがあるであろう、この清涼感がある匂いは、紛れもなくテロルの花から作られた香油の匂いだ。


「思い出しましたわ。この匂いです、聖堂の従者から香っていたのは」


「これ⋯⋯テロルの花の香油の匂いですね。でも、何でこんなところで?」


 教会関係者だけあって嗅ぎ慣れた匂いにシエラも気づいたようだ。よくよく見れば扉に何か液体をぶっかけたような跡も見られる。扉に触れると手が油でベタついた。


 消臭作用のある香油を扉にぶっかける理由、内部に外に出したくない匂いの元がある——ということだろうか? クラネス経由で俺に届けられた聖堂からの香油の発注書。それは普段から聖堂で備蓄している分まで使い切った為、急遽必要になったと考えると辻褄が合いそうだ。

 

 俺はベルトにぶら下げた革製の籠手入れから、可動式籠手を取り出し左手に装着する。教会の扉に左手を添えて、内部のエーテルの流れを感じ取る。締め切られていて空気の流れが無いから把握しづらいが、微かに人の形をした塊のような澱んだエーテルの気配を複数察知した。


 これは⋯⋯汚染されたエーテルか? それに人の形ということは⋯⋯。


「教会の中に⋯⋯遺体が放置されてるんでしょうか?」


「——分かるのか? シエラ?」


「ロザリオが教えてくれるんです。よくないエーテルの気配を」


 シエラは胸元から取り出したロザリオを握り締め両目を閉じている。七色石のロザリオの力を引き出せるくらいだ。おそらくシエラのエーテル感知能力は相当高いはず。——連換術を行使することだって、可能かもしれない。


 それはともかく、教会内部にあるこの汚染されたエーテルは司祭の悪事のまたとない証拠かもしれない。俺はそれを確かめるべく連換玉に意識を集中した。


「元素収束」


 塊のようなエーテルに狙いを定めて、連換玉でエーテルを取り込む。イメージとしては扉の隙間から細い糸のようなものを送り込んで、針で引っ掛ける魚釣りに近い。


「なんですの、この禍々しい赤い煙!?」


「これは⋯⋯濃縮された『生命エーテル』です。でも、こんなになるまで放置されるなんてあり得ない——」


 扉の隙間から赤黒いエーテルが可動式籠手の連換玉に取り込まれていく。この濃度は流石に全ては取り込めない。下手すれば俺の体内の『生命エーテル』が汚染される危険もある。収束を中止し急いで扉から離れた。周囲の風の元素をありったけ取り込んで、風の元素で赤黒いエーテルをろ過して、エーテルの汚染を取り除いた後、風と共に空へ解放する。


 この一連の流れは『エーテル浄化』と呼ばれ、連換術師でなければ行えない仕事の一つ。シエラが言った通り人体に害を与えるまで濃縮されたエーテルは、本来であればあり得ないこと。本来であれば、こうなる前に遺体は清められて火葬されるからだ。


 呼吸で酸素と一緒に体内に取り込まれたエーテルは、体内を循環して二酸化炭素と一緒に排出される仕組みだ。生物の体内に取り込まれたエーテルは便宜上『生命エーテル』と呼ばれ、これが生物の死後、そのまま体内に放置されると肉体の腐敗と共に強い毒性を持つようになる。


 これがエーテルが汚染されるまでの過程であり、『浄化』はこの汚染されたエーテルを元素の力で清めることだ。


「ぐっ⋯⋯。流石に今のは危なかった」


 新鮮な空気とエーテルを充分に深呼吸した後、左手の連換玉を確認する。透き通る緑色をしていたそれは、深い真紅に変色していた。これは連換玉の特徴の一つであり、濃度が濃いエーテルを取り込んだ連換玉は例外無く真紅に染まる。


「大丈夫ですの!?」


「グラナ!? 無事ですか!?」


 心配したソシエとシエラが俺に駆け寄って来る。そして左手の変色した連換玉を直視した彼女達は、声にならない悲鳴をあげる。


「なんですの、その連換玉の色は? まるで、血液が固まったような⋯⋯」


「おぞましいエーテル濃度です⋯⋯。あの聖葬人が発していた赤黒いエーテルみたい⋯⋯」


「ああ。この教会の中、よっぽど見られたくないみたいだな」


 宵闇に覆われつつある教会の扉はまるで何かを見せまいと意志を持ち、立ち塞がっているような錯覚まで与えているかのようだった。間違いなく、この内部には人には見せられない何かがある。おそらく公になれば教会の権威だけでなく、何もかもを全て台無しにするくらいの致命的な何かが。


 そして、もう一つ。


 俺は教会の裏手に回ると、再び感覚を研ぎ澄ましエ—テルの流れを知覚する。教会内部のエ—テルの流れを探ったときに、二階建てであるはずの教会の地下から不自然なエ—テルの流れを感じたからだ。感覚を研ぎ澄まさせたまま、エ—テルの流れを頼りに周囲を見回す。すると一箇所、地下からエ—テルが地上に向かって吹き出している地点があった。


「また随分と分かりやすい目印だな」


 地面を覆うように木箱が置いてある。木箱を持ち上げ、不自然に盛られている草と土を丁寧に取り除いた。


「何か見つけたのですか?」


「見てみろ、シエラ。⋯⋯地下への入り口だ」


 シエラとソシエの前で俺は扉の取っ手を掴み勢いよく開く。湿った空気の匂いと共に地下へと繋がる階段がそこにあった。


「教会の裏手に隠し階段ですか。聖堂はよっぽど隠し事が好きですのね⋯⋯」


「同感だ。だけど、ロザリオが示していた場所はここを降りた先のようだな」


「そうだと思います。この階段の下から禍々しいエーテルの気配を感じますから⋯⋯」


 貴族街に入る前にロザリオの光が指した方角、レンブラント邸で確認した貴族街の地図を立体にイメ—ジして重ね合わせる。貴族街の門から真っ直ぐ北に伸びたロザリオの光は、教会の地下を明確に指し示していた。


「行きますのね?」


 ソシエの心配するような声に、無言で頷いた。地下へと続く階段は想定以上に深く、日が完全に暮れたこともあって、一度入れば二度と出てこられないようなそんな感覚さえする。


「ああ、この先に恐らく聖葬人がいるはずだ。ソシエ、騎士団詰所に電信機で連絡頼めるか?」


「ええ、それは構いませんが。クラネス様宛ですか?」


「ああ、内容は」


『聖女ノ丘ノ教会二死体ガ複数放置サレテイル可能性アリ。エ—テル汚染ノ危険性ガアルタメ直チ二市街騎士団ノ出動ヲ要請スル。ナオ教会ノ扉ハ内側カラ閂ガカケラレテイルタメ、破壊スルタメノ破城槌ガ必要。グラナ・ヴィエンデ ヨリ報告ス』


 俺はクラネスに伝える内容をソシエに余さず伝える。これがうまくいけば市街騎士団が聖堂の司祭を捕縛する口実にもなるかもしれない。そうなれば、こちらは聖葬人追跡に集中できる。


「⋯⋯気をつけてくださいね、二人共」


 ソシエの碧玉のような青い瞳が真っ直ぐ俺達を見つめている。俺とシエラは心配するソシエに大丈夫と伝わるよう力強く頷いた。


「さっさと片付けて戻ってくるさ。クラネスへの連絡任せた」


「これ以上、聖葬人に好き勝手はさせません。必ず無事に戻って来ます!!」


 ソシエに見送られながら、俺とシエラは地の底まで続くような地下へと繋がる階段を慎重に降りて行く。薄暗い下り階段を照らす七色石のロザリオはより一層、七色の輝きを強めているようにも思えた。

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