九話 マグノリア北街区

 午後を迎えたマグノリアは明日に控えた生誕祭の準備が急いで進められている。様々な出店や屋台の準備をする人達で賑わい、背の高い建物と建物の間には色取りどりの横断幕がかけられていた。その様子を歩きながら興味深そうにシエラが視線をキョロキョロ動かしている。


「人がたくさんいますね?」


「明日から生誕祭だからな。シエラはマグノリアに来るのは初めてか?」


 俺の質問にシエラはコクンと頷きだけ返す。そういえば朝からの一連のゴタゴタですっかり忘れていたが、シエラとこうして二人きりでゆっくり話すのはこれが初めてだ。

 分かっていることといえば精霊教会の見習いシスターであること、ビスガンド公爵閣下の姪であること、聖女の聖遺物である七色石のロザリオを持っていること。——聖葬人せいそうにんと因縁があることくらいか。

 

 前を行くシエラの服装はルーゼから借りたもの。薄いブルーの長袖ブラウスに、紺色のロングスカート、足首まで覆うしっかりとしたブーツを履いている。エプロンでも付けて腕に花が詰まった籠でも下げれば、お花屋さんで働いてそうな格好だ。


 目立つ特徴的な銀髪だけは隠しようが無いが、これだけ沢山の人が往来を歩いているなら、下手に帽子とか被るよりかはいいかも知れない。


(グラナ⋯⋯あそこ見てください)

 

(うん? ——ああ、あれがマーサさんが言ってた⋯⋯)


 道行く人々に混じって教会の黒い聖職者の衣装を着た男達が、建物の影に身を潜めるように何か細工している。シエラと二人で物陰から見張っていると、そそくさと二人の男が立ち去って行った。どうやらあれが、最近街で暗躍している司祭の従者らしい。


 騎士団詰所から出発する前にマーサさんから聞いた情報の一つ。聖堂の司祭が生誕祭の準備にかこつけて従者に何か命じているらしい。どうやらあのおばさんシスター、裏で公爵閣下と繋がってたのもあって相当な事情通のようだ。クラネスからも出来れば司祭が何を企んでいるのか証拠が欲しいと言われている。俺達は従者が細工していた地点に立ち寄ると、注意深く周囲を見回した。


「あれ? これはなんでしょう?」


「黒い卵⋯⋯に見えるな」


 シエラが拾った黒くて丸い物体は楕円形の形をしている。形状的には連換玉に似ているような気がしないでも無いけど、用途が不明だ。これと同じものを街中に仕掛けてるということだろうか? 一応回収しておくか。俺はベルトのポーチから透明なガラスケースのような物を取り出した。


「グラナ? それはなんですか?」


「エーテル遮断容器だ。このケースは中に入れた物体とエーテルの接触を断つ構造になってる」


 マグノリア支部に所属していた知り合いの研究者が開発した画期的な発明品だ。製法が相当特殊なようで、量産化は難しいと本人がぼやいていた代物。今のところこの黒い玉がエーテルを取り込んだりしている様子は見られないが念の為。


 さて、だいぶ回り道になってしまったな。そろそろ、貴族街に向かうとしよう。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「そういえば、シエラは今までどこで暮らしていたんだ?」

 

 北街区へと向かう通りに戻った俺達は雑談しながらのんびり歩いていた。

 目覚めた直後は血色があまり良くなかったシエラの顔も、だいぶ赤みが戻って来ている。出かける前にルーゼが作って持って来てくれた昼食をしっかり食べていたし、体調も今のところは問題無さそうだ。

 

「帝国北部の山間にある人里から離れた小さな村です。そこにある小さな教会で暮らしていました」


「また、随分と辺鄙へんぴな場所だな⋯⋯」


 咄嗟とっさにエレニウム帝国の地図を頭に思い浮かべるが、何せ帝国は広い。いくつか目星がつきそうな地点はあるが情報がこれだけでは分かりようがない。


「自然以外、何も無い村でしたからね。幼い頃から村の裏山でよく遊んでましたよ」


 なるほど、野山を遊び場にしていたおかげで体力はあるらしい。この華奢な外見からはとてもそうは見えないが。


「その山間の村からマグノリアまで連れて来られたのか?」


「いえ、連れて来られたのは聖地グリグエルからです。十歳の時に村から聖地の大聖堂に移りました。ちょうど五年前ですね」


 五年前、その言葉に俺はこの街に来る事になったきっかけであるあの日のことを思い出す。異端狩りという理不尽な粛清により、地図から消された故郷のミルツァ村。逃げ惑う村人達に無慈悲な刃を振り下ろし、村に火を放ったまるで悪魔のような所業。あの惨劇がなぜ起きたのか? 市街騎士団に入った後、様々な記録を漁ってはみたが、故郷の村を精霊教会がなぜ異端と認定したのか結局分からずじまいだった。


「グラナ? どうしたのです? 怖い顔して」


 いつのまにか表情が強張っていたらしい。心配そうに俺の顔を覗き込んでいたシエラになんでもない、と安心させるように笑みを浮かべる。そんなたわいも無い話をしているうちに、前方に北街区と貴族街を区切る大きな門が見えてきた。


「ロザリオの反応はこの奥からだったな」


「ええ、この門の向こう側から反応がありますね」


 シエラはロザリオを取り出しその光が指す方向を確認する。この人混みの中ロザリオに視線を向けてくる人はいたが、特に注目されることも無かった。どうやら珍しいお土産か何かと思われているらしい。


「そのロザリオ、人前であまり出すなよ。この時期はスリも多いからな」


 俺はさりげなくシエラに注意を促す。普段は治安の良いこの街も、生誕祭の時期は人の出入りも多くなるため、観光客を狙ったスリや詐欺事件が発生しやすい。騎士団時代のこの時期の見回りは、今思い返してもろくな記憶がないことに今更になって気づく。


「分かりました。しっかり仕舞います⋯⋯え?」


 シエラが七色に光るロザリオを胸元に戻そうとした瞬間。それはいつの間にか彼女の手から奪われた。やられた⋯⋯。まさか、目の前で堂々とスリを働くとは⋯⋯。


「だ、だめー!? それ大切な物なんです!! 返してください!!」


「シエラ!? 見かけによらず足速いな⋯⋯」


 スリと思しき野郎が走り去っていく方角は北街区にある商店が軒を連ねる通りだ。中には盗品を扱う店だってある。ただでさえ年季の入ったロザリオだ。売られたが最後、買い戻せないくらいの額に釣り上げられてもおかしく無い。


 スリを追いかけていくシエラを追って、人混みをかき分けて俺もひた走る。

 やれやれ、今日は本当に厄日だ——と思いながら。

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