三十八話 協会長代理

 三階の協会長代理の部屋の前に来た俺達は、思わず扉越しでも分かる酒臭い匂いに顔を顰めた。どうやら、真昼間からお酒が飲めるいいご身分の者のようだ。部屋のドアの脇にはいくつもの空のワインボトルが並べてあるし、自分でゴミくらい捨てに行けないのだろうか?


「開けていいのか? この部屋」


「引きこもりのおじさんの部屋なんて入りたくも無いけどね⋯⋯。扉越しからじゃ埒が開かないのは確かだから、強引に押し入ろうか」


 さっきアルは代理と話したようなことを言っていたが、直接会った訳では無いのか。

 俺はドアの取手を握り開けようとするが、やはりというか鍵がかかっている。ここは蹴りあけてでも中に入るべきか?


「ミシェル。ドアの弁償に目を瞑ってくれるなら、すぐにでも開けるけど?」


「建物の一部だから本来なら始末書もの何だけどね⋯⋯。分かった、任せたよアクエス」


 ミシェルさんから許可? を得たアクエスが右腕のブレスレットに嵌めた青色の連換玉に意識を集中する。水の連換術で鍵を開けるつもりらしい。


「元素⋯⋯同位」


 青色の連換玉に水の元素と火属性のエーテルを取り込んでる。なぜ火なのだろう? 水圧で鍵を壊すなら単純に威力を強化する水属性のエーテルが最適だと思うが。


「元素⋯⋯結合」


 連換玉から一見普通の水が連換されて、鍵穴に吸い込まれていく。一体何をしたんだ?


「これで鍵が?」


「水素脆化。金属に水素を吸収させて強度を落としただけ。——ん。もういいよ、ドア開くはず」


 半信半疑でドアの取手を掴みゆっくりと回す。やや、硬い何かがバキッと折れる音がした後、ドアが開く。水で金属を腐食させたのだろうか? 代理の部屋に踏み込むと、締め切った部屋の中で更に熟成されたような酒臭さが、否応なしに鼻を抑えることを強要してくる。


 ようやくご対面した代理の正体はまさかの人物だった。


「ヒック⋯⋯。な、なんだ!? お前達⋯⋯、勝手に人の部屋に入ってきおって!?」


「お前は⋯⋯、聖堂の司祭??」

 

 どういうことだ?? なんで聖堂の司祭が連換術協会本部に、それも協会長の代理なんて役職に就いている?? 驚く俺に視線を移し、やや気まずい顔をしたミシェルさんが口を開いた。


「あの事件の当事者たる君なら説明は不要だろう。精霊教会マグノリア聖堂の元司祭、グレゴリオ・ジェルマン殿だ。彼と協会長は遠縁にあたる親戚のようでね。保釈されたとはいえ、行き場の無い彼を協会長が引き取ったんだ」


 ⋯⋯意味が分からない。何故、あんな非道なことをしでかした上に、シエラを間接的にとはいえ危険にも晒したコイツがここにいる?


「——君の怒りも最もだ。ただ、これは高度な司法取引という奴でね。あのまま教会に彼の身柄を引き渡せば口封じされるのは目に見えていた。⋯⋯エーテル変質事件には分かっていないことも多い。マグノリア支部の閉鎖を派手に訴えていた、司祭の裏にいる黒幕の姿。グラナも知りたいだろう?」


 鼻を抑えながら部屋に入ってきたアルが、窓を開けて部屋の空気を換気する。幾分涼しい風が吹いてきて、酒気が少し和らいだような気がした。つまり、元司祭は連換術協会が抑えたあの事件の証人⋯⋯ということのようだ。


「フン⋯⋯。ああ、そうだ。惨めにもあのババァに命を救われたしがない聖職者だよ、今の私は。いや、もはや聖職者ですらも無いか——。それで、何もかも失った私に何の用だね?」


「先ほども扉越しにお話しさせていただきましたが、一時的に連換術協会をラサスム王家預かりとさせていただきたい。聖女の子孫であるシエラ嬢が連れ去られたことを口実に、教会が連換術協会を牛耳ろうとしているのでね」


「教会が協会を? ——くくっ。はっ! 結構では無いか? 連換術とは元々異端の術。精霊の庇護に逆らう邪教徒共が帝国に持ち込んだもの。そんな恐れ大いものを扱う者共の巣窟を、教会自らが管理しようとすることに、何故、違を唱える必要がある!?」


 全く取り合うつもりの無いグレゴリオは、嫌味のように聖職者としての正論を述べるとワインボトルを掴み口を付けようとする。——もう、我慢ができなかった。


 酒臭い生臭坊主の手を手刀で思いっきり払う。勢いよく飛んだボトルが床に当たって砕け散り、ワインが赤黒い染みを作った。


「貴様⋯⋯。何のつもりだ?」


「⋯⋯ふざけんじゃねぇよ。手前勝手な教会の理屈と教義で、俺たち連換術師がどれだけ苦労させられてると思ってやがる——」


 飲みすぎて目がとろんとしている元司祭の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。だらしなく伸びた顎髭は、白髪混じりであの事件以降一気に老け込んだようだ。協会長のばあさんが何を考えてコイツを引き取ったかは知らないが、既にこの飲んだくれに帰るべき場所は無い。


 にも関わらず、この態度。マグノリアを人の住めない土地になりかねないことを起こそうとしたコイツに、怒りを抑えることなんて——。


 その時、頭上からキンキンに冷えた冷水がシャワーの如くぶち撒けられた。


「そこまで。喧嘩しに来たんじゃ無いでしょ。それに教会の裏事情を知ってるこのヒゲは、私達にとっても貴重な情報源。うまいこと懐柔しないと」


「アクエス⋯⋯。分かったよ、コイツをぶん殴るのはシエラを取り戻してからだ」


「グラナ⋯⋯。君ねぇ、すぐに暴力に訴えるのは良くないとお兄さん思うなぁ」


 アルが何かボヤいてるが聞かないフリをする。目の前にいるコイツに関しては、何回殴っても殴り足りないが、今は貴重な情報をガンガン吐いてもらおうじゃないか。


 パキポキと拳を鳴らして距離を詰める俺に、本能的に恐怖を感じたらしい元司祭が窓際まで後ずさる。後ろの三人は退路を塞ぐようにドアの前を固めている。つまり逃げ場は無い。


「貴様ら⋯⋯!? そもそも一体何の用だ!?」


「決まってるだろ。知ってること洗いざらい吐きやがれ。特に根元原理主義派アルケーについてだ。——知らないなんて言わせねぇよ? 元司祭」


 凄みを効かせた俺の怒りの形相を至近距離でたっぷりと拝むことになった、元マグノリア聖堂の司祭は声にならない悲鳴をみっともなくあげていた。

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