三十六話 Third day 決意の朝

「う⋯⋯」


 いつの間にか眠っていたようだ。窓辺から日差しが差し込み、寝ぼけていた頭が活性化する。

 あの後のことはほとんど覚えていない。セシルから伝えられたエリル師匠の真実と、俺に無理難題を押し付けてきた枢機卿の話がかろうじて頭に残っているくらいだ。

 

 第七親衛隊の宿舎までどうやって帰って来たのだっけか⋯⋯。


「⋯⋯畜生」


 胸にぽっかり穴が空いてる気がする。あれだけ賑やかで心休まる日々はあの子を、奴らから取り戻さない限り帰っては来ない。とにかく、レイ枢機卿から提示された期限まで後四日。


 それまでに、なんとしてもシエラを奴らから奪還しないと——。


 ベッドから起き上がろうとすると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。どうぞと声をかけるとアクエスがドアを開けてこちらを覗き込んでいる。


「おはよ。思ったより元気そう?」


「——プライドはズタボロだよ。そういえば、ミシェルさんへ報告してくれてありがとな」


「ん、礼を言われるほどでも無い。そうそうミシェルから伝言。別件で私とグラナに頼みたいことがあるとか。シエラの行方を探すので精一杯だろうけど、出来れば本部の方に寄って欲しいだって」


「分かった。——アクエス、あんたはシエラの行方を探すの本当に手伝ってくれるのか?」


 ドアを閉めて立ち去ろうとしたアクエスに俺は問いかける。何せ昨日の記憶が曖昧だ。勢いでそんなことを頼んだような、頼んで無いような⋯⋯。そんな俺の煮え切らない態度を、いつもの何を考えているか分からない無表情で眺めるアクエスはぽつりと告げる。


「とにかく一日の活力を得るのに必要なのは朝ごはん。さっさと起きる、話はそれから」


 なんとも彼女らしい返答に俺は一瞬呆気に取られるが、少なともアクエスが俺を気遣ってくれてるのは確かだ。俺が自由に行動出来る日数は限られている。こんなところで立ち止まってるわけにもいかない。


(少しだけ待っててくれシエラ。必ず——助けるから)


 奴らが皇都で企んでることは分からないが、少なくともシエラに危害が及ぶことは無いはずだ。二ヶ月前のエーテル変質事件のときと違って、奴らがシエラを攫ったという動かせない事実がある。そうでなくてとも、今や帝国中に知れ渡ってる本物の聖女の子孫だ。それがいきなりいなくなったらどうなるか? 奴らもそこまで馬鹿では無いだろう。


 俺は気持ちを入れ替える為に洗面所で顔を洗う。冷たい水が幾分かシャキッとさせてくれたようだ。手速く着替えるとベルトに革製の小手入れを吊り下げて部屋を出る。階下から香ばしい香りが漂って来ていて、自然と足がそちらを向いた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 第七親衛隊宿舎一階に隣接している食堂では、青い制服を着た親衛隊員達が列を作ってトレーの上に乗せられた朝食を受け取っている。親衛隊は他国で言うところのいわば軍のような扱いだ。帝国では未だに貴族制度が色濃く残っているので、軍隊という名では無く、皇帝陛下をお守りする精鋭部隊という側面が強く出ている。


 もちろん有事の際は、それこそ軍隊のように働く人達だ。そんなところに連換術師の俺が同席するのは場違いも甚だしい。目の前で嬉しそうにトレーを受け取っているアクエスは言うまでもなく例外だ。


 食堂の隅の席を確保した俺たちは、向かい合わせに座った。

 今朝のメニューは野菜のスープ、刻んだベーコンととうもろこしのバターソテー、それと丸パンと牛乳だ。昨夜は夕飯も食べずに眠ってしまったせいか、やけにお腹が空いている。


 隣に座ったアクエスのトレーの上には、朝から見てて胃もたれする量がでんと盛られていた。アクエスの食事量は昨日散々見た後だからもう慣れてはしまったが。


「食べないならもらってもいい?」


「どれだけ食べる気だよ⋯⋯。ちゃんと食べるから心配するな」


 未だ食欲が湧かない胃に無理やり栄養を流し込む。食べなきゃ身体は持たない。

 散々凹まされた。枢機卿からは禊を命じられた。アレンさんには合わす顔が無い。

 だから、俺がなんとかしないと⋯⋯。


「——思い詰めた顔で食べたって美味しく無いよ。食事は楽しく、ね」


「え⋯⋯。ああ——」


 なんだろう——アクエスのかける言葉がいつになく優しい。普段は何を考えてるか分からないのに、細やかな気遣いが目に染みる。


「さ、食べて一休みしたら、協会本部に向かうよ。シエラの行方を探すのミシェルも手伝ってくれるらしいから」


「ミシェルさんが? 協会本部も協力してくれるのか?」


「あれだけの逸材、精霊教会にいいように扱われるのは私もしゃく。連換術協会だけじゃない、ビスガンド公爵も全面的にバックアップしてくれるって」


 アレンさんが——シエラの奪還に力を貸してくれるのか?

 知らせは届いてるはずだ⋯⋯。俺があの時、不甲斐なかったから彼女は連れ去られてしまったのに。


「いいかげん自分のせい、自分のせいって考えるの止め。最終的には拐ったやつが一番悪い。もっといえば、そんなになるまでシエラの護衛すらしなかった教会はもっと悪い。もっと肩の力抜いてどっしり構える。——その握り拳は誰の為のもの?」


 ごちそうさまと言ってアクエスが立ち上がる。俺は知らず知らずのうちに固く握りしめていた左拳を開いた。傷痕と豆だらけで決して綺麗とは言えない掌を指の先まで伸ばす。


 アクエスの言う通りだ。この拳は大切な人の為に握るもの。——喝を入れてくれたアクエスに感謝しないと。俺は一気に牛乳を飲み干す。活力は十分だ。必ず助ける——————。俺は椅子から立ち上がり食堂を後にした。

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