三十四話 皇女殿下からの招待

 クラネスから渡されたメモを帝城の門番に見せた俺は、正門では無く勝手口から中に通されていた。外観以上に広大な帝城内部を皇女のお付きである侍女長の女性に案内された先は、皇都が一望出来るバルコニーだ。ちょっとした庭ほどの大きさもある帝城の外周部に作られた憩いの空間。そこにポツンと丸い木製のテーブルと椅子が二つ置いてある。


 二つある椅子の一つに腰掛けているのが、俺をここに呼び寄せた皇女殿下——のようだ。


「セシル様、お客様をお連れいたしました」


「ありがとう。しばらく二人きりになりたいので、席を外してもらえるかしら?」


 侍女長の女性は皇女殿下に一礼するとその場を後にした。こういう場合の作法なんて知らないので、俺がどうすべきか考えあぐねていると、皇女殿下が俺に青玉色の瞳を向けた。


「初めまして。私の名はセシル・フォン・マテリア。このエレニウム帝国を治めるマテリア皇家に連なる者です」


「⋯⋯連換術協会マグノリア支部所属の連換術師、グラナ・ヴィエンデです。この度はお招きいただき誠にありがとうございます。セシル皇女殿下」


 昨日の夜ソシエからみっちり叩き込まれた敬語を、なんとか間違えずに言い終えた俺に皇女殿下が優しく微笑みかけてくる。帝国のみならず諸外国にもその名が轟く本物のやんごとなきお方。

 なぜ、何も接点が無いはずの俺をわざわざ招いたのか。それにどうして、エリル師匠のことを知っているのか正直気になる事ばかりだ。


 俺が手持ちぶさたに立っていると、皇女殿下が立ち上がりもう片方の椅子を引いた。


「とりあえず、お座りになって? 貴方とお会いするのを楽しみにしていたのですから」


「は、はぁ⋯⋯恐縮です」


 なんというか皇都に来てから驚いてばかりだな——。椅子に座り皇女殿下と対面になる。

 私服と思われる流線型のブルーのドレスに、足元は涼しげなサンダルと初夏を迎えた皇都では過ごしやすそうな服装だ。腰まで届くほどの長い髪は、真っ青な空のように見える不思議な色合いをしている。なんだろう? こうして間近でお顔を拝見すると、何処となくエリル師匠に似ているような?


「似ているでしょう? エリル姉様と」


「え? はい、確かに俺の師匠とよく似た顔つきです⋯⋯。え」


 今、殿下は何と言った?? エリル姉様??


「あら? もしかして姉様から何も聞いて無いの?」


「何もなにも、師匠は自身のことは余り語りたがらない方でしたから。あのー、さっきから殿下がおっしゃっている『エリル姉様』とは?」


 失礼に当たらないように俺は言い慣れていない言葉でセシル殿下に問い返す。

 いや、まさか⋯⋯あのガサツで家事は壊滅的な師匠と殿下が姉妹なんてことは——。


「ふぅ⋯⋯。やれやれ、姉様も困った方ですわね。愛弟子になに一つ教えていないだなんて。お察しの通り貴方の師匠、エリル・フォン・マテリアは私のたった一人の姉です。⋯⋯と言っても母親は別なのですが」


「な——」


 なんだと⋯⋯? あの師匠がマテリア皇家の一員? そんなこと一度も話してくれなかったぞ。

 それに、下手したら皇位継承権を持ってたっておかしくない。何で師匠は連換術師なんかやってたんだ??


「セシル殿下⋯⋯。詳しく聞いても良いですか? その、エリル様について⋯⋯」


「ふふっ。言い直さなくても大丈夫です、グラナさん。姉様が貴方の師匠であることは変わりませんから」


 そう言われてもな。まさかそんなに高貴な身分の人から師事を受けていたなんて、後から知ったにしたって恐れ多いよ⋯⋯。それに、セシル殿下もやけに砕けた口調で話すものだから、すっかり調子が狂ってる。そんな俺のしどろもどろとした様子を、クスクスとお上品に笑ってらっしゃるセシル殿下に俺はすっかり毒気を抜かれていた。


「ごめんなさい。あまりにもおかしかったものでつい」


「いえ、こういう場には不慣れでして⋯⋯」


「敬語もいりませんよ。見たところ年齢も近そうですし、私のことも気軽にセシルとお呼びくださいな」


「え。いや、流石にそれは⋯⋯」


「——呼んでくださいな?」


「う⋯⋯。分かりま⋯⋯、分かったよ——セシル。⋯⋯これでいいか?」


「よろしい。それでは、お友達のようにお話しをいたしましょう!」


 何故か上機嫌なセシルに終始ペースを狂わされっぱなしの俺は、ズズッと誤魔化すように出された紅茶を啜る。皇女殿下が嗜まれているものだけあって、豊潤な香りと程良い苦味が何ともお上品だった。




「それで、今日ここに呼ばれたのはエリル師匠について、セシルから伝えたいことがある⋯⋯と聞いたが」


「ええ。——五年前に起きた教会の『異端狩り』。グラナは何処まで知っていますか?」


 本題に入ると、セシルはそれまでのおちゃらけた様子ではなく、皇女としての威厳ですらも感じさせるような顔付きに変わった。ここらへんの切り替えは、マテリア皇家に連なる者として彼女が身に付けたものなのだろう。いずれ、この帝国の皇帝に即位する者としての覚悟のようなものも感じる。


 それはそうと、五年前にミルツァ村を襲った教会の『異端狩り』についてか。

 正直な話、当事者であることを除けば詳しいことはなに一つ分かっていない。

 まず、村が異端と断定された理由が分からない。あの時だって、村から離れて遊びに行った帰りに、炎で村が燃え尽きようとしていたところに偶然居合わせただけだ。


 無我夢中で家代わりだった村で唯一の教会まで走ってその後は⋯⋯。


「⋯⋯無理に思い出さなくても大丈夫です。あの悲劇に関しては教会の暴走を止めることが出来なかった、マテリア皇家にも責任はありますから」


「ありがとう⋯⋯。そう言ってもらえるだけで、少しは亡くなった村の皆も浮かばれると思う」


 今はあの時のことについて振り返ってる場合じゃない。本当は今すぐにでもシエラの行方を突き止めたいけども。せっかく、ある意味謎だったエリル師匠について詳しい人から教えてもらえる機会だ。——ずっと気になっていた。なぜ俺を弟子に取ってくれたのか? と。


「それでセシルは何か知ってるのか? 俺の故郷が異端と断定された理由」


「ある程度までは。五年前、あの村には教会が欲する『精霊の落とし子』と呼ばれる者が二人いたようです」


 精霊の落とし子? 初めて聞く言葉だ。待てよ?? 確か似たようなことを二ヶ月前にジュデールの奴も言ってたな、確か⋯⋯『風の御使みつかい』と。


「⋯⋯もしかして、それは俺のことか?」


「ええ。マグノリアの街を覆い尽くし、変質したエーテルを鎮めた七色の清らかな風。連換術でも不可能なまさに風の精霊の所業。——あれはグラナが起こしたもの⋯⋯なのでしょう?」


「俺一人でやったわけじゃない。シエラと一緒だったから⋯⋯」


「シエラ⋯⋯。アレンの姪っ子さんですね。聖女の子孫——いえエーテル変質事件を機に、民衆の間で聖女の再来と呼ばれるようになってしまった⋯⋯」


 聖女が啓示を受けた丘で俺達が起こした奇跡。確かクラネスの話では噂が広まらないように、厳重な情報統制が行われたという話だったが、瞬く間に帝国全土に広まったようだ。一体何処のどいつが広めたのか、それも謎なのだけども。


 待てよ⋯⋯? セシルは何と言った? 二人?


「なぁセシル? 『精霊の落とし子』は俺含めて二人いたのか?」


「そう聞いてます。姉様はその二人を教会の手から守るために、ミルツァ村に滞在していたそうですわ」


 まさか、エリル師匠が俺のことを知っていたなんて驚きだった。だから、俺を弟子に?

 それにもう一人の『精霊の落とし子』とは誰なんだ?


「教えてくれないか? もう一人の『精霊の落とし子』について」


「それが⋯⋯分からないのです——」


 セシルが戸惑いを隠さず告げる。分からない? どういうことだ?


「確かに姉様はおっしゃっておりました。あの村には『精霊の落とし子』と呼ばれる子供が二人いる——と。けど、それが誰なのかについては教えていただけませんでした。姉様のお母上の家系は代々このエレニウム帝国を陰から支える一族。それは必ずしも日の当たる世では、邪法とされかねない手段でマテリア皇家に助力してきたそうです。教会が欲する『精霊の落とし子』についても情報は早くから掴んではいたのではないか? と」


「⋯⋯なるほど、エリル師匠はだから俺のことを知っていたんだな。よく分かったよ、ありがとうセシル」


 俺のお礼の言葉が不意打ち気味だったのか、セシルが何故か頬を紅潮させている。

 何だろう、この慌てた感じとか本当に師匠とよく似てるな? 


「——コホン。とにかく、私がグラナにお伝えできるのはこれくらいです。そして、これからが本題です」


「本題?」


「ええ。グラナ、貴方はまだ姉様が生きていると信じていますか?」


「⋯⋯当たり前だ。あの師匠が簡単にくたばるなんて、俺は信じちゃいない」


根元原理主義派アルケ—。この名に聞き覚えもありますね?」


「なっ⋯⋯!? セシル、それ誰から!?」


 驚く俺には構わず、セシルは周囲に誰がいないか見回している。お付きの侍女も全員下がらせたのはこの話をするため⋯⋯か?


「十一年前の帝国とラサスムの紛争——。いいえ、もっとそれ以前から教会の威光の影に隠れ帝国で暗躍している秘密結社です。姉様も奴らの尻尾を掴む為に、奔走しておりました」


 エリル師匠も奴らを知ってた?? それに尻尾を掴むために奔走していた??

 全く⋯⋯なんて日だ。シエラが連れ去られただけでなく、これまで俺が遭遇したこと全てに奴らの影があった。この帝国の闇で暗躍する謎の秘密結社。そんなのと知らないうちに関わっていたとは、ぞっとしない話だ——。


 いや⋯⋯待てよ? このタイミングでセシルが奴らの話を持ち出したのは、まさか⋯⋯。


「セシルは——エリル師匠は奴らに捕まってる、と考えているのか?」


「その通りです。グラナの故郷を襲った教会の異端狩りも、おそらく主導していたのはかの秘密結社でしょう。覚えていませんか? 燃え落ちる村で姉様が何をされていたのか?」


「——あの時はほとんど気を失いかけていたけど、はっきり覚えてる。師匠が対峙していたのは燃えかすのような色合いのコートを着た人物。——そいつと戦っていた」


 師匠が連換した風に守られる中、俺は今にも落ちそうな意識を必死に保ちながら、師匠の勇姿を眺めていた。煙と高熱が支配し魂すら燃え焦げそうな中、村の出口に木霊する長刀と師匠が右腕に嵌めた可動式籠手が弾けぶつかり合う音。常人の目では追えない神域の高みで繰り広げられる文字通り次元を超えた戦いを、最後まで見届けることは出来なかった。


「⋯⋯そうでしたか。貴重な証言感謝いたします。あの大火で生き残った村人は殆どおらず、翌年から帝国の地図からもあの村は存在すら抹消されましたから」


「いや、礼を言うのは俺の方だよ。セシル。お陰であの時のことを色々思い出すことが出来た。師匠の行方を掴むためには、根元原理主義派アルケ—に接触する必要があることもな」


「⋯⋯教会としても痛ましい事件であった。まさか、その時の生き残りがこんなところにいたとはな」


 俺とセシルの会話に壮年の男性のような声が割って入る。誰だ? こいつ?


「⋯⋯レイ枢機卿。何用でしょうか? 見ての通り客人をもてなしている最中なのですが?」


 対するセシルは露骨に敵意を隠そうとはしていない。その青玉色の瞳には薄らとだが怒りすら感じる。だが、そんな視線をぶつけられてもなお、枢機卿は慇懃にセシルに一礼をして見せた。随分と神経が太い男⋯⋯らしい。


「いえ、ここに寄ったのは本当に偶然でございますよ。それと、興味深いお話も拝聴させていただきました。それにしても驚きだ。あの時の生き残りが、こうして成長し『マグノリアの英雄』と呼ばれる程の連換術師になったのだからな。これが精霊の思し召しでは無いのなら、君ならどう思うかね?」


 こいつ⋯⋯。喧嘩売ってんのか? ん? レイ枢機卿? 確か地下の遺構に聖騎士達と一緒に現れた教会の従司教が言ってた人物だと?

 俺の驚愕を他所に、奴は口元に微笑を浮かべている。そして、仰々しく庶民の俺に大して、頭を下げて見せる。一体何を考えて——。


「お初にお目にかかる。我が名はレイ・サージェス。精霊教会の最高機関、『失楽園』に所属する枢機卿である。⋯⋯よろしく頼むよ、連換術師グラナ・ヴィエンデ君」

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