三十二話 思い出の中の彼女
一方その頃、シエラを連れ去った黄金の連換術師を追うアクエスは、異様に長い一本道の通路をひたすら駆けていた。元は水が流れる水路だったのか苔が生えている石の床は滑りやすく、とてもではないがこんな悪路を連換術で作り出した馬車で走り去った者の正気を疑う。
(黄金⋯⋯金属属性の連換術師か。あの小男、シエラを連れ去ってどうするつもり?)
アクエスは走りながら思考を巡らすが、ふるふると顔を振って意識を切り替える。今はとにかくあの無茶しかしない師匠の可愛い弟子を、取り戻すのが先。込み入った事情は全て後回し、と。この辺の割り切りの良さは以前は引っ込み思案で、何をするにしてもおどおどとしていた彼女が、自分を変える為に身に付けた処世術だ。
そのきっかけをくれたのは、同じ女性でありながら武術を磨く為に一人で大陸の東の果て、清栄まで武者修行の旅に出た尊敬する連換術師だ。まさか、その後五年も音信が途絶えると思ってもおらず、風の噂で彼女が弟子を取ったと聞いた時は、心の底から羨ましいと思ったものだが。
巡り巡って彼女の弟子とそのまた弟子と出会い、今は彼らの為に奔走している。まだ会って間も無いが、彼が行方不明となった師の面影を求めているのは薄々気付いていた。五年前、彼女が滞在していた村が教会によって異端扱いされ、焼き尽くされたと聞き、心ここにあらずとなったことは、よく覚えている。
何度、協会本部の仕事を放り出して彼女の行方を探そうとしたことか。生死不明と言われても信じられなかった。遺体も遺品も村ごと燃やし尽くされたなんて、信じたくも無かった。
(今はあの人のことを考えている場合じゃ無い。集中しないと)
アクエスは駆ける速度を更に早める。育ての親から教わった棒術と、厳しい修行の末に身についたスタミナは彼女を更なる高みへと押し上げた。更に水の連換術を習得したことで、体内の水分量がどれほどなのかも瞬時に分かるようになり、血流の流れを良くすることで、身体への負担も最小限にしながらの、激しい動作も可能になった。
底無しの体力でほぼ全速力を維持していたアクエスの前方に、気絶した親衛隊員が転々と転がっている。致命傷では無いが、何も外傷が見当たらないのが逆に不気味に思える。
さっきまで追いかけてきたラスルカン教過激派信徒達は、既に制圧済みだがあの生気の無い目はどこかおかしい。まるで痛覚を感じていないようだったし、強力な暗示でもかけられていたのか。そうこうしている内に、ようやく通路の終点が見えて来たようだ。遠くの方から水の流れも感じる。そして、人の話し声も。
「だからビジネス? 何で、この子連れて来たの?」
「何で? と申されましても。こればかりは主からの拝命でございますから、お答えする訳にはいきませんな。ハイ」
「だってさ、どうするの? ヴェンテッラ?」
「——
アクエスは通路の影に身を潜めてそっと聞き耳を立てる。話しているのは先程の小男と、紺碧色の長い髪を三つ編みにした声が高い少年に、漆黒のトレンチコート越しでも分かる艶かしい身体付きと身体のラインが浮き彫りになってる女性だ。何故か顔を隠すように
だが、アクエスは彼女のその怪しい姿より髪の色を見て驚愕した。
(あの髪の毛の先、赤紫色!? 緑の髪も染めたような色合いだけど、どういうこと??)
ごくっ⋯⋯とアクエスは唾を飲み込む。既視感を覚えるバイザーの女性の姿にそんなことはあり得ない——と、必死に自分で言い聞かせるが、あのバイザーを外して髪の色を記憶の通りに塗り替えた姿を想像することが止められない。彼女はまさか行方不明の——?
「おや? どうやら追いつかれたようですね? 一人のようですが?」
「ん? あ、本当だ。おーい。隠れてないで出てきたら? まっ、何も出来ないだろうけど」
「⋯⋯二人共、悠長に構えすぎです。ビジネス、貴方は聖女の娘を主の元まで連れて行きなさい。ヴィルム、貴方は私と追跡者の迎撃です」
「ククッ。そうさせてもらいましょう。何せこの後、商談が控えてましてね。久々の大口取引ですから気分が良いのですよ、ククッ」
しまった⋯⋯と思ったが時は既に遅し。黄金の馬車の御者台に飛び乗ったビジネスは、黄金の馬の手綱を引いて走り去ってしまった。前方から歩いて近づいてくる二人の実力も未知数だが、いつまでもここに隠れているわけにもいかない——。
観念したアクエスは通路の陰から躍り出ると、二人の前に姿を現した。
「あなた達、何者??」
「あれ? 追いかけてきたのはグラナじゃないの? 誰? お姉さん?」
「ヴィルム、貴方も連換術師なら同業者のことくらい調べておきなさい。彼女はA級連換術師アクエス・エストリカ。『
こちらのことが全て相手に筒抜けだったとは思いも寄らないアクエスは、アイマスクの女性と相対して動悸を抑えるのが精一杯だった。その仕草や動作が、思い出の中の彼女と重なる。
「⋯⋯率直に聞く。貴女、エリルさんなの?」
「————」
アクエスの問いにヴェンテッラは答えない。ただ、彼女はクスリ⋯⋯と怪しく笑った。
「ああ、失礼。貴女も彼女と少なからず関わり合いがありましたね?」
「はっきり言ってもらっていい? まどろっこしいのは嫌いなの」
アクエスが煙に巻くことだけは許さない——、という気迫と共に棍を両手で強く握る。
そんな彼女の様子を興味深そうに眺めていたヴェンテッラは、脚に巻いてある銃機のホルスターから、漆黒の可動式籠手をスッと取り出した。
「そうですね。半分は彼女で、もう半分は私——とだけ、今はお答えしておきましょうか」
「ふざけないで! それじゃあ答えになってない!」
「うーん、これ僕は出る幕無さそうだね? ヴェンテッラ、ここは任せたよ。僕もやることあるし」
「まったく⋯⋯いいでしょう。中もそろそろ片付いた頃合い。此度の実験の準備は整いました。
「りょーかいっと。それじゃあ、水の連換術師のお姉さん? またねー」
ヴィルムの首のチョーカーに嵌められている銀色の連換玉が輝いた。彼の姿は流動する水銀に覆われて、いかなる原理かは分からないが身を消した。
「さて、別に貴女と戦う必要は無いのですが?」
「そっちには無くても、こっちには大有り。シエラを何処に連れて行ったの? それにさっきから貴女達が話してる『
「⋯⋯質問が多すぎますね。全てに答える義理もありません、どうせここで死ぬ相手に話したところで無駄なだけです」
「——上等」
お喋りはここまでと言わんばかりに、ヴェンテッラは漆黒の可動式籠手を右腕に装着した。
グラナが連換術を行使するときに嵌めているものと、同じような形状の籠手を見て、アクエスは気を引き締め直す。
見ただけで分かる迂闊に踏み込めない自然な構え。おそらく彼女はグラナ以上の東方体術の使い手⋯⋯。棍を握る両手がじっとりと嫌な汗をかいている。
じりじりとお互いの間合いを探り合う中、天井から染み出した水滴がぽたっ⋯⋯と地面に落ちて音を立てた。
「——シッ」
(速っ!?)
目でも追うのがやっとな踏み込みでヴェンテッラがアクエスの両目を潰すべく、指を顔に向かって突き立ててくる。目潰しなどでは無く、完全に目を潰す目的で放たれた一撃をアクエスはギリギリで棍の持ち手で受け止めた。
「良い反応速度です。——では、これはどうでしょう?」
続けてヴェンテッラが片足を上げて、蹴りを幾重も重ねてきた。蹴打とでも呼ぶべきそれは、必死に攻撃をいなすアクエスの体幹を揺さぶり続ける。最後に脚をぐっと撓めると、筋肉をバネにした強烈な一撃が棍もろともアクエスを蹴り飛ばした。
(ぐぐぐっ⋯⋯。なんて重い衝撃⋯⋯)
「防戦一方、両手に持つ棍は飾りですか?」
「⋯⋯そうでも無い」
アクエスは体勢を立て直すと、ぷっ⋯⋯と切れた口の中の血液を地面に吐き捨てる。
そしてスッと棍を銀のアイマスクに向けた。
「何を?」
「水の連換術で金属の構成をいじらせて貰った。気泡を多く増やしといたから、後一撃叩き込めばそれ割れるはず」
アクエスの言う通り、ピシッという音と共にヴェンテッラの目元を覆うアイマスクにヒビが入っている。ニヤリ⋯⋯と一矢報いたことで余裕が生まれたアクエスに、ヴェンテッラは初めて苛立ちを見せた。
「⋯⋯よくも、主より賜った仮面に傷を」
「大切なものなら、ちゃんと仕舞っとけば? その素顔、暴かせてもらう」
睨み合う両者はどちらからとも無く駆け出して、己の最も得意とする攻撃を繰り出し合う。
女同士の譲れぬ戦いは、静かに激化の様相を見せるのであった。
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