二十五話 忌むべき風

「はっ⋯⋯」


「師匠⋯⋯!? 良かった⋯⋯目を覚ました⋯⋯」


 突如意識が覚醒し目を開く。覆いかぶさるように泣きじゃくるシエラの大粒の涙が俺の頬にぽたりと落ちた。ここは、何処だっけ?? 俺は一体なんで床に寝かされている⋯⋯?


「⋯⋯戻ってこれたかい。その様子だとジンの意識に触れたようだね?」


 真っ白なチャドルを羽織った祈祷師のおばさんが額から汗を流して、息も絶えだえに俺に声を掛ける。そうか⋯⋯、思い出した。俺は自身に取り憑いている精霊を見てもらいに、ラスルカン教のモスクに来てそれから⋯⋯。


「まだ、動かないほうが良いよ。相当深く精霊の意識と同調してたようだからね。

 それにしても、祈祷師様? グラナに取り憑いてる精霊の正体は⋯⋯?」


「申し訳無いね。対話を拒否された以上、私にあのジンを知る術は無いよ。ジンの中でも高位な位に位置する者⋯⋯としか分からないね」


「厄介事を引き寄せるのに高位の精霊? そんな精霊、本当にいるの??」


「師匠⋯⋯、何か精霊と言葉を交わしたこととか覚えていますか?」


 その場に居並ぶアル、アクエス、シエラの心配そうな表情に申し訳なさを感じつつ、俺はあの空間での精霊とのやり取りを思い返す。確かあのクソ生意気な精霊は何と言っていた? 


「思い出した⋯⋯。あいつ『風の精霊ウイレム』とか名乗ってたな」


「風⋯⋯のジンか。確かにそいつは厄介だね」


 祈祷師はふーむと頷くと、すっと天井を指差す。眠る前も見た精霊天上図だ。西から風をもたらす荒々しい男の姿をした精霊の絵が視覚に飛び込んでくる。あれが⋯⋯風の精霊なのか??


「風の捉え方は帝国とラサスムでは全く異なる。こちらでは恵をもたらすものとして、精霊教会が崇めているらしいけど、ラサスムでは風とは忌むべきもの。⋯⋯砂漠に生きる者にとってはね」


「風が忌むべきもの⋯⋯ですか??」


 天上図を見上げながらシエラが祈祷師の言葉に小首を傾げる。俺だって信じがたい話だ。風は幼い頃からの友達だったし、連換術の属性が風だったのも当然⋯⋯としか思えなかったから。


「そうさ⋯⋯。強く吹けば熱波を起こし、渦を巻けば砂嵐となる。砂漠に生きる生命、全てにとっての厄災さ」


 祈祷師のおばさんとアルは目を閉じ⋯⋯静かに黙祷しているようにも見えた。

 そこには俺達⋯⋯帝国の人間が軽々しく踏み込めない、隔たりのようなものすら感じられる。

 世界を形成する元素を扱う連換術師だからこそ忘れがちになる視点。それは、自然は必ずしも生物の味方では無い⋯⋯ということ。


「それで祈祷師のおばちゃん? 風のジンはどうするの?」


「見たところ、そこまで害意がある者でも無さそうだよ。何か目的を持ってこのお兄さんに取り憑いている⋯⋯そんな気がするね」


「えーと⋯⋯結局、お祓いは出来なかった、ということ何でしょうか?」


「⋯⋯そういうことじゃないか? やっと、この厄介事体質から解放されると思ったのに」


 これでこの体質とは一生のお付き合いだ。

 でも⋯⋯何故、風の精霊が俺に取り憑いてる?


「お兄さん、オンスルなんだってね?」


「は?? お、おんする??」


「ラサスムの方で使われてる言葉で『元素術師』のことさ。連換術師という名称は帝国独自のものだからね。ラサスムにもあるんだよ、連換術に似たような術が」


 俺の疑問にアルが補足する。

 そういえばエリル師匠からも、以前聞いたことがあるような⋯⋯。

 ラサスムに伝わるという、精霊と交信して元素の力を行使する術が。


「それで、おばちゃん? グラナに憑いてる精霊の正体はなんなの?」


「確証は無いよ⋯⋯。ただ敢えてこれだと言うのであれば、⋯⋯聖女様と共に在ったとされる、『風のジン』かもしれないね。名前すらも伝わっていない⋯⋯ね」


 最早、話にさっぱりついていけない俺は、ぼーっと動かない思考を高速で回転させる。俺に憑いてる精霊を聖女が従えていた⋯⋯だって??


 そういえばあいつはこうも言っていた。懐かしい気配がするって⋯⋯。


「祈祷師様。あんたの言葉⋯⋯信じていいんだな?」


「ジンが関わることに嘘は無いさ」


「シエラ⋯⋯七色石のロザリオ、出して貰えるか?」


「え? ロザリオをですか? いったいなんで⋯⋯」


「精霊と同調しているときに奴はこう言った。懐かしい気配がすると。もしかしたら、そのロザリオのことを言ったのかも知れない」


「精霊が⋯⋯そんなことを?」


 シエラが胸元から恐る恐る七色石のロザリオを取り出す。普段は象牙にも似た灰色をしているそれは、やはり七色に光輝いている。

 マグノリアの地下礼拝堂、そこに飾られていた八枚目の壁画を発見した時のように。


「その石は⋯⋯?」


「これが七色石⋯⋯綺麗なものだね」


 初めて見るアクエスと少なからず、聖女に関する知識を持っているだろうと思われるアルは、実在した七色石の輝きに目を眩しそうにチカチカとさせる。


「これを使って、もう一回俺の中の精霊と同調させて欲しい。あいつには聞かなきゃいけないことがある」


 ミルツァ村が業火で焼かれた日。俺はエリル師匠の連換した風に守られた。でも、それだけじゃどうしたって俺が生き残ったことの辻褄が合わない。


 あの燃えるような焦熱地獄の中、守ってくれたのは⋯⋯。


「お取り込み中、失礼します!! 若!! 貧民街にて動きがあった模様です」


 四柱の間の両開きのドアが乱暴に開け放たれ、息を切らすようにアルの従者である屈強な大男、ジャイルが飛び込んで来た。

 そのまま、アルの耳元で何かを報告しているようだ。


「悪いけどお祓いはこれまで。それじゃ殴られた分、しっかり働いてもらうよ?」


 ジャイルの報告を聞き、引き締めた表情に切り替えたアルは告げる。アルハンブラという道楽息子の振りをしている顔では無く、サイード王家のカマル王子として。


「⋯⋯見つかったんだな? ラスルカン教過激派の拠点が」


「その通りさ。ジャイル君、案内してくれたまえ」


「はっ!! 若、御一同方、こちらです」


 こうしてお祓いは中止となり俺達は本来の目的である、ラスルカン教過激派の拠点調査の為、北地区の更に奥にある皇都貧民街へと向かうのであった。

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