二十六話 連換触媒

 アルの従者である大男ジャイルに案内された俺達は皇都貧民街に足を踏み入れていた。

 上層の煌びやかな光景は皇都が見せる一側面。帝国五大都市が抱える貧富の差という問題はこの皇都においても例外ではなかった。下層に作られた貧民街は悪臭が酷く、とてもでは無いが人が暮らせるような環境ではない。

 ヘドロで濁った水路は上層から垂れ流された汚水であり、このまま下水道へと流れていく。

 そして僅かに日の当たる広場に家々が密集し、空気の流れも悪い。勿論、エーテルが淀んでいるのも感覚で分かった。


「こういう光景はいつ見てもキッツイね⋯⋯」


「ラサスムの王族のお前からそんな言葉が聞けるなんて意外だな?」


「王家に産まれたからといって汚いものと無縁というわけじゃないさ。むしろ、綺麗なものより汚いものを見る機会の方が多かったよ」


 アルは目の前の光景を何処か懐かしいものでも見るように目を細める。これほど絵に描いたような王子様と、みすぼらしい貧民街にどのような繋がりがあるのだろう? 詳しく聞いたところではぐらかされるのが落ちだろうし、今はそれを聞くべき時でも無い。


「それで、ジャイルさん? 過激派の拠点というのはあの中にあるのですか?」


「いえ、貧民街の中ではございません、シエラ様。あちらの奥にある下水道とのことです」


「⋯⋯ん、確かに臭い。匂う」


 アクエスが鼻を摘んでさも嫌そうに下水道のほうを涙目で眺めている。近くの水路の汚水の悪臭も相当なものだが、それが流れ着く下水道の入り口の比では無い。

 このまま突入すれば間違いなく鼻がやられるのは間違いない。かといって今から防毒マスクのようなものを準備する時間も惜しい。


「あの、この匂いは連換術でどうにかならないのですか?」


「確かに⋯⋯僕らが移動する周囲だけでもこの悪臭が消臭出来れば助かるけど、そんなこと出来るのかい?」


 シエラの提案にアルが疑問を投げかけるが、俺の風の連換術ではまぁ難しいだろうな。

 浄化の力を込めた風はあくまで汚染された濃度の濃いエーテルを浄化は出来ても、匂いだけは打ち消せない。風は匂いを洗い流すことには向いてないのだ。俺がどうすればいいか考え込んでいると、不意に後ろから肩を叩かれる。振り向くとアクエスが珍しくニヤッと笑っていた。


「なんだよアクエス? ⋯⋯その気味が悪い笑いは?」


「ん、いいこと思いついた。グラナ、協力してくれる?」


「いいこと?」


「そ、いいこと」


 鸚鵡返しのように返す俺にアクエスは一歩も譲らないようだ。こいつが考える良いこととか絶対ロクでもないことだと思うが⋯⋯。そもそも、この悪臭を消せる妙案でも思いついたのか??


「シエラから聞いた。グラナの雑貨屋ではテロルの花の香油を扱ってるって」


「ああ⋯⋯。それが??」


「テロルの花には消臭作用もある。消臭効果を含ませた霧を連換すれば、この悪臭もなんとか出来るかもしれない」


「⋯⋯確かに、そいつは盲点だった」


 そういえば⋯⋯エーテル変質事件のときも、貴族街の教会で行ってたおぞましい実験に気付かれないように、聖堂の司祭が従者に命じていたのが『血生臭い匂いが外に漏れぬよう教会の扉に香油をぶっかける』だったな。

 頻繁に足繁く従者を通わせてたが為に、ソシエに疑念を抱かれたようだが。

 

 ただ、残念なことに香油なんて持ち合わせていないし、原料となるテロルの花は皇都の周囲に自生はしていない。別の方法を考えざるを得ないな⋯⋯と思った矢先。


「それなら、香油から精製した香水ならどうでしょう?」


「テロルの花で作った香水?? シエラ、いつの間にそんなものを?」


「生誕祭の時の香油の売れ残りをソシエさん経由で香水にしてもらいました」


「香油の売れ残り⋯⋯。あー色々あって聖堂に納品出来なかったあれか!!」


 そういえば⋯⋯、売れ残った香油はレンブラント商会に買い取ってもらったのだっけか。

 なんでも新しい香水の精製実験に使いたいとか。まさか、巡り巡ってこんな時に役立つかも知れないとは、流石は聖女お墨付きの品だけはある。


「シエラ。その香水、使わせてもらっても構わない?」


「はい、大丈夫ですよ」


 腰のポーチから取り出した香水のボトルをシエラはアクエスに渡す。しかし、これだけの悪臭を完全に消臭するのにその量で足りるのだろうか?

 俺の疑問視するような表情に、アクエスはその無表情の唇の口角を得意そうに上げた。


「心配無用。これだけの量があれば触媒にするには十分」


 アクエスは脚に装着したレッグホルスターから、折り畳まれた短い棒のような物を取り出し手早くそれを組み上げた。彼女の身の丈より僅かに長いそれは、棒というよりこんと呼んだ方が適切だろう。


「また面白い物を持ってるねぇー? 清栄シンエイに伝わるという棒術でも修めてるのかな?」


「ん⋯⋯育ての親に教わった。ま、そういう話は置いといて⋯⋯よっと」


 興味深げに尋ねるアルをすげなくあしらい、アクエスは棍をぐるりと一回転させる。

 東方の伝承に出てくるという神話上の生物、『龍』を模した頭のようなものが棍の中央に顎門を開いたように彫刻されており、その口の中に透明で澄んだ水色の連換玉が嵌められていた。


「元素⋯⋯同位」


 ぐるぐると根を回転をさせながら、アクエスは連換玉に水の元素と水属性のエーテルを取り込む。

 片手で器用に根を回転させ、もう片方の手にシエラから預かった香水のボトルを握り、回転する棒の前にさっと少量振りかける。


「元素⋯⋯結合」


 掛け声と共に回転する龍の顎門から霧のようなものが吹き出した。周囲を覆う霧は不思議と清涼感のある柑橘系の香りがする。


「すごい⋯⋯。鼻を刺すような悪臭が薄くなってます」


「なるほど⋯⋯消臭効果のある霧を連換したってところかい? 便利すぎるね、連換術」


「ともかくこれで『匂い』に関してはなんとかなりそうだな」


 ラスルカン教過激派の連中がこの匂いをどう対処してるかは気になるところだ。まぁ、とっ捕まえた時にでも聞き出しとくか。


「ジャイル君、時間が惜しい。僕たちはこのまま下水道の中へと潜入するから、第七親衛騎士隊に連絡頼むよ」


「⋯⋯お止めしても無駄でしょうな。若、くれぐれもご無事で。すぐに応援を呼んで戻って参りますので」


「ああ、君も気をつけて」

 

 その大柄な体格からは想像も出来ない足の速さで上層へと向かうジャイルを見送り、俺達四人は顔を見合わせると、悪臭渦巻く下水道へと踏み込んだ。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 中世の時代に作られた古い遺構の水路に汚水が流れている。衛生的にも良くない通路を時折、アクエスの連換した消臭効果を持つ霧で悪臭を和らげながら進む。いつの頃に置かれたか分からない腐りきった木箱に、うっかり手で触れないように気をつけつつ、足を滑らせて転ばないように慎重に歩く。悪臭の元が何かは分からないが、遺構内のエーテルの流れを追う限り広範囲に渡って充満しているようだ。


 水の連換術で消臭霧を吹き出しても持って十分くらい。まだ香水の残量はあるとはいえ、途中で撤退することも考えた方がいいかも知れない。


「それにしてもなんだって過激派は、こんな臭い所に拠点を構えたんだ?」


「僕が聞きたいね⋯⋯。こんなところに入る物好きはいないだろうし、隠れるにはうってつけなんだろうけど、理解は⋯⋯したく無いかなぁ」


 アルが両手をやれやれと天上に向けた。それについては俺も同意見だ。こんなドブネズミがわんさかいそうな、それも下水道に拠点を構える奴らの心理は、分かりそうも無い。

 そんな軽口を交わし合い、幾つかの通路の角を曲がると開けた場所に出た。


 遺構の大動脈のような巨大な水路に、上層の方から汚水が勢いよく滝のように流れている。

 まるで大河のような勢いで流れるこの汚水はそういえば何処に向かうのか、今更ながら俺は知らないことに気付く。上下水道が整備されているとはいえ、それはあくまで上層に限った話であり、この下層にそんなものがあるとは到底思えない。


 それに⋯⋯、滝の上の方から強烈なエーテルの淀みも感じる。空気では無く、何か巨大な生物のような? そんな感覚を俺は鋭敏に捉えていた。それは、もちろん傍らに並んで立つシエラも同じだったらしい。


「師匠⋯⋯。感じて⋯⋯ますよね?」


「ああ、ジュデールの野郎ほどじゃ無いが濃縮されきったエーテルの気配がな」


「ん⋯⋯グラナとシエラも?」


 俺たちの内緒話を目ざとく聞きつけたアクエスが会話に割って入ってくる。流石はA級連換術師、やはり俺達と同じように感覚で分かるらしい。


「君たちは分かっていても僕には全く分からないんだけど?」


「あーすまんすまん。簡単に言うとだ、あの滝の上の方から強烈なエーテルの淀みを感じるんだ。空気じゃなくて巨大な生物のな」


「それは⋯⋯また、ゾッとしない話だね」


「ん!? 静かに」


 俺とアルの軽口を咎めるようにぴしゃりと遮ったアクエスは、口をつぐむようなジェスチャーと共に物陰に隠れる。一体どうしたというのだろう?? よくは分からないが俺達も彼女に習い、身体を隠す。


「あれは⋯⋯」


「どうやら、当たりだったみたいだね」


 シエラが口を押さえて驚き、アルが軽薄そうな表情をキュッと引き締めた。

 覗き込んだ俺の視界の先に皇都に来る列車の中でも見た、ラスルカン教過激派教徒の姿を捉える。流石に奴らもこの悪臭は堪えるのか、防毒マスクの様なもので口元を覆っていた。


「⋯⋯どうする?」


「このまま気づかれない様に跡をつけよう。極力音を立てずにね」


「ん⋯⋯。それじゃあミッションすたー⋯⋯」


 アクエスが任務開始の号令を出そうと指を振り下ろす⋯⋯。その時、滝の方から巨大なエーテルの淀みが⋯⋯飛び降りて来た。


「え⋯⋯!?」


「まずい⋯⋯皆、俺の後ろに!!」


 巨大な生物の着地地点は滝の真下、汚水の大水路だ。あんなのまともに被ったら、臭いなんて話じゃ済まない。可動式籠手を素早く左手に装着し連換玉を急速励起。水の勢いにも負けない竜巻を周囲に展開すれば⋯⋯。


「私も手伝う」


「ああ、助かる。A級の実力、どれほどか見せてもらうぜ。先輩!!」


「ん、先輩呼びは新鮮。その期待には応えなきゃね」


 元素⋯⋯同位。アクエスが龍の顎門に嵌められた連換玉を励起する。龍の口に水の元素と水属性のエーテルが取り込まれていく。


「準備OK」


「こっちもだ、いくぜ!!」


『元素解放!!』『元素結合!!』


 俺とアクエスが連換術を同時に発動すると同時に、ぬめる巨体を惜しげもなく晒した、巨大なカエルが大水路に着水した。

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