十七話 水の精霊の巫女

「で? なんで俺がお前の仕事手伝わないといけない?」


「ハッ。元より貴様の力なんぞ当てにはして無いわ。貴様の弟子の方だ、弟子」


 皇都東地区の水路の入り口。

 シエラの連換術師の仮登録が済んだ後、シエラの実地訓練も兼ねて俺たちは水路の水質検査をミシェルさんから頼まれた。どうやら、ペリド一人に任せるのは不安だったらしい。

 最近の皇都では水路の水がやけに濁っていたり、魚の死骸が浮いていたりと”水”に何やら異変が起きているらしい。

 今のところは深刻な事態でも無いが、澄んだ透明度の高い水が急に濁ったりするのは確かに妙ではある。エルボルン大河を流れている川の水は何も異常が無いらしいので、必然的に水が濁る原因があるとすれば、地下水路の中しか考えられないということのようだ。


「皇都の地下水路ですか。流石に中に入るのは初めてです」


 シエラがゴンドラから身を乗り出して水路の奥をじーと眺めている。

 中は昼間でも薄暗く、両側の壁には昼間にも関わらずガス灯が点いていた。

 橋の下にある洞窟のようにぽっかりと開いた入り口から中に入ると、外とはまた違うムシムシとした湿気が充満している。というか異常に暑いな、この中。


「おい、ペリド? 一応、中の偵察は済んでいるんだろ? どうなってんだよ?」


「今、貴様が感じている通りだ。とにかく暑い、原因も分からん」


 子供でも分かりそうなことを堂々と胸を張り、高らかに言い放つF級連換術師はふんぞり返っている。なるほど、あの時本部に入ってきたこいつが水びだしだったのは、この蒸し風呂のような場所で長時間調査してたからか。

 

 気づけばじっとりと掌に汗をかいている。余り長い時間いたらのぼせそうだな。


 そんなことを話している内に地下水路の入り口が見えてきた。

 ゴンドラを岸に横付けし、ロープでしっかり係留フックに結んで固定する。

 水路の通路に降り立った俺達は、ここでいったんミシェルさんからの頼まれごと、水質検査を行う準備に入る。


「この容器の中に水路の水を掬えばいいのですね?」


「その通りだ。よし、シエラ。せっかくだし、ここで水の連換術の練習もしとこう」


 額から汗を吹き出してるシエラは少し怠そうだが、コクリと頷いた。

 そして、肩掛け鞄の中から真新しい夜空のような黒いグローブを取り出すと右手に嵌める。

 手首の箇所に連換玉を嵌める玉溝がついているこのグローブは、エーテル解析が終了した後にミシェルさんがシエラに渡したもの。誰から預かったかまではちょっと言えなくてねと、断ってはいたものの少し考えれば分かること、だ。

 水面からの光に反射して光る玉溝に嵌められている連換玉は、マリンブルーのような色合いをしている。


「でも水質検査ですよね? 連換術を使う必要はあるのですか?」


「ただの水質検査では無い。水中に含まれているエーテル濃度の測定は、連換術で水を掬い蒸留したものでなければ正確な数値は分からないのだよ」


 フッ——と汗まみれの金髪をかきあげ丁寧に説明するペリド。

 俺と接している時と違ってまぁ分かりやすい奴だ。一年前の時といい、本当女性にだらしないなこいつは。うかうかしてると師匠の役割まで奪われそうだ。俺はやれやれと頭を掻きながらシエラの横に立った。


「やり方を説明するぞ。まずはこの容器に線があるところまで水を入れる。ただ、普通に容器に水を入れるだけじゃ駄目だ。連換術の基本、エーテル行使で水の中のエーテルを一か所に集中させてから掬うんだ」


「水の中のエーテルを一か所に集中させる。いきなり難しそうです——」


「そんなことは無いよ? シエラさん。水中のエーテルを手でかき集めるようなイメージでやればいいだけさ? お手本を見るかい?」


「お 前 は 黙 っ て ろ。じゃあ、俺がお手本を見せるからまずは見ててくれるか?」


「分かりました!! しっかり見学します!!」 


 何故かぐぬぬ——と人を射殺すような目付きで睨んでくる、馬鹿の視線が突き刺さるが無視する。目を閉じて空気中のエーテルを感じ取り、体内エーテルを身体から引っ張り出す。

 

 シエラのエーテルイメージが糸なら、俺のは籠手だ。

 

 たぶん、エリル師匠が連換術を使う時に嵌めていたあの籠手こそが、俺の中の連換術師のイメージとして定着しているのも大きいのだろう。


「元素固定」


 左手に嵌めた籠手の連換玉を励起。意識を集中してエーテルイメージが霧散しないよう、風の元素でエーテルの形を固定する。

 

 それを第二の手を動かすように水中に突っ込んで、水面近くにエーテルを集める。

 普段は目に見えないエーテルも極端に濃度が濃くなれば、赤く変色し肉眼で見えるようになる。

 水面に集まったエーテルは薄い赤ワインのような色に変化している。どうやら、この水路から流れる水に含まれるエーテルが少しだけ汚染されているようだった。


「とまぁこんな感じだ。コツは焦って水中をかき混ぜないように、ゆっくりと固定したエーテルで水中のエーテルを浚う感じか」


「なるほど⋯⋯。ところで師匠、私の糸のようなエーテルではどう頑張っても、水中のエーテルを掻き集めることができ無さそうですが?」


 あ、確かに。

 エーテルイメージは個人それぞれとは言え稀に固定するのに適していない、エーテルイメージを持っている連換術師もいたんだったな。

 

 それにしても糸か——。ほつれた衣服を直したり、料理、医療にも使われる万能な道具。

 そのイメージはシエラではなく、見たこともない聖女の姿と重なるような気がするのは何故だろう? シエラが正真正銘の聖女の子孫、だからだろうか?


「おい、まだ終わらんのか? 貴様、その体たらくでよくもまぁ師匠などと名乗れたものだな?」


「あ? 今、何か言ったか?? つちくれの連換術師??」


「つ、つ、つちくれ〜!? 貴様⋯⋯我がグラスバレー家が代々受け継いで来た土の連換術を侮辱しようとは、命を賭す覚悟はあるのだろうな? グラナ・ヴィエンデ!?」


 売り言葉に買い言葉の応酬。暑くて不快指数も高いせいか、普段は聞き流してるペリドの挑発がやけに煽り文句のように聞こえる。だからといってこんなところで喧嘩するほど馬鹿じゃ無いが。だが、目の前の馬鹿はやはり馬鹿だった。


「いいだろう、その生意気な鼻っ面、今日こそ叩き折ってくれる!!」


「は?? うわっ!?」


 オーバー気味に振り上げた奴の腕から拳が勢いよく振り下ろされる。ガタイもよく筋肉も鍛えられているペリドの動きは意外とキレがあった。

 顔面狙って放たれた拳を首だけそらして回避する。拳が通り過ぎた後、頬からつー⋯⋯と血が垂れた。薬指に嵌めてある奴の指輪が掠ったようだ。痛みを感じる暇も無く、こちらの首をへし折りかねない勢いで横なぎに振られた腕を右腕で受け止めた。

 

 どうやら本気でやるつもりらしいな。この大馬鹿野郎は。


「どうした!? 動きに精彩がないでは無いか!? それとも、可愛い弟子が見ている前で無様な姿を晒すつもりか!?」

「アホ抜かせ。やり合う必要すらねぇってこった。それに、協会所属の連換術師同士の喧嘩はペナルティ対象だろうが!? だから、お前は万年F級なんだよ」


「貴様⋯⋯。その減らず口、二度と叩けぬようひねり潰してくれる!!」


「だ、駄目です!! お二人共喧嘩は!? 師匠も抑えて!!」


 シエラが必死に止めに入るが、一度振り上げた拳が止まることは無い。

 何だかいつもの奴と違う雰囲気に違和感も覚えるが。とにかくこの馬鹿には一回痛い目見せてやんないと。覚悟を決めて拳を握り締めた瞬間——。


「元素⋯⋯同位」


 聞いたこともない声と連換玉が励起する感覚を感じて、思わずそちらの方を向いた。

 視界の先にいたのは氷を想起させるアイスブルーの瞳に、流れる川の水の鮮やかさを思わせるシアンの髪を背中の中程で一括りにしている小柄な女性だ。

 

 その肩が剥き出しの白いノースリーブに、短いショートパンツからは雪のように白い脚が惜しげもなく晒されている。首には水の精霊の印が刻印されたスカーフを巻いていた。


「元素⋯⋯結合」


 彼女が手に持つ長い棒のような物の中央に嵌められている紺色の連換玉から、霧のようなものが俺たちに向けて噴出された。慌てて避けようとするが、ペリドの馬鹿がこちらの両腕を鷲掴みにしているので動こうにも動けない。


「師匠!?」


「大丈夫、エーテルの乱れを鎮静化させただけ」


 慌ててこちらに駆け寄ろうとするシエラに彼女が片手を上げて静止させた。

 何が起きてるのかさっぱり分からないが、とりあえずこの霧は有害な物では無さそうだ。

 霧はひんやりしていて気持ちいいし、荒ぶってた感情も氷を溶かすように優しく流されていくような気もする。


「ぬ? 私は一体何を——」


 ようやく正気に戻ったらしいペリドが両腕から手を離す。

 暑さでイライラしていたとはいえ、仮にも貴族を気取ってるこいつが我を忘れる——か。

 なるほど、確かに異常だ。


「怪我は無い?」


「ああ、正直助かった。あんた、連換術師か?」


「そう。連換術協会本部所属、アクエス・エストリカ。貴方がグラナ?」


「そうだけど、こんな場所に何か用でもあるのか?」


「ミシェルから貴方達をサポートして欲しいと頼まれた。貴方の弟子に水の連換術を教えてあげるようにと」


「私にですか??」


 俺の専門は風の連換術だから、正直、水の連換術はどう教えたらいいのやら? と頭を悩ませていたから助かるけども。ん、アクエス? 何処かで聞いたような——。

 

 その時、後ろから「あ——————!?」とペリドのやかましい叫び声が聞こえ耳がキーンとなった。


「あ、貴方様はA級連換術師……水の精霊アクレムの巫女の異名を持つアクエス様?」


 A級⋯⋯連換術協会でも数える程しかいない、連換術を極めたと称してもおかしくない者達がたどり着く至高のランク。B級へ昇格したばかりの俺にとっては雲のような高みにいるシアン色の髪をした女性は、きょとん? と可愛らしく小首を傾げるのであった。

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