十六話 intermedio 春雷卿
グラナとシエラが連換術協会本部にてミシェルから講習を受けていた頃。
まるで執事と避暑に来たお嬢様のような二人の姿に周囲から注目が集まる。
しかし、気にしているのは女性にしては長身が特徴的な藍色の髪の女性だけのようだ。
茶髪の少女は長時間の汽車の旅で身体を動かせなかったのが不満だったのか、両腕をうーんと上に上げて強張った身体をほぐしていた。
「まさか、皇都に向かう日に限って列車テロが起こるとはな」
「まま、怪我人も無かったし無事に解決出来てよかったじゃん?
笑い事で済むか! と団長と呼ばれた女性は額に手を当てる。無造作に左に垂らされた髪をさらりとかき上げると、その整った顔には案ずるかのような表情が見え隠れしていた。
(全く。毎度毎度危険なことばかりに巻き込まれて、心配する身にもなってください)
団長、クラネスのその常ならざる雰囲気に「うーん?」と首を傾げた若獅子の髪色をした少女⋯⋯オリヴィアはクラネスの顔を覗き込んだ。するとピン! と何か思い出したようにクラネスに尋ねる。
「そういえば、団長〜? 一年くらい前のことなんだけど、なんか様子がおかしい時期なかった〜?」
「は、はぁ? ——いきなりなんだ? オリヴィア?」
予想外のオリヴィアの発言にクラネスはどきりっとするもあくまで冷静を装う。
一年前といえば、貴族街で起きた神隠しにその後の不思議な出来事など、今まで無理をしていたクラネスにとっては精神的に辛いことが立て続けに起きた頃だ。
それと同時に、これからどうしていくべきかを見つめ直す機会でもあった。
グラナに今まで秘密にしていたことがバレたことも、結果的に良い方向に作用した。の、はずなのだが。
(何なのでしょう? マグノリアの一件以降、モヤモヤと晴れそうも無いこの心の葛藤は)
マグノリアで起きたエーテル変質事件が無事終結し、全治一ヶ月のあばらの骨折の療養でグラナはしばらく騎士団詰所の医務室で寝泊りすることになった。
あの桜の木の精霊との邂逅以来、クラネスは『リノ・クラネス』を演じる事をやめた。
背伸びせず、無理をせずありのままの自分で生きていこうと決めたのだ。
本当ならこの男性のような口調も改めたいところだが、妹分であるソシエから急に性格が変わったかのような振る舞いは騎士団の皆も困惑する。まずは徐々に女性らしい所作を意識するのはどうか? というアドバイスの元、それを実践している最中だった。
秘密を共有するグラナが騎士団詰所にしばらく留まることを、誰よりも歓迎していたのも他ならぬクラネスである。
一年かけて身につけた自分らしい姿を見てもらいたい。そして出来れば休憩時間にさりげなく見舞いに来たふりをして看病してあげたい。と、恋する乙女のようなことを目論んでいたわけだが。
(まさか、四六時中、シエラさんがつきっきりでの看病を申し出るなんて)
それは意外な伏兵、グラナが助けた精霊教会の見習いシスター、シエラの存在だった。
聞けば二人でマグノリアを覆った変質したエーテルを元に戻す大偉業を成し遂げた後、聖女が啓示を受けた丘で連換術の師弟の契りを結んだとか。
だから、師匠の看病をするのは弟子である私の役目です!! と言われては、さしものクラネスも介入することは不可能であった。
「団長〜? ねぇ? 団長てば〜? うーん? なんか一年前もこんなことがあったような??」
オリヴィアの呼び掛けにも反応しないクラネスは完全に自分の世界に入り込んでいる。
そして間の悪いことに一年かけて身につけた女性らしい所作、憂いを帯びた瞳に、薄化粧を施したその面立ちはどう見ても何かに恋する乙女だ。
男装のような格好で腰に華麗な装飾の鞘に収まった細剣を差していたことも相まって、一種の倒錯的な雰囲気すら醸し出している。そして、ついうっかり素の自分の本音が飛び出た。
「グラナの馬鹿。私がどれほど心配したと——」
「あの〜団長?? だよね??」
普段は聞かれないクラネスの女性らしい言葉使いにオリヴィアは、何が起きたか分かるはずも無く、ただただ困惑するばかり。
もはや収拾のつかないこの場に雷が落ちたようなドォン——という音がプラットフォーム中に鳴り響いたような錯覚を感じたクラネスはふと我に帰った。
「な、何だ??」
「おお〜相変わらず凄いなぁ〜。爺ちゃんの存在感」
その場に見えなくても肌をビリビリと揺さぶる程の威圧感の発生源は、どうやら駅舎の中にいるようだ。
クラネス達は旅行用のトランクを持ち、その異様な威圧で動けない旅行客達の間をすり抜けて改札口へと向かう。
駅舎の中では偉人の銅像が動き出したかのような様相をしている高齢の人物が、二人の姿を見つけて、その厳しい相貌を崩した。
「やーっと来おったか。待ちくたびれたぞ」
「事前にちょっと遅れると電信で送ったんだけど」
む? そうだったか? とその図体に似合わず首を傾げる様はまるで熊が可愛い子ぶってるようだ、とクラネスは思わざるを得なかった。
「ご無沙汰しております、イーゴン様」
「む? 誰かと思えばクラネス殿では無いか? 何故に男のような格好を?」
「そうそう、爺ちゃんからももっと言ってよー。団長てば、せっかくの皇都旅行なのに全然お洒落しないんだよ〜?」
「旅行じゃない、仕事だ、仕事。⋯⋯服装のことはお気になさらず、好きでこうしているだけですので」
到着早々疲れる会話の応酬にこの祖父にしてこの孫ありか、とクラネスは頭が痛くなった。
当人はやんちゃな孫娘の若獅子のような髪をゴツゴツとした手でワシワシと撫でている。
この巌のような老獪なご老体こそが、「その剣気、春に鳴る雷のごとし」とまで恐れられた春雷卿イーゴン・ペルクナス。オリヴィアの祖父でもある。
教会が抱える聖十字騎士団所属のオリヴィアがマグノリア市街騎士団に異例の異動をしてきたのも、元はと言えば春雷卿立っての頼みであった。
理由は剣の腕ばかり磨かせた結果、常識が欠如しているので市井と関わりの深い市街騎士団にて社会勉強させて貰いたいである。
「相変わらず孫が迷惑をかけてるようで申し訳ない。クラネス殿」
「いえ、お気になさらず。流石に慣れましたので——」
かたじけないと春雷卿はクラネスに向かって頭を下げる。
そして、孫娘の方を振り返ると雰囲気を一変させた。
「動きやすい格好で来るようにと事前に伝えておったじゃろ? なんじゃ、そのひらひらとした格好は?」
「だって、今の季節暑いじゃん? 着替えなら持ってきてるよ。準備ならバッチリ!」
祖父の威圧に怯むことも無くオリヴィアはけろりと答える。
そして、何も言わずに歩き去る祖父について行ってしまった。
「イーゴン様!? オリヴィアを連れてどちらへ!?」
「心配御無用。ちょーっとばかし山籠りをしてくるだけよ。皇太女の儀までには戻るゆえ、第七親衛騎士隊の隊長殿にもよろしくお伝えくだされ。では参るとしよう、オリヴィア」
「はーい。 てなわけで団長、行ってきまーす!!」
まるで嵐のような二人に終始ペースを狂わされぱなっしだったクラネスは疲れたように溜息を吐いた。
気を取り直して駅舎の外に出たクラネスは、観光客でごった返す駅前広場でも注目を集めてしまい気疲れが溜まる一方だった。とにかく、さっさとビスガンド公爵のお屋敷に向かうかと、辻馬車を呼び止めようと手を挙げかけるが、不意に後ろから声をかけられた。
「まさかとは思うけど。シェリーなのか?」
ハッと後ろを振り返ったクラネスの前には皇家直属の親衛騎士隊の制服を着た懐かしい人物が立っていた。
「え? 貴方はエルト?」
「良かった——。人間違いじゃなくて。十一年ぶりかな、久しぶりシェリー」
薄れつつあった幼少の頃の記憶、常に剣の修行で張り合っていた男の子は十一年の歳月を経て精悍で凛々しい大人の男性になっていた。
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