secret episode part1

I.D 463 始まりは風吹く丘で

 その日は風が強かった。

 マグノリアの北にある丘の高台。後の世では“聖女が精霊から啓示を受けた丘”として精霊教会から聖地と指定された地。街全体を見渡せるお気に入りの場所では、シスタ—服を纏った少女が納得いかない表情で虚空に向かって一人ぶつくさと文句を言っていた。


「もう……、教皇様から呼び出しとか……。私、何かやらかしたの?……」


 誰もいない丘の上で少女は一人呟く。何も知らない者が見れば独り言を言ってるようにしか見えないが少女の視線はしっかりとある一点に注がれている。

 まるで、見えない何かがその場にいる……否、事実そこにいた。


(……エステルはそそっかしいからなぁ。この間、グリグエルに行ったときに何か粗相でもしたんじゃ?)

「あのねぇ……。どこで噂を嗅ぎつけたか知らないけど、いきなり聖十字騎士団に拉致られて極秘裏に“赤黒病”を患った教皇様を診てくれないかと言われたのよ。……緊張するなというのが無理な話に決まってるでしょ……」


 少女……エステルは足を高台の上から投げ出して、どさっと背を後ろの草むらに預けて寝っ転がった。その弾みで彼女が被っていたフ—ドが外れ、赤みを帯びた長いサラサラとしたブラウンの髪が露わになる。

 整っている顔立ちに翡翠色の瞳が特徴的な綺麗な少女だった。

 シスタ—の服を着てはいるが、エステルは精霊教会に属している訳ではない。

 

 これは教皇の病を診るときに、庶民の小娘が教皇が住う聖殿に赴く際に相応しい服装として押しつけられた物である。

 なんとか教皇の容態が安定した後、ようやくマグノリアに帰ってくることが出来た彼女だが、いつのまにか街中に広まっていた噂でどこへ行っても“教皇の病を治した聖女様”扱い。

 

 そんな訳で彼女はなるべく人目に付かないように、シスタ—服を着て教会関係者を装い生活せざるを得なくなっていた。

 エステルがもやもやとした気分で空を見上げていると、不意に風のが変わった。

 

 また……この匂い。身を起こすとエステルは顔を顰める。

 眼下を見下ろすと、共同墓地の辺りに大勢の人が集まっているのが見えた。

 また、近くで戦でもあったのだろう。

 

 エレニウム帝国が建国されマテリア皇家による治世が始まってから早400年。

 帝国は未だに皇帝に従うことの無い諸侯の権力争いが絶えず、各地で毎日のように小競り合いが起きていた。

 

 後世の歴史研究家が“暗黒時代”と命名したこの時代。

 戦で人が死ぬのは毎日のこと。

 故に埋葬する墓地の数は足りず、やむを得ず手付かずの土地の土を掘り返しそこに遺体を土葬していた。


(相変わらず酷い匂いだな……腐臭だけじゃなくて人に宿ってたエ—テルまで腐ってる。これじゃあいつまで経っても“赤黒病せきこくびょう”は蔓延するだけだ)

「どうしようもないわ……。私の“力”はせいぜい赤黒病の進行を遅らせるだけ。“聖女”なんて呼び名、誰が広めたんだか……」


 エステルは墓地の方をやるせない表情も隠さずに眺める。

 彼女には生まれつき不思議な力があった。病に侵された人の身体を治す不思議な力。何故かは分からないが、感覚で分かる。身体のどの部位が病に侵されているのか。

 

 そしてその部分を彼女が触れるだけで痛みが和らぎ、やがてゆっくりと完治するのだとか。……無論、全ての病を治すことが出来る訳では無いが。

 生来の困っている人をみたらほっとけない性格も相まって、今まで診てきた病人は庶民から貴族に至るまで数えきれないほど。

 

 いつしか彼女はこう呼ばれるようになった。“癒しの聖女”と。

 そんな彼女でもどうにも出来ないのが、最近帝国各地に蔓延している“赤黒病”と呼ばれる病。

 

 この病の特徴は身体が赤黒く変色し、やがて満足に手足を動かせなくなり、ゆっくりと死に至る不治の病。

 諸侯同士による小競り合いで毎日大量の死者が出るようになったのと同じ時期に発見された病は、人々に死に直結する恐怖を植え付けていた。


(それでいつ出立するんだ? エステル?)

「次の安息日よ。……今回はトルスが護衛でついて来てくれるみたい。マグノリアの周辺はまだ安全なんだから護衛なんかいらない、と言ったんだけど……アイツ心配性なんだから……」


 エステルは再び草の上に寝っ転がる。

 戦とは無縁なマグノリアの街でも、“赤黒病”にかかる人は日に日に増えて行く。

 幼い頃から自分にしか見えない友人“ヴィエンデ”は大気に介在する“エ—テル”が汚れてきていると言っている。

 

 このままでは、帝国は人が住むべき地では無くなる気がする……。

 エステルは雲一つ無い穏やかな空を見上げて、私に出来ることは本当に無いのだろうか……と、思考の海に沈んで行くのだった。

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