二章 皇太女と砂月の君 前編

プロローグ 皇女 セシル・フォン・マテリア

 皇都エルシュガルド。

 エレニウム帝国の首都であり、その黎明期より存在する帝国最古の大都市。その広さはマグノリアの面積のおよそ五倍以上であり、人口は五十万にも上ると言われている。皇都の東には帝国の繁栄の礎ともなったエルボルン大河が流れており、大河の豊富な水源に支えられて発展した経緯から別名『水の精霊アクレムの揺籠』とも呼ばれている。

 

 都市の中には各所に水路が張り巡らされており、大河を流れる水を用いた水産物の養殖など様々な産業に活用されていた。

 上下水道がいち早く整備された皇都は帝国五大都市の近代化発展モデルにもなっており、その功績には連換術協会の働きも少なからず影響を与えている。

 

 マグノリアのエーテル変質事件から一ヶ月経過した巨蟹の月も終わりの頃。事件の対応に追われていた皇都帝城、政務庁もようやく事件の終息を確認。日も落ちて夜の帳に覆われた帝城では報告も兼ねて、アレン・ビスガンド公爵が皇女セシル・フォン・マテリアの私室を訪ねている最中であった。


「マグノリアで起きたエーテル変質事件の詳細については以上となります」


「ご苦労様でした、アレン。シエラさんが無事で本当に良かったですね」


 ビスガンド公爵の報告にセシル皇女は労いの言葉を掛ける。

 私室ということもあり公の場の服装ではなく私服ではあるが、雫をあしらった模様のドレスに、足元をテロルの花の模造花で彩られたミュールで装い、少女と大人の女性の中間のような気品ある顔立ちで薄らと薄化粧をされている。マテリア皇家の血筋を示すその瞳は青玉色であり、水の乙女と民から慕われる由来ともなった腰まで届くほどの長い髪は、上から下にセルリアンブルーの濃淡が変わるように見えるような不思議な色合いであった。


「それで、例の件についてはどうなっていますか?」


「は、先日此度の事件解決の功労者である二名に勲章授与式の仔細、並びに『皇太女の儀』の招待状の送付をいたしました。セシル様、しかしよろしいのですか?」


 セシル皇女はビスガンド公爵の疑問に、何か不都合でも? と表情を変えず逆に問い返した。その返答が返って来ることを半ば予想していた公爵は、少し疲れた様子で続ける。


「マグノリア市街騎士団の団長はともかく、一介の連換術師に勲章を授与するなど、公私を混同されていると親衛騎士隊の隊長騎士達、教会の枢機卿達に痛くもない腹を探られる口実を与えるだけなのでは?」


「言わせておけば良いのです。あれだけの大事件を解決した立役者、その功績を認めずして何が開かれた帝国でありましょう?」


 セシル皇女はビスガンド公爵の心配を喜憂と一言で切り捨てる。

 そのお淑やかな外見に反して、我の強い性格は成人前なれど次代の女帝の才覚の片鱗であるようにも見える。

 話は終わりとばかりにセシル皇女はソファから立ち上がると夜の皇都を見渡す為、私室と繋がっているバルコニーへと足を向ける。ビスガンド公爵もその後に続いた。

 日増しに夏の足音が近づいて来る皇都は、都市の至るところに大河から引き込まれた雪解け水で満たされた水路が張り巡らされている。お陰で気温が高い日でも過ごしやすい。

 街灯の灯りが点々と星の瞬きのように皇都を照らしている。涼しい夜風が帝城の上階にまで届き、セシル皇女とビスガンド公爵はしばし無言で夜の皇都を眺めていた。


「まだお調べになられているのですか? 姉君が消息を経った五年前の異端狩りについて」


「そこまで察しているのであれば、私が彼を皇都に呼び寄せようとしている目的も分かっているでしょうに。エリル姉様が連換術師となってから唯一の弟子である彼ならば、私の気持ちも理解していただけるでしょうから」


 セシル皇女の胸中を察していながら、ビスガンド公爵はこの段階に至っても彼を帝城に招くことには消極的であった。

 見ず知らずの連換術師の青年ではあるが、姪であるシエラを教会過激派及び聖堂の司祭の暗躍から身を挺して守ってくれたことには感謝している。

 しかし、その後、当のシエラから送られてきた手紙の内容はビスガンド公爵の頭を結果的に悩ませることになったからだった。


「我が姪であるシエラを助けていただいたことについては、感謝をいくらしてもし足りません。しかし、よりにもよってシエラが連換術師の弟子になるなど——」


 帝国内は五年前に前皇帝が崩御されて以来、世情は激しく移り変わり皇帝不在が長く続いたこともあってマテリア皇家の求心力も弱まっている。国家を信用出来なくなった民衆が行き着く先は救い。詰まるところ、精霊教会が大きく躍進し権威を持つに至ったのも、俗世に”救い“が余りにも無さすぎるから。

 共すれば帝国内の世論を二分してしまいかねない、姪のシエラの決断に公爵は困り果てていた。

 厳重に情報規制を行ったにも関わらずマグノリアの英雄と聖女の再来については、あっという間に帝国内に広まり、この状況を何かに利用しようとしている者の思惑が見え隠れしていたという裏の事情もある。


「話だけ聞いていると、彼はまるでエリル姉様みたいですわね。流石はあの破天荒な姉様の唯一の弟子⋯⋯といったところかしら?」


 ビスガンド公爵とは対照的にセシル皇女はなぜか嬉しそうであった。

 彼には伝えるべきことがある。その結果、彼がどのような決断を下すかは想像するしかないが、天蓋孤独の身の上である己を導いた師の影を今も追っているのであれば、その道はセシル皇女が辿るべき道と少なからず繋がっているはず。

 ならば、協力し合うことは不可能ではない。詰まるところ皇女が欲していたのは”協力者“であった。


「かしこまりました。例の連換術師を招待すること、納得は致しませぬがそのように手配いたしましょう。彼の人と成りを知る良い機会でもあるでしょうからな」


「アレン? 素直に『我が眼に入れても痛くない可愛い姪を誑かした連換術師に、一言文句言わないと気が済まん!』と、ここで叫んでも良いのですよ?」


「セシル様。頼みますから、私の本音を面白く言うのはご勘弁くだされ⋯⋯」


 セシル皇女に胸中の思いを全て見透かされたビスガンド公爵は大きく溜息をつく。異母姉妹とはいえ本当の血の繋がりがあるかのようなエリルとセシルのやりとりを、散々聞かされてきたかっての苦い思い出を見せられているかのようだった。


 しばらくクスクスと機嫌良さそうに笑っていたセシル皇女は、再び眼下の皇都に目を向けるとぽつりと呟いた。


「一月後に迫った『皇太女の儀』、そこで公示する私の決意。帝国の皆に受け入れて貰えるのでしょうか——」


「——————」


 皇女の思いを吐露するかのような呟きに公爵は何も答えられず、されど取り繕うことも出来なかった。

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