十二話 眠れぬ夜は明けて……
結局、一睡も出来なかった。
アレンさんが教えてくれた重すぎるシエラの過去。
あの二ヶ月前のマグノリアで起きたエ—テル変質事件のときも、事件が終息して彼女が俺の弟子になった後も、雑貨屋で慣れない接客にあたふたしていたときも、ル—ゼやソシエ、そしてクラネス、オリヴィアを始めとする市街騎士団の皆から可愛がられている姿を遠巻きに見ていたときも。
気づこうと思えば幾らでも気付くチャンスはあった筈なのに、気付かない振りをしていた。
思えば彼女が無理に明るく努めようとしていたのも、聖女の子孫という教会及び信徒からの過剰な期待から一時でも忘れたい思いと、ようやく見つけた新しい自分の居場所を失いたく無い一心だったのかも知れない。
本当に師匠失格だなと、一向に働く気配の無い頭に冷水をぶっかけて無理矢理覚醒を促す。
これでも駄目か。しょうがない、強張った身体を動かして少し汗でも流すか。俺は寝巻きから着替えると、寝室のドアを開けて部屋の外に出るのであった。
☆ ☆ ☆
ビスガンド邸の本館を出て中庭に出た。
熱を帯びた朝日が眩しい広すぎる中庭は、様々な種類の花や余り見掛けることの無い植物で溢れておりちょっとした植物園のようだ。
その一角に日差しよけの屋根とその下にテーブルと椅子が置いてある、憩いの空間がぽつんと建っていた。
なんとなく、そっちのほうに足を向けると「はっ! やっ! とぉ—!」というなんとも可愛らしい掛け声が聞こえてきた。
掛け声が聞こえる方に歩いていくと、いつもの稽古着を着たシエラが振り回し安そうな刀身が短い剣で素振りをしている最中だった。
「シエラ? 何やってるんだ? こんなところで?」
「ふぇ!? あれ師匠? どうしたのです? こんなに朝早く?」
いや、聞きたいのはこっちなんだが。それにしても何故に剣で素振り?
俺の視線が自分が手に持つ剣に注がれているのを気づいたシエラは、何故かあわわ⋯⋯と後ろ手にして隠した。——隠しきれてはいないけど。
「こ、これは違うんです。最近、オリヴィアさんから色々剣について教わっているうちに興味が湧いたとか、そんなんじゃなくて」
「いや、別に叱っているとかそういうのじゃないから⋯⋯」
そういや、最近はよく市街騎士団詰所に入り浸ってるのは知ってたけど、まさかオリヴィアとそこまで仲良くなってたとは。色々問題行動は目立つ奴だが、剣の腕に関しちゃ正直、あのクラネスより上の様だし。
騎士団時代幾度となく模擬戦でオリヴィアの剣の相手をさせられたが、結局一回も勝てなかったな。あの事件の時にはあいつよりも腕が立つ刺客がいたようだが——。
オリヴィアの剣の技量の腕は幼少の頃より、聖十字騎士団で『剣聖』とまで称えられた祖父の春雷卿より叩きこまれたものと、いつだったか本人から聞いたことがある。
「剣を習いたいのか?」
「えと、違うんです! その、もっと強くなるにはどうしたらいいのかな? ——と悩んでて」
「強くなるため?」
「覚えてますよね? 師匠。二ヶ月前、聖葬人に二人して追い詰められたこと」
あの時か。
地下礼拝堂での聖葬人ジュデールとの戦い。
常人ではとても耐えきれない程、体内エーテルが濃い奴の身体は触れられるだけでもこちらの体内エーテルが汚染され、俺は相当な苦戦を強いられた。
シエラの聖女の力が無ければ俺は今頃……。
あり得たかもしれない未来を想像して思わず身震いする……。
「あの時、私が『聖浄化』の力をきちんと使えてれば師匠が死にかけることだって、無かったと思うんです。だから——」
全く、何回目だ師匠失格だと思わされるの。愛弟子にまで心配かけられて、本当に己の弱さに反吐が出る。
だけど、こんな情けない顔。いつまでもシエラの前で見せられない。
俺はゆっくりとシエラに近づくと、朝日を浴びてきらきらと輝く銀髪にぽんと手を乗せた。
「シエラの思いしっかり受け止める。確かにあの時はまだ師匠じゃ無かったとは言え、随分と心配かけたしな」
「——師匠」
「一緒に強くなろう。聖女の力なんかに頼らなくても大切な人を守れるくらいに、な?」
「⋯⋯はい。師匠」
アレンさんからは、シエラを連換術の弟子にすることについてはとりあえず保留と言われている。
だけど、一緒に身体を鍛えたり武術の修練まで認められなかったわけじゃない。
なら、俺は彼女の師匠として伝えたいことが山ほどある。
お互い、かけがえのない大切な人を失くした者同士。
足りないものを補いあって進んでいくのが、俺とシエラの歩む道なのかもしれない。
「よしっ。そうと決まれば、朝食までに一通り型のおさらいから始めるぞ。準備運動は十分みたいだしな」
「はい、今日もお願いします!! 師匠!!」
俺とシエラはエリル師匠直伝の体術の型の稽古を始める。
そんな俺たちに向けられる視線が本館の上階からあろうことなど、この時の俺たちには知る由も無かった。
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