十一話 アリア・ビスガンド
アレンさんによる帝国内の実情、シエラの父親についての話を聞かされた俺は改めて、シエラを連換術師の弟子にする意味の重大さを突きつけられた。
エーテル変質事件を無事解決し、市街騎士団詰所の医務室でクラネスから言われた言葉が頭をよぎる。
『別に、二人で納得しているならそれでもいい。だがな、彼女は教会のシスター見習いだ。連換術を認めない教会に属している彼女に連換術を教えること、それが何を意味するのかは分かっているな?』
あの時の俺はどんな苦難が彼女に降りかかろうとも、弟子を見守り導くのが師匠の務めだ、と無責任にも答えた。
自身の甘さに反吐が出る。弟子を取るなんて俺には早すぎたのかもしれない。
アレンさんがシエラに連換術を学ばせたくない理由は筋が通っている。
精霊教会の長である、教皇の娘が連換術を学んでいることが信徒に広まれば、それはやがて帝国を二分するより大きな火種にもなりかねない。
黙ったまま時だけが過ぎていく。そんな俺を見かねてか、アレンさんはおもむろに口を開いた。
「何度も言うがシエラを救ってくれたことには、本当に感謝している。昼間の列車テロでも守り抜いてくれたことを含めてね。だが、私はシエラが⋯⋯アリアのようにはなってほしくないのだよ」
「アリア⋯⋯? シエラの母親ですか?」
「——ああ、あの子が五歳の時に亡くなった私の妹だ」
そういえば、シエラも言ってたな。幼い頃に母親を亡くしたと。
何故、シエラの母親は亡くなったのかについて、聞くなら今かもしれない。
「聞いても良いですか? ——シエラの母親について」
「⋯⋯そうだな。仮ではあるが君はあの子の連換術の師匠だ。だが、私はそれを認めるつもりはない。それでもいいなら話そう」
「⋯⋯お願いします」
俺の返答にアレンさんは視線を下に落とし語り始めた。
☆ ☆ ☆
今から二十年程前、皇都の伝統あるオペラ劇場にて熱狂的な人気を誇る歌姫がいた。
アリア・ビスガンド。
アレンさんの妹さんであり、後にシエラの母親となった女性。
彼女の歌声は、清流のように透き通りその美貌と相まって、彼女が出演する歌劇は常にチケットは売り切れ、彼女を一目見ようと劇場には連日大勢の人が押しかけたという。
そんな中、当時はまだ枢機卿の一人であったクロイツ・プルゥエルと彼女は恋に落ちる。
きっかけはお忍びで彼女の公演を見に来ていたクロイツが、彼女に一目惚れし楽屋へと押し掛けたことかららしい。
その熱心さに最初は気乗りもしなかったアリアさんも、逢瀬を重ねる内にすっかりお似合いの仲睦まじい恋人同士となったとか。
まぁ、私は最後まで反対したがね、とアレンさんは渋い表情でポツリと呟く。
そして、クロイツ枢機卿がアリアさんに婚約指輪と一緒に送った物があの『七色石のロザリオ』だった。
「クロイツ枢機卿も聖女の子孫、ということですか?」
「さて、私もそこまで聖女については詳しい訳ではない。ただ、どうやら聖女の血筋は長い時を経る間にいくつかの家系に分かれていったようだ。そのうちの一つが代々精霊教会に身内を仕えさせている『プルゥエル家』ということを知ったのは妹が亡くなってからだがね」
そしてアリアさんは反対するアレンさんを押し切ってクロイツ枢機卿と結婚。
プルゥエル家が居を構える、聖地グリグエルへと嫁いで行った。
「結婚してからも妹は本当に幸せそうだった。クロイツ教皇とは結局、今に至るまできちんと話したことは無いが、公爵家の令嬢でもある妹のことをよくは思わない信徒から身を挺して守ってくれた。その点に置いては彼には感謝している」
だが、その幸せな時間は突如終わりを告げる。
今から十年前、クロイツ枢機卿が教皇に就任したことを祝う式典の最中、教皇とその夫人である二人を狙った一発の銃声。
その凶弾が貫いたのはアリアさんの心臓。——即死だったそうだ。
「首謀者は今も不明。噂ではあの宗教紛争で当時、命を落としたラスルカン教の指導者を痛む者達による報復⋯⋯とも言われているが、今となっては何が真実かは分からん。そしてあの場には五歳の誕生日を迎えたシエラもいた」
突然胸から血を流し倒れた母親に駆け寄った幼いシエラは、彼女が胸に飾っていた七色石のロザリオを握り締め、あたり構わず大声で泣き叫んだ。
直後、幼い少女が泣きじゃくる姿から不思議な七色の光が溢れ出し、教皇夫人の突然の死という事態に、殺気だっていた式典会場にいた教会関係者達は冷静さを取り戻したという。
その神秘的な光景を見た枢機卿の一人が発した一声、「素晴らしい。まるで伝承に語られる聖女の再来だ——」により、いつしかシエラこそが誠に聖女の血を引く子孫であると噂が広まっていった。
その後は母親を目の前で亡くしたショックで無気力状態となってしまったシエラを養生させるために、アレンさんはシエラの親権をクロイツ教皇から譲り受け、ビスガンド家の生家が今も残る、帝国北方に位置する自然豊かな辺境の村トルファンにシエラを移した。彼女の養育係として同行したのが、アリアさんとも親交のあった、あのシスター・マーサだったらしい。
「——」
あの星空の下、連換術の師弟の契りを結ぶときにシエラがポツリと呟いた言葉。
⋯⋯あの言葉に込められた意味がようやく分かったような気がする。
連換術を教えてほしいと俺に頼んだことも。
⋯⋯本当に馬鹿だ、俺は——。
「もうこんな時間か。明日も早いのだろう? 昼間の疲れも残っているはずだ。部屋に戻って休みなさい」
「アレンさん?」
何も言えない俺にアレンさんは、優しい父親のように声をかける。
俺の両親も幼い頃に流行病で亡くなっているから、父親がどういうものかは思い出せないけど、なんとなく懐かしい感じがした。
そして、去り際にこんな言葉をかけてアレンさんは談話室を後にした。
「シエラを君の連換術の弟子にすること、しばらくの間、『保留』とさせてもらおう。それとは別に君には頼みたいことがある。今後ともシエラのこと、よろしく頼むよグラナ君」
こうして、今まで知ることの無かったシエラの過去をアレンさんから聞いた俺は、明日が早いことを承知しているにも関わらず、眠れぬ夜を過ごすのだった。
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