七話 リノ・クラネス

 あれから、三日後。俺は人形劇屋から受け取った例の“飴”の解析結果を聞きに、南街区にある連換術協会マグノリア支部を訪れていた。


 受付で要件を伝えた後、支部の二階の研究室へと向かう。丁度研究室に入ろうとしたところで、ロレンツさんとばったり鉢合わせした。


「やあ、グラナ君。突然、呼び出して済まなかったね。お店の営業中に本当申し訳ない」


「開店してても休業してるようなものだから大丈夫だよ、ロレンツさん。一応、ルーゼに店番頼んできた」


 酒場の定休日で暇を持て余していた幼馴染みが店に入り浸っていたので、そのまま店番を頼み今に至る。頼まれた当人はかなり嫌そうな顔してたが、暇なら店番くらい手伝って欲しい。


「ははっ、相変わらず仲がいいねぇ。……それじゃ解析結果の報告だけど」


 優秀な研究員であるロレンツさんから伝えられた飴の解析結果は、作成者の悪意が窺い知れるものだった。


「結論からいうと毒物の類は入っていない。ただ、君が言ってた通り異常に高い糖度で味覚を麻痺させるようだ。一種の常習性を早期に発現する代物みたいだね」


「常習性……。この飴が無いと落ち着かないとか、他の食事が喉を通らなくなるとかか?」


 俺の確認に頷いたロレンツさんは、机の上にある実験用マウスのケージを見下ろしながら話を続けた。


「この飴を少し砕いて水に溶かしマウスに与えてみた結果、以降全く他の餌を食べなくなったんだ。……異常な点はこれだけじゃない。マウスの皮膚を見てくれ」


「これは何かで擦ったような後?」


 実験用マウスの側面にいくつもアザができており、酷い箇所は皮膚が破れて出血の跡が生々しい。……一体これは?


「貴族街の目撃者の話だと、飴を渡される時に手元が黄金色に光ったそうだね? おそらく、連換した金を体内に取り込ませるのが目的だったんじゃないかな?」


「金を体内に?」


 確か、金は体内で消化されることも無いから人体には無害だと聞いたことはあるが。それと何か関係でもあるのだろうか。俺の疑問はつゆ知らず、ロレンツさんはここからが本題とばかり、ずり落ちた眼鏡を指の腹で押し上げた。


「金属系の連換術の特性でね。連換玉を介して連換した金属を、もう一度元素に戻して連換玉に取り込むことが出来るんだ。『送還そうかん』と呼ばれる高等技術だね」


 ただし、『送還』出来る金属は術者が行使したエ—テルが連換した金属に宿っている間だけ、とロレンツさんは付け加える。

 一度連換した金属を再び元素に戻す……。まさか、これが『神隠し』の手口か?


「このマウスは夜中になる度に、ケージに身体を擦り付ける異常行動を取っていた。確証は無いけど、体内に取り込まれた金粉が『送還』の影響で術者に引っ張られたとしか考えつかないかな」


 ということは、三日前あの飴を食べた子供達も夜中にいなくなったのだろうか。……やっぱりあの人形劇屋か。『神隠し』の犯人は。


「加えて、早期に常習性を発現するため身体に害の無い水銀の成分も検出された。……『神隠し』には二人の連換術師が関わっていると見たほうが良さそうだ」


「身体に害の無い水銀? 水銀は毒物だろ? そんなこと可能なのか?」


 俺の疑問にロレンツさんはここから先は想像だけどと前置きし、研究者らしい見解を述べた。


「水銀を連換するときに術者の意思で、その毒性の成分すらも書き換えたんだろうね。……正直恐ろしいよ。こんな代物、世に出回ったらどんなことに悪用されるか」


 現に連換術の悪用の典型ともいえるこの飴は、貴族街の子供達の誘拐に使われた。————連換術協会としても、見過ごせることではない。

 傷だらけのマウスを眺めていると「あ、忘れてた」と、ロレンツさんが思い出したように俺に尋ねる。


「グラナ君から渡された包紙。一個しか飴が入ってなかったけど、もう一つはどうしたんだい?」


「一個だけ?」


 そんな馬鹿な……確かに二つ渡したはず。あんな危険な飴わざわざ盗る奴なんて……。動揺で思考が揺さぶられる中、思い出すのはソシエに飴を見せた時のこと。

 ————扉越しにクラネスから声をかけられ気を取られたあと、ポケットに飴を戻す際に確か片方だけ異様に包み紙が軽かった気がする。まさか……な、とその可能性に思い当たった時、研究室のドアがバン! と乱暴に開いた。


「あ—こんなところにいた! 遅すぎるわよ、グラナ。もう、お昼回ったじゃない」


「ルーゼ? お前、店ほったらかして来たのか?」


「お店開いてたってお客が来ないじゃない! 一応、戸締りはしてきたし。それより、あんたにお客さんよ。ここまで連れてきてあげたんだから感謝しなさいよね?」


 ご機嫌斜めなルーゼの後ろから現れたのは、赤いフード付きのケープを被り顔を見せないようにしている人物だった。知り合いと言われても面識が全く無い。


「とにかく、グラナに会いたいようだから連れて来たけど。……誰なのよ? この女性ひと?」


「……いや、俺も心当たりないんだが……。————は?」


 チラリと一瞬覗いたその横顔に唖然となる。……この女性はあの時の。

 俺は慌ててルーゼを押し除けてフードの人物と一緒に研究室の外へ。「なにすんのよ!?」 とたいそう立腹しているル—ゼの声が扉を震わせているが、今はそれどころじゃない……。


「クラ……、シェ……。ああ、もうどっちでもいい!!  とにかくお前、なんのつもりだ!?」


 目の前にいたのは三日前、俺の前でシェリーと名乗ったクラネスだった。

 ルーゼが気づかないのも無理は無い。こんな弱気な表情を浮かべるクラネス、俺だって初めてだ。


「……助けてください、グラナ様。……もう、あなたしか頼れなくて」


 ケープで隠れた弱り顔から一雫の涙が伝わり落ちる。まさか……泣いてるのか?


「どうしたんだよ? 何かあったのか?」


「ソシエが……『神隠し』に……」


 なんだって?? 『神隠し』は貴族街の子供達を狙ったものじゃ……。

 とりあえず、ここじゃ落ち着いて話も出来ない。俺はひとまずクラネスを連れて支部を飛び出す。抵抗もせずに手を引かれる彼女の姿は、やはり俺の知る騎士団長とは似ても似つかなかった。


 ☆ ☆ ☆


 南街区を北上し中央街区に入った俺たちは、市街にある精霊教会の中でも一際立派な聖堂前の広場にやってきた。連換術協会の邪魔ばかりする司祭がいる建物だからあまり近寄りたくはないが、店にも戻れないし。モヤモヤする気持ちを抱えながら、広場に設置されたベンチに二人並んで座る。

 歩いているうちに少しは落ち着いたのか、彼女もだいぶ平静を取り戻していた。


「大丈夫か?」

「……はい。少しは落ちつきました」


 普段は聞くことの無い弱々しくか細い声。受ける印象は三日前と同じのお淑やかなあの雰囲気。今となってはどっちが素のクラネスなのか? なんて分からない。ただ……一緒に市街騎士団で働いていた四年間。どこか釈然としない違和感の正体は、これしか思いつかなかった。


「普段の騎士団長然とした、立ち振る舞いや言動……あれ全部演技だな?」


「お見通し……でしたか。やはり、貴方だけは欺けませんね」


 シェリーは何故か憑物が落ちたかのように天を仰ぐ。

 いつからかは分からないが、ずっとを演じていた。ということ……なのだろうか。


「確かミデス団長の亡くなった息子さんの名前が」


「“リノ・クラネス” 様です。私はミデス団長の養子になる際に彼の名前をいただきました。ミデス団長も寂しかったのでしょう」


 父親以上に優秀で将来のマグノリア市街騎士団団長を約束された人物。俺が知る本物の“リノ・クラネス”について知っている情報はこんなところだ。なぜなら彼とは会ったことが無い。十年前の帝国と東の隣国ラサスムとの間で起きた宗教紛争に巻き込まれ戦地で亡くなっているから、だ。

 市街騎士団員としては異例の征伐隊への抜擢に、街の皆からは今も語り継がれている人物でもある。


「……私もあの紛争で父を失いました。生きてはいたけどマグノリアに戻って来ませんでしたから」


「三日前、ソシエが話してくれた。————その……大変だったんだな」


 たぶん、今の彼女に必要なのは心の底からその境遇を理解出来る人だ。

 シェリ—の過去を知ったからといって、俺がその役割を果たせるか? といったら多分違うと思う。貴族と庶民、という隔たりもあるけど、それ以上にとしての彼女を知る者じゃないと務まらないのでは。そして、今この街にその役目を果たせるのはソシエしかいない。

 なら……先ほどの慌てぶりもなんとなく理解は出来る。


「それで、ソシエが『神隠し』にあったというのは?」


「今日は珍しく非番だったので、三日前に借りた洋服を返しにレンブラント邸を訪れたのです。そこでソシエが夜のうちにいなくなったと聞いて、頭が真っ白になって」


 なるほど、それで雑貨店に駆け込んでルーゼに連れて来られた訳か。

 やっと、事態が把握出来た。それに……。


「悪い。ソシエがいなくなった原因、俺にもあるかもしれない」


「?」


 俺は先ほどロレンツさんから聞いた内容を、かいつまんで彼女に説明する。飴が一つ無くなっていたこと。あの瞬間、すり替えることが出来たのはソシエだけ……という事実も。


「……そんなことが、あったのですか」


「俺の落ち度だ。あのとき、気づくべきだった、片方の包紙が空だってことに」


 おそらく、俺との会話から『神隠し』の絡繰を看破したソシエは、目を離していた隙に空の包紙と飴が入った包紙をすり替えた。

 理由はわざわざ語るまでも無い。


「ミックとミリア。攫われた子供達を助ける為ですね」


「そうだと思う。あいつは自分の身体を張ってでも、助けてやりたかったんだ。預かっていた子供達を」


 成分解析の結果、毒物じゃないと分かってるだけまだマシなものの、あの薄気味悪い人形劇屋に何されるか分かったもんじゃない。とにかく貴族街に急がないとまずそうだ。


「ここにいても解決しない。レンブラント邸に行ってみよう。ソシエなら何か手がかりになるものを残しているかもしれない」


「……」


 だが、シェリ—は顔を俯かせたまま、動こうとしない。

 ……ソシエが心配じゃないのか? もどかしい思いを隠そうともせず、俺はシェリーの肩を強く掴んだ。


「しっかりしろよ!  ソシエの危機なんだぞ!」


「……貴方に任せます。私が行ったところで足手まといでしょうから」


 全く予期しない返答に俺はかけるべき言葉を見失った。

 いや……薄々分かってた。これまでのクラネスとしての振る舞いが全て演技だとしたら、どこかで無理をしていたはずだ。それに気づいてやれなかった俺も馬鹿だが、今のクラネス……シェリーを誰が責められよう。


 心情的には理解出来る。でも……現実から目を逸らして、最悪の場面に立ち会うことも無いまま、このまま事態を静観したらシェリーはどうなるのか。……考えるまでもない。

 

 何故かは知らないがふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 まったく困った騎士団長様だ。いつも人のことを平気で厄介者呼ばわりする、あの冷静沈着で決断力のあるクラネスに今の弱音を聞かせてやりたい。

 

 ……。

 何考えてるんだか俺は。同一人物だろうに。ああ、本当にいらつくし調子が狂う。

 

 己を見失いつつあるクラネス=シェリー。喪失した彼女の自信を取り戻す方法……か。仕方がない……。これだけはやりたくなかったが、そうも言ってられない。


「ちょっと、付き合え」


「え?? わわっ……」


 何故か頬を赤らめるシェリーの手を引いて、俺は広場から東街区の方面へと歩き出す。行先は勿論あそこしかない。


 ☆ ☆ ☆


「ここは……」


「執務室に行くぞ。お前も顔見られたくないだろ?」


 コクリと頷く彼女を見やり、市街騎士団詰所の建物内に入る。

 昼食時の休憩時間なので受付には誰もいない。

 なるべく足音を忍ばせて二階に上がり、執務室の中に誰もいないことを確認して、二人一緒に部屋の中に滑り込むように入りドアを締める。

 まるで盗人にでもなったかのようだ。誓って、犯罪に手を染めたことは一度もないけど。


「……ここで何を?」


「決まってる。お前に“喝”入れてやる為だ」


 俺の一言に彼女は小首を傾げていた。やれやれ、これは相当な荒療治になりそうだと、これみよがしに嘆息する。


「……私なんかどうでもいいでしょう。早くソシエを……」


「言われなくてもソシエは助けに向かう。けれど、お前は納得できるのか?」


 震える声で……彼女は言った。出来ません、と。……でも、と彼女は続ける。


「ずっとミデス団長の為に”リノ・クラネス“を演じ続けてるうちに分からなくなってしまったのです……。私はシェリーなのか? クラネスなのか? 一度考え出したらもう訳がわからなくなって……」


「そんな状態で……ソシエに会っても自分が辛いだけだ、とでも言いたいのか?」


「……」


 図星らしい。しょうがない、まずはその思い違いから紐解いていくことにしよう。


「なわけないだろ? お前のことを話していたソシエ、とても心配してたぞ。……本当の血の繋がりはなくてもお前とソシエはなんだろ?」


「それは……」


「俺には弟や妹がいないから分からないけどさ。————助け合うもんだろ、兄弟でも、姉妹でも。大切なソシエの危機に、お前はそうやって蹲って誰かに助けを求めるだけか?」


 ぐさりぐさりと、シェリーの古傷を抉るかの如く言葉の刃を突き立てる。

 俺に彼女の境遇を本当の意味で理解することは出来ない。せいぜい出来ることといったら、こういうふうに煽り立てて奮起を促すだけ。我ながら、不器用なやり方だと思う。でも、こういうのは自分で立ち上がらなきゃいつまで経っても過去に引っ張っられるだけだ。

 人のことは決して言えない、“俺”という良い前例がここにいるのだから。

 執務室の壁に吊るされていた、細剣を手に取る。

 普段間近で拝むことの無い、夜の月明かりのような光沢を放つ銀色の細剣の柄には薔薇の黒印が鈍い光を放っていた。……この剣、ローゼス子爵の形見なのかも知れない。俺は剣の刀身を真っ直ぐ横に構えると、床に蹲ったままの彼女に思いの限りをぶつけた。


「現実はな、いつだって無情なんだよ。大切な何かも、大切な人もいつのまにかいなくなっちまう。後悔なんてしてる暇も無いくらいに」


「グラナ様……」


 俺の張りのある声に彼女が反応を示す。……まだだ、これだけじゃまだ足りない。

 ————思い切り発破をかけてやる。


「これ以上は俺も何も言わない。後悔したいなら好きなだけすればいい。だけど、まだお前に騎士として戦う覚悟があるのなら。お前の大切な妹を守りたいと思うのなら! この剣を取って立ち上がれ!!  クラネス!!」


 後に、このときこの瞬間を思い出すだけで、こっぱずかしくなる俺の黒歴史が刻まれた瞬間だった。勢いだけで言うもんじゃないと、今更ながらにそう思う。

 が、そのときの俺はなぜか、この言葉が一番響くのではと不思議な確信もあった。


 俺の精一杯の気持ちと猛りが彼女の重い足を動かしたかどうかは、彼女自身でしか知りようが無い。だが、彼女は立ち上がり右手でしっかりと剣の柄を握る。


 その瞳には力強い輝きが星の如く瞬いていた。

 父の形見である剣をしっかと掴み、クラネスはひゅんとその場で刃を横に薙ぐ。

 涙でくしゃくしゃになった顔。だが、迷いが吹っ切れたかのような、清々しさが迸っていた。


「———心配かけたな、グラナ。ありがとう……もう大丈夫だ。……今は、これが精一杯です」


「十分だ。俺にとってお前はシェリーでもリノ・クラネスでも無い。ただの”クラネス“なんだから。今度こそ、急ぐぞ貴族街に」


 差し出した手は力強く握りしめられた。俺たちは僅かに視線を合わせると、勢いよく詰め所を飛び出す。

 自身と自信を取り戻したクラネスと共に、貴族街レンブラント邸へと急ぐのだった。

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