六話 ローゼス子爵

 あの後、俺とシェリ—……クラネスは一言も話さずレンブラント邸まで戻って来た。正直なところ色々と聞きたいことはある。けれど、何故かは分からないがそれを聞いた瞬間、俺はクラネスと今まで通りの付き合いが出来なくなると思い込んでいた。


「……それでは、私は着替えてきますので」


「……ああ」


 彼女はそのまま勝手知ったるが如く、レンブラント邸のドアに手をかける。

 いいのか? このままを行かせて?

 そうこうしてるうちに、彼女はドアの向こうに消える。何、びびってるんだ、俺。声をかければいいだけじゃないか————


「待った!!」


「ふぇ!? な、な、な、なんですか??」


 俺の精一杯の呼び止める声に彼女はやたらと驚いていた。随分と愛嬌のある驚き声だ。というか素の反応かもしれない。


「とりあえず、助かった。おかげで『神隠し』の絡繰が少しは解明できたからな」


 俺のいろんな感情が込められた言葉を、がどう受け取ったかは分からない。だが、シェリーは驚いた表情は見せたものの、まんざらでも無いようでクスッと笑って見せる。


「……ええ。お役に立ててなによりです。グラナ様」


 そして、今度こそシェリ—は扉の向こうへと姿を消した。……魔法が解ける前に姿を隠すように。

 俺はしばしその場で立ち尽くした後、頬を両手でバシン! と叩く。

 夢ならいい加減覚めるべきだろうと頬もつねってみたが、どうやら夢では無いらしい。調査結果を報告がてら詳しい話を彼女に聞くべき……なのかもしれない。


 ☆ ☆ ☆


 最初に通された客間へと戻ると、ソシエが夕暮れ時の外の景色を窓から眺めているところだった。夕日を浴びた彼女のブロンドの髪は黄金色に輝き、光沢を放っている。ドアを開けた音で気づいたのか、彼女はこちらを振り向いた。


「おかえりなさいませ。どうでしたの?」


「人形劇屋と接触出来た。これだろ? 預かっていた子供達が食べたものは」


 俺は上着のポケットから例の包紙を取り出す。相変わらず異様な甘い匂いを発するそれにソシエが目を見開いた。


「この刺激臭のような甘い匂い……。これですわ。包紙に入ってたもの」


「なるほど。ということは、この飴を食べた子供にマーキングして攫ってた、ということか?」


 全く、とんでもない手口だ。後は、具体的にどう子供達を攫っているのかだ。突き止めなきゃいけないのは。俺が飴の包紙を難しい顔で凝視してると、遠慮がちにこんこんとノックする音が響いた。


「先に戻っている。ソシエさん、ドア越しで申し訳ないが、このまま失礼いたします」


「……ああ。お疲れ様」


「お気をつけてお帰りを。クラネス様」


 俺はドアの方を振り向きながら、彼女に労いの言葉をかける。

 ドアの向こうの人の気配はそのまま遠ざかって行った。今は、そっとしといたほうがいいだろう。

 気を取り直して……こちらも本題に入るとする。俺の視線が向けられたことを察してか、ソシエも何かを感じ取ったらしい。


「……何か聞きたいことがあるようですわね?」


「あいつらしくない姿、見せられた後だからな。あんた……クラネスとどういう関係なんだ?」


 俺の質問にソシエは答えるか答えまいか悩んでるようだった。だが、意を決したようにこちらに向き直る。


「グラナ、でしたわね? あなたはクラネス様についてどれくらいご存知ですの?」


「どれくらい……と訊かれても。市街騎士団の現騎士団長で、ミデス前騎士団長の養子ということぐらいだ。知っているのは」


 クラネスとの付き合いは、俺が市街騎士団に入団してからなので今年で四年になる。

 癖の強い騎士団員を纏める統率力とリーダーシップ。まるで男装の麗人であるかのような振る舞いは異性のみならず、同性からも人気がある。

 ただ、周囲が期待するような浮いた話は一切無く、常に黙々と街の治安を守るために働く才女……それが、俺の中での”リノ・クラネス”の人物像だ。

 だが、彼女は前騎士団長の養子になる以前の話は決して語りたがらない。まるで忌まわしい記憶を封印するかのように。


「本当なら本人が話すべきことだと思いますが、今日の調査結果の報酬ということでお話しいたしますわ」


「助かる。情けないが面と向かって聞けるような話じゃなさそうだからな」


 ☆ ☆ ☆


 再び、客間のソファに俺とソシエは向かい合わせで座っていた。

 気づけば日はとっぷり暮れて、室内は暖炉の火の赤熱、ランプの明かりがあっても薄暗い。街中には夜でも明るい街灯の設置が進められているが、人々の暮らしに恒常的な灯りが普及するのは、まだまだ時間がかかるらしい。


「それではクラネス様とわたくしについてお話いたします」


 ソシエが語ったクラネスの過去は、まず彼女達の幼少時代から始まる。

 同じマグノリア貴族街の出身でもあり、年齢も一歳違いなこともあって二人はまるで姉妹のように育ったという。

“シェリー・ローゼス”。クラネスの本来の名前であり、彼女は剣で武勲を立てて子爵の爵位を授かったジェラルド・ローゼス子爵の愛娘だった。

 尊敬する父の才を色濃く受け継いだのか、彼女の剣の才は幼少の頃より抜きん出ており、同年代の男の子で彼女に勝てたものはいなかったとか。

 だが、その幸せな生活は十年前、東の隣国ラサスムのラスルカン教と精霊教会との間で起きた宗教紛争により一変する。

 第二次征伐隊として戦地に赴いたローゼス子爵は、敵の奸計に嵌り捕虜となってしまったのだった。

 このままでは帝国とラサスムの全面戦争になることを恐れた、時の皇帝ベルクリスト・フォン・マテリアとラサスムの国王カシム・アブ・サイードは共に和平協議を提案。

 帝国側が捕らえたラサスムの将軍と、ローゼス子爵の捕虜交換により和平協議は締結され、一連の騒動は一通りの結末を迎える。

 だが、ローゼス子爵がマグノリアに戻って来ることは無かった。

 そして四年前、帝国暦1258年の巡礼月。皇帝陛下が不治の病で崩御された。

 しかし、事実は一部の諸侯による謀反の暗殺だったという。

 その翌年、ローゼス子爵は皇帝陛下暗殺の実行犯の罪により処刑された。

 この事実は公には公表されておらず、限られたものしか知らない情報だとか。

 爵位を剥奪され貴族街から追い出されたシェリ—を養子に迎えたのが、ローゼス子爵とも親交のあったミデス前騎士団長ということらしい。


「……」


 つまびらかにされたクラネスの過去に俺はしばらく、言葉が思い浮かばなかった。————こんな重すぎる過去、話したくないのも納得出来る。


「ですが、クラネス……シェリーお姉様のお父上が皇帝陛下を暗殺されたとは、とても考えづらいのです」


「どういうことだ?」


 ソシエはすっかり冷めてしまった紅茶で喉を潤すと、その碧玉の瞳を潤ませながら続けた。


「仕事で家を留守にしがちな両親に代わって、あんなにわたくしに良くしてくださったジェラルドおじ様が、そんな大それたことをなさるなんて、とても信じられなくて。伝手で知り合った情報屋に必死に頼みこんで調べてもらいました。……伝えられた情報に耳を疑いましたわ」


 ジェラルド・ローゼス子爵は冤罪により処刑された可能性がある。涙ながらにソシエが語った事実はとても残酷な真実に至るかもしれない手がかりだった。


「そのこと、クラネスは?」


「……勿論、知っておりますわ。この情報の真偽を確かめる為に、シェリーお姉様はミデス様の養子となり市街騎士団に入団したのです。市街騎士団とは帝国に有事があった際の常備軍。一都市の治安を任せられるほどの騎士団長となり実績とその働きが認められれば、皇都の陛下直属の親衛騎士隊への異動も有り得ない話ではありませんから」


 あいつがあんなに仕事熱心なのはそんな裏の事情があったわけか。

 皇都、それも事件の現場となったマテリア皇家に仕える為に。

 俺は昼間見せた彼女のもう一つの顔を思い出す。本来ならあり得たかもしれない素敵な女性シェリーの姿は、あいつにとって唯一残った未練だったのかもしれない。

 ……このことを知った今、俺が彼女に出来ることはあるのか?

 駄目だ……今は何も思いつかない。


「すっかりお引き留めしてしまいましたわね。……本当にありがとうございました。流石はクラネス様に優秀と認められるほどの連換術師ですわね」


「自分で優秀だなんて思ったこと、一度も無いけどな。この飴はマグノリア支部で知り合いの研究員に解析してもらうよ。何か分かったら連絡する」


 俺は手に握った飴の包紙をポケットに戻す。……この時本当は気づくべきだったんだ。さっきと比べて、飴の包紙の片方が異様にことに。


 だが、そのときの俺はそのままレンブラント邸を後にしようとしていた。


「……グラナ」


 部屋のドアに手をかけ、退出しようとした俺にソシエが声をかける。


「ん? なんだ?」


「シェリーお姉様に何かあったら……あなたが助けてあげてくださいね。……ああ見えて、お姉様あなたのことをとても信頼されているようですから」


「……ああ。その時が来たら、な」


 本人の預かり知らぬところで教えて貰った情報の見返り。俺に何が出来るかは分からないけど、その時が来たらクラネスの力になることをソシエと約束する。

 思いもがけずクラネスの過去を知った俺は複雑な思いを抱えながらも、貴族街の門へ向かって星明かりが差す大通りを歩いていくのだった。

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