四話 市街騎士団詰所にて

「それで? 結局そのフードの怪しい人物を逃がしたと?」


「そうだ。あの子を置いてとっとと逃げて行った」


 あの後、駆けつけてきた市街騎士団員と共に、事情聴取という名目で東街区にある騎士団詰所に半ば強制的に同行したグラナは、騎士団長リノ・クラネスに仏頂面で答えた。

 細身の体躯に黒みがかかった藍色の短いショートヘア、前髪を無造作に左に垂らし凛とした佇まい。少し中性的な印象に見られがちだが、マグノリア市街騎士団創設以来初めて、騎士団長の座についた女性騎士であった。


「まったく、生誕祭の準備もあってただでさえ忙しい状況だというのに、相変わらず厄介ごとばかり起こしてくれるなグラナ?」


 こめかみに手を当て頭を抱えるクラネスはじとっとした目でグラナを睨む。グラナが騎士団にまだ所属していたころから変わらず繰り返されるやり取りであったが、この手の場合、得てして当人グラナが厄介ごとを引き込んでいると自覚しているのは稀である。

 

 そして今回に限ってはその厄介ごとを早期に解決したのがそのグラナだったので、クラネスは素直に感謝出来ないでいた。

 当のグラナは毎度お馴染みのやり取りに辟易としつつ、執務室のボードに貼ってある指名手配犯の似顔絵を横目で眺めながら答えた。


「こちらはあくまで正当防衛だ。それにその厄介ごとの一つは解決したんだ。感謝して欲しいくらいだな?」


「⋯⋯そうだな。この忙しい時に人探しの依頼などされてどうしたものかと思ったが、懸案事項が一つ無くなったのは礼を言おう」


 あの時、酒場の壁を突き破って気絶していた少女は、聖堂から捜索依頼が出ていたシスター見習いだった。かなりの衝撃で壁に叩きつけられた筈だが、不思議なことに身体のどこにも異常は無く、呼ばれた医者も首を傾げていた。応急処置は済ませたが、大事を取って騎士団詰所の医務室で保護しており、酒場も修理で休業になったのでルーゼが付き添いで少女を見守っていた。


「医者の診察によると身体中擦り傷だらけだが、命に別状は無いようだ。後ほど聖堂の者が彼女を迎えに来ると連絡があった。こちらとしては意識が戻り次第、詳しい話を聞きたいところだが」


「流石の騎士団長様も教会には逆らえない、と。あの男、かなり腕の立つ刺客だった。何者なんだか」


「私も同じことを考えていた。お前の連換術に張りあえる実力者、か⋯⋯」


 内心、心良くは思っていなくてもグラナの武術の腕に関してだけは、クラネスは一目置いていた。連換術、それも四大属性の一つである風を行使出来る数少ない使い手であることも大きいが、それだけでなく彼が少年の頃に師事していた連換術の師から文字通り身体で学んだという体術も、騎士団の猛者にも決して劣らぬ練度であったからだ。

 

 徒手空拳の戦いを得意とするグラナに前騎士団長は剣術を教えることを早々に諦め、代わりに利き手を保護する特注の可動式籠手を持たせたのだった。

 二人が得体のしれない襲撃者について思考を巡らせていると、執務室のドアが開きルーゼが顔を覗かせた。


「二人ともここにいたのね。あの子、目を覚ましたわよ」


 騎士団の詰所は一階が市民からの要請に対応する受付、騎士団と街の要所との連絡をやり取りする電信室があり、二階がクラネスが務める執務室と緊急処置用の医務室が配備されている。

 

 詰所と渡り廊下で繋がった先には宿舎棟があるが、生誕祭の準備で忙しいのか残っている騎士団員は僅かだった。

 医務室に入ると、真新しい消毒液の臭いが鼻を突く。窓際に設置されたベッドの上では、ガウンを着た銀髪の少女が眠そうな目を擦っていた。


「⋯⋯あなた方は?」


「目を覚まして何よりだ。私は市街騎士団の団長リノ・クラネス。聖堂より君の捜索依頼が出されていてね。勝手ながら保護させてもらったんだ。⋯⋯シエラ・プルゥエルさん」


 クラネスの言葉にようやく頭が覚醒したらしい少女、シエラは自分の五体が無事であることを確認する。服の袖より見え隠れするすり傷は、少女の逃避行が壮絶なものであるのを伺わせ、雑菌が入らぬよう消毒された包帯で巻かれた手足が痛々しい。

 

 気絶から目覚めた直後の倦怠感も未だ抜けきっていない様子で、すぐにベッドから起き上がれる状態では無かった。


「もう駄目だと思ってたのに——私、生きてるのですね。その方達は?」


「気絶していた君を快方してくれたグラナとルーゼだ。いくつか聞きたいことがあるのだが大丈夫かな?」


 クラネスの問いかけにシエラは起こした頭を俯かせる。その表情は焦りと怯えが入り混じり、何をどのように伝えれば分かって貰えるのか必死に考え逡巡しているかのようだった。

 その煮え切らない態度に、何かあると感じたグラナはシエラの近くに寄ると普段より幾分柔らかい口調で尋ねた。


「何か言えない事情でもあるのか?」


「——」


「言いたく無いなら無理には聞かない。だけど、せめてこれだけは教えて欲しい。あの妙な力を使う襲撃者、あいつは一体何者なんだ?」


 直接戦ったからこそグラナはあの襲撃者の異様性を誰よりも肌で感じていた。フードから見え隠れする生気を感じない青白い肌に、その両腕から放たれる赤黒いエーテル。更に人間ではありえない身体能力を持つあの刺客相手に、もう一度遭遇して果たして勝てるかのか? と。実力差という言葉だけでは測れない、壁のようなものを見せつけられたからだった。

 

 シエラがあの襲撃者に追いかけられて無事だったのはひとえに幸運だったのか、あの襲撃者が単に手を抜いていただけだったのかは知る由も無い。


「妙な力? あなた聖葬人せいそうにんと戦ったの!?」


 聖葬人、その言葉を聞いたグラナの脳裏に過ぎし日のあの光景が浮かんだ。あの燃え盛る劫火の中、身を挺して助けてくれた師の前に立ち塞がったのも確か——。


「なるほど、随分危ない目に遭われていたんだね? ⋯⋯ところで、何故聖堂から抜け出したのかな?」


 クラネスは腕を組み、詰問するかのように本題に入る。その鋭利で冷徹な視線は、シエラのまだ血の気が完全に通ってない顔を射抜き、有無を言わせぬ強制力を持つ魔眼であるかのように彼女の重い口を開くかと思われたが。


「申し訳無いですが、話すことは出来ません」


 シエラの意志力はどうやら尋問させれば確実に口を割らせると言わしめた、クラネスの威圧にも動じないようだった。しばらくじっとシエラに視線を注ぐもその意思は蓋が閉じた貝以上に固く、やがて根負けしたクラネスはため息をつき、組んでいた腕を解き両の手の平を上に向けた。

 

 シエラの一言に思考を巡らせていたグラナはそこで我に帰ると、クラネスに問いかけた。


「どうするんだ? このまま何も聞き出せないまま聖堂に引き渡すのか?」


「——聖堂から保護を依頼されているからな。本人に話す気が無い以上このまま引き渡すことになるが」


「待ってください! 私、聖堂にも戻れません⋯⋯」


 グラナとクラネスの会話を聞いていたシエラが焦った様子で叫んだ。その突然の変貌ぶりに今まで事の成り行きを見守っていたルーゼが、心配と疑問の両方を表した表情で俯いたままのシエラに声をかける。


「聖堂に戻れない? どういうことなの?」


「先ほどお話しした聖葬人。あれは教会の暗部の手の者です。聖堂に戻れば私は確実に⋯⋯」


 命が脅かされている。震えるシエラの様子から多くを語れとというのは酷なことだろう。あの男の不気味な影が笑みが肉体的にも精神的にもシエラを蝕んでいた。あるいは初めから恐怖心を植え付けるためだけに、シエラを生かさず殺さず追いかけ回していたのかもしれない。見るに見かねたルーゼがシエラの手を握りクラネスの顔を見て懇願する。


「クラネスさん、なんとかならないんですか?」


「なんとかしたいが、彼女の話が本当ならこれは騎士団の手には余る案件だ。——教会の暗部か。確か教義に背いた者の粛正を請け負う組織だったか? 本当に実在したとはね⋯⋯」


「教会のお抱えの粛清人、か。そんな危険な奴に目をつけられてるお前は、一体何者なんだ?」


 グラナのもっともな疑問に、シエラは答えるか答えまいか悩んでいたが、意を決したように俯いた顔を上げた。


「⋯⋯長い、話になります」


 まるで今までの怯えた態度が嘘であるかのようにシエラは語り始めた。精霊教会に語り継がれている聖女の伝説、その真実を。

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