第14話 揃った役者②
ラクリマの動きにより、ダンが劣勢であると察した湊は、白雪をチハヤに託すと、その場から姿を消した。
急ぎ湊を追おうとする白雪だったが、チハヤに阻まれてしまい、行く手を塞がれてしまった。
白雪が「どいて」と言えば、チハヤは「駄目だ」と首を振り、二人の主張は平行線のまま進展しない。
彼等の事情など知るよしもないアドウェルサスの面々は、ただ様子を見ることしかできずにいた。
強引にでも突破してしまえばいいのにと焦ったく思うラクだが、よくよく考えれば、チハヤの能力では一瞬で追いつかれ連れ戻されてしまうと考え至り、また浅慮してしまったと羞恥に頬を赤らめた。
「ヒバシリ、外にいるラクリマの持ち主が誰か分かるか?」
「……あぁ」
白雪とチハヤの様子を窺いながら、ヤシロはヒバシリの側へ移動し、小声で尋ねた。
難しい顔で肯定したヒバシリに、どんな奴かと質問を重ねれば、ヒバシリは更に難しい顔で短く唸った。
「正直言って、よく分からん。ただ……」
「ただ?」
不自然に言葉を切ったヒバシリへ続きを促すヤシロに、ヒバシリは一度だけ会った黒の青年の姿を思い浮かべた。
切れ長な輪郭の中から、こちらを睥睨する金色の鋭い瞳。
その瞳から感じた、竦むような怒り。
それは全て……。
「奴は、白の解放者の為に動く……のだろうと、思う。恐らく」
「つまり、白の解放者を攫ったアドウェルサスは、まさに敵以外の何者でもないと……」
付け加えたヤシロに、ヒバシリは鈍く頷く。
堂々とし、豪胆なのが常な彼の、この緊張した様子から、ヤシロは自分が思っている以上に状況が悪いのだと悟る。
「じゃあ、早くあの子を解放した方がいい。この後に及んで、嫌だとは言わせないからな」
「……あぁ」
やや剣のある声色でヤシロが念を押すと、ヒバシリはバツが悪そうに了承した。
自分が命令を下し、白雪を拘束させようとした仲間達へ、今の自分の意思を伝えるように視線を向けると、数人は迷いなく。数人は戸惑ったまま。けれど、誰もが頷き、賛同の意を示した。
ヤシロの言葉と、白雪の行動に、彼等は彼等なりに感じるところがあったのだろう。
彼等の目にあった、憎しみによる仄暗い影はなくなっていた。
今は白雪の行く手を阻むチハヤの目の方が、仄暗い影に覆われ、揺れているように見えた。
「新入り、その子を外へ行かせてやってくれ」
まず、ヤシロがそう切り出した。
白雪はそちらに背を向けたまま、顔だけを僅かに振り向かせ、チハヤは訝しげにヤシロを一瞥すると、不快げに目を細めた。
「お前達には関係ない。黙っていろ」
「お前はその子を守る為に、俺達の仲間のフリをした。同じ新入りの湊と、ダンも同じだろう」
苛立ちを隠しもせず吐き捨てたチハヤに、メグミとワドがヤシロの言葉を引き継ぎ、説得を試みる。
「外にいるのは、その子の仲間だろう? なら、外にいる奴とお前達の目的は同じはずだ。敵ではなく、同じ目的を持った仲間……」
「知ったような口を利くな!」
喉が裂けんばかりの叫び声に、ワドは言い終えようとしていた言葉を思わず切ってしまう。
「あいつが、姉さんの害なんだ。あいつを姉さんに会わせるわけにはいかない」
言いながら、チハヤは白雪の腕を掴む。
力強い言葉とは裏腹に、その手は迷い縋るように震えていた。
「あいつがいるから姉さんは帰ってこれないんだろ? あいつがいるから……あいつのせいで、姉さんは今も笑えないんだろ?」
うわ言のように呟くチハヤに、アドウェルサスの面々は困惑の表情を浮かべ、白雪は息を呑んだ。
腕を掴む彼の手にそっと自分の手を重ね、口を開く。
「……彼がいなくても、私は貴方達の元へは帰らなかった」
あまりにも真剣な声音で紡がれた白雪の言葉に、チハヤの目が悲壮に歪んだ。
瞬間、腕を掴む手に思わず力が篭るが、すぐに自分が掴んでいるのが誰の腕なのかを思い出したのだろう。
震える手から力が抜け、全身にまで影響するように、顔はだらりと下を向いた。
「姉さんは……もう、俺達のこと……」
悲しい。恋しい。
家族に焦がれる子供のようなその声に、アドウェルサスの面々は初めてチハヤを年相応の少年らしさを感じていた。
白雪は、力の抜けたチハヤの手を、少しばかり力を込めて握る。
「チハヤ」
そして、母のような、姉のような温かい声で、彼の名前を呼んだのだ。
名前を呼ばれ、弾かれるように顔を上げたチハヤは、瞠目していた。
「俺の……名前……」
揺れるチハヤの目は、動揺を顕著に表していた。
俄かに信じがたい。表情、声、どれを取っても、そう伝わってくる。
「大切だと、言ったでしょう?」
彼女の言葉が、彼に取ってどれほどの影響力があるかが窺える。
白雪の言葉一つで、チハヤは顔をくしゃりと歪めた。
「姉、さん……」
絞り出した声は、嗚咽のようになっていた。
白雪の腕を掴む手を、そっと下ろしたチハヤを見て、アドウェルサスの面々は隣り合った者同士、顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべた。
これで、彼の問題は解決したのだろうと。
チハヤの手は、もう震えてはいなかったから。
「あいつが……」
しかし、その安堵がいかに早計だったのか……。
チハヤがぽつりと零した言葉により、アドウェルサスの面々は知ることになる。
チハヤの言葉に耳を傾ける白雪に、彼は一つ、問い掛けた。
「あの黒の男が、姉さんが“最初に名前を呼ばなければならない人”?」
「……え……」
チハヤの言葉に、白雪の口からか細い声が漏れた。
黒の男。
名前。
最初に名前を呼ばなければならない。
三つのキーワードの内、彼女の脳裏に真っ先に一人の青年の姿が思い浮かんだ。
優しく微笑み、“白雪”という美しい名前を与え、呼んでくれた。彼女自身が“黒陽”と名付けた、彼の姿。
白雪は震える手で口元を覆い、沈黙した。
「姉さん?」
「おい、大丈夫か」
気遣わしげに声を掛けるチハヤとヤシロの声に反応を見せない。
(最初に名前を呼ばなければならない人……? 私が、チハヤにそう言った? )
チハヤ達と過ごした幼い日々を思い起こす白雪だが、チハヤが言うような言葉を口にした記憶を見付けることはできなかった。
言った記憶はない。誰の名前も呼ばないようにと心掛けた覚えもない。
だというのに、白雪にはその言葉が妙に口馴染みがあるように感じてならなかった。
(でも、私は今までも彼以外の人の名前を呼んで……)
ぐるぐる、ぐるぐる。
自問自答を繰り返し。覚えのない言葉の真意を探し。……ふと。
真っ白になった頭の中で、一つの答えに気付いた。
(……ない)
それは、少なくとも彼女にとって衝撃的な事実だった。
側にいる少年や、これまでに出会い、名乗ってくれた人々。
思い出の中の灰色の青年でさえ、愛称といった曖昧な呼び方でしか呼んだことがなかったのだ。
きちんと名前を呼んだことがあるのは、ただ一人。ただ一つ。
黒陽という名前だけ。
ビリッ……と。
頭の中に電流が流れたような、鋭い痛みに白雪は蹲った。
「湊、さん」
ダンが見つめる青年は、彼が尊敬する数少ない歳上の人物だった。
一人は言うまでもなく、姉と慕う白雪。
赤の他人である自分を育ててくれた、施設の管理者の老女。
そして、姉と慕うのが白雪なら、兄と慕っているのが、湊。
強く、賢く、優しい彼を、誰もが認め慕っていた。
そんな彼の登場に、ダンは安堵し……愕然とした。
「ダン、お前はもう休むんだ。あとは俺がやる」
「……湊さ、ん?」
瞬間移動の能力を持つチハヤのように、突如現れた湊はダンに呼び掛けると、一瞥もくれることなく黒陽へ向かっていった。
黒陽は、怪訝に眉を歪め、鋭い目を更に細めた。
「死んでください。貴方がいなくなれば、彼女は自由になれる」
敵意の籠る眼差しで黒陽を見据える湊の言葉に、黒陽は一切の返答をせず、ただ探るような視線を送った。
死ねと口にするだけあり、湊の行動は早く、的確だった。
まず手始めとばかりに、一陣の風刃を起こし黒陽への攻撃を開始する。
黒陽が身軽な動きで飛び退き、回避すると、風刃を放った直後に作り出したらしい氷の矢が彼を襲った。
黒陽の目頭に、くっと小さな皺が寄る。
「他人の能力を使えるのか……」
「理解が早いですね。ですが、理解したからといって貴方に有利になるわけではありませんよ」
早くも、湊の能力は他者の能力をコピーするものだと勘付いた黒陽だが、湊の言う通り、それで形勢が黒陽に傾くというわけではない。
次に湊がどんな能力を使うのか、黒陽は予測することができない。
それはラクリマを使用するアダマント同士の争いに置いて、大きな不利である。
遠距離からの攻撃、近距離での物理攻撃。はたまたトラップのような能力。
何がくるか分からないということは、不用意に近付いても、距離を取っていても、危険か安全か判断できないのだから。
湊の攻撃は容赦なく続けられた。
地中から伸びてきた無数の木の根は、拘束する為ではなく鞭のように明確な攻撃として動き、避ける黒陽の動きを乱す。
砲弾のように放たれる氷の塊は、大きな物はあまり早くはないが、その内に混じる小さな物は早く、遠近感の錯覚を起こし避け難くされている。
どの能力も、その能力でできうる大技は使われていないが、湊の扱い方は実に賢く、本来の力の持ち主よりも熟達している能力もあると思えるほどだった。
「その辺りでやめておけ」
だが、そんな攻撃の数々を、黒陽は一つも受けることなく、能力を使うこともなく、見事に回避していった。
「俺では貴方に敵わないから、とでも? ……ご冗談を」
湊は黒陽の忠告をにこやかに撥ね付けるが、その視線は鋭く、苛立ちが透けて見えていた。
本気の殺意を一身に受ける黒陽は、目を細め湊を見据える。
まるで、姿の見えない何かを探すように。湊ではなく、別の何かの気配を感じているように。
「考え事とは、余裕ですね」
その黒陽の態度は湊にも通じたようで、苛立たしげにラクリマを増長させた。
ラクリマを増長させるということは、つまりそれだけの大技を仕掛けようとしているということになる。
「み、湊さん……!」
焦ったダンの声に、湊が反応を示さず、黒陽のみを見据えていた。
「駄目だ! そんなにラクリマを使ったら……!」
制止の声を聞こうとしない湊に、ダンは悲鳴のような声を上げ、よろりと立ち上がった。
アダマントにとって、ラクリマは能力を使う為に存在するエネルギーであるが、その価値はそれだけにあらず。
ラクリマはアダマントにとって、なくてはならないもの。生命に直結するエネルギーである。
使えば使うほど消耗し、回復には休息が必要不可欠なそれを、惜しみなく使い続ければどうなるか。
言わずとも分かることだろう。
湊が現れたときから、ダンは妙だと感じていた。
いつもの湊のように見えて、その実我を忘れているような。まるで、正気でいる“つもり”でいるような。そんな違和感を。
その違和感は、ダンに疑問を与え、黒陽に“答え”をもたらした。
「湊さん!」
掠れたダンの叫びは、湊には届かなかった。
凝縮されたラクリマのエネルギーが、黒陽の周囲に嵐を起こす。
土を巻き上げ、石や枝を巻き込み、黒陽を飲み込んだその風の能力は、皮肉にも白雪のものだった。
「……くっ」
大技を使ったことで、著しくラクリマを消耗した湊は、能力を発動させたまま膝をつく。
被りを振り、疲労を誤魔化そうとした彼が、黒陽を呑み込んだ嵐へ再び目を向けた、そのとき……。
「なっ……ぐあ!」
黒い影が化け物の如く大口を開け嵐を飲み込んだかと思えば、そこから飛び出してきた何か……黒陽に、湊は胸倉を押さえ付けられ、地に引き倒された。
「く、そ……!」
首と背中の痛みに堪え、懐から取り出したナイフを振るが、黒陽は躊躇なく素手で受け止めた。
「何故お前が、そのラクリマを纏わせている……?」
「くっ……何を、訳の分からないことを……っ」
唸るように落とされた黒陽の問いに、湊の体は反射的にぶるりと震えるが、半ば意地で吐き捨てると、胸倉を掴む黒陽の手に力が込められる。
「分からないのか……? 思い出さないのか? おまえに纏わりついているそのラクリマは……」
湊の顔を覗き込み、垂れた前髪の隙間から覗く黒陽の金色の目には、煮え立つような怒りが見え、湊は途端に強い寒気に襲われ、硬直した。
そして……。
「“彼女”を殺した男のものだ」
絶叫した。
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