第14話 揃った役者①
脳裏を過ぎった金髪の少年の姿は、過去に見た姿がフラッシュバックしただけにしては、やけに現実味を帯びた悪寒を白雪に与えた。
青黒い髪の青年、湊が彼女を振り向き、無傷であることに安堵するように目元を和らげた様を見て、ようやく白雪は楽に呼吸ができるようになり、自分が息を止めてしまっていたのだと気付いた。
一呼吸目で肺に流れてきた酸素の量は自然と多くなった。
「姉さん、大丈夫?」
「……えぇ」
異変に気付いたチハヤにそっと声を掛けられ、白雪は端的に頷く。
こちらではなくアドウェルサスの面々と向き合っている湊の背に、もう別の人物の姿が重なって見えることはなかった。
「敵意のない人間を相手に、随分と野蛮なんですね」
第一声から、怒っているのだと分かる冷たい声で、湊はアドウェルサスを糾弾した。
彼に蹴り飛ばされたメグミやワドのように、バツが悪そうに顔を歪める者もいれば、ラクのように苛立った表情をする者もいる。
ぐるりと彼等を見回し、湊は大きく溜息をつくと、冷めた目でヒバシリを見据えた。
「仮にも大勢の中心に立つ人間が盲目的では、仕方がありませんか」
「てめぇ……!」
「何が言いたい?」
あからさまな侮辱に、ラクが食ってかかろうとするが、重量感のあるヒバシリの声がそれを遮った。
両者、鋭い視線を送り、空気が張り詰める。
その視線を先に切ったのは、もう一度溜息をついた湊だった。
「怒りで我を忘れ、自分がしてしまったことにさえ気付かない。自分が“誰”を傷付けようとしたのか、その暴挙を止めてくれたのが“誰”なのか。頭を冷やして考えろ、と。そう言いました」
「な、何だとてめぇ!」
湊の発言に、真っ先に反発したラクは、ラクリマを集中させ、先ほど白雪にしたように礫を生み出し湊へ勢い良く飛ばした。
しかし湊は、正面から飛んでくる
何故か?
簡単な話だ。自分が動かずとも、“彼”が動いたと、その微かに滲み出たラクリマで分かったからだ。
「うぐ!」
湊の前に飛び出し、自分の身を盾に礫を受けたのは、非能力者の男だった。
「な……! こいつ、何で!」
動揺するラクと、どよめくアドウェルサスの面々に、非能力者の男は礫を受けた腹を抑え蹲ったまま、厳しい視線を向けた。
「……!」
訝しげに非能力者の男を見ていたヒバシリは愕然と目を見開く。
「……っいい加減にしろ、お前等」
痛みを堪え、唸るように言葉を発した非能力者の男の声は、先ほどまでと全く別人の声になり……。
「そ、そんな……何で」
その姿までもが、別人へと変貌したのだ。
姿が変わり、彼からはっきりと感じられるのは、ラクリマの気配。
非能力者だと思っていた男は、非能力者ではなく、アダマント。そして……。
「ヤシロさん!?」
彼等の仲間である、ヤシロだった。
ラクは驚愕に目を白黒させ、アドウェルサスには一層のどよめきが広がった。
あまりの驚きに誰もが動けずにいる中で白雪はすぐに動き、ヤシロの肩に手を添えた。
無茶なことを……と咎めるような視線を感じたのか、ヤシロは白雪にバツが悪そうに微笑んだ。
「ヤシロ、なぜ非能力者のフリを……」
状況を読み込めないヒバシリが動揺のままに問うと、ヤシロは白雪に見せた表情から一転、厳しい表情でヒバシリを睨んだ。
「何故? お前等の暴挙を止める為に決まってるだろ」
「……っお前が争いを好まないことは分かっている! だが、何故ラクリマを完全に抑えて俺達の前に現れた!? 一歩間違えば、俺は……お前を……!」
平然と言って退けるヤシロに、未だ動揺が収まらない様子で、ヒバシリは悲鳴を上げるように叫んだ。
彼は一歩間違えば、自らの手で親友を傷付けていた。殺すことに、躊躇のない手で。
「殺していたかもしれないって?」
「……っ……!」
口にするのも恐ろしく、ヒバシリが言い切ることができなかった言葉の続きを、ヤシロは的確に、容赦なく突き付けた。
「だが、それはお前が……お前等が、色眼鏡で見ず、ちゃんと俺を見ていれば起こり得なかったことだ。俺はこの部屋に入った時点で、ラクリマの制御を緩めていたからな」
「……!」
そう。初めから、ヤシロはアダマントとしてこの部屋にいたのだ。
非能力者だと思い込んだままでいず、冷静に彼が何者なのか判断しようとすれば、彼がアダマントであり、ヤシロだと気付けたはずなのだ。
気付いたのは、白雪ただ一人だった。
「俺は言ったぞ。何度も、何度も、何度もだ。色眼鏡で見るなと。もっと考えて、ちゃんと自分の目で見て相手を知れと。それをしようとせず、非能力者だからと敵意を向けることは、お前等が嫌悪する非能力者と同じことだ」
「……!!」
「……ぁ……」
歯に絹着せぬ直球なヤシロの言葉に、アドウェルサスの面々は苦い表情で青褪める。
つい最近、同じことを言われたことを思い出したラクは、一際ショックを受けた様子で頭を抱えていた。
ヤシロの助言を今の今まで忘れ、思考を放棄した結果、彼を傷付けてしまったのだから、無理もないだろう。
「……だから、憎むなと言うのか? そんな綺麗事で何が守れる? 死んだ者が帰ってくるわけでもない。実際、クズのような非能力者は腐るほどいる。そいつ等に何をされようと、黙っていろと言うのか!」
「やり方を間違えるなと言っているんだ!馬鹿が!!」
ヒバシリの慟哭に、ヤシロの怒号がぶつかる。
大声を上げたのだ。腹に響いたのか、苦悶の表情で歯を噛み締め、短く唸った。
その姿に、すぐにでも駆け寄りたい衝動に駆られたラクだが、ヤシロの剣幕に気圧されて動けず、不恰好に伸ばし掛けた手を握り締めた。
ヤシロは痛みを耐え、更に続けた。
「憎まずにいられるわけがないんだ。反撃するなとは言わない。だがな、俺達が奴等と同じことをすれば、それは奴等の理不尽を許すということだ。大切な奴の死を軽く見た奴を肯定し、尊厳を奪う……っ。自分の手で、大切な奴をもう一度死なせるということだ!」
ヤシロの必死な訴えに、アドウェルサスの面々、そしてヒバシリの脳裏に、白雪の言葉が蘇った。
単独行動を取る理由。非能力者のことまで気に掛けるの理由。守りたいものは何なのか。
その問いに、白雪はこう答えた。『大切な人を守りたいだけ』だと。
非能力者というだけで排除する理由になる。
その言葉に、白雪はこう問うた。『それで貴方の大切な人は守れますか?』と。
「……父、ちゃん」
そう弱々しく呟いたラクの目から、大粒の涙が零れる。
今、ようやく。ここにいる全員が彼女の言葉の意味を理解した。
彼等の様子を見て、もう彼等が白雪に手荒な真似をする心配も、物騒な作戦を決行する心配もないだろうと、ヤシロは彼等から視線を外し彼女に向き合った。
「巻き込んで悪かったな。嫌な思いさせて、本当に悪かっ……」
「…………」
ヤシロの謝罪の途中で、白雪が急に立ち上がる。
彼女の行動を不可解に感じる間は、ヤシロ達にはなかった。
「な、何だ、このラクリマ……っ」
アダマントである彼等が感知した、一つの大きなラクリマ。
強く、重く、怒りに満ちた強大なそれの持ち主を知る者は、ここには数人いる。
他でもない、白雪と、一度その怒りを向けられた経験があるヒバシリ。
そして、それの持ち主から彼女を守ろうと考えている二人。
早く彼の元へ行かなければならない。白雪は瞬時にそう判断し、駆け出した。
しかし……。
「ここにいてください」
湊が、それを許してはくれなかった。
アドウェルサス本拠地、正面入り口前。
一匹の獣が対峙したのは、彼以上に獣じみた青年だった。
獣には目もくれず横切ろうとする青年だったが、ひとたび獣が青年の前に立ちはだかり噛み付こうとすれば、青年は恐ろしい目で獣を睥睨した。
「ここは通さねぇ!」
獣の牙や爪は人間のものとは比べ物にならないほど鋭利で、身軽さや身のこなしも人間より優れている。
牙を剥き出しにして叫んだ獣は、打面を蹴り、木や建物の壁を蹴り、青年を翻弄するように飛び回ると、獣を目で追おうとする青年の視界から外れた瞬間、ここぞとばかりに飛びかかった。
襟の隙間から覗く首筋。そこに力の限り噛み付けば、青年はひとたまりもないだろう。
殺さないまでも、それほどの痛手を負わせるつもりで獣は青年の肩口に狙いを定めた。
全ては、青年を殺す為ではなく、大切な姉を守りたい一心で。
跳躍力も、早さも、青年より獣が勝る。
勝負はついたと、獣は確信していた。だが、頬に感じた衝撃に驚愕したときには、獣は地面に吹き飛ばされていた。
頬には強烈な痛みが残り、口の開閉がし難いことから、衝撃の強さが伺える。
「な、ん……。何、が」
何が起きたのか。理解が追い付かず、わなわなと青年を見遣り、獣の方へ拳を向けている立ち姿に、獣は自分が殴り飛ばされたのだと理解した。
青年は武器を使わず、獣と戦っていた。
強大なラクリマを使うことなく、ただの人間が身一つでできる攻撃手段で、ラクリマを最大限使った獣……少年を、いとも容易く倒してしまったのだ。
獣の姿を保てなくなり、不完全に少年の姿に戻りつつあるダンは、一向にこちらに目をくれない青年、黒陽を睨み見る。
ラクリマを使おうとする素振りはないというのに、感情の揺れのせいか、彼の周囲には視認できるオーラのようにラクリマが滲み出ている。
気を強く持たなければ……いや、持っていたとしても、体が震えてしまうような恐ろしさ。
それでも、ダンは怯え震えているわけにはいかなかった。
「行かせ、ねぇぞ……」
ここを通しては、姉を連れ去られてしまう。
何としても、姉を守らなければ。
その思いがダンを動かす原動力となっていた。
「てめぇに姉ちゃんを渡してたまるかぁあ!」
両腕だけを獣のそれに変化させ、黒陽に飛び掛かる。
そのとき、ダンに興味を示さなかった黒陽が、初めてダンに目を向けた。
「姉……?」
無関心の中に、微かに宿った疑問という興味。
「ああああ!」
黒陽から受けた打撃の痛みを誤魔化す為か、気合の現れか。
雄叫びを上げて突進するダンの鋭い爪が、身を翻し避けた黒陽の頬を僅かに掠めた。
だが、それが形勢を逆転する一手になることはなく、黒陽はダンの首裏に足を振り下ろした。
「うっ……ぐ……ぅ」
多少の手加減はしていたのだろう。ぎりぎりではあるだろうが、ダンは意識を保っていた。
這い蹲り、震える手で黒陽の足を掴む。
「行かせ、ねぇ……。俺が、今度は……俺が……」
圧倒的な力の差に伏しても尚、気力を失わない眼差しに、黒陽は何を思うのか。
「俺が、姉ちゃんを守るんだ……っ」
泣きそうな顔で睨むダンに、黒陽は薄く口を開く。
だが、黒陽が言葉を発することはなかった。
突如、背後に現れたラクリマの気配に、即座に振り向き、そして……瞠目した。
「……湊、さん」
現れたラクリマの持ち主を、ダンはそう呼んだ。
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