第13話 迫る足音①

 大勢の人々が生活する中央二十地区を抜けた東の地区に、人の干渉を受けていない鬱蒼とした森があった。

 落ち葉や小枝を踏む乾いた音を立て、覚束ない足取りで歩く少年は、何度も周囲を見回し、時折確認するように空を見上げた。

 掌と膝に付いた土汚れや擦り傷から、彼がこういった場を歩くことに慣れておらず、何度も転んだのだろうと推測できる。

 そもそも、こんな森に人が、それも彼のような少年が一人で足を踏み入れること自体、そうはあることではない。

 少年の挙動から、どこか目的地があり、そこへ向かう為に、また迷わない為に周囲や太陽の位置を確認していることは間違いないだろう。


「次は、どっちだろう……。ラクリマが薄くて分からない……」


 息を乱し、木の幹に手を付き足を止めた少年は、焦った声で独りごちる。

 より集中しようとしてか、息を整え目を閉じると、その場でじっと佇んだ。

 自分が歩いて来た背後は捨て、左右と前方へ意識を集中させる。

 ラクリマを辿るということは、少年はアダマントであり、同じくアダマントの探し人がいるということだ。

 風が吹く音。葉が掠れる音。遠くで囀る鳥の声。

 ラクリマを探すことに置いて、否応無く意識の一部を奪われる視覚的情報を遮断すれば、あと邪魔になるのは聴覚的情報だ。

 少年は自然の音を掻き分けるようにし、ラクリマを探った。

 左から時計回りに、ゆっくり、ゆっくりと。


(俺の能力みたいに、炎みたいに強いラクリマ……)


 探し人のラクリマの特徴を、胸中で言語化し、探索をより精密に。


「父さん……っ」


 がっしりとした大きな体。ごつごつとした厚みのある手。意外と子供っぽい笑顔。

 探し人の姿を、思い浮かべて。


「……! 見付け……っ」

「こんなところで人探しかい?」


 ようやく探し人、父のラクリマを探り当てたその瞬間。

 少年の耳元で聞き覚えのない男の声が囁いた。


「だ、誰だ!?」


 少年は半ば悲鳴のような声を上げ、咄嗟に振り向き飛び退こうとしたが、木の幹に阻まれ退路を断たれてしまった。


「危ないなぁ。こんな森の中で、子供が一人でうろついているなんて。恐い化け物に目を付けられてしまうよ?」


 怯えが透けて見える表情で振り向いた少年に、声を掛けた男……金髪の青年は穏やかな物腰でそう言うと、物腰に似合う優しげな笑みを浮かべた。

 その後ろには、気遣わしげな顔でこちらを見る青年がもう一人。

 青みがかった黒髪の青年からはラクリマを感知することができ、少年は少しの警戒心を胸に残したまま、安堵の息を吐いた。


「だ、誰ですか……」


 青年等を窺う声に、拭いきれない不信感が透けて見えるが、それも仕方がないだろう。

 後ろの青年からはラクリマを感知できるが、声を掛けてきた青年からはラクリマを感知できなかったから。


「君と同じアダマントだよ。君はどうして、こんな森を一人で歩いているんだい?」


 膝をついて少年と視線を合わせた金髪の青年は、少年の緊張をほぐすように静かな声でそう囁いた。

 自分はアダマントだ。と言われようと、簡単に信じられるほど不用心ではない少年だが、“君と同じ”という言葉が加わったことによって、青年の言葉を信用足り得るものだと判断できた。

 少年は自らをアダマントだと公言していない。にも関わらず、金髪の青年は少年をアダマントだと確信していた。

 そんな発言ができたのは、彼が少年のラクリマを感知したからだと思われる。

 彼等がアダマントであるなら、少なくとも敵ではない。

 少年はそう考え、警戒を緩めた。


「……父さんを、探しに来たんです」

「こんな森にかい?」

「はい。……父さんが危ないことをしようとしてるって、母さんから聞いて。それを止めようと、迎えに来たんです」

「へぇ。家族思いの、いい子だね」


 少年の話を聞きながら、心配げに相槌を打ち、それから柔らかく微笑んだ金髪の青年に、少年の中にあった警戒心はみるみる内に消えていった。

 優しい人だ。そう胸を撫で下ろした。


「もし良ければ、俺達と一緒に行くかい? さっきの様子からして、どう進めばいいのか分からなくなっていたんだろう?」

「え、でも……」

「いいから。ね?」


 にこやかに、善意しか感じられない声で囁かれ、少年は今会ったばかりの親切な青年に迷惑を掛けることに躊躇する声を上げるが、金髪の青年は少年の頭をそっと撫で、諭した。


「俺達も君が向かおうとしている場所に用があるんだ。遠慮はいらない。この側には崖もあって危ないしね。俺とおいで」

「は、はい。……すみません、迷惑を掛けて」

「いいんだよ。さぁ、行こうか」

「はい!」


 少年は、差し伸べられた金髪の青年の手を手を取った。

 そのときだった。


「……! こ、これは」

「おや」

「……っ……」


 三人は二つのラクリマの気配を強く感知した。

 はっとする少年。冷静な金髪の青年。焦燥を表情に出した青黒の髪の青年。


「あの! 今のラクリマの一つが、俺の父さんのラクリマです。それに、もう一つのラクリマも誰のラクリマか知ってます」

「君が?」

「はい。俺、最近まで研究所に捕まっていたんですけど、今のはそのとき助けてくれた人のラクリマです」

「へぇ……」


 金髪の青年の手を強く握り声を上げた少年を金髪の青年は立ったまま見下ろし、静かに確かめる。

 そして、迷わず返ってきた答えに、金髪の青年はうっそりと微笑むと、青黒の髪の青年へ振り返った。


「先に行っていいよ、みなと

「!」


 金髪の青年の発言に、湊と呼ばれた青年の瞳が大きく揺れる。


「あの子が、心配だろう?」


 目に見えて動揺を露わにした彼に、金髪の青年は少年を諭したときのような声で促した。


「ですが……」

「“借り物”の能力では、俺とぼうやまで運ぶことは難しいだろう? 移動場所がずれたら、せっかくの能力も意味がない。分かるね?」

「……」


 金髪の青年に念を押されるように諭されてしまえば、湊は反論する気をなくしたらしく、口をつぐんでしまった。

 数秒と数えるほどもない短い間、目を合わせていたが、交わった視線を湊から切り、金髪の青年に背を向けた。


「……ありがとうございます」


 あぁ。という金髪の青年の返事は、直後には姿を消した湊の耳には届いていなかっただろう。


「あの人は……?」

「彼も、君と同じさ。大切な人を迎えに来たんだよ」


 事態をいまいち把握しきれていない少年が戸惑い混じりに尋ねれば、金髪の青年は相変わらず落ち着き払った様子でそう答えた。


「それって、もしかして……」

「あぁ。君が助けられたという、その子が彼の大切な人だ」


 少年の質問に答えながら、金髪の青年は少年の手を引き、歩き始めた。

 少年は、今更ながら疑問に思う。

 自分を研究所から助け出してくれたアダマントの少女と父は、おそらく同じ場所にいると思われるが、二人が一緒にいるのか。

 何故、同じタイミングで二人のラクリマが強く感知できたのか。

 そして、この金髪の青年のこと。

 湊という青年は、少女を探してここまで来たのだと先ほど分かったが、目の前で自分の手を引いている、この優しげな青年はどうなのだろうか……ということ。

 少年は、何故だか妙な胸騒ぎを覚えた。


「あ、あの……」

「ん? 何だい?」


 散々親切にされたのに、こんなことを聞くのは失礼なのでは……。

 そう躊躇う気持ちはあれど、それでも少年は胸のざわめきを消したいと思った。


「貴方も、あの人と同じ理由で、ここに来たんですか? 今更ですが、貴方はどうして、ラクリマを抑えているんですか?」

「…………」


 強張った声色の少年の問い掛けに、金髪の青年はその歩みを止めた。

 無言になった金髪の青年の広い背を眺めていると、先ほどまでの彼ではないような錯覚を覚え、少年は知らず固唾を呑んでいた。


「あの子は、君から見てどんな子だった?」

「え?」


 金髪の青年が口に出したのは、少年の問い掛けへの返答ではなく、少年への質問だった。


「勇敢だったかい? 強かったかい? 優しかったかい?」


 振り返ることなく、背を向けたまま、続けざまに答えを引き出そうとする。

 質問の意図を正しく推測することはできない少年だが、答えれることに何かしらの意味があるのだろうと、その答えを導き出すべく少女との記憶を辿ろうとして……やめた。


「勇敢な人だと思います。強い人だとも、思います。何より……優しい人だと思います。声を聞いたことも、笑顔を見たこともないけど、それは自信を持って言えます」


 金髪の青年が、一例として上げたのであろう言葉の全てが答えとして、ふさわしかったから。

 仲間達を守れない不甲斐なさを嘆いていた当時の自分に、少女がしてくれたことを思い浮かべる。

 少女は声を掛けてくれることも、笑いかけてくれることもなかったが、彼女の手は、とても優しかったと。


「そう。あの子はね、優しいんだ。どんな奴にも、誰にでも、際限なく……ね」


 少年の返答を受け、金髪の青年はなおも振り返らず続けた。

 彼がどんな顔をしているのか、どんな感情で語っているのか、少年には分からない。ただ、青年の声には堪え切れずに溢れたというような、笑みが混じっているように聞こえた。


「あの子は、俺の唯一だよ。この世でたった一人。何度引き離されようと、何に阻まれようと、それが変わることはない」


 金髪の青年の言葉を聞きながら、少年の体がぶるりと震えた。

 何故か? そう問われたとしても、少年は答えを持ち得なかっただろう。

 ようやく振り返った金髪の青年の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいたから。

 身を震わせる要因など微塵も感じさせない、それはそれは優しい顔で。


「君は人を見る目があるようだけど、俺の答えは君の不安を解消できたかな?」


 優しい顔。優しい声。弓なりになった目にまっすぐ見据えられた少年は、強く口を閉じ、一度深く頷いた。


「それは良かった」


 機嫌良さげに微笑み、再び少年の手を引いて歩き始めた金髪の青年の背を、少年はじっと見上げ、思案した。

 金髪の青年の言葉に、嘘はないように見えた。この胸騒ぎは、自分の考え過ぎなのかもしれない。青年の目は、あんなにも少女を想っていると語っていたのだから。


「ラクリマを抑えているのは、俺とあの子が少し訳ありだから。あの子が家族を失った場に俺も居合わせていてね。俺の存在を感じると思い出してしまうだろうから、あの子の近くではラクリマを抑えているんだよ」


 ラクリマを抑えている理由にも、納得がいった。

 何も不安がることはないのだ。ない、はずなのだ。

 疑心暗鬼に陥っていただけ。少年はそう、自分を納得させた。


「俺達も急ごうか。けど、近付くのは慎重に。もうすぐ正面入り口で、狂暴な“人間擬にんげんもどき”が大暴れするだろうから」


 考えても、尋ねても、きっと分からない。

 少年は諦観し、金髪の青年の意味深な発言に疑問を向けることはしなかった。

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