第12話 守りたいから②

「相変わらず、愛想の欠片もない女だな」


 チハヤから話を聞かされてすぐ。

 彼女等がいる部屋に複数の来訪者がやって来た。

 目に見えた動揺もなく振り向いた白雪に、歳相応の愛嬌はないのかもしれないが、騒ぐなら未だしもこんな状況で愛想良くできるわけがない。

 白雪が来訪者の中心に立つ男と最後に顔を合わせたのは、まだ最近のことだ。

 手始めとばかりの嫌味を吐いたのは、アドウェルサスのリーダー、ヒバシリだった。

 白雪はフードで顔が隠れていることを上手く利用し、気取られないよう注意を払いながらヒバシリを始めとする来訪者を窺った。

 表情や佇まい、感情の揺れ。彼等はどんな人物であるのか。

 直情的で会話がままならないのか。理性的で話し合いに持ち込めるのか。

 ヒバシリを含め、人数は七人。血の気の多そうな者が一人。冷静にこちらを見据える者が二人。残りの数人の目には多少の戸惑いと、好奇心が見られた。

 フードの中で目を細め、最後にチハヤを確認する。

 彼は白雪から視線を外し、無感動な視線をアドウェルサスの面々に投げていた。

 警戒していない、わけではない。しかし、チハヤは冷静だった。

 部屋にやって来たヒバシリ、他アドウェルサスの面々の誰一人として、チハヤへ注意を向ける者はいなかった。

 つまり、彼が企みを持ってアドウェルサスへ加入したことは、勘付かれていないということ。

 それならば、わざわざ種明かしになるような行動を取るべきではない。

 仲間だと思われていた方が、都合がいいに決まっているのだから。

 とはいえ、先程チハヤから聞かされた話を思うと、白雪は心中は穏やかではいられなかった。

 中央二十地区の中でも、全方位の一地区が連なるそこには、政府本部がある。

 非能力者こそが正義。とでも言わんばかりの思考を持つ権力者が集結したそこは、アダマントが世界で最も恐れる場所と言える。

 チハヤの話によれば、ヒバシリを筆頭とするアドウェルサスは、そこを襲撃しようとしているのだと言う。

 今回、彼等が白雪を狙ったのは、計画の妨げになると思われたためであり、計画が成されるまでは身柄を拘束しろと、ヒバシリが命令を下したのだそうだ。


「俺達は政府へ直接攻撃に打って出る。邪魔をすると言うなら、お前にはしばらくの間、ここで大人しくしていてもらう。もしも俺達に協力すると言うなら別だがな」


 腕を組み、高圧的に言い放つヒバシリの言葉には白々しさしかない。

 白雪が首を縦に振らないことを分かっていての言葉だと、何よりも目が語っている。

 どう返答するのが正しいか思案し、沈黙した。

 白々しい選択の迫り方からして、協力すると答えたからと言って信じてもらえはしないだろう。

 それなら、わざわざ声に出す必要はないが、それでは事態は動かない。

 アドウェルサスの目的は、聞き流すには不穏すぎる。

 出来うる限り少ない言葉数で、少ないやり取りで。この状況を乗り切る方法はないか。できることなら、彼等を説得する方法はないか……。


「……っおい。てめぇ、聞こえてるなら答えたらどうなんだ」


 答えが見つからないまま、沈黙を続けていた白雪に噛み付いたのは、選択を提示した本人ではなく側にいた若者だった。

 声や表情に、前面的に感情を表した主張の仕方は、若者の悪癖のようなものなのだろう。

 血の気の多そうな二人を除く面々は、またかと言わんばかりの微妙な顔で、溜息をつくなり額に手を当てるなりしていた。


「だんまり決め込みやがって。気味が悪りぃ。うんとかすんとか言ってみろ!」


 声の音量を意識することも、言葉を選ぶこともしていない。

 思ったことを思ったまま。といったふうに声を張る若者は、チハヤを除外すればアドウェルサスでは最年少だと、外見からも雰囲気からも読み取れた。

 白雪はそちらへ視線を向けつつ、半分の意識はチハヤへと向ける。

 相変わらずの無表情……を上手く保っているが、この場にいる者では白雪だけが、彼のラクリマが怒りに揺れたと気付いた。

 彼の怒りは、若者が白雪に声を張った瞬間から。

 目の前の若者のように、感情的に敵意を見せたり声に出すようなことは早々しないだろうが、このまま自分が沈黙し若者が口を開いていれば、断言はできない。


「……話をするのなら、一度落ち着いていただけませんか?」


 場を収める為には何か反応を示し、かつチハヤを宥めなければと、白雪は口を開いた。

 若者の性質上、落ち着いてと言われて、落ち着くとは思っていない。

 寧ろ反発してくるだろうと予想していたが、この言葉は若者に向けたように言い回しを選び、チハヤへ向けたのだ。


「……んだとっ。俺は落ち着いて……!」

「あー、はいはい。ラクはちょっと黙ってようなぁ」


 白雪の意を正しく汲み取ったらしいチハヤは、自分のラクリマが乱れかけていることに気付いたらしく、今はもう落ち着きを取り戻している。

 若者……ラクは想定通り反発してきたが、一人の男が軽い口調で割って入り止めた。


「ちょ! ワドさん! 俺まだ言ってやりたいことが!」

「はいはい、分かった分かった。それはまたあとでなぁ」

「今は少し黙ってろ。話が進まん」

「メグミさんまでっ」


 ラクを止めたのは、冷静に白雪を窺っていた二人の内の一人で、なおも抗議の声を上げるラクの制止に、もう一人も加勢に入った。

 あしらわれ、諌められ、後ろに引っ張られる姿は子供のようだ。

 場が場なら、この光景もある意味では微笑ましく見えただろうが、和んでいられる状況ではない。

 話をするならと言った手前、沈黙したままでは、またラクが噛み付いてきかねない。

 そうなってしまっては、さすがのチハヤも黙ってはいないだろうし、何より、不用意にやり取りが増えてしまう。

 どくりと、心臓が嫌な跳ね方をする。しかし白雪は一切顔に出さず、気丈な姿勢を貫き、答えた。


「……協力するつもりはありません」

「ほう?」


 白雪の返答など分かりきっていただろうに、ヒバシリはわざとらしく片眉を上げ、意外そうに声を上げた。


「なら、拘束される覚悟があるということでいいんだな」


 彼が拳を作り、ラクリマを集中させ一歩踏み出せば、彼の部下であるアドウェルサスの面々に一斉に緊張が走る。


「……っ……」


 ヒバシリが白雪へ危害を加えようとしている。

 それが分かっていて、チハヤが黙っていられるはずもない。

 あと一歩でもヒバシリがこちらへ足を進めようとしたなら、すぐに白雪を安全な場所まで移動させようと身構えたが……。


「まあまあ。そう短気にならないでください。ヒバシリさん、それでさっきヤシロさんと喧嘩したんじゃありませんか」


 ピリリとした空気を跳ね除けるように、軽快な笑いを含んだ朗らかな声が制止をかけた。

 先程、感情的になったラクを止めた、ワドと呼ばれていた男だった。

 ヤシロという名前を耳にした途端、ヒバシリのラクリマが微かに弱まった。


「お前は二言目にはヤシロ、ヤシロと。まるで俺がヤシロに弱いみたいだろうが」

「ヤシロさんに弱いのは事実でしょう。お二人とも頑固で、よく衝突してますけど」


 苦虫を噛み潰したような顔で振り向いたヒバシリに、ワドはけろりとした顔で肩を竦めて見せた。

 興が削がれたのか、ヒバシリはラクリマを抑え乱暴に頭を掻き、大きな溜息を一つ零した。

 その横を「ちょっと失礼しますね」と通り過ぎたワドは、白雪のすぐ目の前まで足を進める。

 身構えたままのチハヤを見て「新入り君も驚いてますよ。全く」と軽口を利けば、緊張感に包まれていたアドウェルサスの面々も、先輩らしく気遣うような労りの言葉をチハヤへ送った。


「俺はワド。よろしく」


 威圧感を感じさせない、人当たりの良さそうなワドの和やかな声は、ラクやヒバシリの敵意を帯びた声の後では、余計にそう聞こえた。

 それが演技か否か見抜ける程度には、白雪は多くの人を見てきたし、他者の機微に注意を払っている。

 その彼女から見て、このワドの態度は演技ではないと判断できた。


「ヒバシリさんとヤシロさんから、君のことは聞いていたんだ。ヤシロさんっていうのはアドウェルサスの副リーダーみたいな人で……まぁ、それはいいや。ヤシロさんから、白の解放者は若い女の子だと聞いてはいたけど、まさかこんなに華奢な子だとは思っていなかったから、驚いた」


 白雪をしげしげと眺めながら饒舌に語るワドだが、フードで隠れた素顔を無遠慮に覗き込もうとしない辺り、良識がある。

 ヒバシリは何故かバツが悪そうな顔でそっぽを向き、ラクは目に見えて苛々しているが、相変わらず冷静なメグミを除く他の面々はワドと似た眼差しを白雪に送っていた。

 ワドが口にした驚きや、これから口にするであろう何かしらの疑問は、彼等の代弁も兼ねているのだろう。


「ヒバシリさんはあの通りだけど、ヤシロさんはすごく君に友好的だった。だから、俺は君に会えたら聞きたいと思っていたんだ」


 また、ヤシロ。度々、彼の口から語られるその人物は、随分とワドに慕われているようだ。

 でなければ、和やかな声で話す彼が、矛盾しているとも言える真剣な表情を浮かべはしまい。

 瞬きの数が減ったのは、無意識に白雪の一挙一動を見逃さんとするせいだろう。


「どうして単独行動なんて危険なことをするのか。非能力者のことまで気に掛けるのか……」


 一つ。二つ。疑問を口にしていくワドは、たっぷり一呼吸分の間を置いて、三つ目の疑問を口にした。


「君が守りたいものは、何なのか」


 ヒバシリと鉢合わせた研究所で、白雪は言った。


『私と貴方では、守りたいものが違います』


 その答えを今、当人ではなく別の人物に問われている。

 違うと言いつつ、大きな意味ではヒバシリと同じ。けれど、全く同じではない。

 今も、昔も、白雪の答えは変わらなかった。


「……大切な人を守りたいだけ」


 三つの疑問に対し、白雪が答えとして差し出したのはその一言のみだった。

 納得のいくものではなかったのか、ワドを始めとするアドウェルサスの面々は訝しげに眉を寄せる。


「大切な人を守りたい……? それは、どれに対しての答えだ? 二つ目、ではないだろうけど。三つ目だとしたら、それは俺達も同じだ」


 ワドの言葉に、何人もが頷く。


「大切な人を守りたくて、でも、守れなくて……。だから俺達は……」


 ワドの声に徐々に苦々しさが混じり始めると、その淀みは連鎖する。

 背後のメグミが目を伏せ、唇を噛んだ。……そのときだ。


「……!!」


 突如、部屋に鳴り響いた警報に、誰もが顔を強張らせた。


「ラクリマの気配は……ない!」


 ヒバシリは怒りに任せ吐き捨てる。

 この警報は、侵入者を知らせる為のもの。

 ラクリマの気配がないということは、侵入者はアダマントではないことを意味する。


「非能力者……っ」


 憎いと。声が明瞭に物語る。

 どこの誰で、どんな目的があるのか。何もわかっていない。ただ、非能力者だというだけ。


「違う……」


 憎しみに目の色を変えた者達は、その声に気付かなかった。

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