第12話 守りたいから①
「もう駄目だな。一番の古株だし、限界か」
少女は、自分で起きることさえ、できなくなっていた。
暴行を受けた彼女は服を掴まれ、立つように命じられたが、動くことはなかった。
赤子のように首が座っておらず、腕はだらりと垂れている。
「始末するか?」
「放っておけば勝手に死ぬんだ。部屋に転がしておいて、屍体になった頃合いを見て捨てればいいだろ」
「仮にも人間相手に、えげつないこと言うもんだ」
「人間? 馬鹿言うな。化け物だろ、化け物」
「ははっ、違いない」
少女の死を軽々しく口にしながら、研究者は笑った。
“力”を持っているというだけで、同じ人間として生まれた命が……確かにそこに存在する命が失われようとしているのに。
平然としている研究者。何故、化け物と呼ばれるのが彼等ではないのだろう。
子供達は心底そう思った。怯える気持ちは消えない。逆らう勇気もない。それでも、研究者を睨み続けた。
茫然と、じりじりと内を焼く絶望と、憎しみに侵食されていく。
研究者に引き摺られていく少女が、重い瞼をやっとのことで開いて目にしたのは、そんな子供達の顔。
監禁部屋へ少女を投げ入れると、研究者はさっさとその場を後にした。
投げ出された体勢のまま起きない彼女に、この日は監禁部屋から出されていなかった子供達に戸惑う気配が漂う。
誰かが、はっと息を呑み駆け寄って来た。
「駄目です! しっかりしてください!」
駆け寄ったのは、少女が研究所に戻って来たとき詰め寄った少年だった。
横向きに倒れていた体を仰向けにさせ、手を握り、その冷たさにゾッとする。
少年を皮切りに、慌てて彼女の側へ寄って来る複数の足音。
次いで、息を飲む音。短い悲鳴を零す音。
「やだ……っ。やだ……! 嫌だ!」
「駄目っ。死んじゃ嫌だ!」
「行かないでぇ……っ。やだよぉ……」
少女の死を拒む、悲痛な叫びが飛び交う。
彼女は重い瞼を開け、自分を見つめ必死に叫ぶ姿を目に映した。
彼女が守ってきた命の数だ。
「……っ……」
声を出そうと震えた彼女の唇は、音を紡ぐことはなかった。
今一度、瞼が閉じると、彼女が死んだと思ったのか、子供達の悲鳴が上がる。
悲しみ嘆く声と、守られてばかりであったことを悔やむ声とが反響する。
「あいつ等……! ぶっ殺してやる!」
誰かが憎しみを叫んだ、その刹那。少女の体に異変が起きた。
冷えた水が一瞬で熱湯に変わるかの如く、彼女のラクリマが一気に高まったと思えば、彼女の体の傷が瞬く間に癒えてしまったのだ。
ぱちりと目を開き、少女は苦なく起き上がった。
喫驚した子供達を通り過ぎ、固く閉ざされた扉へと歩みを進めながら手を翳した。
擦り傷一つない腕にも、上等な真珠のような肌の美しさが戻っていた。
今しがた起き上がれなかったときよりも、ラクリマが大幅に減少していることに気付けた者はなし。
ラクリマを使い切ってしまえば、どうなってしまうのかを知る者も、ここの場にはいなかった。
少女が手を翳した先へ、鋭利な風刃へと姿を変えたラクリマが放たれた。
「きゃっ!」
「え!?」
重々しい扉が風刃で八つ裂きにされ、通路と部屋を隔てる壁がなくなる。
けたたましい音を立て、扉だった塊が四散した。
子供達が、少女が風を操るところを目にするのは、これが初めてだった。
歩みを進める彼女へ誰も近付けさせまいとするように、彼女の周囲を羽衣のように風が浮遊する。
レグノ、という言葉を子供達が知っているかは定かではないが、少女がそういう存在だということを目の当たりにした彼等の反応を、彼女は気にした様子なく、通路に向かう。
どこか虚ろで、疲弊の残る顔で、しかし、強い意志を感じさせる顔を、小さくも凛とした後ろ姿は、子供達の目に焼き付いて離れなかった。
「アダマントが脱走してるぞ!」
「何で扉が壊れて……」
「能力を使ったんじゃ!?」
「あいつは、あんな分厚い扉を壊せるような能力じゃなかったぞ!」
「ならどうなっているって言うんだ!」
醜く言い争う研究者の怒声が響く。
騒ぎを聞きつけて来た研究者が少女を目に止め、研究所全体に知らせる非常ベルを鳴らした。
既に駆け付けている者は、銃やナイフを構え、彼女に向ける。
「止まれ! これが見えないのか!」
止まらなければ撃つ、などという脅しは、彼女からすれば実に陳腐で、表情こそ変わることはなかったが、さぞ苦笑を誘ったことだろう。
死にかけの人間を見殺しにしようとしておいて、今更そんな脅し文句を口にするのかと。
彼女は眼前の研究者などお構いなしに歩みを進めた。
「ちっ。撃て!」
一人の研究者の合図により、片手を超える数の発砲音が鳴り渡る。
その光景を傍から目撃した子供達は、反射的に少女を庇おうと走り出していた。
少女と子供達との距離は、さほど離れていないとはいえ、既に銃弾は放たれている。瞬時に駆け出したとしても、間に合うはずがない。
そして少しでも彼女に近付いたことにより、素人の撃った的中率の低い銃弾の餌食になる的が増えただけであった。
ぶわりと、少女の周囲を浮遊していた風が、広範囲に広がる。
彼女に被弾してしまう軌道の銃弾は勿論、駆けた子供達に向かう銃弾も、柔らかなシーツで包まれたように宙で浮かんだまま静止した。
「な……そんなっ、何で弾が止まって……っ」
愕然とする研究者の顔。
わななく口唇が、次に形作る言葉を、少女には手に取るように分かった。
研究者が言い終えるより先、彼女は両腕を宙で遊ばせる。
「うわ!?」
「な! 何なんだ一体!」
「うわああ!」
吹き荒れる風が研究者の体を包み上げ、先程まで子供達が閉じ込められていた部屋へと放り投げていった。
全員を押し込め終えると、風は扉の残骸から机、機材と、手当たり次第に運び、扉を塞いでしまった。
「……早く、外へ」
空気を変える為か、疲労を逃がす為か。一度深く息を吐き、少女は唖然とする子供達に声を掛ける。
実験室にいた子供達も連れ、外へと連れ出した。
子供達が久方ぶりに目にしたのは、少女によく似合う雪景色だった。
あの日、研究所から脱出した子供達は少女に指示され、秘密裏にアダマントの保護を行なっている施設へ逃げおおせた。
自分達のような素性の知れないアダマントを受け入れる場所があることに、初め子供達はただ驚くばかりだったが、ほんの少し現実を理解できれば、こんな考えが浮かんできた。
これからは、少女の為に生きよう……と。
しかし、子供達の思いに反し、少女は彼等の前から姿を消した。
『憎んでもいい。だけど、誰を憎もうと、囚われないで。私のことは、忘れていいから』
その言葉を残して。
あれだけの苦痛をあじわわされて、全く憎まずにいられるとは思ってはいない。
けれど、研究者への憎しみを消せなくても、それに支配された人生を送ってほしくはなかった。
必要以上に恩を感じ、その恩を返そうとするあまり、せっかく得た自由を狭めてほしくはなかった。
囚われてほしくなかったのだ。研究者への憎しみにも、過ぎた恩にも。
それら全てを言葉にして伝えるには、当時の少女には、時間が足りなかった。
彼女が子供達の前から姿を消した最大の理由は、極限まで枯渇したラクリマにある。
アダマントにとって、ラクリマは切っても切り離せない体の一部。命の一部だ。
それが底を突いたとき、そのアダマントに待つのは、死だ。
自分達を守ってくれた少女の死。
それを目の当たりにすれば、どれほどの傷を子供達の心に与えてしまうか。
見せるわけにはいかない。知られるわけにはいかない。
故に、少女はたった一人で死ぬ為に、子供達から離別した。
いつか誰かがこの事実に気付いたとしても、もしかしたら生きているかもしれないという希望を持てるように。
叶うなら、全て忘れて心穏やかに生きてくれることを願って。
結果として、煌也という青年との出会いで命を拾うことにはなるのだが、生き長らえたからといって会いに行けば、いらぬ波風を立てるかもしれないと、会う理由にはできず。
煌也との永遠の離別により、また一つ、会えない理由が増えていた。
裏腹に、子供達は一日たりとも少女のことを忘れることはなく、会いたいという気持ちが消えることはなかった。
毎日、少女の言葉の意味を考えた。
憎んでもいいと言いながら、囚われるなとはどういう意味なのか。
何故、忘れろと言ったのか。
施設の管理者である老女から、生活に必要な全て、生きて行く上で必要になる教養、アダマントである自分についての知識を与えられ、日々成長していく子供達は、いつしか気付く。
少女は、最後まで自分達を守ろうとしてくれていたのだと。
心と、未来を、守り抜いてくれたのだと。
初めに気付いた“少年”は、他の誰よりも早くその事実に辿り着き、一人隠れて涙を流した。
貴女に会いたい。貴女を守りたい。貴女に生きてほしい。
ずっと願い続けてきたその願いが叶う可能性は、絶望的となった。
それでも少年は諦めることなどできず、少女を探しに施設を出ることを決めた。
少女に替わって子供達を支えてきた少年だったが、青年と呼べる歳になり子供達も随分と成長した頃、彼は手掛かりを求め、ある場所に向かった。
忌々しい、しかし少女との唯一の繋がりがある、あの研究所へ。
少年……青年は少女のように子供達を守れるようにと、独学で闘い方を覚え体を鍛えてきた。
もし、かつてのように研究者がいようと怯むものかと、自分を奮い立たせ。
そこで青年は、少女に繋がる手掛かりに“出会った”。
彼女が生きていると、知ることができたのだ。
『あの子が生きやすい世界にする為に、君に頼みたいことがあるんだ』
少女の手掛かりは、青年にそう囁いた。
何かが弾ける音が、一つ。
青年は、少女の手掛かりの言葉に従った。
少女の為にできることがある。それがどうしようもなく、嬉しかったのだ。
施設を出た青年に、自分達も連れて行ってほしい二人の少年が続いた。
青年の口から手掛かりの話を聞かされた少年達は、少女に会える希望を得たと歓喜し、青年の助言に従い、とある集団に潜り込んだ。
その集団が、少女に害を成そうとしていると聞かされたから。
そんなことをさせてはならない。今度は自分達が少女を守るのだ。
全てが終わった後、共に四人で施設に帰る為に。
離れ離れになってから六年の月日が流れたその日。
再会を果たした少女は、少年の話を聞き暫し沈黙すると、ゆっくりと首を横に振った。
「貴方達と、一緒にはいられない」
悲しい声で、そう零したのだ。
何故と問えば、大切だからと返ってくる。
尚更、少女が何故拒むのかが分からなくなった。
少女の手掛かりは、とある集団の他にもう一つ“害”があると言っていた。
それは黒の青年なのではないかと、少年は思う。
彼から助け出せたなら。彼の傍から引き離しさえすれば、少女は笑ってくれるだろうか、と……。
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