第11話 喪失①
離して。
男達の耳には届かない、白雪の小さな囁き。
彼女の能力は植物を操るものではない。
その言葉に、ラクリマのような特別な力が宿っているわけではない。
あくまでも、白雪がお願いをしたというだけ。
ただそれだけのことで……。
「な!?」
「はぁ!?」
「何で能力解除してんのよ!」
「俺じゃねぇ! 木の根が勝手に……!」
木の根は、白雪と黒陽を解放した。
男達の会話から、地面に手を付いていた男が木の根を操ったことは確定。
慌てふためく男達を尻目に、黒陽は即座に動いた。
男の首に腕を回し、力尽くで地面から引き剥がす。
「うぐ!」
「お前達は何だ。俺達に何の用だ」
身長差があるせいもあり、されるがまま立たなければ首が締まり呼吸が困難になってしまうため、男はその一連の流れからは逃れようもなかった。
会話ができる程度の締め上げに留め、端的に問う黒陽に、男が答えるよりも先に彼の仲間が動いた。
「ちっ。ヒバシリさんの言った通り、黒い奴は化け物並だ! みんな気を付け……」
黒陽から距離を取った男達の一人が仲間へ注意を促す最中、言い終える前に一陣の風が吹き、男の言葉を掻き消した。
風圧に思わず息を詰め、よろめいた男が風が吹いてきた方へ目を向けると、白雪がこちらへ手を向けていた。
顔はフードで隠れ表情は読み取れないが、無感動に見える引き結ばれた唇が怒っているときのそれにも見え、思わず怯んでしまう。
「何をやっているんだお前等! 油断するな!」
「そっちがその気なら容赦しないわよ!」
残った二人が、それぞれ黒陽と白雪へ向かって行く。
初めに危害を加えてきたのは男達の方だ。黒陽は自己防衛したに過ぎない。
そして向かって来た男を返り討ちにする行為もまた、自己防衛に過ぎないのである。
「ぐあ!」
能力を使い腕を鎌状に変化させた男は、黒陽に振り下ろした腕をいとも容易く避けられ、胸倉を掴まれ投げ飛ばされた。
「きゃあ!」
威勢の良い声を発し白雪へ向かった女は、髪を鉈のように変化させ不規則な動きで翻弄しようとするが、その刃が草花を掠めようとした瞬間、突風により体を空へ飛ばされてしまう。
「いやああ!」
このまま落ちればどうなるかと青褪め悲鳴を上げた女だが、真っ逆さまに地面に落ちる直後、またも吹いた突風がクッションになり、一切の痛みを感じることなく着地することができた。
「な……あ……」
茫然自失、といった様子。しばらくは女はその状態から抜け出せないだろう。
手荒な真似をしたことを詫びるように軽く頭を下げて見せた白雪は、未だに一歩も動かず一言も発していない少年へ視線を移した。
男三人に囲まれた黒陽の心配をしていないわけではないが、自分が介入する必要はないだろうと判断しての標的の移行だ。
この少年だけは、未知数であったから。
ラクリマを抑える行為は、単純に言えば自分がアダマントであると同胞に気取られない為であるが、彼の仲間がこれだけ能力を使っているのだから、彼がアダマントであることは最早隠せることではない。
ラクリマを抑える行為に別の用途があるとすれば、自分を知るアダマントから正体を隠す為の行為だ。
非能力者であれば顔を隠すなりすれば済む話だが、アダマントはそれだけでは不十分。
アダマントが同胞の知人から正体を隠すには、外見の変装に加え、自分の存在証明であるラクリマを抑える必要がある。
白雪、もしくは黒陽が知っている人物。
その可能性を踏まえた上で、少年を見据えれば、彼はずっと白雪へ視線を向けていたようで、相手の目が直接見えたわけではないが、目が合った、と彼女には感じられた。
少年の能力は何か。今、何を考えているのか。
見つめ合った時間は、長くとも五秒と経っていないだろう。
少年の口唇が、初めて動いた。
「……え……」
声は出ていない。けれど、少年の口唇は、何かの言葉を発するように形を何度か変えた。
白雪に読唇術の心得はなかったが、何故か、彼の口唇の動きで、ある単語が脳裏を過る。
ねえさん。
そう言ったのだと……そう、呼ばれたのだと思った。
「……貴方、は」
白雪の中で生まれた答え。それが正しいのか、否か。
口にすれば確信に変わる気がして声にしていけば、少年は微かに口角を上げ、白雪が一つ瞬きをする一瞬の内に、彼女の眼前から姿を消していた。
「白雪!」
黒陽の叫びをどこか遠くに聞きながら、白雪は思い出す。
まだ煌也と出会う前の、在りし日のことを。
「迎えに来た」
背後から聞こえた、耳馴染みのない声は、けれど、どこか聞き覚えがあった。
そう……昔聞いた子供の声が、声変わりしたような、そんな声。
そして、少年が姿を消した瞬間に感知したラクリマは、それを正解なのだと知らしめていた。
「姉さん」
白雪は少年を知っている。
気付いたときには遅く、彼女の姿は少年と共に丘から消えていた。
「……白、雪?」
少年が白雪の背後に現れ、二、三囁き肩に触れた直後、二人が消えた。
その数秒にも満たない間にだ。
白雪がいた場所に視線を向けたまま、黒陽は彼女の名前を呼んだきり硬直してしまった。
呼び掛けに応じる人はそこにはいない。
その現実を、彼女のラクリマを宿さない自然風が頬を掠め、彼に突き付けた。
「よし! 新入りが白の解放者を捕らえた!」
「あとは黒い奴だけだ!」
「拘束しろ!」
四肢に巻き付き、締め上げてくる木の根も。
向かって来る男達も。
黒陽の目には映っていない。
気絶させるためにと殴られ、蹴られようと。
痛みに呻くことも表情が変わることもない。
心ここにあらず。今の黒陽は、まさにその表現が当てはまる。
彼の頭にあるのは、白雪のことだけ。
何故、彼女が狙われた? 手荒な真似をしてまで連れ去る目的は? 何者が企てた?
男達は、気配も感じさせず突然現れた。瞬間移動でもしてきたように。
つまりは、だ。白雪と共に消えた少年はそういった能力を持っているということで、彼が男達をここへ連れて来たと見て間違いないだろう。
男の一人は、少年を新入りと言い、白雪を白の解放者と言った。
着実に導き出される答えの決定打を記憶の中から探り、黒陽は男の一人の言葉に意識を覚醒させる。
『ヒバシリさんの言った通り、黒い奴は化け物並だ!』
黒陽は白雪に害なす者を良しとしない。
彼女に危害を加える可能性があるとするなら、それが何者であるのかを調べ、警戒する。
独自の情報網を使い調べた結果、以前白雪に散々暴言を吐いた男……アドウェルサスのリーダーの名前が、ヒバシリだと知った。
「…………あぁ、あれか」
ぽつりと、低い声が零れ落ちる。
「さっさと落ちろおお!」
なかなか意識を飛ばさない黒陽に焦れた男の一人が、拳を振りかぶった。
ガツン! と、加減のない鈍い音を立て、拳が黒陽の左頬を直撃した。
衝撃のまま顔が右に流され、口の中が切れたのか、薄っすらと開いた口唇から数滴の血が弾け飛ぶ。
さすがの彼も、このまま意識を失い倒れるだろう。
誰もがそう確信し、余裕の薄ら笑いを浮かべていた。
黒陽の四肢を拘束していた木の根も、能力が解除されたのだろう。彼を解放し、あるべき地中へ戻っていった。
「余計なことをしてくれる……」
うわ言のように独りごちた黒陽は、一歩もふらつくことなく上体の筋力だけで体勢を保った。
「本拠地は……あそこだったな。十地区以上離れているが、最短ルートを使えば……。あぁ……その前に」
倒れるとばかり思っていた青年が、平然とした顔で、しかしどこか虚ろな目でぶつぶつと呟く様子は恐ろしく不気味で……。
男達は、次に取るべき自分達の行動を考えるのに遅れた。
「まずは、掃除をしておく必要があるか……」
男達の悲鳴は、賑やかな祭の音にかき消された。
男は、自分と妻と三人の子供が写った写真を眺め、大きな背を力なく丸めていた。
幸せそうな顔で笑う自分と、のんびりとした顔で笑う妻。
それぞれ性格の違う、けれど皆優しく正義感のある、自慢の子供達。
男の幸せは一年前、突然奪われた。
失った三つの宝はもう戻ってこない。
妻の笑顔は、戻ってこない。
守りたいものは、全て奪われたのだ。
研究者……非能力者によって。
あいつ等さえ……非能力者さえ、いなければ。
世界を支配するのが、非能力者でさえなければ。
こんな思いをすることはなかったのに。
男はそんな怒りと悲しみを持つ者達と、行動を起こした。
もう、黙ってはいられない。
こんな悲しみを、誰かに味わわせてはいけない。
子供の仇を。友の仇を。恋人の仇を。
それぞれが憎しみを抱え、研究所の壊滅に乗り出した。
「ヒバシリさん、新入りが白の解放者を捕まえました。予定とは違う部屋に連れて来たようですが」
「あぁ。今行く」
仲間からの男から報告を受けたヒバシリは、簡単な返事をして写真を懐にしまい背筋を伸ばした。
「みんなも向かっています。噂に聞く白の解放者がどんな人物なのか、気になるみたいですよ。自分も、会えたら聞いてみたいことがありますし」
「ふん。あの女は、ただの偽善者だ」
「ははっ。ヒバシリさん、白の解放者について聞こうとすると、いつもそれですよね」
部屋を出たヒバシリの後に続き、どこか浮き足立った様子の男にヒバシリは仏頂面で応えるが、男は慣れた様子でからりと笑った。
「それに、いまいち何を考えているのか掴めん女だ」
「つまりは?」
「無愛想で何を考えているのか分からん」
「へぇ」
気に入らないという口振りで、おざなりに言い捨てられたヒバシリの言葉に、男は適当な相槌を打った。
「……ヤシロはどうした。白の解放者の元へ向かったのか?」
「いえ、ヤシロさんは部屋から出て来ていません。……ヒバシリさんがあんなこと言うからですよ」
ヒバシリの平静な声は、尋ねるのを躊躇していると思われる間のせいで、ただ平静を装っているだけだと容易く男に見破られた。
あんなこと、と男が指摘した言葉に心当たりがあるのか、ヒバシリは眉根を寄せ表情を険しくする。
「仕方ないだろう。あいつの能力は戦闘には不向きなんだ」
「……まぁ、そうですけどね」
ヒバシリの言葉に男は返す言葉を探すが、この場合の正解の返答が思い浮かばず、曖昧な返答をするに落ち着いた。
胸の中にできた大きなしこり。その原因は、ヒバシリ本人が一番分かっていた。
『お前は戦えないんだ! 引っ込んでいろ!』
白の解放者の拘束を部下に命じたヒバシリへ反論したヤシロとの口論の末、口走ってしまった言葉。
その言葉を受けたヤシロは、黙ってヒバシリへ背を向け部屋を後にしてしまい、それから二人は顔を合わせていない。
「俺にはもう、あいつしかいないんだ……」
ヤシロは、妻の笑顔も、子供も失ったヒバシリにたった一つだけ残された、親友という宝だ。
友を守る為にも。叶うなら、妻の笑顔を取り戻す為にも。
“作戦”の邪魔になる白の解放者を、野放しにはできなかった。
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