第9話 不穏な声②

 彼女は生まれながらにして愛を取り上げられていた。

 生まれ付きの白髪と赤目は、人の目を惹きやすい。

 この子を育てていれば、必然的に自分達にも目が向けられる。それはとても危険なことだと、アダマントである両親は怯えていた。

 容姿で人目を集めやすい上、彼女もまた、アダマントであったから。

 彼女が無意識に能力を使い、それを非能力者に見られでもすれば、自分達の身が危ない。両親は恐怖心に負け、彼女を孤児院の前に捨てた。

 孤児院で育てられた彼女は、齢五歳にして自分が周囲から奇異の目で見られていることを理解していた。

 誰かが言った。その赤い目が恐い、と。その白い髪は変だ、と。

 なら、“そう見えないようにすればいい”と、彼女は思い、そうすることに成功した。

 けれど、事は上手くは運ばなかった。

 誰かが彼女を普通だと言うようになり、差別をやめても、別の誰かがおかしいと声を上げれば、差別はより強さを増して復活した。

 そして、その差別は容姿だけではなく、生き物としての差別へと、変化した。

 アダマントだと知られた彼女は研究所へと売られてしまったが、そこで初めて心を許せる存在、仲間と呼べる存在に出会った。

 彼女より後から連れて来られる子供達は、彼女の外見が自分達と多少異なっていようと、彼女を否定することはなかった。

 散々、非能力者から否定される痛みを味合わされてきたからだろう。

 実の親から名前すら与えられなかった彼女は、研究所で与えられる個体識別ナンバーの言い回しを変えた、人間らしい名前を仲間達から贈られた。

 それは彼女が初めて与えられた愛だった。

 自分が置かれた状況は絶望的でも、実験がどれだけ辛くても。仲間達といられるなら、彼女は幸せだった。

 けれど、苦痛と幸福が成り立つ日々は、そう長くは続かない。

 一人。二人。三人……。

 仲間達は度重なる実験により命を落としていった。

 何人もいた仲間達は、あっという間に片手で足りる人数に減り、いつ、誰がなんて頭の中を整理する時間もなく。気付けば、彼女だけが残されていた。

 自分もすぐに仲間達と同じ道を辿ることになると彼女は悟り、それでいいと受け入れていた。

 仲間達の元に行けるなら、同じように逝けるなら、本望だと。

 それなのに、彼女にはそれすら許されなかった。


『人形のような白髪! 赤い目! 素晴らしい! 私が買おう!』


 この汚い生き物は何だ……。

 汚らしく口の中を見せ、目を歪めて笑い自分を見下ろす男に抱いたのは、そんな感想で、嫌悪。

 男が研究者に紙の束を渡すと、研究者も男のような笑みを浮かべる。

 なんて汚い。なんて醜い。吐き気がする程の嫌悪を感じる光景に、彼女は自分が人間として扱われていないことを痛感した。

 彼女は男に買われ、研究所から連れ出されることになった。

 彼女はこの研究所にいる最後のアダマントであったが、新しいアダマントは既に捕らえたと研究者が話しているのを耳に挟んだ。

 仲間になれたかもしれないのにと残念に思う。

 研究所に残留していたとしても、嬉々として両手を広げ「いらっしゃい!」などとは言えないし、言うつもりもなかったが。

 同胞の未来は想像するまでもなく、せめて少しでも苦痛なく逝けるようにと祈るだけ。

 自分はこれからどうなるのだろう。これ以上の地獄が待っているのだろうか。一寸先は闇、である。

 着いた先は、研究所で過ごした殺風景な薄暗い部屋とはまるで違う、豪華な屋敷の一室だった。

 広い室内に、数人。華やかな可愛らしい衣服に身を包んだ少女……と言っていいのかさえ怪しい覇気のない少女が、それぞれ椅子に座っていた。

 男にも、連れて来られた彼女にも目もくれず、どこを見るでもなく。

 一点に視線を固定し、表情なくそこに佇んでいるだけ。

 男が彼女を目にして口をでた言葉、“人形”のように。


『美しいだろう?』


 笑みを浮かべて彼女を椅子に座らせた男は、興奮を露わにそう言った。

 部屋にいる少女達に共通しているのは、十歳から十五歳に満たないくらいの年齢ということ、容姿が整っているということ。

 ここでは男が絶対のルールだった。

 言葉を発してはいけない。命じられる以外で動いてはいけない。表情を変えてはいけない。勝手に視線を変えてはいけない。等々。

 もし破れば、固い鉄の棒で背中を何度も打たれる罰を与えられた。

 そこで悲鳴を上げればまた打たれ、泣けば余計に打たれる。

 間違っても顔だけは傷付けられなかった。

 顔に傷が付いてしまっては、価値がなくなるからだ。

 男は少女達に、彼女に、人形であることを強要していた。

 人形のように、ではない。本物の人形になれと、生身の人間である彼女等に命じていたのだ。

 人間でもなく、アダマントでもなく、化け物ですらない。

 生も意思も持たない、人形になれと。

 食事は与えられる。風呂にも入れてもらえる。眠ることも許される。

 けれど、どの行為にも彼女等に自由はなかった。

 人形遊びに使われる人形を真似、人間らしさを消し、機械的に、けれどカラクリではない精巧な人形らしく動かなければならない。

 自分で自分を人形に近付ける。自分で自分を人から遠ざけ、殺すのだ。

 少女達の心は、彼女がこの屋敷に来たときにはもう手遅れだったのだろう。

 男が仕事で不在になる昼間になっても、誰も口を開こうとしなかった。

 自分を殺し、怒りを買わないよう息を潜めて過ごす日々。

 しかし、誰にもそんな日々が続くわけではないと、屋敷に連れて来られて何年かたった頃、彼女は知った。

 どんなに人形らしくしようと、少女達は人間だ。少しずつ背は伸び、顔立ちは大人びていく。

 男はそれが気に入らず、不機嫌な顔をすることが多くなり、少女達は乱暴に扱われるようになった。

 このままでは最悪の事態もあり得ると、まだ人間としての心を保っていた彼女は気を揉んでいたが……そんなもしもは起こらなかった。

 男にはお気に入りがあったから。

 男は彼女に執心していた。

 最悪の事態を免れた安堵はあれど、男の興味を一身に向けられる彼女の心労は計り知れない。

 何より、彼女は自分が男にここまで特別に気に入られているのかが分からなかった。

 自分も他の少女達と同じく大人に近付いているのに、何故? と。

 髪と目が人間らしくないからか。顔の造形が男の好みだったのか。

 いくつかの仮定を立ててみる彼女だったが、それは幼稚な見当はずれだったことを、偶然にも鏡に写った自分を見て思い知った。

 丸みの残る輪郭。狭い肩。小さな手。幼児ではないけれど大人でもない、凹凸が少し出始めた時期の子供の体躯。


 何故お前がまだそこにいる?


 鏡に写る自分を見て、彼女は心臓を直接握られているような息苦しさを覚えた。

 研究所からこの屋敷へ連れて来られたあの日から、少しも変わっていない彼女の姿がそこにあった。

 実験の後遺症なのか……。彼女の体の成長は、あの日で止まっていたのだ。

 姿が変わらない。まさに、男が望む人形のように。

 自分の体が壊れていると知った彼女の心は、限界を迎えようとしていた。

 そんなある日。男がまた一人、少女を屋敷に連れて来た。

 少女を目にしたとき、彼女は、いや、彼女等は、久方ぶりに高揚した。

 人形であることに苦しめられてきた自分達でさえ、目の前にいるのが人間なのか疑ってしまう程、その少女は美しかった。

 人形のような、ではない。外見が、というだけでもない。

 少女の外見も、存在感も、全てが美しく見えたのだ。

 男は当然、少女に夢中になった。

 どろどろに心酔していると言えるその眼差しは、心が死にかけていた彼女に明瞭な嫌悪感を思い出させた。

 美しい少女が人形にされてしまえば、きっとその美しさは陰りを見せる。それがどうしようもなく悲しくて、悔しくて堪らなかった。

 しかし、その日。この静かな地獄は唐突に終わりを迎えることになった。

 部屋の中で突如として起こった嵐のような風が、部屋を、そして屋敷を襲ったのだ。

 男も、屋敷にいた者達も慌てふためき、我先にと逃げ惑う。

 少女は、動くことができずにいる少女達の側へ歩み寄ると、手を取り自分の胸に当てさせた。

 それを全員に行い、少女は言った。


『私は生きている。それが分かるなら、貴女も。生きている』


 少女達は、彼女は。確かに少女の心臓の鼓動を、その手に感じた。

 少女が生きている証を。

 自分が生きている証を。


 自分が人形などではなく、血の通った人間だという証を。







「親に捨てられるなんて、アダマントにとっては珍しくもない話。巡り巡って研究所に流れ着くことも。その後のことは予想外としか言えなかったけど、それであの子に会えたわけだし……」

「さっきから何を言っている」

「んー、ちょっと昔のことを思い出してただけ」


 少女の容姿には不釣り合いな黒革の手袋を嵌めながら、長々と独り言を呟くレイに、サトリは吐息混じりに声を掛ける。

 例の独り言は聞き流すにしては物騒な話題だったが、サトリが声を掛けたのは、独り言が長過ぎると指摘したかっただけ。

 互いがどんな過去を背負っていようと、それを知ろうと、二人の間には同情の類の感情は生まれない。

 気安く、気楽に。上も下も、二人にはなかった。

「私が彼と一緒にいるのは、彼ならあの子をこの腐敗した世界から救い出してくれると思ったから。あと単純に、一緒にいて面白いから」

「何だ、急に」

「いいじゃない、別に。ねぇ、貴方はどうして彼と一緒にいるの? 出会ったのは確か、貴方が愚かな家族を見限って家出した後、だったかしら?」


 レイは食べ物の好き嫌いでも語るような軽さで語り、茶化しながらサトリに問い掛ける。


「正確には両親を、だ。言い回しに悪意を感じるがな」

「あはっ。バレた?」


 サトリはわざとらしい笑みを浮かべるレイの反応も、意図の読めない話題も慣れたように流し、空を見上げるように視線を上げた。


「……まぁ、いたいと思ったからいるんだろう」

「何それ。好きなの? ラブなの?」

「洒落にならない冗談はやめろ」

「あーら、ごめんなさーい」

「無駄話は終わりだ。そろそろ行け」


 さすがに見過ごせない発言だったのか、じろりとレイをひと睨みするが、彼女の飄々とした態度は崩れない。

 とはいえ、ただの戯言にいつまでも突っ掛かるようなことはしないあたり、サトリは理性的で、冷静だ。

 そしてレイも。サトリに軽口が利けるのは、彼と同等の精神的余裕があるが故。


「はいはい。それじゃあ、お仕事に行ってきまーす」


 掴み所のない様子でありながら、然るべき場面で見せる眼差しは、奏でる声は。成熟した大人のそれだ。

 レイは黒革の手袋を嵌めた手の指をバキリと鳴らし、散歩にでも行くかのような軽い足取りで歩き出した。

 向かうは、アドウェルサス本拠地。

 この日、アドウェルサスのリーダーは一つの命令を下していた。


 白の解放者を、拘束せよ。



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