第7話 優しい出会い①

 目が覚めたら清々しい朝日に出迎えられ、白の少女は何とも非現実的に感じた。

 うろんな目で掛け時計を眺め、最後の記憶から六時間は経過していると確認する。

 零れそうになる溜息を飲み込み、現実を受け入れる態勢を作り状況の確認に移ると、ベッドから抜け出し慣れた手つきでフードを被った。

 ざっと周囲を見渡す。シングルベッドが一台、テーブルが一卓、大小のソファが一脚ずつ。

 宿の一室であると見て取れるこの部屋は、自ら足を運んだ部屋であると理解する。

 この部屋は黒の青年が泊まる為に押さえた部屋であり、白の少女が泊まるはずだった部屋は隣。

 腰を据えて話ができるようにと、誘われるがまま彼の部屋へ足を運んだのは、白の少女の判断だ。

 けれど、まさかそのまま眠ってしまうなんて……と、白の少女は頭を抱える思いだった。

 ベッドに横になった覚えはないため、眠ってしまったあと黒の青年に運ばれたことは明白。

 昨日の昼間に彼の膝で寝入ってしまうという失態を思い出し、堪えきれず溜息が零れてしまう。

 ベッドには黒の青年のラクリマの名残がないというのに、ソファにはある。

 ということは、彼はベッドを白の少女に譲り、自分はソファで寝たということだ。

 ベッドに運ばせた挙句、部屋の主をソファに追いやってしまった失態に、白の少女は苦い顔で項垂れ、自らの額を小突いた。

 二度も人前で、それも長時間眠ってしまうことへの驚きと困惑は強かったが、それよりも今は自己嫌悪が勝った。


「……馬鹿」


 恥じる気持ちが強いせいでか、小突くにしては重い音が鳴った。


「何をしているんだ」


 それは不意に聞こえた。もう何度目か分からない、突然の声掛け。

 白の少女が目覚めたとき、何故か黒の青年の姿はなかった。

 ラクリマの名残が濃く残っていたことから、部屋を出てそう時間は経っていないだろう、つまりまだ戻っては来ないだろうと予測していた白の少女だったが、その予測はこうも簡単に打ち砕かれてしまった。

 反射的に肩を震わせてしまったのは、今回ばかりは驚いたからではなく、自分を痛め付けた……ようにも見える場面を見られたことへの後ろめたさから。


「駄目だ。君が傷付くところは見たくない」


 少し小突いたくらいで大袈裟な。と一笑して済む相手なら、どれだけ楽だろうか。

 白の少女は、自分の身に負った傷を負う前の状態に戻す能力、巻き戻しの能力を持つ。

 黒の青年は、白の少女がその能力を応用し、他者の傷を自分に移してから巻き戻すという技を使う光景を実際に目にしている。

 負傷してもすぐに癒えることは、目の前で能力を使うより前から知っていながら、あんな顔をしていたのだ。

 心なしか「駄目だ」と言った語気は強かったし、極め付けに、小突いた程度で「君が傷付く」とくれば……。

 これくらいで大袈裟な、と言って通じはしまい。


「分かった。もうしないから。その顔、やめて……」


 傷を負うどころか痛くも痒くもない小突き如きで、真剣な顔で心配されては、いたたまれなさしか生まれないというものだ。


「……どこに行っていたの?」


 わざとらしさは拭えないが、話を逸らす方向としてはおかしくはないだろうと、白の少女は話を振った。


「あぁ、これを買いに」


 幸いにも、黒の青年は話の切り替えを受け入れた。

 これ、と彼が視線を落とした先、手元にあるのは、茶色の紙袋。

 見えやすいように傾けられ、中を確認した白の少女は、唐突に出入り口に体を反転させた。

 自分の部屋に、金を取りに行く為に。


「君が目を覚ます前に戻ろうとしていたから、まだ温かいと思うよ」


 出入り口に足を向けようとする白の少女を、その一歩が踏み出される前にソファへ座らせた黒の青年は、飄々とした様子で微笑んだ。


「朝食にしよう」


 昨日、白の少女が何度も食事代を払うと訴えたが、のらりくらりと躱されてしまった。

 この微笑みは、そのときに見たものと同じだった。

 こうなった黒の青年に弁で勝つには、それなりに労力を要するだろう。

 しつこく食い下がっても無駄骨に終わることも考えられる。

 次こそは払わせないようにしようと、白の少女は密かに決意した。

 黒の青年によりテーブルに並べられた軽食は、宿の一階の軽食店で買い揃えられたものだろう。

 揃えられた具材やパンで、客自らの手で好きなように作れるという自由度が人気らしいその店は、女性客が大半を占めていたと白の少女は記憶していた。

 勿論、店のメニューとして、いくつかのパターンは存在するため、その中から選ぶこともできる。少数の男性客はそちらを利用しているようだった。

 黒の青年もそれに習ったのだろう。

 いる、いらないの返答は問わず、黒の青年は小さなサンドイッチとスープを白の少女の前に並べ、自身の前にはボリュームのあるサンドイッチを置く。

 昨日と似たような光景だが、少しだけ違う点があった。


「それだけ……?」


 昨日と似た光景。しかし、黒の青年の前にあるのは、サンドイッチが一つのみ。

 昨日はそれの他にも様々なものを、彼は苦なく完食していたため、白の少女は彼を大食漢なのだと思っていた。


「俺にとって食事は、栄養を補給する作業みたいなものなんだ。美味い不味いは、俺にはよく分からない。体を動かす為に必要な栄養が摂れるなら、俺の食事の意味としては事足りるから、手っ取り早く一つで多くの栄養を取れるものを食べるんだ。昨日は君の食事量を知りたくて、念の為、多めに用意したけどね」

「そう……」


 食事に関し、どうでもいいような素振りで話すが、色々考えているのだなと、白の少女は考えを改める。

 知らないところで施されていた気遣いへの気恥ずかしさで、気のない返事になってしまったが、そんなことで気落ちする黒の青年ではなく、サンドイッチを義務的に手に取った。

 あぁ、でも。……と、不意に黒の青年が声を上げたことで、白の少女は彼の声に耳を傾ける。


「君が作ったものなら、絶対に美味しいと感じる」


 食べたいな。

 頼むわけでもなく、独り言のように呟かれた言葉に、白の少女は返答に詰まった。

 黒の青年の根拠のない自信へ、呆れのような気持ちと、表現の仕方が分からない浮ついた気持ちとが、彼女の中で混ざる。

 食事のお礼に今度作ってあげる。

 とでも言えば自然だろうが、そんな気安い台詞を言えるほど、彼女は彼との時間を受け入れることができていなかった。


(……でも)


 居心地が悪いわけではない。

 矛盾する気持ちが、確かに白の少女の中にあった。


「今日はどうしようか?」

「南に、少し気になる施設があるから……そこの下見に、行ければ……」

「分かった。食べ終わったら行こうか」


 黒の青年と出会ってから、白の少女は困惑させられてばかりいた。


「いただきます」

「……いただきます」


 白の少女は一度、黒の青年の向こうの壁に掛かる時計へ視線を投げてから、テーブルのスープを手に取る。

 胸の中の有耶無耶も、スープと一緒に飲み込んだ。







 道を歩く少女は、周囲から聞こえてくる会話に顔を俯かせていた。


「隣のクラスの子、この前いきなり学校辞めたじゃん? なんでも、アダマントだったらしいよ」

「えーっ。こんなに近くにいたの?」

「暗い子だと思ってたけど、正体がバレないように大人しくしてたってことか」

「でも、遠いところに引っ越すらしいから安心だよ」

「いなくなって良かったね」

「化け物が近くにいると思うと、恐くて授業どころじゃないもんねぇ」

「お前は化け物が近くにいなくても真面目に勉強しないだろ」

「言えてる~!」


 その会話を誰に聞かれてしまうか。そんなこと、歳も思考も若い彼等は気にも留めていない。

 世間に蔓延る常識を、それが本当に正しいのか確かめもせず、自分の目で見た現実のように語る。

 多くが悪と語るものを悪として。多くが正義と語るものを正義として。

 自分達は正しいのだと思い上がる。

 悲しいものを悲しいものと認めず、或いは知りもせず、平然と踏み付けるのだ。

 自分が踏んだものが何なのかも知らず。


(違う……)


 自分達と違う存在を声高に否定する彼等の笑い声を聞きながら、その少女は頭痛と吐き気に表情を曇らせた。


(化け物なんて、言わないで)


 生まれつきの垂れ目をさらに垂れさせ、八の字に眉尻が下げた面持ちは、目から涙が溢れていないことが不思議なくらいだった。


「サユリ姉、大丈夫? 顔色悪いよ?」


 少女、サユリの隣を歩いていた少年は、気遣わしげに声をかけた。


「……ありがとうヨシヤ君。ごめんね、心配かけて」

「謝ることないよ。……聞いてて気持ちのいい話じゃないって、俺も思うし」

「…………」


 少年、ヨシヤの言葉に、サユリは苦々しく微笑み、いつの間にか止めてしまった足を進めた。


「早く戻ろう。みんなが楽しみに待ってる」

「そうだね。今日は、大事な日だもんね」


 サユリの手には、大きなケーキ箱が。ヨシヤの手には、たくさんの食材が入った紙袋が。

 自分達の手にある物を確認した二人の声は、心なしか弾んだ声になった。

 人通りの多い通りを進み花屋で豪華な花束を買うと、キャンペーン中だと言って花の形をした風船を渡され、お土産ができたねと二人して笑った。

 今はあまり使われなくなった古い公園を抜けて一本道を進めば、二人の帰る場所に辿り着く。


「ん? あの人達、何してるんだ?」


 公園に足を踏み入れると、いつもは見かけない数人の若者が何かを囲んでいるらしい光景がそこにあった。

 不審に思ったヨシヤは、サユリを背に庇うように立ち様子を窺う。


「お前、いつも暗くて鬱陶しかったんだよねぇ」

「何でまだこの辺うろついてんの? 目障りだから早く消えろよ」

「人間のフリした化け物め。俺が退治してやる!」


 聞こえてきた声は、明らかに悪意と敵意の塊で……。

 若者の一人が、囲んでいる何かを踏み付けようと足を上げる。


「サユリ姉! これお願い!」


 隙間から、囲まれているのが何なのかを目にしたヨシヤは、荷物を地面に置き、駆け出した。

 囲まれていたのは、小さく蹲って震える少年だった。

 彼はおそらく、道中で聞こえてきた会話に登場した人物。非能力者に正体を知られた、アダマントだ。


「おい! やめろよ!」


 制止の声を上げ若者等を押し退け、少年が踏み付けられるのを回避したヨシヤだが、突然の乱入者に若者等は不快げに顔をしかめる。


「何だお前。何やってんの?」

「あんた等こそ何やってんだよ! 無抵抗な人間を大勢で囲むなんて!」

「人間?」


 複数の若者等に怯むことなく真正面から噛み付くヨシヤに、若者等は吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。


「お前こそ何やってんだ? こいつは人間じゃなくて化け物だ。人間のフリして人間の中に紛れ込んだ化け物。俺達はその化け物を追い出してやろうとしてたんだぜ?」


 人間様が安心して暮らせるように。

 そう胸を張って語る若者の言葉に、本当に正義の心があったなら。

 ヨシヤはきっと、悲しみながらも何とか話し合いで解決しようと、説得の言葉を探しただろう。

 けれど、ヨシヤは若者等を睨み上げ、沸き立つ怒りに拳を強く握った。

 非能力者を脅威から守りたいなんて崇高な正義は、若者等の卑下た笑みの中には欠片も見えなかった。

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