第5話 レグノ②

 男の懐から零れ落ち、床に転がっていた鍵を拾った白の少女は、青年達を通り過ぎ部屋を出た。

 自分の身は自分で守るようにと黒の青年に釘を刺されていたにも関わらず、さっそく手を煩わせてしまったことにハトリは冷や汗を流した。

 恐る恐る、横目で黒の青年へ目を向ける。

 青年達など見えていないように白の少女を目で追っている黒の青年の様子に、お咎めはないようだと、胸を撫で下ろした。

 通路を挟んで向かいの部屋。

 扉の鍵穴に鍵を差し込む白の少女へ、ハトリはおずおずと声を掛ける。


「あ、あのさ」

「…………」

「……あの?」


 遠慮がちではあったが確かに声を掛けたにも関わらず、返事どころか顔を向けようともしない白の少女に、ハトリは疑問符を浮かべる。


「えっと……」


 フードで素顔は隠され、口元でしか表情を読み取ることはできないというのに、白の少女の口唇は綺麗に閉じた状態を維持していて、思考を読み取ることが難しい。

 彼女に声を掛けたことで、黒の青年の視線が背中に突き刺さり、収まり掛けていた冷や汗が背中を伝いだす。

 それでも、ハトリには言いたいことがあった。


(……助けてくれて、ありがとう)


 白の少女が行動してくれなければ、彼は背後から襲ってきた輩にやられていたのだから。

 感謝を告げたところで、きっと反応はないだろうと思いつつ、それでも……。

 ハトリは能力を、使い感謝を投げ掛けた。

 当然の如く、反応はない。

 しかし扉を開けた白の少女が、中の安全を確認するように見回した後、最初に足を踏み入れることを譲るように扉の前からずれる姿を見て、彼女にはちゃんと心があるのだと感じた。

 心細いはずのツボミが最初に対面するのが、気心知れた兄とその友人であるように気遣う、優しい心を持っているのだと。


「ツボミ!いるか!?」

「……お兄ちゃん?」


 室内へ駆け込んだノギリの声に、幼い声が応える。


「大丈夫か?怪我はないか?」

「お兄ちゃん……」


 兄の姿を確認しても不安げに眉尻を下げてはいるが、一見したところ無傷のツボミに、ノギリは一先ず安堵し、抱き寄せた。


「良かった……」


 兄妹の再会にハトリは頬を綻ばせ、二人の側へ足を進めようとするが、自分が足を踏み出すより先に別の足音が耳に入り、反射的に振り返る。

 足音の正体は、白黒の二人。

 無事にツボミと再会したことを確認し、自分達はもう用済みだということか。

 二人は青年達に声を掛けることなく、この場を立ち去ろうとしていた。

 ノギリもそんな二人に気付き、慌てて声を上げる。


「ちょっと待ってくれ! まだ礼を……」

「だ、誰っ!?」


 協力してくれた白黒の二人に礼を言いたい。

 そう思い、二人を呼び止めようとしたノギリの声を、ツボミの狼狽した声が遮った。

 自分を助けに来てくれたのは、兄とその友人のハトリ。

 他人が他人の為に、危険を顧みずに助けに来てくれるなんて可能性は、ツボミには想像もできなかったのだろう。


「や、やだっ。また恐い人に連れて行かれちゃう!」


 兄達以外の誰か。それは、自分達に酷いことをする恐い人。

 幼い彼女の脳内では、そんな単純なイコールが成り立っていた。

 子供というのは自分の感情を上手くコントロールできないもので、それはラクリマのコントロールにも大きく繋がっている。


「今度はお兄ちゃん達も捕まっちゃう! そんなの駄目!」

「ツボミ! 落ち着け!」


 少し時間を遡れば、自分自身が友人に言われていた言葉を妹へ真摯に訴えるが、さすが彼の妹と言うべきか……。


「た、助けなきゃ。ツボミがお兄ちゃん達を……っ。助けなきゃっ」


 たった一人連れ去られ、精神的に参っていたことに加え、幼さ故の不安定さがツボミの中のラクリマの制御を奪った。

 頭を抱えた彼女を中心に、ぐわんと空間が揺れた。


「逃げろおお!」


 叫んだのは、ノギリ。一番ツボミの近くにいて、その異変に気付けた者。

 ノギリの大声に振り返ったハトリの顔が蒼白に歪むのに対し、白黒の二人に平静を崩す気配はない。

 けれど、そう分析できる冷静さなど青年達は持ち合わせていなかった。

 彼等はアダマントであるというだけの、ただの青年であったから。

 ハトリはなりふり構わず白黒の二人の前に身を乗り出し、両腕を広げた。

 爆風を至近距離で浴びるようなもの……と例えれば、想像に足りるだろうか。

 この場にいる全員を襲おうとしているのは、熱く、息が詰まるような、そんな衝撃だ。

 反射的に白黒の二人を庇い飛び出したと同時に、ハトリは自分が受ける衝撃に備え、無意識に目を瞑っていた。

 ……だが、想像していた衝撃は、待てどもやってこなかった。


(ど、どうなった……。ノギリは? ツボミちゃんは? あの人達は?)


 視界を閉じた状態では、視覚的情報は得られず、周囲の惨事は想像することしかできない。

 目を開けなければ、それ等の情報を知るこができないと分からない彼ではなかったが、確認するには勇気が必要だった。

 もし、目を開けて友人が、その妹が傷だらけだったら?

 庇ったはずの二人が無事でなかったら?

 腕を広げたとき、少しでも壁になる面積を広げようとしたのか、一緒に掌も開いていてたようで、左手がジクジクと痛んだ。

 その痛みが、ハトリを臆病にする。

 自分が吹き飛ばされることなく、両足でしっかりと立つことができているということは、少なくとも吹き飛ばされてしまうほどの衝撃ではなかったと言えるだろう。

(大丈夫……きっと、みんな大丈夫……)

 心中で自分に言い聞かせる声ですら震えてしまい、友人の妹を助けようと乗り込んだことが如何に身の丈を超えた行動であったかを思い知った。

 目を開けろ。そう自分に命令し、きつく閉じていた瞼の力を緩めた。

 それでも、目を開くことを躊躇ってしまう彼の傷付いた手に、ほんのりと温かい何かが触れる。

 理解すると、触れられた箇所に、新たに淡い熱が加わったのを感じた。

 それはハトリもよく知るもので、しかし彼のものではないものだった。


(……これは、ラクリマだ。このラクリマは……)


 温かいラクリマは、怯え震えていたハトリの気持ちを徐々に落ち着かせていった。

 そのラクリマは馴染みのないものだったが、彼はそれが誰のものなのかを知っている。

 自分を助けてくれたラクリマと、同じものだったから。

 ラクリマの所有者を導き出すと、ハトリは躊躇していたことも忘れ、一気に開眼した。


「君は……!」


 振り向き、その人物に呼び掛けようとするが、ハトリは言葉を失い、たたらを踏む。

 振り向いた先には、白の少女の姿も黒の青年の姿もなかった。

 衝撃により虫の息になった天井照明で何とか照らされている室内に取り残されたハトリは、背後からツボミの啜り泣く声を聞いた。


「ツボミちゃん……。そうだ! みんな怪我は……!」


 現実を飲み込み、気掛かりを確かめなければと友人等に向き直ったハトリが目にしたのは、思いもよらない光景だった。


「お前……」


 どうすれば想像できただろう。

 無鉄砲で乱暴なノギリが、こちらを向いて、床板に額が付きそうなほど深々と頭を下げているなんて。

 少なくとも、ハトリには想像できなかった。

 あんな、誰かに心から感謝を示すような……謝罪するような行動をとるなんて。


「ハトリ……」


 上擦った声で名前を呼ばれ、ハトリは息を呑む。


「俺達、助けられたんだ……」


 それは、ツボミを助け出す協力をしてもらえたことを指しているのか。

 などという無意味な問い掛けを、ハトリがすることはなかった。


「黒い奴が……多分、能力を使ってツボミのラクリマを抑えてくれた。それで、白い奴が……白い、奴が……」


 言いながら、何故か声を震わせるノギリの体も、まるで怯えているように小刻みに震えていた。


「俺は……最低だ」


 拳を床に強かに打ち付けて、ノギリは叫んだ。


「助けてもらったのに! 一瞬でも、恐いと思っちまった!」


 後悔の言葉を聞きながら、ハトリは自身の左手に目を落とした。

 傷だらけで、赤で塗り潰されているはずの、左手。

 そこには擦り傷一つなく、痛みも、記憶の中にあるだけで実際に感じることはなくなっていた。

 ハトリは左手を強く握り締め、解くと、苦い顔でノギリの肩に手を置いた。


「……また会えたら、謝ろう。何回でも」


 肩に置いた手に伝わる震えは、怯えではなく、自責の表れだろう。

 何が起こったのか、きっと理解できていないだろうツボミに苦い笑みを浮かべる。

 傷のなくなった左手でツボミの頭を撫でれば、その手にまだ微かに残る彼のものではないラクリマに、ツボミは大きな目を不思議そうに瞬かせた。


「恐くないだろ?」


 そう囁いたハトリに、ツボミは確かに頷いたのだ。








「待って。ねぇ、止まって」


 ラクリマの暴走を抑えた黒の青年は、白の少女の右手を引き足早に小屋を離れた。

 立ち去ることに関しては異論なく従っていた彼女だが、一言も発することなく歩みを続ける黒の青年に、堪らず待ったかけた。


「どうして……そんな顔をするの?」


 青年達のラクリマも感知できなくなった頃、ようやく足を止め振り向いた黒の青年に、白の少女は虚を衝かれる。


「そんな顔、というと?」

「……つらそうな顔」


 少しばかり躊躇する素振りを見せるが、取り繕うことなく言い切った白の少女に、黒の青年は小さな笑い声を上げる。


「つらそうな顔、か。表情には気を付けていたんだけどな」


 気付かれないようにしていたのに。

 そういった意味の発言なのに、困った口ぶりのわりに声には喜色が滲んでいる。

 だが、苦々しさは消えていない。

 白の少女の左手を、やけに慎重な手付きで取る。


「あと少しでも長くあの場に留まっていたら、俺はあいつに何もしない保証はできなかった」


 彼女の左手には焼け焦げたような生々しい傷があり、今も流血していた。


「君が受けたものと同等……それ以上の痛みを、与えようとしただろう」


 せっかく君が癒した、あの男に。

 そう言って浮かべられた笑みには、自嘲が滲んでいた。


「俺は、あの男が傷付こうが子供が泣き喚こうが、何も感じない。何の情も湧かないんだ」


 自分には心がない……と、黒の青年は吐露する。

“あのとき”の彼は、“そんな自分”は何に見えるかと、問いたかったのだ。


「……私は……」


 白の少女は言い掛け、言葉を切り彼が触れている左手にラクリマを集中させた。


「私は……“レグノ”」


 あろうことか、痛々しい傷が消えていく。

 その箇所だけ、傷を負う前の状態に巻き戻るように。

 その様を、彼は黙って見つめていた。

 彼女もまた、そんな彼を見つめていた。

 アダマントが持つ能力は、一人に一つ。それが正常であり、それ以外は異端である。

 二つの能力を持つアダマントは同胞にさえ恐れられ、本物の化け物……“レグノ”と呼ばれている。


「貴方はもう、答えを知っているでしょう?」


 白の少女を“レグノ”と知っても、黒の青年の眼差しは変わらない。

 彼女が彼に向ける眼差しも、また同じであった。

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