第5話 レグノ①

「あんな人前で何てこと言おうとしてんだよ! 死ぬ気か!」

「お前か、こいつ等を呼んだのは! 余計なことしやがって!」

「余計なこと!? こうでもしなきゃ取り返しのつかないことになってたんだぞ!」

「構うもんか! 奴等に捕まれば、あいつのいる所へ連れて行ってもらえるんだ! 寧ろ手っ取り早いくらいだ!」

「何でそう無鉄砲なんだよお前は!」

「んだとこら!」


 冷静さなど露ほども持ち合わせていない青年は、黒の青年に解放された途端、もう一人の青年に詰め寄った。

 黒の青年が二人の青年を人気のない林の中へ連れ込んで、早数分。

 彼等の口論は、止まるどころか苛烈さを増すばかりだ。

 黒の青年は、今にも掴み合いになりそうな勢いで声を荒げる彼等の仲裁に入ろうなどとは思っていないのだろう。

 木にもたれかかって興味なさげに眺めているだけだ。

 何を問うこともなく、青年等の口論から粗方の内情を得られていることも、静観するに至った理由の一つ。

 隣地区へ行こうとしていた青年はノギリ。止めていた青年はハトリというらしい。

 なんでも、ノギリの妹であるツボミという少女が、人攫い……アダマントを研究所に売り付け、金にしようという非能力者に連れ去られたのだという。

 隣地区に向かった連中を、猪突猛進に追い掛けていたノギリを、幼馴染のハトリが止めていたのだそうだ。

 しかし、頭に血が上った状態のノギリを説得することは容易ではなく、非能力者が往来する場で何を口走るかも分からない。

 そう危惧したハトリが、同胞へ意思を伝える能力を駆使して助太刀を求めた。

 ノギリの暴走を止め、なおかつツボミ救出の手助けをしてほしいと。

 あの場にも数人のアダマントがいたものの、巻き込まれて自分の身が危うくなることを恐れ、呼び掛けに応じる者はおらず。

 白黒の二人が到着するまで誰も名乗り出なかったようだが。

 膠着状態が続く口論の内容は、ハトリがノギリの無鉄砲さを嗜め、ノギリが反発するの一辺倒で発展がない。

 ノギリは勿論、ハトリも随分と感情的になってしまっていて、このまま放っておいても収束には繋がるまい。


「うるせぇ! 偉そうに説教すんじゃねぇよ!」


 ハトリの言葉に過剰に反応するノギリは、苛立ちに任せ木を殴り付けようと拳を振りかぶった。

 けれど、その拳が木に打ち付けられることはなく……。


「……え。……は?」


 樹皮の渇いた感触の代わりに、弾力のある熱にノギリの拳は包まれた。

 思い掛けないことで、途端に我に返った彼は少しずつ冷静になり、拳を包む何かを恐る恐る盗み見ることで、気付く。


「あ……わ、忘れて、た……」


 思わず、そう口にしたのはハトリであったが、それはノギリの頭に浮かんだ言葉でもあった。

 ノギリの拳を包んだのは、彼の手よりもやや大きなそれ。

 黒い袖口から覗くそれには、見覚えがあった。それもそのはず。

 彼がそれを目にしてから、まだ三十分と経っていないのだから。


「余計なことをするな」


 責め、咎める台詞だというのに、無感動な声色からは何の感情も感じられず、それが何とも不気味で……。


「ひい!」


 声の主を見上げた二人は、口論の最中だったことなどすっかり忘れ、身を寄せ合って黒の青年から後ずさった。

 拘束するつもりはなかったらしい黒の青年は、自分から逃げようとする手を追うことはなかった。

 結果的に、黒の青年を呼んだのはハトリであり、原因を作ったのはノギリだ。

 彼等は今更ながら、何て男を呼んでしまったのだろうと震え上がった。

 そんな彼等の反応など気にした素振りもなく、黒の青年は半身で背後を振り返った。

 黒の青年が体勢を変えたことにより、彼の背後が見て取れるようになると、いつからそこにいたのか、真っ白な衣服に身を包んだ少女が佇んでいた。


「うわっ!? な、何だこの女!」


 幽霊でも見たような。そんな心境に、ノギリは馬鹿正直にも驚きを大声に乗せてしまった。

 そんな彼へ、黒の青年は一度視線を滑らせるだけで黙らせてから、白の少女へ向き直る。


「行くかい?」


 ノギリやハトリの遣り取りには一切干渉しなかったが、話は聞いていたであろう白の少女は黒の青年に意見を求められると、沈黙を保ったまま振り返った。

 その口唇はピクリとも動かず、彼女はただ、一つ頷いてみせたのだった。







「ど、どう思う?」

「どうって。そりゃあ……うーん」


 黒の青年の迫力に慄く青年達を置き去りに進み出した白黒の二人が、片手で抱えられる人形ほど小さく見えるようになった頃、二人の青年はようやく落ち着きを取り戻した。

 広く頼り甲斐のある黒の背と、狭く小ぢんまりとした白の背を追いながら、声を潜めて互いの考えを確認し合う。

 待ってくれと言って黒の青年に振り向かれ、また“あの目”を向けられたらと思うと、今度こそ本当に腰を抜かしかねないと、彼等は白黒の二人が向かう先の確認すらできていない。

 それで何故、二人の後を追うのかといえば、「行くかい?」と言った黒の青年に、白の少女が頷いたから。

 もしかしたら、手助けをしてくれるつもりなのかもしれない。

 勝手と知りつつ、そんな希望を抱き、後を追う。

 独特な存在感のある黒の背に期待し、か弱げな印象しかない白の背に落胆し。

 その憶測が事実かも分からないまま、敵地に到着した。

 人が身を隠すのに御誂え向きの、寂れた小屋だった。


「……あ、おいっ」


 ここからどう侵入するか。

 そう思案したノギリとハトリだったが、そんな二人をよそに白の少女は小屋の正面入口から堂々と乗り込んで行く。

 当然のように先に進む白の少女へ、ノギリは思わず手を伸ばし異議を唱えようとするが、黒の青年が彼の前に腕を突き出すことで制した。

 こうも明からさまな牽制をされてしまえば、ノギリは不恰好に伸ばした手を下ろさざるを得なかった。


「い、いいのかよ。あの子、捕まっちまうぞ」

「そうだよ。助けに来てくれたのは嬉しいけど、あの子は外で待っていた方がいいんじゃ……」


 それでも、はやり一度は訴えなければ気が済まなかったのだろう。

 自分達の為に、あの少女にもしものことがあったら……。

 そう考えるだけで青年達の胸は痛み、そこはかとない恐怖が背中をくすぐった。

 林で無遠慮に白の少女へ声を張ったときとは違い、彼女の安否を気遣っての発言であることを考慮してか、黒の青年は青年達へ咎める視線は寄こさず、その目は白の少女を見つめていた。


「ここから先に進むなら、自分の身は自分で守るよう努力しろ。彼女の邪魔をするな。一度でも彼女を傷付ける行動、発言をすれば……」


 分かるな?

 そう、淡々と告げられる忠告は平坦で、いっそアンドロイドが人間の真似事をしているのだと言われた方が、青年達は納得できただろう。

 ただし、黒の青年が白の少女の存在を口にする瞬間だけは、彼の感情がありありと伝わってきた。

 白の少女の害になるようならば許さない、と。

 黒の青年にそう言わしめる白の少女と、彼の繋がりがいかなるものか、青年達は知る由もないが、黒の青年には確かに心があるのだということだけは分かったことだろう。


「……わ……かった」

 背筋を氷で撫でられたような、身震いする程の寒気に、青年達はやっとの思いでそう応えた。

 青年達の反応を受け、黒の青年は腕を下ろすと、足早に白の少女を追った。

 重さの違う足音は、しかしどちらも迷う様子なく進み、早足だった重い足音は、すぐに軽い足音と同じ速度で音を刻みだす。


「……お、俺達も、行くぞ」

「お、おうっ」


 名前すら知らない相手とはいえ、一応は味方であるらしい白黒の二人と離れることは得策ではない。青年達は早足に後に続いた。

 小屋の中に入ってすぐ地下に続く階段があり、この小屋がカモフラージュの役割を担っているのだと推測できた。

 この下で待ち構えている光景を想像し、階段を降りる青年達の呼吸が乱れる。

 それは、急く気持ちのせいだけではないだろう。

 青年達は、非能力者がアダマントをどう見ているのかは身を以て知っているが、研究所に捕らえられたアダマントがどんな目に遭うのか……それは知識としてしか知らない。

 実験動物として扱われ、死ぬまで苦しむことになる。

 そう知識として知ってはいるが、具体的にはどんな仕打ちを受けることになるのか。

 体を切り裂かれるのか。毒薬を打たれるのか。わざと痛めつけられるのか。

 ここは研究所ではないため、ノギリの妹はまだ研究所に引き渡されてはいないが、研究所を巡る白の少女ならともかく、青年達にはそんな判断はできない。

 不安に震えそうな足を叱咤し、青年達は足を進めた。

 存外、歩行速度が速いらしい白の少女と、既に彼女の傍にいる黒の青年に追い付く頃には、階段は降りきり、一通のみの通路も進み終えてしまっていた。

 いくつかある部屋の内、唯一開かれている扉の向こうからは、室内の明かりが漏れている。


「ぎゃあ!」

「うわっ」

「ひっ!」


 何かがぶつかったような鈍い音と、短い悲鳴が聞こえ、青年達は思わず情けない声を上げ、びくりと肩を震わせてしまった。

 捕まってここへ連れて来られても構わない、という口振りで息巻いていたノギリでさえ、足は竦み、腰が引けている。

 ノギリはそんな自分の頬を強く張り、一度ハトリと顔を見合わせ、意を決すると、勢い良く室内へ飛び込んだ。

 そんな彼等を迎えたのは…………。


「何なんだこいつ等っ……うあ!」


 呻きや悲鳴と、軽やかに動き回る白と黒の姿だった。


「……は?」

「え……?」


 呆気にとられた青年達は、口を開け間の抜けた顔を互いに見合わせて、視線を室内へ戻した。

 既に倒れている者を含め、人攫いは五人いたが、両足でしっかり立っている者は三人。

 そう認識している内にも二人が倒され、残ったのはたったの一人だけとなっていた。


「う……!」


 最後の一人も、黒の青年の長い足による蹴り技で昏倒させられ、彼が床に足をついた音を最後に、場は静寂に包まれた。


「ま……マジかよ」

「嘘だろ……」


 二人が驚愕を口にすると、白の少女がくるりとこちらを振り向き、その細い腕を伸ばしてきた。

 何をするつもりなのかと首を傾げていると、突如として吹き起こった突風が二人の顔の間を通り抜けていった。


「ぐ!」


 短い呻きを上げたのは、青年達ではない。

 二人を背後から襲おうとしていた、物陰に隠れていたらしき男だった。

 突風で銃を弾かれ無防備になった男を、すかさず黒の青年が倒し、今度こそ場は静寂に包まれた。


「な、なぁ、俺達……」

「あぁ……」

「とんでもない人達、呼んじまったかも……」

「あぁ……」


 ハトリの上擦った声に、ノギリは応と頷くことしかできなかった。

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