第4話 灰色の残像②
野菜や肉を挟んだボリュームのあるサンドイッチ、小さくカットされた野菜のサンドイッチ、琥珀色の綺麗な焼き加減のマフィン、紙容器に入れられたスープ等々。
今しがた席を外した際に移動販売のパン屋で購入したらしい。
好きなものを食べるようにと勧められた白の少女は、ずらりと並べられた食料の数々を前に面食らってしまう。
「わ、私は……」
「ん?」
「食べなくても大丈……」
「体調」
「いえ、あの……体調が悪いとかでは、なく……」
「…………」
「……その……」
「君に食べてほしい」
「……で、でも……私……」
「食べられるだけでいい」
「……っ……」
食べることに難色を示す白の少女だったが、体調を気遣われ懇願するような目で訴えられれば、観念するしかなく……。
迷った手付きで、マフィンを一つ手に取った。
「いただきます」
白の少女が食べる意思を示したことに満足したのか、黒の青年は一つ頷く。
ボリュームのあるサンドイッチを手に取ると、彼にはあまりしっくりこない定番の挨拶をしてかぶりついた。
「……いただきます」
小さな一口でマフィンを齧り、横目で黒の青年と公園の時計塔を見比べ、白の少女は目を伏せる。
時刻はとうに昼を過ぎており、彼女が意識を失った夜明け頃から何時間も経過していた。
黒の青年が一番大きなサンドイッチを完食し、次のサンドイッチを半分胃に収めた頃、ようやく白の少女はマフィンを一つ完食し、細く息をついた。
「……ご馳走様、でした」
「足りたかい?」
黒の青年の言葉に目を見張り、頷く白の少女だが、その動作はどこかぎこちない。
「良かった」
安堵の笑みを浮かべる黒の青年に、白の少女はいつの間にやら入っていた肩の力が抜けるのを感じながら、ひそかに胸を撫で下ろした。
「じゃあ、話をしようか」
それから、残りの食料は黒の青年があっという間に胃に収め、最後の一口を飲み込むと、落ち着いた口調で口火を切った。
「何が聞きたい?」
一度立ち上がり、脱いだままのコートに腕を通しながら、黒の青年は質問を受け付ける意向を示す。
その最中、彼の腰のベルトに付けられたホルスターが目に止まり、一瞬ヒヤリと身を固くする白の少女だったが、そこに収められているのは銃ではなく小さなカメラらしいと分かり、ホッと胸を撫で下ろした。
何が聞きたいか……など、問われるまでもなく分かっているだろうに、彼は問いの種類、数を白の少女に任せた。
それは、聞かれたこと以外には答えないという制御ではなく、何を聞かれようと答えるという許容だ。
「……貴方が、私と初めて会ったのは?」
白の少女は暫し沈黙し、手始めにといった具合に問いを投げかける。
聞きたいことは彼女の中で明確に存在し、少なくはない。それ等の全てを問える今、まず何を知るべきか。
一つ目の問いは、最も聞きたいことを理解する為には、きちんと段階を踏むことが一番の近道だと判断しての問いだ。
「……君と初めて会ったのは、もう五年は前になる」
黒の青年は一息分の間を置くと、僅かに目を細め、口を開いた。
「東……いや、ほとんど北の地に近かったか。俺はそのときも、研究所で君に会った」
「五年前の、北東の地……」
白の少女は黒の青年の言葉を神妙に復唱する。
「……貴方は、そこで何を?」
アダマントである黒の青年が研究所で出会う理由。
それは大雑把に二分するなら、白の少女のようにアダマント解放活動を行なっているか、研究者に捕らわれていたか。
ないとは思いつつ、万が一にも後者であったならという遠慮が感じられる問い掛けで、白の少女は問いを重ねる。
「心配することはないよ。俺は別に捕まっていたわけじゃない。自分からそこに行ったんだ」
こともなげに軽い口振りで微笑む黒の青年に、白の少女は多少、胸が軽くなるのを感じ、違和感に気付く。
「自分から……?」
「あぁ」
「……同胞を逃がす為に?」
「いいや。成り行きでアダマントを逃がす結果になることはあっても、それは俺の目的とは違う」
アダマントである黒の青年が、研究所などという危険な場所に赴く目的とは何か。
同胞の為かと問い掛けた白の少女でさえ、これまでの彼を見ていればそれが答えではないと察しが付く。
それでも声にして確認してしまったのは、そうであればいいという僅かな願望のせいだろう。
「何をしに、そこへ?」
口ではそう問いながら、白の少女は既に答えを得ているような。
その答えが、自分にとって望ましくないものだと分かっているような。
そんな胸騒ぎに、気のせいとは誤魔化し難い息苦しさを覚えた。
『……生きたいと思えないのか』
『君がいたから、俺は生きている』
今朝、夢で見た懐かしい記憶の言葉と、まだ耳にして記憶に新しい言葉が浮かび、ゾッと背筋が冷えた。
「君は本当に優しいな」
白の少女が、引き止めるように黒の青年の袖を掴むと、彼は自嘲にも似た笑みを浮かべた。
「君は何度だって俺を生かしてくれた」
自身の左胸に手を当てる様は、生きているからこその心臓の鼓動を確かめているようで。
白の少女へ一心に視線を注ぎ健気に囁く姿は、忠誠を誓うようでもあった。
「私は、貴方に何を……」
記憶を巡らせても答えを得られないことは、白の少女は痛感している。
素直に。まっすぐに。自ら黒の青年へ求めなければ、事態は動かないことを。
それを知ってしまえば、もう彼と無関係などとは容易に切り捨てられないことを。
此の期に及んで尻込みする自分を、白の少女は情けないと恥じる。
尻すぼみに問うと、黒の青年は笑みに悪戯な気配を滲ませた。
「君には、俺が何に見える?」
黒の青年の口から告げられたのは、明確な答えではなく、脈略のない漠然とした問いだった。
問いの意図を読み取れない白の少女は、困惑するしかなく。
じっと見据えてくる視線に、問いの真意を探した。
彼の問いに答えることができれば、自分の問いの答えも導き出すことができるのかもしれないと。
黒の青年を見据え、過去の彼の言葉を思い返し。しばしの思案。
「貴方は……」
彼の言葉を辿り、意味を自分の中で咀嚼し手繰り寄せた答えを、白の少女は黒の青年へ披露しようとするが、その言葉は不自然に途切れた。
穏やかだった気配は霧散し、緊張感にすり替わる。
「…………残念だ」
彼女の口から語られようとしていた言葉は、今しばらくお預けになると悟った黒の青年は、吐息混じりに呟き、微笑を消した。
「貴方にも聞こえた?」
「あぁ。俺達以外には聞こえていないようだ」
周囲に目を走らせ、変わった様子もなく過ごす人々を確認した黒の青年の即断を否定しない白の少女も、彼と考えるところは同じなのだろう。
黒の青年はベンチから立ち上がり、白の少女に手を差し出す。
「行くだろう?」
問いの形をした確信に白の少女は頷きで意思表示し、差し出された手を逡巡するように眺めたが、結局その手を取ることなく立ち上がった。
黒の青年は手持ち無沙汰になった手に不満な素振りなど見せず、不要と分かれば早々に手を下ろした。
「…………」
行こう、と歩み寄ろうとすることもなければ、着いて来るな、とも言わず歩き出した白の少女の後を、黒の青年は悠揚迫らぬ物腰で続くのだった。
助けてくれ。
白の少女と黒の青年が聞いたのは、そんな救援要請だった。
より正確に表すならば、音として発せられた声が鼓膜を揺らしたのではなく、脳内に直接その指令が流れてきたと言った方が適切だろう。
公園にいた人々には伝わらず、自分達にのみ伝わってきたそれには、アダマントだけが感知可能なエネルギーが感じられた。
その一点が分かれば、あとは想像に容易い。
ラクリマを声として同胞に飛ばすことができる能力を持つアダマントが、助けを求めているのだと。
感知した瞬間は濃く感じられたラクリマの気配は今はすっかり薄れてしまったが、二人の足取りに迷いはなく、地区同士を繋ぐ道に差し掛かる。
「待てって! 止まれ! 頼むから落ち着けよ!」
「離せ! こんなときに落ち着いていられるか!」
「それはそうだけど……っ。あーっ、待てってば!」
そこで聞こえてきたのは、激しく言い争う青年達の声。
訝しげな表情を浮かべ立ち止まる通行人の間を抜けた先には、周囲の注目を浴びた二人の青年がいた。
一人は眉を吊り上げ、苛立ちのまま叫び隣地区へ進もうとし、一人はそんな青年を行かせまいと腕をひっ掴み踏ん張っている。
何事かと横目に様子を窺う者、立ち止まり知人と耳打ちをし合う者。
進もうとする青年を止める青年からは、そんな周囲の反応を気にし焦る気配があるが、進もうとする青年は頭に血が上っているのか、人目も気にせず声を荒げている。
「二人じゃどうにもならねぇって! 誰かに助けを……!」
「誰が助けてくれるってんだよ! 一緒に死んでくれって言うようなもんだぞ!? そんな物好きいるわけねぇだろ!」
「わ、分かった! 分かったからっ、でもとにかく落ち着け!」
「うるせぇ!」
ついに腕を振り払った青年は、完全に頭に血が上っていた。
「誰も助けちゃくれねぇよ! くれるわけねぇんだよ!」
「お、おい、ちょっと待て……やめろ!」
「なんせ俺達は嫌われ者のアダマ……んぐっ」
ここは往来。人通りの多さは言わずもがな。
そんな場所で、絶対に口にしてはならない発言を衝動に任せて吐き出せば、どうなるか。
青年がある単語を言おうとした瞬間に即座に距離を詰め、言い切る前に口を塞いだ者がいた。
一瞬、視界を横切ったのは、黒。
「黙れ」
暴れようとする青年の口を塞いでいる手に力が込められ、低く、低く。
耳元に落とされた、たった三音の警告に、青年はビクリと震えた。
短く上がった悲鳴は、大きな手で遮られ口内で殺された。
背後から、顔の下半分を鷲掴んで口を塞がれたまま引っ立てられる。
困惑した様子のもう一人の青年も「来い」と言うように顎をしゃくる仕草をされ……。
その合図で困惑から抜け出し、足をもつれさせながら二人の後に続いた。
騒然とする周囲の目は未だ彼等に集中しているが……。
「彼、恋人と喧嘩したみたい。頭に血が上った状態で追ってまた喧嘩になってはいけないからと、友人が止めていたそうよ」
ぽつり。ぽつり。どこからともなく、誰に言うでもなく零された囁きが、周囲に充満した不審に入り込んだ。
「なーんだ。カップルの喧嘩を仲裁してただけだってさ」
「ただの痴話喧嘩か」
「まったく、人騒がせな」
真実であろうと、嘘であろうと、最もらしい言葉とは人々に受け入れられ易く、人から人へ伝わり、不審を溶かし。
「時間の無駄だったな。行こうぜ」
「だな。行こ行こ」
やがて人々からの関心さえも、消してしまった。
三人の青年が人混みの向こうへ消えて行くというだけの、面白みのない光景に興味を示し目を向ける物好きはいない。
「……ん?」
「どうしたの?」
「今、何か……ううん、何でもない。気のせいだったみたい」
足音一つ立てず彼等の背を追った白い影のことなど、誰の記憶にも残ることはなかった。
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