第3話 黒の青年②
白の少女が、正面に重なっていた黒の青年の前に出るのではなく半身ほどずれただけに留めたのは、レイとサトリに気取られないよう黒の青年に合図を送る為。
背中部分の服を掴み軽く引くことで、何もしてくれるな、何も言ってくれるな、と訴える。
白の少女の意を汲んだのかは定かではないが、黒の青年は沈黙したままレイへ視線を移した。
「じゃあ、貴女とその坊やは、ここで偶然出会った赤の他人だってこと? 間違っても親しい間柄なんかじゃない……って? あらあら。そうだったのねぇ」
飄々と口を動かすレイの言葉に、どこまで本心が含まれているのやら。
一人で納得し頷く仕草を見せるレイを横目に、サトリは一つ溜息をつく。
「……でも、黒の坊やにとっては違うんじゃないかしら? さっき息巻いていたものね? 手段を選ばない……とかなんとか」
終始穏やかに。けれど、高圧的な気配は残して。
「あれは、殺しに来るならいつでも来い、っていう、私達に対する宣戦布告と取ってもいいってことよね?」
その圧は全て、黒の青年に向けられている。
彼は気付いていた。
廃屋の陰から、何者かがこちらの様子を窺っていることも。
その何者かは、白の少女が孤独に身を置こうとする要因となる者、もしくはそれに関わる者だということも。
気付いていながら、黒の青年は白の少女と関わり続けることを宣言したのだ。
「それってつまり、少なくとも彼にとって貴女はとーっても大事な人……ってことになると思わない?」
にっこりと唇に笑みを刻んだレイに、黒の青年は目を細める。
彼の服を掴む白の少女の手に、咎めるように力が込もった。
無言の懇願に、白の少女へ目を向けた彼は、僅かに目元と口元を緩めただけの薄い苦笑を浮かべる。
「……やめて!」
その意味を悟った白の少女は、レイへ視線を移した黒の青年の口を塞ごうと咄嗟に手を伸ばし、声を張っていた。
「二度も殺せると思うな」
それは、かつて白の少女と関わったがために命を落とした者と、同じ運命を辿るつもりはないという決意の表れか。
黒の青年は今一度、迷いのない声で宣言した。…………そう。
たとえ、自分のとった行動が、白の少女を追い詰めることになろうとも。
白の少女が伸ばした手は、目的を果たすことなく絡め取られた。
それが彼女にもたらしたのは安堵でも、ましてや希望などでもなく……。
どうすればいい?
頭の中で何度も浮上する問いを消す術を、彼女は持っていなかった。
関係ないと叫び続ければいいのか。
何もしないでと縋ればいいのか。
今更そんなことに意味はなく、かえって裏目に出てしまうことくらい、当事者でなくとも分かりきったことだ。
庇い立てすればする程、その言葉の信憑性は薄れてしまうもので。
そもそも、無関係であると一緒に肯定してほしい相手にそれを拒否されているのだから、白の少女が何を言おうと所詮は一人相撲でしかない。
いっそ、風の能力を使い黒の青年を逃がそうかと考えて、馬鹿馬鹿しいと考えを振り払う。
そんなことをしては、関係者であると体現するようなものだ。
ドクドクと重い鼓動を刻む心臓の音が、冷静になれという命令の邪魔をする。
「話は終わりだ」
身動きが取れなくなった白の少女を尻目に、事は彼女にとって悪い方へとばかり進んでいく。
これまで静観していたサトリが口を開き、レイと黒の青年のやり取りに終止符を打った。
「……っ……」
何かを言わなければ。そう焦る白の少女の口唇が震える。
現状を覆す為の言葉が浮かばないまま声を発そうとしても、微かな吐息が零れるだけだった。
「ねぇ、もしもあの子が私達と一緒に来てくれたら、あの人きっと喜ぶと思わない? 黒の坊やのことを不問にしてくれるくらいには」
そう、喜色の滲んだ声でサトリへ問い掛けるレイの言葉は、白の少女からすれば地獄に垂らされた一本の糸に等しいだろう。
けれど、彼女がそれに縋る余地を、サトリは与えてはくれなかった。
「彼女が承諾したとして、そこの男が黙っていると思うか?」
サトリは溜息をついて、悟す言葉に擬態しただけの断定をレイに返し、黒の青年と視線を絡ませる。
黒の青年の眼差しに、殺意はない。
しかし、少しでも白の少女へ危害を加えようものなら許さないと言わんばかりの殺気は存在していた。
「これ以上の問答は不毛だ」
絡んだ視線を断ち切り、サトリは白の少女へ視線を移す。
「いずれ、あの方がお迎えにいらっしゃるでしょう。そのときまで、どうぞお怪我などなされないよう、ご自愛ください」
黒の青年やレイに向けた態度とは雲泥の差がある丁寧な振る舞いで、サトリは一礼し幕引きを告げた。
「つまんないの」
不満を口にし肩を竦めつつ、サトリに従うように白の少女等に背を向けたレイは、肩越しに白の少女を振り返る。
残念なことに、顔はフードで隠されていて目にすることはできないが、それは自分も同じことかと笑みを零し、手を胸の位置まで掲げた。
「大丈夫。恐いことなんてないわ」
まるで我が子を見つめる母のように。穢れのない女神を信仰する信者のように。レイは笑う。
「あの人に任せておけば、貴女は幸せになれるから。じゃあね、白のお嬢さん。それから……“
パンッ……と手を打つ、乾いた破裂音が一度、空気に響く。
待ってと、呼び止めた後どうするかも思い浮かんでいないまま、白の少女は上げようとした声を向けるべき矛先を失った。
眼前にいたはずの二人の人物は、レイが手を打った直後、忽然と姿を消した。
それがレイの能力ということなのか。そうだったとして、確かめるすべはない。
答えを持つ二人はもう、この場にはいないのだから。
「……ぁ……」
白の少女は、動けずにいた。
他者を守る為に五年近く孤独に身を置いてきたというのに、ある日、突然現れた黒の青年により揺るがされ、また突然現れた二人によって、これまでの努力を打ち消されてしまったのだ。
頭の中はさぞ滅茶苦茶になっているはずだ。
今後どうすればいいのか。どうするべきなのか。今すぐに考え至ることなど、できはしないだろう。
「……っどうして」
この現状を受け入れる余力は、今の彼女には残っていない。
それでも疑問を口にしてしまうのは、理解できないことがあまりにも多過ぎたからなのだろう。
自分と関わった者を殺そうとする、あの人の目的も。命を狙われようと側を離れないと言った、黒の青年の心理も。
きっと白の少女は、知らないのだ。
最も渦中にいるはずの自分が何一つ理解できていない状況。当惑しないはずがない。
「……私には、何もないのに」
「違う」
うわ言のように零す白の少女に、黒の青年は端的に、強い語気で否定する。
「違う」
もう一度。今度は極めて優しい声で。
「君がいたから、俺は生きている」
微笑を浮かべてはいないものの、黒の青年が纏う空気は、やけに凪いでいた。
「君が、俺を人間にしてくれたんだ」
きっとそれこそが、黒の青年が白の少女に助けられたという出来事によって彼が得たもの。
いつの間にか俯いていた顔を上げ、フードがずれるのを気にすることも忘れて。白の少女は黒の青年を見上げ、思う。
彼女に注がれる眼差しは、とても人間らしい、心の通った熱が宿っていた。
少なくとも、彼女が卑下したような、何もない空っぽの器へ向けられる眼差しではない。
温かい、眼差しだった。
力の抜けた小さな手を握る、一回り以上大きな手も。短い睫毛に縁取られた、鋭い輪郭の向こうにある金色の目も。温かかった。
それらの全てが、白の少女によって生み出されたものだと、黒の青年は言う。
「……分からない」
たとえ、白の少女に心当たりがなくても。自覚していなくても。
「それでもいいよ」
黒の青年にとっては、確かな事実であるから。
握った手は未だ離さないままに、少しばかり力を抜く。
白の少女が、黒の青年を守ろうと伸ばした手。
彼はそれを拒んだ。
小さな背に庇われるのではなく、こうして向き合い、後ろではなく、隣に立つことを望むように。
いつでも振り払えるようになっても、白の少女の手はすぐにはすり抜けていかず掌に留まっている。
黒の青年は、その事実を噛み締めるように自らの手の中に収まる手を見つめた。
いつか、掌に乗せられただけの細い指が、この手を握り返してくれる日を願って。
「また、あの方に会いに行かれていたのですか?」
日が昇ってから随分と経ち、二十畳はある広々とした和室の小窓からは陽が差し込み、明かりのない室内に昼を運ぶ。
部屋の奥で、日差しを避けるように壁に凭れ脇息に肘をつく青年に、サトリは慣れた口振りで声を掛けた。
蘇芳色の帯を締めた白い着流し姿のその青年は、サトリに声を掛けられ、閉じていた目をゆるりと開いた。
「……眠っている状態に近いと、共有率が上がるからね」
うっそりと笑みを浮かべた青年は、片目を覆う程長い前髪をかき上げる。
金色の髪と同色の目が、無遠慮に室内へ足を踏み入れたサトリを捉え、弓なりになった。
その笑みは中性的な彼の相貌に怪しげな印象を持たせ、艶かしささえ感じさせるが、骨ばった手や華奢ではない体格、高圧的な眼差しから、それは淑やかさなどではなく気品であり貫禄だと窺える。
「巧馬くーん。あの子に会って来たわよ」
サトリの背後からひょっこりと顔を出したのは、キャスケット帽を外したレイだ。
白髪と真っ赤な目を惜しげもなく晒し、青年……
「巧馬君の予想通り、いたわよ。“
「そうかい。……サトリ」
「はい」
愉快犯の顔で笑うレイの言葉に笑みを深めた巧馬は、次の瞬間には笑みに似つかわしくない低い声でサトリの名を呼んだ。
呼び掛けに間髪置かず返事をするサトリ。
「ご確認ください」
従者の如く巧馬の眼前で膝をつき、そう言った彼は、しかし何かを巧馬に差し出すこともなく、沈黙してその場に佇んだだけだった。
巧馬も、レイも。サトリの行動を不審がる素振りはなく、ただ沈黙し……。
「……はっ」
数秒か、数十秒。
整った笑みを作っていた巧馬の唇が酷悪に歪み、吐き捨てるような笑みが零された。
「何度でも殺してあげるよ」
おおよそ、この場にいる二人に向けられたとは思えない楽と憎が入り混じった声は、決して軽々しくはない。
「二人共、お遣いご苦労だったね。近いうちに、俺もあの子に会いに行くよ」
「やっとなのね!」
ガラリと声色を変え、軽やかになった声で二人を労った巧馬に、レイは目を輝かせて歓喜の声を上げた。
「やっと、やっとこの世界からあの子を……!」
今にも飛び跳ねそうな喜びように、巧馬はクスクスと微笑む。
「その為にも一度会いに行くよ。あの子を連れて来るのは、その次だ」
小窓から差し込む日差しに目を細め。
「確かめたいこともできたしね」
やはり彼は、歪んだ笑みを浮かべる。
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