第3話 黒の青年①
白の少女と関わった者は殺される。
常に他者との関わりを希薄に保つのも、口数が少ないのも、顔を隠しているのも。
出来うる限り自分の存在を相手の記憶に残さないよう努めているからだと関連付けられる。
それは衝撃的な告白……のはずだった。
しかし黒の青年は、動揺といった類いの反応を見せることなく、落ち着き払っていた。
彼女が漂わせる緊張感に呑まれる様子もない。
そう言われることを分かっていたかのように。
「私は一人でいたい。私の“手助けをしたい”と言うのなら……」
分かって。
理解を求め、顔半分を隠すフードを被り直す仕草は、黒の青年との関わりを徹底的に拒絶する意志を告げている。
これまでの黒の青年の行動から察するに、彼の言う“手助け”とは、“白の少女が望む形”での人助けである。
アダマントを救出することだけが目的ではなく、天敵とも言える研究者の命さえも重んじた行動を取る白の少女は、誰かを傷付けることは勿論、争い自体を好まないのだろうと読み取れる。
アダマントを虐げる存在にまで心を砕く白の少女だ。
もし自分と関わったが為に、誰かが殺されたとなれば……。
彼女は心に深い傷を負うことだろう。
白の少女に関わらないこと。
それはアダマント、非能力者、黒の青年を守ることに繋がり、そして何より、彼女自身を守ることに繋がると言える。
白の少女はこれまでの経緯から、黒の青年が「殺されたくなければ関わるな」と言って簡単に聞き入れるとは思っていない。
自分の命惜しさに関わりを絶ってくれるような、扱い易い相手ではないと知ったから。
だから、彼の生死を気遣う言い回しはせず、あえて「私の為に」と聞こえるニュアンスを選んだ。
白の少女の意を汲むような行動を取る、黒の青年の意志が反映されるように。
「関われば死ぬ……ではなく、殺される……か」
白の少女の言葉の意味を、しばし吟味した黒の青年がおもむろに口を開き、薄っすらと笑みを浮かべた。
いいことを聞いた。とでも言いたげな、場違いな微笑を。
「つまり、誰かがそんな呪いじみた能力を君にかけた……なんてことじゃなく、単に君と関わった人間を殺そうとする誰かがいる、と。そういうわけだ」
「……何が言いたいの」
白の少女は、フードの中で眉根を寄せる。
少しばかり声が低くなったのは、嫌な予感を感じているからか……。
「もし前者なら、それを解除できるアダマントを探す必要があったけど、後者なら話は簡単だ」
嫌な予感は黒の青年の、見慣れた微笑により、確信へ。
「殺しに来ても、殺されなければいい」
黒の青年がこんなにも悠然としているのは、白の少女がどんな事情を抱えていようと、初めから結論を変えるつもりがなかったからだ。
自分の意志が変わることなんて、あり得ないと。少しも自分を疑っていないからだ。
「……そんな、こと」
あまりにも簡単に言ってのける黒の青年に、白の少女が目に見えて動揺することはなく、むしろ予想の範囲内の回答だと、溜息を殺し言葉を紡ぐ。
自分に降りかかる脅威があるなら、ねじ伏せてしまえばいい。なんて、彼なら言いかねないと。
のらりくらりと誤魔化そうとしているなら、ふざけるなと糾弾することもできただろうに。
堂々と、躊躇なく言い切った黒の青年の言葉は、話の重さを理解していてのそれだ。
「……っ……」
白の少女は、言おうとした言葉の続きを思わず口内に留めてしまった。
もし、同じ言葉を別の誰かが言ったとして、それがどんなに屈強な男でも、強力な能力を持つアダマントでも、「無理よ」と撥ね付けられただろう。
彼女は今、黒の青年に対してもそうしなければならなかったし、そうしようとした。
しかし、彼女は言葉に詰まった。
黒の青年は自信を持って言っているのではない。
当然なのだと、平然と言っているのだ。
他者を寄せ付けない強さを何度となく見せられたからだろうか……。
誰が言っても無理だと思うのに、彼が口にすると現実になってしまうのではと、錯覚してしまった。
「“彼”も……」
けれど、それでも白の少女は首を横に振る。
「強い人だった」
黒の青年がどれほど強くとも、それが白の少女の意志を変える要素になるわけではない。
自分が一人でいようと決心するきっかけとなった“灰色の青年”を思い浮かべ、乱された心を落ち着かせる。
「……けど、もういない」
強ければいいのではない。殺されなければいいのではない。
他者を危険に晒すこと自体を回避したいのであり、黒の青年が“あの男”に打ち勝てるかどうかは問題ではないのだと。
忘れるなと、自分を戒める。
あの鮮やかな赤と、冷たい体温を。
「もう……」
二度と、見たくはないと。
黒の青年のペースに飲まれかけていた意識を引き戻し、分厚い壁を造る。
「私は貴方に助けてもらいたくない」
白の少女は、冷淡にも聞こえる声色で言い放ち、黒の青年を拒絶した。
そもそも彼女には、過去に彼と会った覚えもなければ、助けた覚えもない。
覚えのない武勇伝に恩義を感じられても、彼女からすれば手助けを受ける理由にはならなかった。
「……ごめん」
黒の青年の口から出た謝罪を、彼を冷たく突き放した白の少女は、苦々しい思いで耳に入れる。
「分かっていたよ」
黒の青年の微笑に苦味が滲むのは初めてで。
彼でもそんな顔をするのかと、白の少女自身も苦い思いを味わった。
ただ気になるのは、彼は彼女の言葉に傷付いている……というよりは、彼女が望まないと分かっていながらそんな行動を取っていたことを後ろめているように見えた。
(それなら……)
何故、そうまでして手助けをしようとするのか。
何故……側にいようとするのか。
今までにも、白の少女に恩返しをしたいからと、側にいさせてほしいと言った者がいなかったわけではない。
けれど、今その誰一人として彼女の側にいないのは、彼女が頑として拒んだからであり、彼等が自分の弱さを理解していたからである。
助けられたという恩義がある手前、あまりしつこく食い下がることができず、白の少女の邪魔をすることがあってはならないと、彼等は泣く泣く身を引いていた。
その誰もが、研究所で出会ったアダマントだ。
黒の青年と出会ったのも、研究所。
しかし白の少女が記憶するのは、彼が言う“助けられた”という出会いではない。
白の少女が思う黒の青年との出会いのときには、既に彼は彼女と別の出会いを経験していた。
自分は彼に何をしたというのか……と、白の少女は何度も記憶を辿るが、結果は同じ。
歯痒くて、地に足がついていない感覚がしてならず、落ち着かない。
それでも、ようやく一人に戻れると。彼を巻き込まずに済むと、胸中で安堵の息をつく。
「分かっていた。……けど」
表には出さず胸を撫で下ろした白の少女だったが……。
「俺は君の側を離れるつもりはない」
容赦ない断言で、打ち砕かれた。
「……そう」
ならばと、白の少女は強行手段に出る決意を固める。
風の能力を使えば、少々手荒になろうと、姿をくらますくらいはできるだろう。
そうなればこっちのものだと、体内のラクリマを操ろうとした白の少女だったが……。
「少なくとも、君が幸せになるまでは」
行動を読んでいたのか、白の少女が黒の青年の発言に虚をつかれ思考を鈍らせた僅かな隙に、彼は彼女の腕を掴んだ。
「俺の生きる意味は、君だから。その為なら……」
「待って。貴方、何を言って……」
白の少女は、予想の範疇を超えた黒の青年の発言に、堪らず制止の声を上げる。
腕を掴まれてしまったことにより、安易に能力を使えなくなってしまった状態下。
動揺を抑えられなくなった彼女の制止に反し、黒の青年は口を閉ざすことなく……廃屋へ、熱の失せた目を向けた。
「君の意に沿わないことだろうと、手段は選ばない」
それはまるで、何者かに向けた宣戦布告のよう。
黒の青年は白の少女の腕を引き、背に庇うように前へ踊り出ると、廃屋へ鋭い視線を向ける。
動揺が収まらないまま、彼が見据える先へ彼女も振り向くと……。
「あらあら。気付いてたの?」
砂利を踏む足音を立てて、廃屋の陰から小さな人影が姿を見せる。
「うまく隠れているつもりだったのに。たまにいるのよねぇ、ラクリマの感知に特別長けたアダマント」
幼さの残る声なのに、まるで大人の女性のような口調で愉快げに口角を上げるのは、白の少女より幾分か幼い、キャスケット帽を目深に被った少女だった。
「私達に気付いていながら、そんなことを言うなんて。いい性格してるわね、貴方」
黒の青年の視線にも動じる様子なく、自然体で対峙する少女に続き、もう一人の人影が現れる。
「はじめまして」
白の少女へ恭しく頭を垂れてみせたのは、黒のスーツを身に付けた涼しげな目の凛々しい男。
二人が姿を現した途端、色濃いラクリマの気配が白の少女の肌に触れた。
それまで感知できていなかったということは、二人が今までは身を隠す為に抑えていたということ。
「私はレイ。こっちはサトリ。よろしくね」
敵意は感じられない。それどころか、むしろ友好的に白の少女へ挨拶をしてみせたレイという少女だが、白の少女は訝しげに彼女等を見遣った。
アダマント同士が長く、または多くの時間を共に過ごした場合、しばらくの間、残り香のようにラクリマが移る。
レイとサトリに纏わりつく、彼女等のものではないラクリマの気配に、白の少女は背筋を震わせた。
彼女等から感じられたラクリマが誰のものか、彼女には嫌でも分かってしまった。
「……ま、さか」
思わず口から零れた白の少女の声は、震えていた。
また感じてしまった嫌な予感。確信。
そんなものばかり当たることを、彼女は今しがた経験したばかりだ。
指先が情けなく震えそうになるのを堪え、無駄と知りつつも外れてほしいと願う彼女に、無情な微笑みが向けられる。
「えぇ、そうよ。私達、“あの人”のお遣いで来たの」
まるで見知らぬ大人に怯える幼な子に語りかけるような柔和な声で、白の少女に語り掛けるレイは、次に品定めをする視線を黒の青年に注いだ。
「貴女に悪い虫が付いていないか、確認してくるように、って」
小首を傾げ「貴方はその子のなぁに?」と問う仕草は外見に反しわざとらしく、穏やかな声色でありながらどこか高圧的で。
「関係、ありません」
白の少女は黒の青年の背から半身ほど抜け出し、即座に言明した。
「彼は、あの人が気にする必要のない……他人です」
それは白の少女にとっては真実である。少なくとも、彼女はそうであろうとしてきた。
自分の中に感じた違和感は根拠のない矛盾だと、切り捨てる。
ひしひしと感じる黒の青年の視線も、今ばかりは気にしてはいられなかった。
今はただ、彼を死なせてはいけないと。
彼を守りたいという思いだけが、彼女を突き動かしていた。
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