第2話 アダマント②
分かったと言ったではないか。何故、背を向けない? 何故こちらに足を進める?
「な、何を言って……! 今、分かったって!」
焦りが限界に達した少年は、力任せに叫び、責める。
てっきり、黒の青年は去って行くとばかり思っていたのに。
来ないでくれと叫んでも、彼は興味をなくしたように返答をよこさない。
いや、黒の青年は初めから、少年や子供達に関心なんて向けていなかった。
少年と少しばかり言葉を交わしたのも、事実確認をしようとしただけのこと。
少年の覚悟なんて、彼等が侵入者を阻止できなかった後のことなんて、少しも気に留めていないのだ。
「ふざけんな!」
“怯え”のおかげで僅かに残っていた冷静さを、怒りにより失った二人の子供は、歯を剥き出しにして敵意をぶつける。
煮え立つラクリマが溢れ、吐く息に火花が混じり出ている。
「待て! やめろ!」
臨戦態勢に入っている子供達へ少年が制止の声を上げる。
「お前達はまだラクリマを上手く使えないだろ!」
「関係ない! こいつ等追い出さないと、みんなが酷い目に合うんだ!」
「わ、私達がやらないと!」
「落ち着け! 俺が何とかするから!」
少年は何とか思い留まらせようと声を上げ続けるが、子供達は止まらない。
やらなければならない。子供を突き動かしているのは、強迫観念に近かった。
少年の手を振り切り、大きく息を吸い胸を張る。
「やめろおお!」
子供達は体内に招き入れた空気を、一気に吐き出した。
鼓膜を震わせる轟々とした音のせいで、少年の絶叫が遠くに聞こえる。
少年が威嚇目的で放った炎球よりも巨大な、太陽を縮小したかのようなそれが一つ、黒の青年と白の少女に直進し、もう一つは大きさも威力も不十分で、コントロールを失い壁に直撃した。
炎球を放った勢いで、子供達は派手に尻餅をつく。
炎球を吐き出した瞬間、反射的に閉じてしまっていた目を開いた子供達は、瞠目した。
目を開いた瞬間、目に飛び込んで来たのは、自身が放ったモノが、“人”を襲わんとする光景だった。
自らが蒔いた種だろうと言われてしまえばそれまで。
しかし、その種を蒔いたのは、年端もいかない子供だ。
侵入者を追い払ってやるという強い意志を持ったとしても、“相手を殺す”覚悟なんて、できているわけがない。
炎に触れれば、肉は焼かれる。もしも炎球に弾丸ほどの速度があれば、衝撃で体が弾き飛ばされるかもしれない。
そんなことになれば人間の体なんて、ひとたまりもない。
子供達の脳裏に、一瞬にして恐怖と後悔が押し寄せる。
「あぁあああ!」
その小さな手で顔を覆っても、現実から目を背けることはできず崩れ落ちる子供達は、少年は……。
鮮やかな炎が二人の人間を飲み込む様を目に焼き付けなければならなかった。
慟哭する彼等は気付かない。
黒の青年が顔色一つ変えず、悠然と歩みを進めたまま、炎球に手を伸ばしたことに。
「…………」
気付いたのは、白の少女ただ一人。
夜を切り取ったような黒だと、白の少女は思う。
黒の青年が手を伸ばした先で、どこからともなく黒い影が生み出された。
壁、床から湧き出たそれは、真っ黒なシーツを広げたように軽やかに宙を踊り、炎球を標的に定める。
ラクリマで生み出された炎を、同じくラクリマで生み出された影が呑み込んでいく。
その光景を、白の少女はじっと眺めていた。
害を成そうとする熱が消えていくのを、肌で感じながら。
聞こえてくると思っていた轟音が起きないことに疑問に感じたのか、少年が目を開く。
「……なっ、うわあ!」
炎球が影に呑み込まれていく様に茫然としかけるが、もう一つの炎球が直撃したために壁が崩壊し、我に返り悲鳴を上げた。
しかし、すぐに自分のすぐ後ろでへたり込んでいる二人のことが頭に浮かび、腰が抜けそうになる体を無理矢理動かす。
何とか瓦礫から庇おうと、決して長くはない腕で二人を抱き込み、覆い被さった。
「そのまま動くな」
次に自分が感じるのは、味わったことのない激痛だろうと身構えていた少年の耳に、抑揚のない、ただ指示を出すだけの声が届く。
「……!?」
そして、床から足が離れ、浮遊感。
「うわ!」
「きゃあ!」
二人の子供が、驚きの声を上げる。
それもそうだろう。黒の青年が少年と子供達をまとめて抱え上げ、崩れ落ちる壁から救い出したのだから。
子供達を抱き込んだ少年に、そのまま動くなと指示したのは、三人がバラバラになってしまっては運び難いからということらしい。
「……あ、れ? 浮いてる……風?」
能力を使い炎球への対処をした直後、僅かな思案なく黒の青年は駆け出した。
そのとき、子供達を救うべく行動に出ていたのは、黒の青年だけではない。
今しがたの彼のように、前方へ手を伸ばした白の少女もまた、少年達を救わんと動いていたのだ。
今の今まで風なんて吹いていなかったのに、突如として巻き起こった風が、崩れ落ちる壁を押し上げている。
黒の青年と子供達が離れたのを確認し、白の少女が埃を払うように手を翻すと、瓦礫は風に誘導され、通路の隅に追いやられた。
白の少女の能力は、風を生み出し操る能力。
黒の青年の能力は、ラクリマで生み出されたエネルギーを吸収する能力。
それらを駆使し、各々に適した役割を担った二人の間に言葉はなかった。
黒の青年はともかく、彼と関わることについてよく思っていない白の少女は、今まで何でも一人で対処してきたように、今回も全て自分だけで解決してしまおうとしていても不自然ではない。
だというのに、この短い時間、二人の息は確かに合っていた。
「…………」
黒の青年が何かをする。そう分かったとき、白の少女は感じてしまった。
「そちらは任せても大丈夫」と、根拠のない直感を。
ざわりと胸が騒ぐのを、一度深く呼吸をすることで誤魔化した。
「何で……俺達は、貴方達を……」
殺すところだったのに。と続くはずだった言葉は口にするのも恐ろしく、声に出すことはできなかった。
子供達は、敵意を向けた自分達を助け、意外にも乱雑に扱わず優しく床に降ろしてくれた黒の青年を、困惑の面持ちで見上げた。
困惑しているのは、白の少女も同じである。
黒の青年を理解できてきたと思えば矛盾が生まれ、腑に落ちない。
白の少女の手助けをしたいのだと言った彼が子供達を助けることには、まだ納得がいく。
ただ、その後の扱いまで気にかけるような行動には、どうにも違和感を感じてならなかった。
子供達に一瞥もくれず、彼等が守っていた扉にさっさと歩みを進める黒の青年の目には、やはり何の感情も映されてはいなかった。
怯えきった体では、いきなり離されては受け身の一つも取れないだろうとか、小さく脆い子供の体なのだから丁寧に扱わなければとか……。
そんなこと、黒の青年は思ってもいないはずなのに。何故、彼はそうしたのか。
白の少女ならば当然のようにやったであろう、その配慮を。
「き、来たぞ!」
困惑する白の少女等を余所に、黒の青年は扉を開け放ち、中へと入り込んでいた。
慌てふためく研究者が、懐から銃を取り出そうとするが、黒の青年は彼等が銃を取り出すより早く、或いは構えるよりも早く動き、彼等を捩じ伏せてしまった。
「ガキ共は何をしているんだ! 役に立たないゴミ共め!」
黒の青年には対抗できないと判断した一人が、他の研究者が狙われている隙に逃走を図る。
扉を通過しようとする彼が吐き捨てた言葉は、扉の外側にいた少年の耳にもよく届いた。
「ぐはっ!」
逃走を許す黒の青年ではなく、研究者の最後の一人となった男に蹴りを打ち込み昏倒させた。
少年はがくりと俯き、拳をきつく握る。
「俺じゃ……みんなを守れなかった」
悔しげな、悲しげな声で、少年は涙を流した。
研究者の役に立ちたいなどと、少年が思っているわけもなく、そのことに対して無力感なんて感じない。
しかしながら、悪意ある研究者の言葉は、確かに彼の心を抉った。
おそらく少年は、仲間達を守れない不甲斐なさをずっと嘆いていた。
そんなとき言われた研究者の言葉は、憎い相手に手を貸すような真似をしてでも守ろうとしたにも関わらず、仲間達の役に立っていないと言われているように聞こえただろう。
誰かを助けることができる実力がある人の邪魔をし、仲間を危険に追いやろうとしただけだと。
「…………」
白の少女は、そんな少年にさえ慰めの言葉一つかけてやることはしなかった。
フードを目深に被った状態でも確認できる唇は、上下合わさったまま。
静かな足取りで少年に歩み寄った彼女は、何を思うのか。
背後まで迫った白の少女は、俯いている少年の頬に背後から両手を滑り込ませる。
「……っ……?」
顎に指先を添え、少年が顔を上げるように誘導する。
何のつもりなのかと、涙が溢れる目を白の少女に向けようとするが、彼女は片手を少年の頬に固定したまま、「前を見て」と言うように正面を指差した。
「ナツヒ!」
「え? うわ!?」
閉じ込められていた部屋から、伏した研究者達を避け、跨ぎ、何人もの子供達が駆け出して来て、少年……ナツヒに飛び付いた。
「ありがとう、ナツヒ。ごめんねっ。辛いことさせて、ごめんねっ」
「二人もごめんっ。ありがとう!」
ナツヒ、そして彼と一緒に黒の青年に挑んだ二人を、子供達は抱き締め、何度も感謝を繰り返した。
ナツヒ達だけでは、捕らわれの現状を壊すことはできなかっただろう。
けれど、それができない彼等が、何も守れなかったというわけではない。
「守ろうとしてくれて、ありがとう!」
ナツヒ達が、仲間を守りたいと思い、行動した。それが現状を変えることに繋がらなくても、誰かの心を守ったのだ。
「……っ……」
ナツヒに必要なのは、慰めの言葉などではなかった。
いつも通り、白の少女は捕らわれていたアダマントの一人……今回はナツヒという少年に逃げ先を記した紙を託し、彼等を先に外へ向かわせた。
黒の青年は当然、白の少女と残り、時間を置いて彼女が外へ向かう背に続く。
いつも通り。これが、いつも通りだと思うようになってしまった。
白の少女は一度唇を噛み締め、黒の青年を振り向いた。
空は白み、彼の姿が徐々に見え始める。
「私に関わらないでほしい」
鋭いけれど温かみのある目で見つめてくれる黒の青年に向け、はっきりとした拒絶の言葉を、冷ややかな声に乗せる。
「何故、と聞いたら答えてくれるかい?」
黒の青年の顔に悠然とした笑みこそなかったが、傷付いた様子もなかった。
今までは白の少女は、黒の青年が傍にいることを許容してはいなかったにも関わらず、直接的な言葉を使わなかった。
それは単純に、相手を傷付けるような言葉を使うことを避けていたから。
しかし、もうそんな甘い考えでどうにかなる相手ではないと判断した。
「私と関わった人は、殺されるから」
故に、白の少女は隠すことをやめた。
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