第2話 アダマント①
アダマントの体内には、能力を使う為のラクリマというエネルギーが存在し、アダマント同士であればそれを感知することができる。
同胞か非能力者かを見分け危険を回避する為に、ラクリマというエネルギーの知識を頭に入れておくことは、アダマントにとって重要なことだと言えるだろう。
同胞にも悟られないよう、あえて抑えることもできるが、それは同胞に“敵”と誤認されかねないため、あまり利口な行為とは言えない。
白の少女は無論、黒の青年もアダマントである。
彼女は黒の青年という人間を図りかねていた。
彼の言葉を信じるならば、過去に助けられた恩返しの為に現れているということになるが、それを信用するには黒の青年の二つの顔……二面性が障害になっていた。
無感情な一面と、穏やかな一面。
人格が入れ替わったと思う程、あまりにも差が激しいのだ。
心がそこにないかのような無感情な顔を見ると、助けられた恩返しをしようとするような義理堅い人間には見えず、けれど白の少女に見せる穏やかな顔を見ると、彼の言葉が嘘とは思えない。
白の少女は、何もどちらかの彼が偽りだと思っているわけではなく、彼女が考えあぐねているのは、二つの顔を持つ黒の青年の常、基盤となっているのはどちらなのかということ。
白の少女へ向ける顔が常の黒の青年で、何らかの事情により研究者等には情を持たなくなったのだとしたら。
最もらしさはあるが、それでは無感情の彼が偽物ということになる。
白の少女はそれがどうにも腑に落ちなかった。
ならば、研究者等に向ける顔が常の黒の青年で、白の少女に向ける顔が“助けられた”ことにより起こってしまった変化なのだとしたら、どうだろう。
それなりに筋の通った仮説ではあるが、彼ほどの強者が、彼女に助けを求めなければならない状況に陥るとは考え難く、現実味に欠けた。
けれど、どちらならしっくりくるかと考えたとき、頭に残るのは何故か後者で……。
白の少女は口から出かけた溜息をぐっと飲み込んだ。
もしもその仮説が正しかったとしたら……なんて残酷なのだろうと。
「考え事かい?」
「!?」
今や覚えてしまったラクリマを感知したと同時に、思考の的であるその人の顔が視界に飛び込んできた。
強制的に思考を遮断され、彼の登場を認識させられた白の少女の肩が、反射的にびくりと跳ねる。
声を上げてしまわないよう咄嗟に唇を噛んでいたようで、幸い悲鳴を上げてしまう失態は免れていた。
「ごめん、驚かせたね」
まるで怯えた小動物を宥めるように目を細めて苦笑され、白の少女は居心地が悪いのか、顔を背けてしまった。
「……着いて来ないでほしい……前にも言った」
今度は言い逃れできまいとばかりに、白の少女は何度目かのその言葉を強調して黒の青年に訴える。
今までは彼女の言い分を無視していないというスタンスでいたようだが、今度ばかりはそうはいかないと。
「あぁ。だから、こんな時間に“偶然”会えて嬉しいよ」
だというのに、またもや屁理屈を返されてしまう。
何と言われようと、自分が取る行動を改めるつもりがないと言うように、完璧な微笑も添えて。
そろそろ白の少女は苛立ちを見せても良さそうなものだが、彼女は相変わらず感情の起伏を表さず、沈黙に徹してしまう。
ただ、同じようなやり取りを重ねる度、顔を背けたり、目を伏せる角度だったり、口数だったりが、以前と比べ変化していると言ってもいい。
当初は相手が気付かない程度の強さで引き結んでいた唇が、今では目に見えて力が入っているし、視線や顔の逸らし方も、黒の青年のペースに飲まれまいとするあまりか大振りになっている。
それは白の少女が黒の青年に馴れ始めているというよりは、焦りを感じているように思えた。
彼が、当然のように彼女と行動を共にすることに。
白の少女自身がそれに気付いているのかは本人にしか分かり得ないことだが、黒の青年はこんなときばかり、都合良く気付いていない顔をしている。
「二十三地区の外れにある研究所に行くんだろう?早く終わらせよう。君は一度、ゆっくり休んだ方がいい」
顔色が良くないよ……などと。
白の少女は、そんな言葉は求めていなかった。
これから彼女が向かおうとしていたのは、正しく黒の青年が言った通りであり、やはり彼は彼女のことを良く知っている。
深夜である今、顔色なんて視認できるはずもないのに、言い当てられた事実。
黒の青年は、きっと白の少女には予想できない範囲で、彼女のことを知っているのだろう。
それなのに、最も彼女が彼に向ける本意には、目を向けない。
彼女が言葉にしなくても、心でも読んだように応対してくることもあるというのに。
本当に気付いていないのか、狙ってのことか。
「……私は、一人でいたい」
震えを抑えるような声は、まるで何かに怯えているかのようで。
そんな白の少女の声は、黒の青年にも届いていただろうに。彼が応えることはなかった。
不本意ながら、またも二人で侵入するはめになってしまった、西の二十三地区、外れに位置する研究所。
内部は不気味なまでに静まり返っていた。
白の少女は今、あらかじめ調べておいた研究所の図面を脳裏に浮かべ、研究者達の退路を断つように、且つ、奴等の逃げ道が一通りに絞られるように進んでいる。
そうすることで、こちらの様子を監視カメラで確認しているであろう研究者を一カ所に集めることができるからだ。
こういった場合、退路を完全に断たれる前に逃げようとする者が出てきてもいいものなのだが、その気配はない。
何かある。と神経を尖らせつつも、冷静さを欠くことがないようにと精神を整える彼女の横で、悠々と歩いていた黒の青年が、ふと歩みを止めた。
白の少女も歩みを止めるが、彼が立ち止まったからではなく、自らの視界に第三者を捉えたからである。
二人が見据える先。彼等の目に飛び込んできたのは、くたびれた粗末な服に身を包んだ、三人の子供達だった。
子供達の背後には、二人が目指していた、アダマントが捕らわれているであろう部屋の扉。
子供達の姿を認識した次の瞬間、予想外の事態が起こった。
先頭に立つ少年が大きく口を開いたと思えば、そこから炎の塊が生まれ、直結三十センチメートルはあろうかという炎の球体が白の少女等に向けて放たれたのだ。
炎球は二人の数メートル先の床に直撃し、パラパラとリノリウムの破片が宙を舞い、焦げた臭いが鼻を掠める。
炎球の軌道から外れると読んでいた二人は、その場から飛び退くことはせず、静止したまま。
「何の真似だ」
白の少女の前に一歩、踏み出た黒の青年の声は、とても冷めていた。
何故、攻撃を仕掛けてきたのか。
そう尋ねるくせに興味の欠片も感じられない声に、白の少女はフードの中で目を細めて彼の背を見据えた。
研究者等に向ける顔が常の黒の青年で、白の少女に向ける顔が“助けられた”ことにより起こってしまった変化。
その最悪の仮説が今、証明されようとしているのだ。
助けに来たのに攻撃された。彼がそう憤っているだけであるなら、どれほど良かったことか。
次の攻撃から白の少女を庇うような態勢をとる黒の青年の横に、彼女自ら並び立ち、頭一つ分以上も上にある彼の顔を見上げる。
残念なことに、予想は的中。
黒の青年の目は、何の熱も宿していなかった。
研究者でも、非能力者でもない、他でもない同胞を相手にしていながら。
無機物でも見るような彼の眼差しに、子供達は冷水を頭から被ったような寒気を覚え、ぶるりと体を震わせた。
少年の背後にいる二人の目からは、涙が次々と溢れている。
その様子から、明らかに恐怖していることが窺えるのに、何故か逃げ出そうとする素振りを見せない。
先頭の少年が口を開くが、上擦ってしまって上手く声にならなかった。
体と声が震えないよう大きく息を飲み込み、握り拳を作って力むと、再び口を開いた。
「……ここを通すわけにはいきません」
気丈にも、少年は黒の青年を睨み返し、言い放った。
一発目の炎球はおそらく、それ以上こちらに来るなという威嚇。
細く吐いた息は火花となって、威嚇の意を強調している。
こちらの言う通りにしなければ、“次は当てる”と。
黒の青年はその少年と、それから後ろの子供達を流し見て。やはりどうしても興味がなさそうに、けれど悟ったように、「なるほど」と独りごちた。
黒の青年の言葉に少年は眉を歪め、歯を噛み締める。
顔に書いてあるかのように実に分かり易く、屈辱だと訴える少年の様子に、彼等は研究者に与したわけではないのだと察せられた。
後ろに控えている子供達も、肩身が狭そうに身を縮こまらせている。
「軽蔑するなら、勝手にしてください。けど、俺達はこうするしかないんです!」
じっと見据えてくる黒の青年の目に非難の色を見てしまったのか、少年は反発し声を荒げた。
「俺達が侵入者を阻止すれば、酷い実験はもうしないって……そう約束してもらったんですっ。だから、お願いですから帰ってください!」
少年の叫びは、悲痛極まりなかった。
彼等は研究者に利用されているらしい。侵入者を排除する門番として。
少年も、後ろの子供達も、黒の青年の腰ほどまでしかない小さな子供だ。
そんな子供が、死と隣り合わせの日々の中、救いを与えてやると言われたらどうするか。
選択肢など、初めからありはしないのだ。
助けに来たであろう大人に「助けて」と縋ることもできない。
助けに来たのは、当然ながら少年と同じアダマントであるから。
この世界の法には、アダマントは非能力者に対し、能力を使い傷付けてはならない、というものがある。
それを犯した者は政府から追われ、拘束される。
その後の処罰は、上層部の者の裁量に委ねられ、もしも重罪と下されれば、最悪の結末もあり得るのだ。
事実、法が成立したばかりの大昔、非能力者と揉め事を起こし軽傷を負わせてしまったアダマントの末路は、死刑だったと歴史に残っている。
どんなに強力な能力であろうと、使えなければ意味はない。
この法に縛られてさえいなければ、少年達は自力で、とっくに逃げおおせているのだから。
対抗する手段は、非能力者と対等な土俵で渡り合える、純粋な体術に限られる。
一人は身体能力の高さが期待できる青年、しかし一人は華奢で弱々しい少女。
武器を所持した研究者を相手に、どうして彼等が太刀打ちできると思えようか。
「そうか」
分かった。そう言った黒の青年に、少年は素直に安堵した。
胸の奥に感じた落胆は見ないふりをし、握り締めた小さな拳の中にしまい込む。
帰れと言いながら、去って行く背中を見たくはなくて、俯きかけた少年だったが……。
「どけ」
そのたった二文字に、愕然とした幼顔を上げたのだった。
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