最終話 大賢者を名乗った日③ ~深く、ただ深く~

 目が覚めて一番最初に飛び込んできたのは心配そうなエルの顔だった。


 俺に馬乗りになっているのはいかがな物かと問いたいが、今は状況を確認したい。


「お、やっと起きたかアル」

「ああ……おはよっこらせっと。ここシバの家? 林間学校は?」


 とりあえずエルをどかして確認すれば、ここは間違いなくシバの家の俺の部屋だった。


「お前なぁ、夜にぶっ倒れてから三日も寝てたんだぞ」

「そっか」


 思いの外短かったというのが最初に出て来た感想だった。


 それぐらいあの記憶の旅は濃密な物だったから。




 ――不思議な感覚だった。




 自分と同じ顔と名前を持った男の見知らぬ記憶を俺は確かに覗き見た。


 俺がいてエルがいて、覚えのある名前もあった。ハッキリとそれを覚えているせいでどこかエルを直視できない。


「大変だったんだぞ、ダンジョンコアが消滅して大騒ぎだ……ところであれ、叡智の欠片だかに似てなかったか?」


 今ならわかる、あれに封印されていたのは大賢者アルフレッドの記憶そのものだ。

 

 叡智の欠片とは少し性質が違うのだろう、強くなったような感触はどこにもない。


 駄目だ少し眩暈がする。


「さぁ、魔力が強すぎて気絶でもしたのかも」

「ハッ、オレの旦那がそんなに貧弱かよ」


 適当な嘘をでっちあげれば、エルが持ち上げてくれる。


 あの記憶が正しいなら最初は敵同士に近い筈だったのにどういう経緯でこうなったんだか。


「だと良いけどね」


 肩を竦めて笑って見せる。それが精一杯自分に出来る彼女に対する礼に思えた。


「なぁアル……お前何か雰囲気変わったか?」


 けれど慣れない事をしたせいか、怪訝な顔でエルが俺の目をのぞき込む。


「寝不足が解消されたぐらいだよ、それと腹が減ったぐらい」


 腹を押さえれば腹の虫が一鳴きする。


 今は考えても仕方がない、少なくとも三日間の絶食は胃袋に応えたらしい。


「よし来た、そこで待ってろよ……今肉持って来てやるからな」

「いやお粥かお菓子が良いんだけど……行っちゃった」


 いきなり肉は辛いな、なんて言いたかったが部屋を出たエルには届かない。


 本当どうしてエルはこんな感じなんだろうな記憶の中とはずいぶん違うな。


「結局何だったんだろうなアレ……」


 ぽつりとそう呟くが答える人は誰もいない。結局あんなものを見せられたところで何も解決しちゃいない。


 わかったことと言えばエルと大賢者の馴れ初めに、魔法という名称の由来ぐらいだろうか。


 あとは何だ、シバの召喚獣の名前が出て来たことぐらいで……駄目だそれ以外は考えるだけで頭痛がする。


 とりあえずまた寝よう。


 三日ぐらい寝ていたらしいが関係ない、冴えない頭を休ませるには昼寝ぐらい必要だった。






 目が覚めたのはカレーの匂いのせいだった。


 嗅覚のおかげで目が覚めるというのは初めての経験で、ついでに林間学校の時のカレーを食べそびれた事を今になって思い出した。


 要するに空腹だったので、俺は気力を何とか振り絞り上半身を起こす。


 シバがいた。


「やぁおはようマイフレンド……起き抜けにカレーはどうだい?」

「それ起き抜けに食べて良いもの?」

「当然さ、何しろ薬膳カレーだからね」

「んじゃ遠慮なく」


 お言葉に甘えて、俺はベッドから起き上がり近くのテーブルまでゆっくりと向かう。


 寝すぎていたせいで足が少しだるいが、それでも鼻孔をくすぐるスパイスの香りには勝てなかった。


 椅子に座ってスプーンで軽くかき混ぜれば、スープっぽいカレーで鶏肉にキノコにたっぷりの野菜と確かに体に良さそうだ。


「あれ、エルは?」


 そういえば姿が見えない。口に運ぶより早く出て来た言葉はそれだった。


「君のために鳥の丸焼きを作ろうとしていたが厨房が大変な事になりそうだったからね、代わりにこのカレーを用意させてもらったよ。今は自分の部屋で不貞腐れているんじゃないかな」

「確かに鳥の丸焼きは辛いな」


 というわけでカレーを一口。


 辛さ控えめで野菜と鶏肉の出汁が染みていてとても美味しい。


「美味しいねこれ、シバが一人で作ったの?」

「まさか、僕とグリフィードの合作さ!」

「グリフィード……ね」


 自信満々に答えるシバだったが、その表情よりも脳裏を巡るのは妙に残る彼の名前。


「彼は鍋に食材を入れれるのさ、凄いだろう?」


 そう、彼。


 武人のような風格を持った男の名が、今はシバの召喚獣の名前。


 似ても似つかないその二つだが、どちらも違和感など無い。どちらが先かと言われれば当然前者なのだろうが、ならシバの召喚獣は何なのかとつい考え込んでしまう。


「どうしたんだいアルフレッド君、難しい顔をして」


 と、聞きなれた声で顔をあげれば、そこには不安そうに俺の顔をのぞき込むシバがいた。


 精一杯の作り笑いを浮かべてから、俺は食事をもう一口だけ口に運んだ。


「いや少し考え事。具合が悪い訳じゃないから」

「冷めても美味しいからゆっくり味わうといいさ。明日は少し早いから今日は寝ると良いさ」

「少し早い……何かあったっけ」

「学校」


 その二文字に急にカレーが不味くなった気がした。


「がっこう……?」

「明日は月曜だからね」

「げつよう……」


 つまり何だ俺は貴重な休みを寝て過ごしていたのか。


 え、って事は何だ今日曜の夜? 


 何してんだ俺カレー食ってる場合なのか遊ばないと、いや寝ないとか……どうすればいいんだ俺は。


「ちなみに君は少し早く来てくれって伝言を頼まれててね。朝食は用意させておくから安心してくれ」

「あっ、おやすみーっ!」


 駄目だどうせライラ先生だろうけど怒られるの確定だこれカレーかっこんで寝よっと。


「ごちそうさま!」

「普通逆じゃないかな……」


 シバのそんなぼやきを布団越しに聞きながら自然と眠りに落ちていく。


 それは深く、ただ深く。


 海を潜るようにどこまでも。

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