第三話 大空を翔る白き翼① ~コウノトリじゃない説を~

「で何? お前の召喚獣いい年こいてコウノトリとか信じてんの? 自称600歳超えてんだろ」


 生徒指導室で椅子を揺らしてタバコをふかしながら、ライラ先生はそんな言葉を口にした。


 殴られるのかな、と思ったが流石にそんな事は無かったようだ。


「いや本当、どうしようかなって」

「どうもこうも、図鑑でも渡せば済む話だろ。図書室に行けばそんな本腐るほどあるぞ」

「素直に読んでくれると思います?」

「知らんがな」


 そこで会話は途切れる。


 今回は説教というよりは単なる人生相談のように思えなくもない。それはまるで性に興味を持ち始めた子供になんて説明すればいいのかと相談する父親のようで。


 いやでもこういう時はプロっていうか教えるのが上手い人がやればいいっていうか。




 何だいるじゃないか、目の前に。




「あ、そうだ先生……暇な時でいいんであいつに」


 そう、教師。


 なんてことはないすぐそばに人に言い聞かせるプロがいるじゃないか。


「す、すいませんディアナ・ハーベシュトですっ! あのそのさっきのアルくんのお話は誤解だから生徒指導室にいるのはおかしいかなってそのこう、こここ抗議しに来ました!」




「性教育して下さいよ、先生! ……あっ」




 扉を開けたのはディアナ、俺は先生に頭を下げているところ。


 ちなみにお願いしているのは、とても最低なものであって。


「アルくんの……馬鹿っ!」


 ディアナの召喚獣が飛び出して、俺の顔面を蹴り飛ばす。


 二度、三度に吹き出る鼻血。




 ……どうやらハンカチを持ってきたのは間違いじゃなかったようだ。






「痛ってぇー……」


 腫れた顔面を校舎のガラスで確認し、傷口をハンカチで軽くなぞる。


 自分の間の悪さを呪いながら、俺は深い溜め息をついた。実質入学初日の今日までに二回も生徒指導室に放り込まれたのだ、それぐらい良いだろう。


 しかしまぁ、改めて自分の顔をまじまじと見つめてみる。


 どこにでもある普通の顔で、特徴らしい特徴はどこにもない。


 そんな平凡な自分に降り掛かったのは、大賢者だとか魔王だとかドラゴンだとか性教育だとかの無理難題。


 何かこう自分が思い描いたはずの学園生活は、ずいぶん遠くに行ったような。




 ――ワンワン。




 と、足元から聞こえてきた鳴き声に気付いた。視線を下ろせばそこには、白い子犬が尻尾を振っていた。


「あ、学園長……でしたっけ。入学式お疲れ様でした?」


 疑問形でそう尋ねれば、帰ってきたのはワンという返事だけ。こんな接し方で良いのだろうかと、少し不安になる自分がいた。


 だってまぁ、子犬だし。


 と、ここで学園長が俺のズボンの裾を甘噛みしてきた。どこか引っ張るようなそんな感触。


 軽くそれを手で払えば、学園長はてくてくと歩いてからこちらを振り返ってきた。




 ――へっへっへ。



 個気味の良い呼吸の音が、規則的に揺れる尻尾によく似合う。二歩三歩近づけば、そのまま前に進んでいく。


「えーっと、付いてこい的な?」


 ワン。


 威勢のいい鳴き声に従って俺はゆっくりと歩き出す。行き着く先で待っているのが、説教じゃないことを祈りながら。






 学園長に従うまま、到着したのは中庭にある大きな木。


 少し汚れた木の立て札には、こんな事が書いてある。


『思索の大樹……大賢者アルフレッドが木陰で魔法の研究をしたことからその名前が付けられた』


 うーんそのまんま。


 しかしまぁこんなでかい木の下で魔法の研究なんて、やはり俺は大賢者アルフレッドとは無関係だと確信する。




 ――何故って、こんな木漏れ日の下でやることと言えば昼寝以外に思いつかないからだ。


 良く晴れた草原の中、ぽつんと立った一本の巨木。


 羊達が草を食み、自分は木陰に横たわる。葉のすれる音を聞きながら、頰に風を感じながら。


 傍にいる相棒の頭を、二、三度撫でて目を瞑る。




 ワン。鳴き声で現実に帰ってくる。


「あ、すいません学園長……少しぼーっとしてました」


 疲れてるな、それもかなり。


 昼寝をするならまだしも、昼寝の妄想をするとはいよいよじゃないか。


 まあ色々あったから、今日は早めに床に就こう。


「ところで学園長、それ何ですか?」


 それ。


 学園長が口にくわえるのは、汚れた星型のペンダント。嬉しそうに突き出してきたそれを、俺は受け取ってみた。


「入学祝いですか?」


 若干皮肉っぽく聞いてみるが、学園長は何も答えない。ハンカチで軽く汚れを拭ってから、それを首にかけてみる。


「似合います?」


 ワン。


 はいともいいえとも取れないそれが耳の奥によく響く。




 ――瞬間。何かが弾けたような気がした。




 それは不思議な感覚だった。けれど、襲ったのはただ感覚だけだった。空間でも時間でもないそれが、ただそこにあった何かが、消えてなくなったような不思議な感覚。


 手を動かしても違和感はなく、首元のペンダントを触っても――無い。


 消えていた。気がつけば学園長の姿はどこにもない。


 どうやら本当に疲れているらしい。


 生まれてこの方幻覚なんて見た事なかったというのに。


「やぁアルフレッド君……ってどうしたんだい、馬に蹴り飛ばされたような顔して」


 俺の肩を叩くシバ。傷だらけの俺の表情を見て思い切り眉をひそめる。


「ああシバ、これはまぁその通りだよ」


 馬というか子馬なのかなディアナの召喚獣って。


「人の恋路の邪魔でもしたのかい?」

「恋っていうか愛的なものの誤解を解こうとしたんだけど……それよりもそろそろ授業だった?」


 と、ここで少し考える。どうして彼が中庭にいたのかという当然の疑問についてだ。


「いや、それが急遽午後からは女子だけ保健体育の授業になってね。男子は外で鬼ごっこでもしてろってことで君を探していたら……君を見つけてね」


 なるほど、って仕事早いねライラ先生。暇になったらで良いと言ったのに今日入学初日だぞ。


「で、どっちが最初に鬼やろうか」

「いや本当にそういう意味じゃないと思う……好きにして良いんじゃないかな俺達は」


 こうその場で小走りなんてしてしまうシバにため息を返す。まさか本当にライラ先生が俺達に鬼ごっこをさせたい訳じゃないだろう。


「ふむ……なら少し手伝ってもらってもいいかな?」

「何を?」

「昨日言った僕ら召喚科の地位向上につながる名案を思いついてね、それを試してみたかったんだ」


 そういえばそんな事言ってたっけな。


「まあ、鬼ごっこよりは建設的そうだね」


 それにまぁ、召喚科の地位という話をするなら俺にも責任はあるだろう。


 ……少し、いやかなり。


 今は黙っておこうかな、うん。


「ところでシバ、変なことを聞くようだけど……学園長見なかった?」


 頭を掻きながら、ゆっくりと校舎へ歩いていくシバに尋ねる。


「入学式以来見てないが、何か用事でも?」

「いや、良いんだ」


 多分気のせいだったからと、言いかけてやめた自分がいた。どうせ今しがたの光景なんて、疲労が見せた白昼夢でしか無いのだから。


 それでも、なぜか。




 頬を撫でた風の感触だけは、妙に皮膚に残っていた。

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