第二話 入学式はハンカチと共に③ ~これが思春期か~

「世の中には美味いものって沢山あるんだな……」


 シバの屋敷、彼が用意してくれた部屋に入るなり俺はそんな事を呟いていた。




 どうやら昨日までの俺の食事は人間の食事では無かったらしい。


 色とりどりの野菜とか、何だかよくわからないけど食欲をそそる匂いのする草まみれの肉とか、あと一生分の甘いものとか。




 さーて満腹になったな部屋に戻るかなと思ったら次は風呂を勧められ、言われるがままに案内された先は大理石みたいなもので出来たお湯の湧く池だった。


 足を伸ばせる風呂が世界最大だと思っていたが、どうやら風呂は魚が住めるぐらいの広さになってからが本番らしい。


 まさしく住む世界が違うとはこういう事だったか。




 で、部屋。なんかいい匂いするし実家より広い。


 実家の自分の部屋、じゃない多分これ実家全部より広い。ベッドに至ってはもうわけのわからないでかさである。




 ――だが果たして大きければそれでよいのか。




 そんなことはないこれで見掛けだけの木の板詰め合わせみたいな硬さだったら意味がない。


 いや絶対そんなことはないんだけどわざわざこんな事を考えるのは。


「……とりゃあっ!」




 人生で一度やってみたかった、ベッドに全身で飛び込む通称ベッドジャンプの言い訳を考えていたからだ。


 これを自宅のベッドでやれば骨折まず間違いなしの危険な競技だが何という事でしょう。


「ふかふかだわ」


 それは天使の羽のように、疲れ切った俺の全身を包み込んでくれた。


 天使の羽とか見たことないけどせめてこれぐらいの柔らかさはないと名折れでしょ。


「そうだな、オレ達のベッドにはちょうどいいな」


 聞こえてくる彼女の声、顔を上げれば毛布にくるまっている彼女。え、いたのベッド大きすぎて気づかなかった。


「いやその……エル? ここで何してるの?」

「何もしてねーよ、何かするのはこれからだろ」


 上半身を起こして、彼女はそんな事を言い出す。


 えっとですね、ベッドでこれからすることといえばね。


「授業の予習とか」


 んなわけないよね、なんて思っていると彼女が俺に馬乗りになる。


 そしてエルは舌でその唇を濡らしてから、ゆっくりとそれを動かした。




「子作り」

「何だと」




 彼女は笑う。


 けれど元気な笑顔じゃない、どこか妖しさと色気が漂う男を惑わす魔性の笑顔。


 ああ魔王ってそういうじゃなくて。


「なぁアル……子供作ろうぜ」

「そんな模型みたいなノリで迫られても」


 そう答えて怒るような彼女じゃない、ただこう目線を逸らして子供のように拗ねるのだ。それがまた立っているだけで精一杯の俺の理性の横っ面を本能が叩いたような。


「なんだよ……じゃあお前は子供欲しくないのかよ。せっかくまた一緒になれたんだぞ?」

「が、学生で父親になるには早いかなって」


 理性のお友達の常識くんが参戦して、一緒になって本能に戦う。


「なんだよ、600年前は毎晩子作りしてくれてたのに……まぁ結局出来なかったけど」

「あうっそ本当!?」


 何やってるんだ600年前の大賢者アルフレッドさん、毎晩賢者じゃないですか大賢者ってそういう事じゃないですよね。


「あ、じゃ、じゃあその……子作りの練習的な感じで良ければ」


 今すぐにでも膝を折りたい理性が、情けない一言を俺に言わせる。


 そう、これは練習だ練習的なものだから理性的にはセーフなんだと本能が言わせて来る。


「おいおい子作りに練習も本番もあるかよ」

「あるよ! 本番はあるよ!」


 そこは結構違うと思うよなんて付け加えようにも遅すぎる。


 彼女は俺の手首をつかんで、顔を息がかかるぐらい近づけて。


「よしわかった、じゃあアル……とりあえず今日は本番しようぜ」


 彼女の言葉に頭が痺れる。とりあえずの意味がわからない。


 教えてくれよ理性さん常識さんはもういないけど何でだよどうして倒れてるんだ理性さん立て立ってくれないと困るんだよ!


「いきなり本番は」




 ――あ、別のところ立った。




「しちゃうか」


 さらば理性。君のことはもう忘れた。


「じゃ、じゃあエルその、よろしくお願いします」

「おいおい何緊張してんだよ、オレとお前の仲だろ?」


 しどろもどろになる俺の頬を、エルの指先がそっとなぞる。


 その毛布に包まった彼女の肌の色が、声が、息が心臓を鳴らし続ける。


 本当に、今日は色々あったけど。ひどい目に沢山あったなんて思っていたけど。




 ――けど、いいよね。これぐらいの役得あってさ。




「じゃ、おやすみ」

「えっ」




 彼女は毛布を肩までかけると、俺の横で寝ころんだ。


「スヤアッ」

「あ、ちょちょちょっとエル? 何で寝てるの?」


 ねぇその音どうやって出したの鼻提灯って一秒未満で出せるものなのと一緒に聞いてみたかったが、肩を揺さぶられた彼女は不機嫌そうに眼を開けて口を尖らせるだけだった。


「何だよアルうるさいなぁ……お前本当色々忘れてんのな」


 盛大な溜息をついて、彼女がごろんと背中を向ける。


「子供ってのは夫婦で一緒に寝てたらコウノトリが運んでくれるに決まってるだろ……明日の朝が楽しみだなムニャムニャ」

「あ、へえっ、ふーんそれは知らなかったなー」




 何が大賢者だ死ねよもう。下手か、性教育ど下手か。




「あー……」


 一人天井を見つめながら声を漏らす。なんて情けないんだ自分はと思いながらも、不思議と涙は出なかった。


 代わりにライラ先生の言われた言葉の意味を、頭ではなく心で知った。




「なるほどね、これが思春期か」

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