第二話 入学式はハンカチと共に② ~エル~

 重い足取りで戻った教室からは、まだ暖かな光が漏れていた。


 みんな待ってくれていたのだろうか、少し安心した自分がいた。


「ただいまー」


 というわけで扉を開く。


 いやーみんな怒られちゃったぜって顔をすれば、少しは慰めて貰えるかななんて期待を胸に。




 ――もちろんそんな幻想は飛び込んできた光景が綺麗に吹き飛ばしてくれたのだが。




「魔王様! どうぞ我が領地の特産品であるヤギのチーズを使った菓子でございますお納めください!」


 跪き、自称魔王に美味しそうな焼き菓子が詰まった箱を差し出すシバ。


「えへへ魔王様、肩とかこってませんかー?」


 ニコニコと笑顔を浮かべながら、自称魔王の肩を揉みしだくディアナ。


「魔王様、この本面白かった。是非読んで欲しい」


 少し恥ずかしそうにしながら、自称魔王に高そうな装飾が施された本を差し出すファリン。


「あた、あたしに爪の垢飲ませて下さい魔王様……先っちょだけでいいんですぅ」


 誰この眼帯ツインテ揉み手までしてキャラ守ってよ。




「いや、何してんの君ら」





 俺の顔を見るなり、椅子から立ち上がった自称魔王が両手を広げて迎え入れてくれた。露出度は相変わらず高いまま。


「おっ、アルめやっと帰ってきたか……なんだこっぴどく叱られたか? 泣くならほら胸貸すぞばっちこい」

「貸りません」


 理性対本能の対決は理性が勝ったので返答はすぐできた。


「なんだよ面白くないな、今なら頭も撫でてやるのに」

「撫でられた……くありません」


 揺らぐ理性、喉元を通る生唾。


 ほらお前こういうの好きだろと本能が攻撃するがなんとか耐えた理性が勝った。


 ちょっとだけ負けてよかった気もするけどさ。


「それで今回の件はどうなったんだい?」


 シバが菓子の詰まった箱を机の上に置いてから、ようやくまともな質問をしてくれた。


 俺としてはこの状況に答えて欲しいところではあったが、待ってくれたのだ先に自分が答えるべきだろう。


「思春期でツノツキロクマイバネヤモリと契約した俺と皆が、魔物に襲われてるところを攻性科のエリートに助けて貰った事になったよ。火事はその時の魔法が原因」


 ――静まる教室。


 まぁそうだよね皆襲われたのに良い気分にはならないよね。


「それはその……何というか」

「ナメてんな。今度は全身火達磨にするか?」


 顎に手を当て苦笑いを浮かべるディアナと、思い切り舌打ちをして指をボキボキと鳴らす自称魔王。


「ええ行きましょう魔王様今こそ僕達召喚科こそが最強だと学園中に知らしめる良い機会です! あとこれ追加のお菓子です食べてください!」


 そして間髪入れずに跪き、もう一度菓子を差し出すシバ。いやだから何してんの君。


「ちょ、ちょちょっとシバこっち来て」

「どうしたマイフレンド、君も食べるかい?」


 手招きすれば、何か問題があるかいとでも言いたげな顔で菓子を俺にも差し出すシバ。いや甘いもの好きだけどお腹は結構減ってるけど。


「何自然に家来になってるのかな、自称魔王のドラゴンっておかしいと思うだろ普通! あとこれ一個貰っていいかな!?」


 小声をシバの耳元で荒げながらお菓子に手を伸ばす自分を少し器用だなと感じながらも、ようやくこの教室で覚えた違和感について問い詰める事ができた。


「構わないが……やれやれ君は全然わかってないな」


 が、彼は肩を竦めるだけ。


 その態度に覚えた苛立ちを口にする代わり、手に取った菓子を頬張る。あ、これ美味しいわ。


「確かに彼女に関して得体の知れない所しかない。けれどたった一つだけ確かな事実がある……それは彼女がAランクですら勝てない程の実力者だという事実だ」

「まあうん、そうだね」


 丸い焼き菓子をかじりながら、彼の言葉を飲み込む。


 彼女の正体はいざ知らず、強かったという一点についてはもう疑う余地はない。おそらく学生風情が逆立ちしたって勝てない相手。


「そしてまた別の事実として、僕達はこれから三年間無能なFランクとして過ごさなければならないという事実だ」

「まあ仕方ないよね」


 入試の点数については言い訳しようがないからね。


「しかしこうは考えられないかねアルフレッド君! 彼女と協力すればFランクである召喚科こそ学園で最強かつ有能だと証明できるのはないかと! そうすればスジャータと僕の子供達がこの学園に入学する頃にはえっお父さんってあの召喚科卒業したのやっぱり僕の父さんとその妻である母さんは凄いやってなっているはずだと!」

「長いからアルでいいよ」


 要約すると、自称魔王様の力を利用して下剋上してやろうという事らしい。


 スジャータ云々はどうでもいい。あと長いの説明だけじゃないからね皮肉だからね気づくかな、無理か。


「いや親から貰った立派な名前を略すのは僕個人のポリシーに反する、まぁそんなことよりも僕達で話し合った結果、彼女と良好な関係を築いてこのFランクの地位を徐々に上げていこうとなったのさ」

「良好な関係かぁ」


 そういう言葉はこう手と手を取り合う絵本みたいな関係の事を言うんじゃないかな。


 その上で目の前にある景色について考えるとどうみても主人と下僕ですね健全はどこにあるのかな。


「君も協力してくれるかな」


 と、一通り説明を終えて満足したのかシバが笑顔で俺の肩を叩いてくれた。


 協力ということはつまり、自称魔王の仲間ってことで俺は恋人役をやらねばならぬというわけで。




 しかし今日みたいな厄介事が舞い込まないなら、それはそれでいいんじゃないかと考えてしまう。


 召喚科についてあることないこと吹聴されるぐらいなら、いっそそれぐらいやってみてはどうかと。




 とまぁ無いなりの頭を捻って出てきた結論。




「ちょっと考えさせて」


 保留である。


 なに、考える時間はまだあるさ。師曰くどうせ暇らしいし。


「そうだな、すまない僕としたことが結論を急ぎすぎた……うん、明日は待ちに待った入学式だからね。今は英気を養うのが一番だ」


 ここで食い下がるような男じゃない事については彼の美徳だなと思わず頷く。ただその言葉に俺は苦笑いぐらいしかできないけど。


「英気かぁ……寮の夕食って間に合うかな」


 窓の外を見ればすっかり日が沈んでおり、格安の学生寮じゃパン一切れすら残ってるかどうかも怪しい。


「ん? 腹が減っているなら僕の屋敷に来るかい? 入学祝に父が建ててくれたものなんだけれど、広すぎる食堂に一人腰を掛けるのに辟易していたところでね……そうだ、いっそのこと住んでくれても構わないよ。部屋はいくらでも空いているから」


 その世間話のように振られた魅力的すぎる提案に、思わず生唾を飲み込んでしまう。


 けど初日からクラスメイトに甘えるってのは、なけなしのプライドが邪魔をして。


「いや流石に悪いってそれは」


 断った。流石にそれは図々しい。


「そうか、今日は初登校だったからうちの使用人達が腕によりをかけた晩餐を用意していているのだが」


 晩餐、という言葉で飲み込んだはずの唾が湧いてきた。


 そして手に持っている焼き菓子の美味しさを考えれば、シバのところの夕食はおそらく今まで食べたことも無いようなご馳走で。


「甘いもの……ある?」


 気づけばそう口走っていた。好物だからって卑しいぞ俺。


「イシュタール家の食卓にデザートの並ばない日は一度もないよ」


 田舎では月に一度拝めたらいいものが毎日とは、金持ちは違うぜ。


 と、格差社会に思わず思いを馳せていたら、教室の扉がガラッと開かれた。


 そして顔だけ出したのは、お察しの通りライラ先生。


「何だお前らまだいたのか? ほらさっさと帰れ帰れ」

「ごめんなさーい」


 もうとっくに下校の時間は過ぎていたので、俺たちは素直に謝った。


 でもライラ先生どうしてそこに自称魔王がいるのに一言も言わないんですか? 生徒指導の前にやることあるんじゃないでしょうか? なんて聞けるわけもなく、その扉が閉められる。




 と思ったらまた開いた。




「そうだ、一つ言い忘れていたが……捕まえた召喚獣の世話はちゃんと自分でしろよ。餌は特にな、間違っても餓死なんてさせるなよ。じゃお疲れさん」


 今度は開けっ放しの扉。


 けれどライラ先生はもういない。なるほどね確かに召喚獣に餌やらないとねヤギと違って牧草とかってわけじゃないだろうね。


 いくらかかるのかな仕送りで足りるかな、というかそもそも。


「ねぇ魔王様」


 自称、という言葉を飲み込んで、俺は彼女に声をかける。そういえばまともに会話してないなまだ、なんて思いながら。




「……つーん」




 だが返事をしてくれない。腕を組んでそっぽを向いて、返したのはそんな言葉。


「魔王様?」

「ぶっぶー」


 ぶっぶーって、何が不正解なんだろう俺は。少し悩む、までもない。俺じゃこの答えは出てこなさそうだ。素直に周りの人を頼ろう。


「シバ、なんで俺あんな態度されてるの?」

「女心がわからないな君は。大切な人には親から貰った大切な名前を呼んで欲しいのさ。例えばそうスジャ」


 了解わかったもういいよ。


「エルゼクス様」

「様ぁ?」

「エルゼクス」

「もう一声」

「じゃあ……エル?」

「おう、どうしたアル!」


 そう呼びかければ、彼女は満面の笑みで答えてくれた。


 その笑顔に少し絆されそうになったが、それよりも俺には聞きたいことが。


「失礼を承知で聞くけどさ、君って結構食べる方?」


 よく見れば、シバが自称魔王……じゃなくてエルに差し出した菓子の空き箱が四つぐらい彼女の足元に転がっていた。


 えーっと、確か1箱12個入りぐらいだから48個? 間食が? 俺の田舎での四年分のお菓子が?


「あのなぁ、オレは竜族の中でも食が細くて有名だったんだぞ。その証拠に、どうだナイスバディだろ? ん?」

「確かに」


 腰に手を当ててポーズなんか取るエル。確かに彼女の体には、無駄な脂肪らしきものはどこにもない。


 その後ろでディアナが何でこんなに食べてるのに……とでも言いたげな顔をしているのに気付いたが見なかったことにしよう。




「まぁそうだな、人間の食料で言えば……一日牛二頭分ぐらいだな!」


 笑顔で彼女はそう答えた。





 ああうん、ドラゴン基準ではきっとびっくりするぐらいの小食なんだろうねえっと牛二頭ね何キロかな牛肉が1キロ20クレぐらいで月々の生活費が全部合わせて300クレでつまり俺が月に用意できる最大の牛肉は15キロで牛一頭の体重が7キロぐらいだったらギリギリって駄目だこれ月の計算になってる無理だわ牛がネズミぐらいのサイズじゃないと彼女の胃袋満たせないわ餓死だわ。




 はい、というわけで。




「シバさん、しばらく家に泊めてください!」


 頭を速攻で下げた。


 プライド? 図々しい? 


 なんとでも言えつい数分前の自分よ。そんなもので腹は膨れないし牛のサイズは小さくならない。


「大歓迎さマイフレンド!」


 というわけでしばらくの間、シバの家にご厄介になる事になりましたとさ。

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