第16話 おかしな三人とカロントの実・後編

たっぷり食べて喉を潤し、ゴンちゃんは本題に入る。例の荷物、背負い籠を差し出した。アレキサンドラは中の一つを取り出して顔をしかめる。それは、手の平大で暗い緑色をした塊だった。表面は皺が寄っていて硬い。ゴンちゃんは頷く。


「……今年も駄目だ」


「うーん……三百年以上かけても変化なしですか」


「なんだそれ?木の実か?」


「うむ。カロントの実という。我らには重要な食料だったのだが……」


黒い瞳を憂いに沈めながら語った。

カロントの実は美味な食物だった。生でも食べられるし、火を通せば柔らかなパンに似た食感となる。栽培も簡単であり、ミノース島では主食扱いだった。ミノタウルスたちはこの実と野菜を作って食べ、天に祈りを捧げ生きてきた。彼らは雷を操り雨を降らせるが、穏健で慎ましい。周囲の島々から敬愛され、天の使いとして崇められていた。

だが、千年前に大魔王が現れて一変する。ミノース島の位置は、百花大陸の中央付近に当たる。最中央部の島々に比べればマシだが、辿った末路は悲惨だ。バラッカ諸島は島民ごと大陸誕生の隆起に呑み込まれ滅亡。魔法島ミストルティンの島民は魔物に食い殺され幽鬼にされてしまう。ドラコ島の勇ましい龍人たちもまた理性を奪われ、魔物として死ぬまで操られた。そしてミノース島の気高き天牛、ミノタウルスも。雷火を操り敵を屠り、その肉を食らう悍ましの魔物にされてしまう。彼らは恐れられ、大半が操られたまま殺されてしまう。わずかな者たちが大魔王の支配から解放されたが、影響はいまだに濃く残る。島民にも、土地にも。


「大魔王の力は汚染の力だ。近くに寄るだけで魔の物にされる。千年前のあの日、我らだけではなく大地も穢された」


地形は変わり、大気は瘴気に満ち、川や湖に毒が流れ煮えたぎった。動植物はおろか虫さえも変容し、殆どが魔物や毒物となる。大戦終結後、生き残った者たちはミノース島の再建に取り組んだ。魔物を駆除し、瘴気と穢れた土を浄化し、穢れた草木を刈り取り、新しい種をまいて苗を植えた。甲斐あって、島はかつての姿を取り戻していく。草木も健やかに育っていった。


「ですが、カロントの木は別です。これはミノース島にしかない植物で、外部から汚染されていない種や苗を用意できませんでした」


他にも滅んだ固有種は多い。が、カロントだけ諦めきれず、何度も土を遠方から取り寄せて育てた。アレキサンドラも研究し、魔法で元の状態に戻せないかと挑んでいる。しかし、なかなか上手くいかない。実だけではなく、葉も花も木肌でさえ全く別の木になってしまっているのを戻すのは至難の業だった。平行し、新たな主食として穀類を育てようとしたが、こちらもまた芳しくない。それ以外の作物もだ。土は浄化されたが、痩せた状態から回復するにはまだ年月がかかるだろう。仕方なく小麦粉を輸入しているが、大した特産、収入がない島の財政を圧迫している。主食の自給自足は急務だ。


「食えないのか。こんなに沢山取れるのに勿体ないな」


呑気な感想に黒い瞳が剣呑に光る。なんなら火花も散っている。


「当たり前だ。汚染されたままだからな」


「いえ、可能かと。瘴気は抜けてますし、毒性はありません」


金の瞳が輝いた。本当は深刻な話に圧倒されていたキサラだが、いかなる時も食に関しては好奇心が強い。


「試していいか?」


二人は呆れた様子だったが、駄目とは言わなかった。

まず硬い皮、というか殻が立ちはだかった。ハルピュイアの脚は石を砕き得る。試しに石橋の上で踏み付けた。金属音が響くがビクともしない。それでも諦めずに踏み付けた。何度も何度も。実ではなく石橋にヒビが入り汗が散る。何十回も踏み付けて、ようやく一つにヒビが入った。


「一個だけか……キツイな」


だが、一人でやるしかない。二人は他にも相談事があるようで、家の中で話し込んでいる。それに、これはキサラが勝手にやりだしたことだ。ゴンちゃんに至っては食おうとするキサラの正気を疑っていた。


「効率よく出来ねえかな……あ、そうだ!」


元の世界の知恵を応用すべく材料を探した。

同じ頃、家の中では景気の悪い会話が繰り広げられていた。


「また値上げだ。我らの窮状を知っていて……おぞましい取り引きまで持ちかけてきた」


「……貴方たちの皮だの胎児だのを有り難がる者は後を絶ちませんからね……」


また、ミノタウルスは操られていたとはいえ魔物に堕ちていた。蔑みは根深く、悪感情を利用する者も多い。


「自給自足出来るようになれば、完全に島を閉ざせるのですがね」


叶えば、アレキサンドラにとっても都合がいい。それに、友人のためだ。励ますために言葉を紡いだ。


「いずれにせよ諦めるのは早い。試していない作物はまだまだあります。ブルルを定着させるのには成功しましたし、あなた方が作るアポルの実や工芸品の評価も上がってきている。いずれ高値で取引されるでしょう」


力強い言葉に黒い瞳に活力が戻る。アレキサンドラはさらに続ける。


「時間稼ぎが必要です。あまり剣呑な手は使いたくありませんし、また出稼ぎに行ってきま……」


突然、高いところから何かが落ちた音が響いた。アレキサンドラは一目散に扉に向かう。


「キサラさん!大丈夫ですか!」


「アレキサンドラ?危ない避けろ!」


言うが早いか頭上に影が。間一髪、赤銅色の拳が粉砕した。石つぶてが散乱する。


「悪い!無事か?」


頭上の枝から叫ぶキサラ。その手から大石を落としたのは明白だった。


「貴様!我がいたからいいものの!」


友人の危険に怒鳴る。キサラは身を竦めたが、アレキサンドラは背を叩いて諌めた。


「キサラさん、夢中になるのはいいですが気をつけて下さいね。上手くいったか確認しましょう……ゴンちゃん、あの子は充分に反省してますから」


本人に言われれば引っ込むしかない。三人ともロープを使って石橋まで降りた。キサラは消沈して無言、ゴンちゃんはそれを睨む。アレキサンドラは気まずいので大声で話しだした。


「あっ!割れてますね!ほら!」


「本当か?よかった……これで駄目だったら下に落とすつもりだった」


石橋の上には割れた石が散乱している。カロントの実を蔦で編んだ網に入れ、石柱から崩れた石を括り付けて落としたのだ。石といっても赤子大だ。かなり重くて大樹によじ登るのが大変だった。


「半分以上割れてるな」


先程、落とした大石は必要なかったようだ。先に確認するべきだった。そうでなくてもアレキサンドラたちに説明しておくべきだったと、改めて反省した。


「まあそう落ち込まないで。残りは私に任せて下さい。ヒビが入ってますからすぐ済みますよ」


ストラが網に巻きつき締め上げる。ギギギと嫌な音、次いで小さな破裂音が重なった。間も無く、ほぼ全ての殻が割れた。拾い上げて見れば、中は薄いオリーブ色の果肉が詰まっている。真ん中の小さな黒い楕円は種だろう。果肉を齧ると、これまた硬い。しかし、噛み砕けないほどではない。香ばしい。アーモンドとカシューナッツに似た風味がする。


「もっと砕くか粉にしたら使えそうだな。味も悪くない……火を入れたら……それにこれ、油が取れるんじゃないか?」


「うーん。考えたことはありませんでしたが……茹でて取ってみましょうか」


「じゃあ試そう。こっちは砕いて火を入れて料理にする。そっちは茹でて油取り、あとは……染色なんかはどうだ?」


「殻と実で分けて試しましょう。乾かす必要があるから後で。それより、綺麗に割れた殻はボタンか何かに使えそうですよ」


わくわくとアイデアを出し合う二人。ゴンちゃんは鼻息を吐く。


「酔狂だ。実が元に戻らんなら意味がない」


苛立った口振りにキサラは縮こまるが、誤解は解きたかった。面白がっているだけではないのだ。


「でもさ……あんたや仲間が頑張って育てたんだろ?有効活用できるならいいなって……余計なことなのはわかってるけど……」


ゴンちゃんのささくれていた心が、想像もしていなかった優しさに宥められた。


「とりあえず料理してみるよ」


家に上がっていく姿を見送る。


「いい子でしょう?」


「……まあな」


麺棒でさらに砕いた果肉を炒る。想像以上に食欲を誘う香ばしさになり、カリカリと噛み砕きやすくなった。甘みも出る。塩を混ぜればそれだけで一杯飲めそうだ。これならいける。アポルジャムと共に薄切りパンに乗せる。


「一気に高級な味になった。パンが硬いからラスクみたいだな」


クッキーにしても美味いだろう。早速、クッキー生地をこしらえる。

まずは、石窯に火を入れておく。次に、ボールがわりの鍋に小麦粉、水、オリブ油、花蜜を入れ混ぜ合わせる。まとまったら、砕いた果肉をざっと混ぜて丸めて寝かせる。

寝かせている間に次の作業だ。布に果肉を包んでひたすら砕く。粉挽きがあればいいが、この家にはない。出来るだけ細かくしたいが難しそうだ。それでも諦めず続ける。


「それも料理か?」


ゴンちゃんだ。声に棘がない。キサラは機嫌が治ったのだろうと安心した。質問されたのも嬉しい。


「ん?ああ、アーモンドプードル……俺がいた世界じゃ、こういうナッツを粉にして小麦粉みたいに使う料理もあるんだよ」


「わかった。貸せ」


「へ?」


さっと布を広げ、中身を掻き集めて手のひらで擦り合わせた。強い摩擦がかかる。手から出てるのを疑う音がし、みるみるうちに湿った粉が手の隙間から溢れてゆく。


「む……ダマになるな」


「あ、油と水分を含んでるから。保存するなら精製して乾かさないといけないだろうな。すぐ使うから今はいい」


様子を伺いつつ話すが、ゴンちゃんはただ感心しているようだ。キサラは浮き浮きしてきた。あっという間にカロント粉が出来ていく。最終的に一キロほど出来た。ゴンちゃんのおかげで肌理も細かい。小麦粉と混ぜて作るつもりだったがこれだけで足りるだろう。ボールがわりに使っている大鍋を取り出す。


「カロント粉、パン種……塩と花蜜はこれくらいで。入れたらよく混ぜて……オリブ油はいらないかな?粉にたっぷり含んでるし」


小麦粉よりまとまるのに時間がかかるが、無事に生地になった。さらに捏ね上げ大鍋の上に寝かせる。


「発酵させてる間にクッキーを焼こう。丸めるより伸ばして切った方が楽だな。切ったら石皿に並べて……間隔はこんな感じ。釜は……いい感じにあったまってるな」


手際よく動き、クッキーを石窯で焼く。入り口は小さいが中は意外に広い。クッキーを乗せた石皿を次々に入れる。


「これでよし。次はこっちだ。うわめっちゃ膨らんでる!早いな!」


ふっと、ゴンちゃんの口が緩む。キサラは料理が楽しくて仕方ない様子だ。生地を切って丸め、パン型に詰めながら話すと笑みが弾けた。


「うん。昔から好きなんだ。色んなレシピを試したり食べてもらったり……あいつには内緒だけどな、割と幸せだよ。今のこの暮らし」


ぐっと込み上げるものがあった。かつての家族、特に料理好きだった母が浮かぶ。


「なら、このままこの世界で暮らすか?」


「それはちょっとな。……向こうには家族がいるし体……クッキーが焼けてきたみたいだから、この話は後でな」


石皿を取り出す。狙い通り香ばしい焼き上がりになった。出来上がったクッキーは冷ましておき、パンの続きだ。パン型に詰めた生地に切れ込みを入れ、寝かしたのち石窯に入れる。型は二つだけ。残りは様々な形や大きさに成形して石皿に乗せ、これも寝かせてから入れる。


「……はい終わり。あとは石窯がやってくれる。時々具合を確認すればいい」


外で別作業中のアレキサンドラを呼びに行く。クッキーでお茶会だ。


「疲れた……フェンリルの片付け面倒くさかったです。臭いし燃えにくいし」


「魔物は食えねえしなあ……」


「娘……食うことばかりだな」


油取りの方はというと、取れないことはないが量を得るには個数も時間もかかり過ぎる。質も半端という微妙な結果だった。


「そのかわり、これは上手くいきましたよ。ボタンと小物入れ」


「えっ!これがあの汚い殻?」


殻を魔力を込めた小刀で切り、堅牢な魔布でピカピカに磨き上げれば見違えるほど上品な深緑になった。小物入れは、魔法糸で殻を真二つに割り、中身を取り出して透し模様を施している。


「その……材料は沢山ありますし、ミノタウルス族は力が強く、近頃は手先も器用になってきています。練習すればこれくらい出来るかと」


「うむ。愛らしいな。軽くて丈夫なのもいい」


「噛み合わせを調整したり、蝶番をつけてもいいんじゃないか?」


アレキサンドラは友人の反応に驚いた。なにやら吹っ切れた様子だ。思い悩みから少しでも解放されたならよかったと、肩から力が抜けた。

和やかにお茶会が始まった。まだほんのり温かいクッキーはなかなかのものだった。小麦粉がよければもっと美味しいだろう。珈琲に似た飲み物、カルフェとよくあう。


「塩っぽい味にしてもいいな。後は花蜜と油と合わせて煮詰めてキャラメルみたいに出来ないかな?オリブ油はちょっと癖があるから他の油で」


「んー。他の油は輸入ですから、ちょっと割高になってしまうかと」


「油で変わるのか。なるほど。料理とは奥が深いのだな」


感心しつつクッキーを頬張るゴンちゃん。五十個近くあったが、みるみる減っていく。凝った料理を作ったり食べたりする余裕がないので、夢中になるのも無理はない。パンが焼きあがっていった時も同じだ。

まずは石皿に乗せたパンが焼きあがった。表面がパリパリに焼けた薄焼きパン、細長く伸ばしたパン。表面だけでなく中身もサクサク香ばしい。次に拳大の丸パンや棒状の分厚めのパン、表面がパリパリだが中身は弾力がありもっちり。食いごたえがある。それぞれ違った食感と味があり、どれもこれも芳しい。大いに舌を楽しませた。

しかし、一番はパン型で焼いたパンだ。


「これは……」


表面はパリッとした薄皮が張っている。中身は他のパンよりしっとりふっくら。柔らかく口の中で解れ、甘みが強い。型に入れたから水分が閉じ込められたのだとキサラ。解説の途中、黒い瞳から涙が溢れた。


「ど、どうしたゴンちゃん!口に合わなかったか?」


「いや……少しだけ似ていてな」


かつてのカロントの実の味に。変わり果てても残るものはあるのだなとゴンちゃんは静かに泣いた。ならば、白い姿を失い、敬われず恐れられるようになった自分たちもそうだろうか。そうであって欲しい。泣くほどに、何かが洗い流されていくようだった。キサラとアレキサンドラは静かに見守り、寄り添ってやった。

食事が済み、涙も止まった。


「これからは今のカロントの実も活用しよう。皆、抵抗があるだろうが我が説得する。そのために娘……キサラ、パンや菓子を作ってくれないか?」


「もちろんいいぜ!他にも色々作ってやるよ!」


やり取りを見ていたアレキサンドラ。一人頷き、よしと決めた。


「キサラさん、そのお仕事がすんだら出稼ぎに行きませんか?」


「前に言ってた『ゴミ消し屋』稼業か?危険じゃないのか?」


「はい。ですが、キサラさんの料理の腕と発想力を使わないのは勿体ないですし、黒死大島に行く費用を稼がないといけません。旅をすれば魔法を解く鍵も掴めるかもしれませんし」


「そうだな……せめて元に戻れないことには……」


「待て」


会話の中の違和感に、黒い瞳が鋭く光る。

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